聖書信仰ではない人を校長として選んだあるキリスト教の大学を「なくてもいい」と言ったら、後で卒業生から嫌みを言われた。

「キリスト教の看板をつけているということは、自らを預言者と自認すること」を意味する。

ノンクリスチャンの大学とは立ち位置がまったく異なる。

ノンクリスチャンの大学に入る人は「ヒューマニズムを教えているのだ」と覚悟するが、クリスチャンの大学に入る人は「キリスト教を教える」と期待する。

キリスト教を教えると称しつつ、ヒューマニズムを教えるなら「私が命じていないことを私の名によって語る者を処刑せよ」との聖書の規定に該当する。


ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。」(申命記18・20)


神の名を用いることの恐ろしさを理解すべきである。