先日、何気なく「内側にいる悪霊よ、出で去れよ」と祈ると、体からサーっと何かが離れていく体験をした。 

お腹のあたりが軽くなり、解放された気持ちになった。 

心の隙を利用して、悪霊が体に入ることがある。 

そして、特定の部位にしがみつき、そこを支配する。 

悪霊に支配された部位は、正常に機能しなくなる。 

私は、病気の原因が悪霊の作用にあるのではないかと考えている。 

聖書には、腰が曲がらなくなった女の話がある。 


イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。 
すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女がいた。 
イエスは、その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました」と言って、 
手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。(ルカ13・10-13) 


「病の霊」が「腰」という部位について、自由を奪う。 

これは、臓器にも当てはまるのではないだろうか。 

心臓や肝臓、膵臓・・・ 

これらの臓器に取り憑いて機能不全を起こす。 

ある人は「信仰がないノンクリスチャンにはそういうことも起きるかもしれないが、クリスチャンには起きないでしょう」というかもしれない。 

しかし、この「女」は、アブラハムの子孫であった。 

つまり、神の民、今日においてはクリスチャンであった。 

クリスチャンであっても、病の霊が入ることがある。 

なぜクリスチャンも病気になるのか。 

罪が原因である。 


そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。 
イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」 
病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」 
イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」 
すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。 
・・・ 
その後、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」(ヨハネ5・5-14) 


「もう罪を犯してはなりません。」 

この人の、38年の病気の原因は「罪を犯した」ことにあった。 

全部の病気が罪にあるとは言えない。 

すべてのトラブルの原因を罪に求めることはできない。 


またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。 
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」 
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。(ヨハネ9・1-3) 


この人の盲目は、神の栄光が現れるためであった。 

不衛生な環境や生活習慣、遺伝等が原因で病気になることもあるだろう。 

しかし、聖書ははっきりと「病気の原因の一つは罪にある」と啓示している。 

罪は、一つの隙であり、体に悪霊の侵入を許すのではないだろうか。 

そして、罪は重ねるたびに、症状は悪化する。 

「そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから」 

習慣化している罪があれば、それが悪霊の入る入り口となっていることがある。 

薬による治療以前に、熱心な悔い改めが必要なケースがあると考える。