イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 
蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。 
また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。 
また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。(マタイ13・3-5, 7-8) 


会員の皆様におかれましては、今年に入ってからの攻撃はすさまじいものがあったと察します。 

土台ごと持って行かれるような攻撃でした。 

このような攻撃は、私の場合、何度もありましたので慣れていますが、初めての方もいらっしゃったのかもしれません。 

弱気になると、すぐに突っ込みが入ります。 

自分にとってもっとも弱い部分、誘惑のある部分。ここが狙われます。 

たとえば、自分が弱気な言葉を吐くと、すぐに「だから、信仰なんてやめたらいいんだ」と突っ込む家族。 

サタンは、私たちが弱気になることを「常に」狙っています。 

そして、道から外れるように導きます。 

種まきのたとえを見てください。 

実を結ばない人生を送る人の特徴が書いてあります。 

1.御言葉の種が蒔かれても鳥が飛んできて持ち去る。 

つまり、御言葉を聞いても追求しない。すぐに忘れて、違うことに熱心になる。 

2.御言葉の種が蒔かれてすぐに芽を出すが根が深くないので日光が強くなると枯れてしまう。 

つまり、御言葉が自分の奥深いところ、自分の実存そのものと関係ができていないので、困難が来ると捨てる。 

「なんちゃってクリスチャン」。 

3.御言葉の種がいばらによってふさがれて、成長しない。 

欲望や心配によって頭が占領され「信仰どころじゃない」と感じている人。 

すぐに優先順位が転倒する人。 

「まず自分の心配を処理しないと」と考えている人。 

1~3の人は、貴重な人生を無駄にします。 

実を結ばない人生。 

実を結ぶ人生とは、「良い地」です。 

つまり、最初から決まっているのです。 

問題は、どういう「地」に生まれたか、です。 

迫害や誘惑、心配事で頭が占領され一生を終わる人として生まれたのか、それとも、実を結ぶ人として生まれたのか。 

生まれる前にすでに決定されている。 

だから、私たちにはどうしようもない。 

実を結ぶ人でも程度に差があります。 

「あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ」 

全部「選び」なのです。 

どういう「地」に生まれたのか。 

たとえば、歌を歌うのが好きでうまい人と、歌手として生まれた人は、「そもそも」が違います。 

歌手として生まれた人は、「そもそも」そういう器なのです。 

自分の実存がかかっているので「止めようにも止められない」。 

歌手をやめて○○になりました、と言うような人は、そもそも歌手に生まれていない。 

歌手に生まれついた人は、普通の家庭も持ちたいと憧れて結婚し、家事をするが、最後には歌に専念できる環境を選びます。場合によっては、離婚します。 

美空ひばりなんかはその例。 

あの人が、普通の主婦になれるわけがない。 

歌うために生まれてきた人です。 

人間は、みなDNAの奴隷であり、「落ち着くところに落ち着く」。 

どんなに周りが「違う者になれ」と期待しても、最後に自分にとってしっくり来るところに落ち着く。 

つまり、神の側で決定された居場所に座るようにできている。 

だから、実を結ぶ人になれるかどうかは、その人がどのようなDNAを与えられているのかにかかっている。 

神の国を簡単に諦める人は、そういう人として作られている。 

ラッシュドゥーニーのように、最後まで貫く人は、神によってそういう器として作られている。 

ゲイリー・デマーのように、途中でFVに逸れていく人は、神によってそういう器として作られている。 

正統派を貫いて人生を終わるように選ばれた人に対して神は「わがまま」を抑制される。 

フルプレテリズムを選びたいな」という願望を持ったときに、神は「明確なストップ」をかけられる。われに帰るようにされる。 

しかし、異端に走って滅びるように定められた人に対しては、「わがまま」を抑制されない。「フルプレテリズムを信じたいな」という気持ちを放置される。 

一生頑固を続けて、正統派を批判しながら生きるという「地獄ロード」をばく進する。 

そういう人は、滅びることによって栄光を表すように定められている。 

今、100倍の実を結んでいる人がいるなら、誇るべきではない。 

自分がそのように生まれてきた神の恵みを誇るべきである。