1. 

なぜキリスト教は「一」のみを過剰に強調するようになったのか。 

現在でも、「御子は存在論的に御父から生まれた」という教えを唱える人が現れる。これは、第一位優位説という異端である。 

この説は、御父がすべての根源とみる。御子ですら御父から生まれたと。 

どうやら「元初から神は三であった」ということを否定する誘惑が強く働くようだ。 

この強い霊的な働きかけが「三神は間違い」=「存在論的に一であると同時に存在論的に多」という教理の起源ではないのか。(「存在論的に一であると同時に存在論的に多」を唱える人全員がその霊の影響を受けていると言おうとしているのではない。) 

「一も究極、三も究極」という事実を消したい力が働いている。 

それが、グノーシスを生み出し、現在の、世界統一の政治運動につながっているのだろう。 

2. 

グノーシスも、世界政府論も、タルムードユダヤ人が起源である。 

ということは、タルムード、さらに遡ればミシュナーに、「ワンネス志向」の源流があるということなのではないか。 

ミシュナーは、バビロン捕囚から帰ってきたユダヤ人たちの言い伝えであり、聖書と矛盾する教えが多々含まれていた。 

イエスはこれを否定された。 

イエスが「アブラハムが生まれる前から、わたしはいる(エゴー・エイミ)のです」(ヨハネ8・58)と言われたときに、パリサイ人は石を取ってイエスに投げつけようとした。 

これは、ミシュナーを信じるパリサイ人たちが「ワンネス志向」であったからだろう。 


すると彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。そして彼らの間を通り抜けて進み、通り過ぎて行かれた。(ヨハネ8・59) 


「ワンネス」を信じるパリサイ人たちは、「神が複数おられること」を主張されたイエスを迫害した。 

しかし、旧約聖書は三位一体をはっきりと伝えている。 


神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」(創世記3・22) 


ここで神はご自身を「われわれ」と啓示され、複数おられることを明示しておられるのだが、述語の「仰せられた」は「3人称単数男性動詞」である。 

https://biblehub.com/... 

すなわち、パリサイ人は、聖書の「存在論的に多の神」よりもミシュナーの「存在論的に一の神」のほうを信じていたのである。 


3. 

エドワード・ヘンドリーは、グノーシス思想の起源をタルムードユダヤ人としている。 

タルムードはミシュナーの成文化である。 

アレキサンドリアは、当時、ギリシア文化の中心地で、アレキサンドリア写本はグノーシスの影響を受けていると言われる。 

タルムードユダヤ人は、グノーシスを通じて、初代教会のクリスチャンが信じていた「神は存在論的に多である」という教えを攻撃した。 

そして、ヘンドリーによると、ローマ・カトリックはタルムードユダヤ人の創作である。 

これが正しいとすると、相当初期のころから、キリスト教には「多を嫌い、一を好む」傾向があったということになる。 

事実、東方教会では「神は存在論的に多」という信仰が残ったらしい。 


O様: 

ギリシャ教父→東方教会の「至聖三者」は、「存在論的に一」を否定しているようです。契約という概念は見当たりません。 

「至聖三者」論と「三位一体」論は同じものではない、と強調されています。 

ラテン教父が様態論・サベリウスを排除しながら「一」を強調したことは、もしかしたらその後のカトリック(「公同の」)教会形成に一役買った(ある意味神学的論拠の一つになった)のかもしれない…飛躍し過ぎでしょうか? 


おそらく、西方のキリスト教には、タルムードユダヤ人の影響が東方よりも強かったのだろう。 

それが「存在論的に一」という考えの混入を許したのではないか。 

そして、それをプロテスタントは、明確な解決をつけずにこれまで放置してきたのか。