私は、三神論を採用するつもりはまったくない。
それは、異端である。
三神論は
一人の神に3つの位格があるという正統的な三位一体論とは異なり、三人の神々(父、子、聖霊)が、3人の別個の神々であると唱える。神の三性を受け入れるが、神の一体性を無視する。ニケア公会議(325年)及びコンスタンチノープル公会議(381年)で確認されたように、三位一体論は「神は存在及び本質において一人であるが、三つの同格で永遠に共存する人格、すなわち、父なる神、子なる神、聖霊なる神として存在する。聖書は次のように教えている。すなわち「3つの異なる人格から成る一人の神がおられる。(1)一人の神がおられる(Deut 6:4; Isa 43:10; 1 Cor 8:4; cf. 1 Tim 2:5) (2)3つのペルソナ―父なる神(John 6:27; Rom 1:7; 1 Pet 1:2)、子なる神(John 1:1-3; Col 1:16-17; Tit 2:13; Heb 1:2))、聖霊なる神(Acts 5:3-4; 1 Cor 3:16)―は互いに別である(Matt 28:19; Rom 15:30; 2 Cor 13:14)」と。
三位一体のキリスト教教理は、一方で様態論、他方で三神論という異端の過激派から支援を受けてきた。神は「3つの様態においてご自身を示す一人のペルソナ」(様態論)でもなければ、3人の異なる神々(三神論)でもない。三位一体論は、次の永遠の真理を教えている。すなわち、
神はお一人である。
父なる神、子なる神、聖霊は神である。
父、子、聖霊はみな、互いに異なるペルソナである。
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私はこれにまったく賛同する。
人間は男女において神の似姿である。
「これはアダムの歴史の記録である。神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人と呼ばれた。」(創世記5・1-2)
「神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された」。男女は神の似姿である。本体論的(存在論的)に互いに他者である男女は、結婚によって「ひとり」になる。
「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となる。」(創世記2・24)
つまり、神はペルソナとして3者であり、法的に一人である。
三神論は「神の三性を受け入れるが、神の一体性を無視する」ので誤謬である。
神は、存在において一人であり、それは「父、子、聖霊」という互いに異なる3者から成る。
この3者は、一人の神の部分のようなものではない。
一人の人間を構成する手足のようなものではない。
それぞれが神であり完全である。