見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28・20) 

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。(ヨハネ14・16) 


なぜノンクリスチャンは、人間に頼るのか。 

イエスがともにいないから。 

クリスチャンには、イエスが常にともにおられる。 

イエスご自身は、天におられ、宇宙の王座についておられるので、物理的にわれわれのもとにはいない。 

イエスは今「物理的に」天におられる。 

復活体のまま、一定の空間を占めて存在される。 

われわれのもとにおられるのは、聖霊である。 

御父とイエスと聖霊は存在論的には別でも、契約的に一人なので、聖霊がおられることは、御父とイエスがおられるのと同じである。 

紀元70年以降、イエスは、正式に宇宙の全権を握っておられる。 

そのイエスが「聖霊において」われわれとともにおられる。 

だから、クリスチャンは、人間に頼らない。 

「でも、私たちは人の助けが必要です」とある人はいうかもしれない。 

人の助けは、聖霊から来る。 

なぜならば、聖霊は「助け主」だからである。 

「助け主」=「支援の主」=「支援の総元締め」である。 

聖霊は「支援の総元締め」として、われわれに必要な人を派遣してくださる。 

われわれを助けてくださる人が現れたら、それは、聖霊が派遣された人である。 

ある企業が人材を必要としているとする。 

派遣業者に連絡して、適切な人を送ってほしい、と言う。 

適切な人が送られて、仕事を手伝ってくれる。 

これと同じように、われわれは、「助け」が必要なときに「支援の総元締め」である聖霊に頼る。 

人間に直接頼ると、「適切ではない人」が来るかもしれない。 

経験から「適切な人」とわれわれが判断しても、「適切ではない」ことがよくある。 

能力があっても、その時点でその能力が発揮できない状況にあるかもしれない。 

サタンが介入し、その「適切な人」を利用するかもしれない。 

サタンはわれわれが困っている状況を利用するものなので、その「最適な人」に色をつけて送ってくる。 

「あれ?○○さんはこんな人じゃないはずなんだけど。おかしいなあ」と。 

サタンの色がつくと、顔つきも声もそれっぽくなる。 

彼はその頼った人を利用して、神の国の働きから遠ざけるように働きかけることがある。 

御霊に頼るならば常に「サタンの色のついていない最適な人が、サタンの色のついていない最適な状態で送られる」。 

なぜならば、神はわれわれを愛しておられるからである。 

神は、われわれ以上にわれわれのことをご存じなので、誰が必要かを適切に判断され、最適な人を送られる。 

支援が必要な場合、まず神に祈り求めることである。 

モーセは、問題が起きると必ず、まず会見の天幕の前にひれ伏した。 


ところが会衆のためには水がなかったので、彼らは集まってモーセとアロンとに逆らった。 
民はモーセと争って言った。「ああ、私たちの兄弟たちが主の前で死んだとき、私たちも死んでいたのなら。 
なぜ、あなたがたは主の集会をこの荒野に引き入れて、私たちと、私たちの家畜をここで死なせようとするのか。 
なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから上らせて、この悪い所に引き入れたのか。ここは穀物も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも育つような所ではない。そのうえ、飲み水さえない。」 
モーセとアロンは集会の前から去り、会見の天幕の入口に行ってひれ伏した。すると主の栄光が彼らに現われた。(民数記20・2-6) 


神にお伺いを立てずに直接に向かったときに失敗した。 

モーセは、この失敗のせいでカナンの地に入ることができなかった。 

われわれにとって「支援の総元締め」は御霊である。 

まずイエスの御名によって御父に祈り、聖霊から支援者が送られるように願うべきである。 

助けが必要なときの手順: 


1.まず御父に、イエスの御名で祈り、支援を求める。 

2.送られてきた人に頼る。 

3.御父に、イエスの御名で祈り、感謝を捧げる。 

4.送られてきた人に感謝する。 


直接に人に頼ると、サタンの色のついた人がサタンから送られてくるから要注意である。