神は正しい審判者、日々、怒る神。
悔い改めない者には剣をとぎ、弓を張って、ねらいを定め、
その者に向かって、死の武器を構え、矢を燃える矢とされる。(詩篇7・11-13)
悔い改めるか、悔い改めないか、は、われわれの運命を左右する。
悔い改める者には、赦しが与えられ、悔い改めない者には、神の御怒りが注がれる。
神は「剣をとぎ、弓を張って、ねらいを定め、その者に向かって、死の武器を構え、矢を燃える矢とされる」。
「愛の神がそんなことをするはずがないでしょう」というのは、勝手な思い込み。
聖書ははっきりと「悔い改めない者は、神によって殺される」と宣言している。
神は「正しい審判者」であり、不義や不正を放置されない。
犯された罪には、必ず決着をつけられる。
神は不義や不正に対して「日々、怒られる」。
正義の天秤の片方が下がったら、その片方におもりを載せて、バランスを保たれる。
不義や不正が行われると、天秤の一方が下がる。
神は正しい裁きを下すことによって、もう一方を下げられ、天秤はもとの平衡状態に戻る。
「死んだら無になるだけ。来世なんて存在しない」というのも勝手な思い込み。
悔い改めないすべての人間は、生涯の間に犯した罪によって、天秤を傾けたまま死ぬ。
死後、その傾きは補正される。
悔い改めないすべての人間は、永遠の刑罰を受けることによって、その傾きを補正する。
この刑罰を回避する方法は、一つしかない。
イエス・キリストを救い主として信じることである。
イエス・キリストがわれわれの身代わりに刑罰を受けて、傾きを補正してくださった。
悔い改めて、イエス・キリストを信じる人の天秤は、平衡状態になっている。
だから、神の御怒りは悔い改めた人には向けられない。
こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ8・1)