1. 


愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。(ローマ13・10) 


オウム死刑囚への死刑実行以来、事件を振り返ってみた。 

麻原は、弟子たちにテロを命じるときに「救済を実現するために」といった。 

弟子たちは自分たちの犯罪が「救済のために役に立つのだ」と考えた。それが、彼らの良心のとがめを消す役割を果たしたと考える。 

人が悪霊に騙されるときに、こういう思考回路になるのか、と勉強になった。 

「悪を行え」と言って人に悪を行わせることは、サタンでもできない。 

サタンは「救済のためだ」と言ってエバを説得した。 


そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。 
あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。(創世記3・4-5) 


あなたは「目が開け、神のようになり、善悪を知るようになる」と誘惑した。 

つまり「さらに高いステージに上が」れると。 

サタンが人に罪を犯させるときに使う手は「さらに高いステージに上れる」「人々を救済するのだ」とささやくことである。 

だから、誰かがあなたを誘惑して「人類の救済のために働いてください」と説得したとしても、簡単に信じてはならない。 

オウムの二の舞になりかねない。 

おそらくCIAなどで秘密工作に携わり、要人暗殺に手を染めている人たちには、同様の「言い訳」があるのだろう。 

「これによってアメリカは救われるのだ」「人類を幸せにするためにはこの大統領を暗殺しなければならない」と。 

カルトに騙されないための秘訣は、「愛は隣人に対して害を与えません」という御言葉を反芻することである。 

自分がやろうとしていることは、隣人に対して害を与えることになるのではないかと。 

もし教祖が「地下鉄でサリンをまけ」と言ったら、信者たちは「それによって害を受ける人がでるだろう」と予測し、「あ、これは、愛から出ている命令ではない!!」と気づかねばならない。 

「隣人に対して害を与える」ものは、それがいかに必要に思えたとしても「愛から出ていない」。 

愛から出ていない行為は律法をまっとうできない。 

それゆえ、クリスチャンがやるべきことではないとわかる。 

2. 

卵の中身を取り出すには殻を破らねばならないとよく共産主義者が言っていた。 

つまり、革命を実現するには、犠牲はつきものだと。 

結局、たったの半世紀の間に1億人が犠牲になった。 

こんなに人に害を与えるものがよいものであるはずがない。 

また、キリスト教が人々を奴隷にし、宣教師が日本人女性を海外に売りさばいたという。 

それってキリスト教ですか? 

それって宣教師ですか? 


良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。 
良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。 
木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。(マタイ7・18-19、12・33) 


奴隷貿易に加担したローマ・カトリックがキリスト教でないのは、行いを見れば明らかである。