フルプレテリズムは、千年王国がすでに紀元70年以前に成就したと唱える。 

普通のプレテリストのクリスチャンならば「え?千年王国がヨハネが黙示録を書いた60年代から紀元70年までの数年で成就した?」と驚かれるだろう。 

しかし、フルプレテリストたちは、そう言ってはばからないのである。 

彼らはさらに「義人の復活と悪人の復活は同時に起きる」と主張する。 

つまり「千年王国などない」と言っているのである。 

もし「千年」という時期を「同時=ゼロ年」と解釈することができるならば、彼らがこだわる「すぐに起きる」というイエスの御言葉も「二千年」と解釈してなぜ悪いのか、ということになる。 


イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。(黙示録1・1) 


プレテリスト(過去派)はこの「すぐに」という言葉から「黙示録の様々な出来事は、紀元1世紀に起きると解釈すべきだ」と考える。 

そして「黙示録の様々な出来事はわれわれの未来に起きる」とする未来派の人々に反論するのである。 

パーシャルプレテリストは、19章までの出来事は紀元1世紀に起きたが、20章以降は、現在及び未来に起きると唱えるが、フルプレテリストは、22章まで全部がすでに紀元70年までに起きたと唱える。 

そのため、千年王国すらも紀元70年までに起きたと解釈せざるを得なくなるのであるが、しかし、もし「千年」を「ゼロ年」と「タイムスケールを無視して」解釈するのであれば、1章1節の「すぐに」も「タイムスケールを無視して」二千年と解釈することを認めなければならなくなるのである。 

それゆえ、フルプレテリズムを採用するならば、未来派の人々の解釈(ディスペンセーショナリズムなど)に反論できなくなるのである。 

これがまともな解釈と言えるだろうか。