千葉市 職員や教職員向けのLGBT対応指針策定 
4月5日 10時49分 

千葉市は、LGBTの人たちへの差別をなくそうと、性別を決めつけるような言動を避けることなどを盛り込んだ、職員や教職員向けの対応指針を策定しました。 

この対応指針は、新年度のスタートに合わせて千葉市が策定したものです。 

この中では、性別などを決めつける言動を避けるため、「夫」や「妻」ではなく「配偶者」や「パートナー」、「お父さん」や「お母さん」ではなく「保護者の方」、「ご家族の方」という表現を使うよう求めています。 

また公的な証明書類については、必要なものを除いて性別欄を廃止するとしているほか、市営住宅への入居など、親族であることを同居の条件としているものは、同性パートナーも同じ扱いにするよう検討を求めています。 

そして教育現場では、児童や生徒からのLGBTに関する相談を本人の同意なくほかの教職員らと共有しないことや、男女でデザインが異なる制服や体育着などは、本人が希望するものを着られるよう配慮することなどが盛り込まれています。 

こうした対応指針を定めている自治体は全国でもまだ少ないということで、千葉市は「職員や教職員が正しい理解を持つことで、誰もが暮らしやすい街にしたい」と話しています。 

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これが、ヒューマニズムの終着点。 

神が定められた男女の区別を消し去ろうとする。 

神の法に対する反逆。 

本来は、「地の塩」「世の光」として、真理の守護者の立場を堅持しなければならないキリスト教会が、神の法を捨てているので、世俗が崩壊しても仕方がない。 

私は「神の法を現代に適用するという危険な教え」を唱えたということで、教会で裁判にかけられた。 

神の法でなければ、では、何が基準なのか。 

ヒューマニズムの現体制を手放しで認めるのか。 

現代世界は、すでに18世紀に基準を失っている。 

カント哲学によって築き上げられた思想的土台には、神の法も自然法も入る余地がない。 

なぜならば「叡智界に関しては、超越法ではなく、人間が作り上げた教えでよい」と定められたから。 

カント哲学では、世界は現象界と叡智界に分けられる。 

現象界については科学によって真理は明らかにされる可能性があるが、宗教や道徳、死後の世界、物の価値、意味、などデータを集めることのできない叡智界に属する事柄については、その可能性はない。 

だから、神の法や自然法も、それが本当かどうかは客観的に確認できない。 

叡智界が不可知なままでは生活が成り立たないので、人間が独自に決定した基準でやっていこうと。 

カント以降、世界は相対化された。 

絶対と呼べるものはない。 

道徳は人間の倫理観に頼る。 

人間が「殺人は悪だ」と判断したら、殺人は悪になる。 

「同性愛は善だ」と判断したら、同性愛は善になる。 

つまり、現代世界とは「人間が勝手に善悪を決める」世界なのである。 

キリスト教会は、このような「堕落した理性」に頼る世俗世界を受け入れたのである。 

「地の塩」「世の光」としての使命を捨てて、世俗の人が言ったことを「キリスト教会の光」としたのである。 

牧師室において、文化に関する話題になったときに、主任牧師は私に「文化人類学では、文化に優劣はないということになっているんですよ」と述べた。 

「いいえ、文化に優劣はあります。キリスト教文化と人食い人種の文化のどちらが優れているかは明らかです」と答えたら、顔色が変わった。 

神の法という基準を失い、文化人類学なる人間の知恵を受け入れたら、当然、文化に優劣はないと判断することになる。 

教会に対してキリストが与えられた大宣教命令は「人々にわたしの命令を守るように教えよ」である。 

人食い人種が、互いに人肉を食い合っていたら、それを止めさせて、互いに愛し合うように教えるのが、務めである。 

それを「キリスト教文化でも人食い人種の文化でも価値は変わらない」と言ったら、宣教に意味はないと言っているのと同じである。 

キリスト教会は、基準を取り戻すべきである。 

それは、聖書に記された神の法である。