1.
再臨が未来に起こると考える未来派の人々は、携挙も未来に起きると考える。
しかし、再臨が紀元70年に起きたと考える過去派の人々(プレテリスト)は、携挙も過去に起きたと考える。
プレテリストの間でも、携挙についていくつかの説に別れる。
https://www.preteristarchive.com/...
まず、「地上在留説(Remained-on-Earth Views)」(1)と「逐語的理解説(Taken-to-Heaven Views)」(2)の2つに大別できる。
(1)は文字通りの物理的昇天はなかったと考え、(2)はあったと考える。
(1)は主に、次の3つに細分化できる。
A.「集団説(Corporate View)」、B.「天国現在説(Heaven Now View)」、C.「契約的変化説(Covenantal Change View)」。
それぞれの内容については、既述のURLのページをまとめた以下のテキストを参考にしていただきたい。
http://www.millnm.net/...
2.
未来派の解釈は間違っている。
なぜならば、パウロは紀元1世紀に生きていたテサロニケのクリスチャンに対して「あなたがたが生き残っている間に起きる」と明言しているからである。
「私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(1テサロニケ4・15-17)
もし、このパウロの発言が成就しなければ、パウロは彼らに対して嘘をついたということになってしまう。
しかも、「私たちは主のみことばのとおりに言います」と言っているので、神からの直接の言葉が成就しなかったということにもなる。
また、その外れた嘘預言が、聖書の正典の一部となったということにもなる。
携挙は紀元1世紀にテサロニケのクリスチャンたちに文字通り起きたのである。
3.
携挙は、文字通り起こり、テサロニケのクリスチャンたちは、エノクやエリヤのように、文字通り生きたまま紀元70年頃に昇天した。
ただし、携挙はテサロニケのクリスチャンたちには起きたが、当時のクリスチャン全員に起きたわけではない。
もし全員に起きたら、地上にクリスチャンはまったくいなくなってしまう。
信仰はどのように継承されたのか。
福音は、宣教によってのみ伝えられる。
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。(1コリント1・21)
しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。(ローマ10・14)
クリスチャンが全員いなくなったら、福音を伝えることができず、後継者が育たない。
聖書には携挙が全員に起きると述べていない。
4.
では、誰が携挙され、誰が携挙されなかったのか。
ある人は「まじめなクリスチャン」と「そうではないクリスチャン」に分けて、前者が携挙されたと説く。
しかし、これは、信仰義認を脅かす謬説である。
善行や罪の度合いによってクリスチャンを分けることはできない。
なぜならば、クリスチャンは「行いによらず、信仰によってのみ」救われるからである。
クリスチャンを聖人とそうではない人に分ける考えは、ローマ・カトリック的であり、聖書的ではない。
クリスチャンは、全員が聖人であり、神の目から見て、全員が聖いと見られている。ただし、それは「キリストにあって」である。
われわれは「キリストを着ている」。
主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。(ローマ13・14)
キリストを着ているので、神の目から見て、われわれの肉の姿は見えない。
全身が「キリストの義」によって覆われているので、われわれは罪に定められない。
こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ8・1)
5.
紀元70年頃に携挙された人々は、救いの「初穂」だったのである。
それは、聖人かどうかで選ばれたのではなく、「救いのモデルケース」として選ばれ、昇天したのである。
だから、携挙はクリスチャンの全員に例外なく起きるのである。
紀元70年以降、携挙は、クリスチャンが肉体を脱ぎ捨てるときに起きる。
肉体が死ぬと同時に、新しいからだが与えられ、昇天する。
昇天したクリスチャンは、紀元70年頃に携挙された人々と同じように「いつまでも主とともにいることにな」る。