しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。 
そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。 
それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。 
このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。(使徒の働き3・18-21) 


「主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださる」 

再度言うが、これは、ユダヤ人に対する説教である。 

だから「回復」とは、独特な意味が含まれている。 

そう。イスラエルの回復である。 

当時、ユダヤ人は、イスラエルが南北に分裂した後、捕囚にあい、捕囚から帰ってきた人々もごく一部でしかなく、大半が国外に散っていることを知っていた。 

そして、ローマ帝国の属州として屈辱的な立場にいた。 

「われわれは、宝の民ではなのか。われわれは、選民ではないのか。なぜこんな異邦人の支配のもとにいなければならないのか」と。 

ある人は、革命運動に加わり、ローマ帝国からの独立を模索していた。 

このような民族的な回復を念頭に置かない限り、この箇所を正しく読むことはできない。 

「右の頬をぶたれたら左の頬を向けなさい」 

この教えをこのような歴史的文脈を無視して解釈してはならない。 

次の「一ミリオン行けと言われたら二ミリオンいけ」と合わせて考えなければならない。 

ローマ軍は、属州の民を臨時に徴用することが許されていた。 

だから、通りすがりの人をつかまえて「これをあそこまで持って歩け」と命令できた。 

これは、非常に屈辱的である。 

もし戦後、米軍がこれを日本人に命じたら、革命が起きただろう。 

共産革命は容易に実現しただろう。 

アメリカ兵にいわれもなく頬をビンタされ、荷物を持っていけと命令されたらどうだろうか。 

しかも、自分は「天皇の赤子」と自負している。 

とても耐えられる状況ではなかっただろう。 

占領政策としてこのような屈辱を与えるべきではないと判断した米軍は紳士的であった。 

イエスのもとには、このような屈辱から解放してくれるメシアを求める人々が集まっていた。 

熱心党員シモンなどは、その中でも過激派であった。 

彼らはイエスが武力によってローマ軍を蹴散らしてくれると期待した。 

そして「右の頬をぶたれたら、殴り返してやれ」と言うメシアを期待していた。 

しかし、イエスは「悪者に手向かってはならない」と言われた。 

弟子たちは、びっくりした。 

「先生、本気ですか?私たちになおも屈辱を甘受せよと言うのですか?」と言いたかっただろう。 

しかし、イエスは「左の頬を向けよ」と言われた。 

これは、何を意味するのか。 

イエスは、契約的に問題を解決しない限り、無意味だと考えておられたのである。 

ご自身の前に登場した数多くの預言者と同様に次のように教えられたのである。 


「屈辱の原因は何か。それは、おまえたちが主の命令に逆らい、呪いを受けているからではないか。武力が足りないから支配されているのではない。お前たちの罪と悔い改めを拒む頑固な心が原因なのだ」 


「右の・・・」は、けっして「自己防衛するな」という意味ではない。 

よくこの箇所から「戦争を放棄すべきだ。侵略者に殺されるままにせよ」という愚かな教師がいるが、間違いである。 

歴史的状況を無視し、しかも、契約的思考をしないからこういう間違った判断をするのである。 

イスラエルは、罪が原因で裁かれていたのである。 

ローマ軍は、その裁きを執行する御使いである。 

だから、イスラエルは、その裁きを従容として受けなければならない。 

罪を犯したため神から呪いが下ったならば、それを「わかりました。神様。私は罪を犯して悔い改めなかったので、このような屈辱を受けているのですね。甘んじて受け入れます」と言わなければならない。 

そして「これからは神様の戒めに従って歩みます」と言わねばならない。 

つまり、ローマ帝国の属国からの脱出の道は、ひたすらにへりくだって、身を低くし、裁きを受け入れ、悔い改めることなのである。 

そのように「へりくだる」人は、「幸いで」あり、「地を従える」ようになる。 

イエスの伝道によって、羊と山羊が分けられた(マタイ25章)。 

羊は悔い改めの道を選択した人。つまり、イエスに従ったクリスチャンたち。 

山羊は悔い改めを拒否して、武力闘争を選択した人。つまり、パリサイ人たち。 

山羊たちは、ユダヤ戦争において抵抗戦争をしかけ、紀元70年に滅亡の憂き目にあった。 

エルサレムの中に閉じ込められた300万人のユダヤ人が虐殺された。 

山羊たちは、回復の恩恵を受けなかった。 

羊たちは、回復の恩恵を受けた。 

イエスを信じたクリスチャンたちは、この裁きを免れ、ティトスの軍隊による包囲が始まる寸前のところでエルサレムを脱出し、ペラという町に逃れたと言われる。 

そして、この脱出した人々は東に向かった。 

江上波夫氏によると、紀元2世紀に原始キリスト教徒たちが日本に来た。 

紀元1世紀後半にエルサレムを発って、紀元2世紀に到着したということは、彼らはどこにも寄り道せず、直行したということを意味する。 

明らかに、彼らは日本を回復されたイスラエルの地と考えていたのである。 

私が「回復されたイスラエルは日本である」と考えるのは、これが理由である。