さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。 
ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。 
彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。 
ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた(使徒の働き8・14-17) 


この箇所から「聖霊のバプテスマ」を「第2の恵み」として受けるべきだと考えることはできない。 

教会によっては「洗礼だけではだめだ。聖霊のバプテスマを受けなければならない」と教えるところがある。 

21世紀に生きるわれわれは、イエスを信じたら聖霊のバプテスマをも受けたのである。 

しかし、紀元1世紀の人々は御名による水のバプテスマを受けただけで、聖霊のバプテスマを受けていない人がいた。 

なぜならば、ペンテコステまで聖霊のバプテスマは教会に起こらなかったからである。 

使徒行伝2章に記されているペンテコステ以降、クリスチャンには例外なく、聖霊のバプテスマが起きるようになった。 


この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。(エペ1・13) 


「救いの福音を聞き、またそれを信じた」ならば、「約束の聖霊をもって証印を押され」るようになった。 

現代において、真の信仰を持つクリスチャンであるにもかかわらず、聖霊を受けていないなどという人はいない。 

ことさらに「水のバプテスマ」と「聖霊のバプテスマ」を分けて考え、「信仰による救いのほかに特別な体験が必要だ」と考えるべきではない。 

2. 


しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。 
そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。 
それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。 
このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。(使徒の働き3・18-21) 


これは、イエスの昇天後の、ユダヤ人に向けて言われた言葉である。 

「あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるため」 

つまり「昇天され、今、天におられるイエスは再び来られる」と言っている。 

このペテロの説教によって5000人が救われた。 


しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。(使徒の働き4・4) 


さて、もし再臨が、われわれの未来に起こると考えるならば、「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです」という約束は成就しなかったということになる。 

ペテロは5000人の回心者を裏切ったことになる。 

「イエスを主が遣わしてくださるのだから悔い改めて、神に立ち返れ」と言われたのに、イエスは来られなかったと。 

彼らの希望は無残に裏切られたと。 

ペテロは、この説教において、紀元1世紀のユダヤ人のもとにイエスが再臨されると言ったのだ。 

われわれは、紀元70年における神殿崩壊においてイエスは再臨されたと考えるべきである。 

紀元70年に、旧約のシステムが崩壊し、新しいシステムが始まった。 

このときに「主の御前から回復の時が来て」、「神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時」がやってきた。 

世界は、紀元70年において回復し、万物は改まったのである。 

栄光のイスラエルは回復した。 

南北に分裂し、その後捕囚にあってちりぢりになったイスラエルの民は再びイエスによって集められた。 

真のメシアであるイエスを王とするイスラエルは復活した。 

ペテロの説教によって回心した人々は、裏切られなかった。 

イスラエルだけではなく、万物が回復した。 

ここで「万物の改まる時」の「改まる」は原語でapokatastasisであるが、これは、「回復」という意味である。 

紀元70年において「万物は回復した」のである。 

エデンの園においてサタンに奪われた世界の主権は、神のもとに戻り、第2のアダムであるキリストが支配者となった。 

それ以来、キリストは世界を「法的に」支配しておられる。 

つまり、世界の所有権はキリストの御手に入った。 

それゆえ、キリストの御体である教会(エクレシア)は、世界において勝利し、「実際的に」支配するようになる。 

紀元69年の世界と紀元70年の世界はまったく違う。 

昇天前のキリストが言われた王権宣言は、紀元70年において完全化され本格化された。 


イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。(マタイ28・18) 


われわれは「万物が回復した」状態の中で生きている。 

3. 

ある人は「これが千年王国ですか?戦争と悲惨と罪に満ちたこの世界が回復された世界?笑わせないでください」というかもしれない。 

回復されたのは「法的」である。 

紀元70年におきたことは「法的回復」である。 

アパートの所有権を手に入れても、実際に、まだ居住者がいれば、そのアパートを壊して、マンションを建てることはできない。 

実際に所有するには、アパートの住民をすべて引っ越しさせ、空にする必要がある。 

この「法的現実の実際化」は教会(エクレシア)に委ねられている。 

われわれは、努力してアパートの実際的な管理権を獲得しなければならない。 

クリスチャンの使命は、これである。 

神はヨシュアとカレブに「行ってカナンを占領しなさい。私はその地をあなたがに与えたのだから」と言われた。 

「法的に所有権があなたがたに移転したのだから、行って自分の努力によって、実際的に所有しなさい、」と言われたのである。 

福音伝道とは、神の民を集め、地球を元通りに神の所有に変えるために行われるべきものである。 

単に「天国への切符」を与えるためではない。 

われわれが戦えば、必ず勝つのである。 

われわれには世界を所有する権利があり、義務がある。