1. 

福音のために何か行事を行うと、きまって霊的な反動がある。 

伝道集会を開いた後に、主催者が深刻なディプレッション(うつ)に陥ったり、礼拝後に出席者が様々な悪霊の妨害に悩まされることがある。 

これは、神の国の拡大に対する妨害である。 

悪魔は、御国の拡大を阻止できない。クリスチャンが活動すれば、必ずサタンは負ける。 

しかし、負けておとなしくなるわけではない。 

失地回復を狙う。 

宗教改革による神の国の拡大に対して、サタンはイエズス会を作り世界に乗り出してローマ・カトリックの覇権を拡大しようとした。 

それと同時に、イエズス会を通じて宗教改革の陣営の中にアルミニウス主義を広めた。 

https://ameblo.jp/millnm/entry-12029250885.html 

今の福音派のほとんどはアルミニウス主義者である。 

つまり、福音派は、実質的に、イエズス会のセクトと化している。 

このアルミニウス主義の攻撃に対してまとめられたのが「カルヴァン主義の5特質」である。 

http://millnm.holy.jp/cgi-bin/page.cgi?url=../qanda4/18JbLDnZb6n7Y03203.htm 

アルミニウス主義は別名「半ペラギウス主義」と呼ばれている。 

ペラギウス主義は、5世紀に登場した異端であり「神は人間を善なるものとして創造したのであり、人間の原罪は神が善のものとして創りたもうた人間の本質を汚すものではないとする。故に神からの聖寵を必要とはせず、自分の自由意志によって功徳を積むことで救霊に至ることが可能である」と教えた。(Wikipedia―ペラギウス主義) 

つまり、人間は「部分的に堕落」し「部分的に無能力」になっているだけなので、自力で救いに至る可能性があるとした。 

これは、異教である。仏教の「自力本願」のようなものである。この教えを信じると、キリストの十字架の贖いは不要になる。 

ペラギウス主義が部分的堕落、部分的無能力を教えたのに対して、半ペラギウス主義はカルヴァン主義と同様に全的堕落、全的無能力を唱える。 


アルミニウスが主張したのは「部分的堕落、部分的無能力」ではない。そのように主張することは、アルミニウス主義をペラギウス主義と同類のものとして批判の的に曝す理由となる。カルビン(カルヴァン)主義同様、アルミニウスも「全的堕落」「全的無能力」の教理を受け入れた。(Wikipedia―アルミニウス主義) 


しかし、アルミニウス主義は、この全的堕落、全的無能力は「先行的恩寵」によって克服されており、少なくとも神の呼び掛け・救いへの招きに応答する能力が回復されていると唱える。 

ちなみに「先行的恩寵」とは「人が救いの体験を持つ以前の期間にも与えられている一般的な恩寵」のことであり、たとえば、地上のいのちを支えるすべてのことども、いのちを支えるになくてはならない衣食住、社会の秩序、それを維持し保護する政治、犯罪を防ぐ法律や警察といった手段などである。 

アルミニウス主義は、この先行的恩寵に「神の呼び掛け・救いへの招きに応答する能力」も含まれているとする。 

それに対してカルヴァン主義は、含まれていないと主張する。 

カルヴァン主義は、地上のいのちを支えるのに必要な恩寵を「一般恩寵」、神の呼び掛け・救いへの招きに応答する能力を「特別恩寵」と呼んで区別し、後者は「予定された人」にのみ与えられるものであると唱える。 

つまり、アルミニウス主義は、福音に応答する力は「万人に回復される」と唱え、カルヴァン主義は「予定された人のみに回復される」と唱える。 

2. 

アルミニウス主義にとって生まれながらの人間は「海面で溺れ、助けてと叫び、救命具を受け取る人」である。 

カルヴァン主義にとって生まれながらの人間は「海底1万メートルに沈み、しかも、心臓をサメに食われてしまい、救いを受け取ることすらできない死人」である。 

前者は「救われるために必要な条件を持っている」が、後者は「持っていない」。 

後者の場合、救われるために必要な条件を備えるには「心臓を元に戻し、体に命を与え、海底1万メートルのところから海面に浮上させ、意識を戻し、自分が救われなければならない状態にあることに気づかせる」必要がある。 

前者は自力救済が可能だが、後者は他者による働きかけが必要。 

前者は「恵みプラス人間の力」だが、後者は「恵みオンリー」。 

3. 


わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。(ヨハネ6・44) 


聖書は明らかに「恵みオンリー」を教えている。 

アルミニウス主義はなぜ「恵みオンリー」を否定するのだろうか。 

人間に栄光を残したいからである。 

「恵みオンリー」ならば栄光は神だけに帰する。 

「恵みプラス人間の力」ならば栄光は人間にも与えられる。 

「私がイエス・キリストを受け入れたから、私は救われたのだ」と。 

栄光は半分「私」に帰せられる。 

アルミニウス主義の本質とは、人間教である。 

「人間の人間による人間のためのキリスト教」である。 

エデンの園において、サタンが用いたのは人間の「自分に栄光を帰したいという願望」である。 

「あなたは神のようになれます」と。 

サタンの誘惑は常に「栄光を神から人間に移す」ために行われる。 

ソ連では、大通りに面したたいていの建物の上にスローガンが掲げられていた。 

「ソ連共産党に栄光あれ!」「労働者に栄光あれ!」といった文句が書かれていた。 

サタンの願望は「神を栄光の座から引きずり下ろして、それを人間に与える」ことにある。 

しかし、栄光を与えられた人間はサタンの奴隷となる。 

最終的にサタンは自分に栄光を与えたいのである。 

そのために人間を騙して栄光を与えたふりをする。 

アルミニウス主義は「人間に栄光を帰する異端」である。 

イエズス会の策略によって、福音派の大多数はアルミニウス主義になった。 

カルヴァン主義にとどまる者は少数である。 

あなたの教会が、予定論を否定するならば、それはアルミニウス主義である。 

私は、あなたの教会で人々が本当の救いに与っているかどうか確信がない。