プレ・ミレもア・ミレも、一つの学説としてあたかも中立であるかのように見えるが、その本質は不信仰であり、聖書の曲解である。 

それを信じている人々の心の中心には「神の栄光」や「神の国」、「神の義」はない。 

もし神を愛するならば、神の国を求めるだろう。 

神の主権がこの地上で確立することを求めるはずだ。 

「御国が来ますように」「御心が天で行われるように、地上でも行われますように」との主の祈りに心から同意するはずである。 

プレ・ミレもア・ミレも、クリスチャンが地上で勝利すると確信しない。 

つまり「主の祈りは成就するはずがない」と考えているのだ。 

彼らは「いや、これらの祈りはイエス・キリストの再臨によって成就するだろう」というかもしれない。 

しかし、聖書はクリスチャンが支配すると明言している。 


平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。・・・(ローマ16・20) 

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。・・・(1ペテロ2・9) 


「どうせ地上で活動しても、反キリストによって潰されてしまうだけだ」という負け犬根性が、この聖書の勝利の信仰とどう調和するのだろうか。 

個別箇所だけではなく、全体の精神という観点から見ても、ポスト・ミレしか聖書的な終末論はないと言える。