1.
今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」(ヨハネ12・31-32)
この世界の支配者、つまり、サタンは「今」追い出される、とイエスは言われた。
「今」とはいつか。
イエスが生きておられた紀元1世紀である。
つまり、紀元1世紀に、サタンはこの世から追い出され、この世を支配する権威を失ったということである。
だから、サタンがあたかもこの世界をコントロールしているかのように言っている人々は、サタンに利用されているのである。
われわれは「この世界の王はイエス・キリストであって、サタンではない」と強く主張すべきだ。
2.
「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます」
「地上から上げられる」は33節「イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである」から明らかに「十字架」を意味する。
すなわち、イエスが十字架にかかって上げられるときに「すべての人」が「自分のところに引き寄せ」られる。
イエスは十字架において処刑されたが、実はそれは「引き寄せ」だった。
肉の目で見れば「処刑されたから弟子たちをはじめ信者はちりぢりになるだろう」と判断されるが、逆であった。
十字架によって万人はイエスのもとに集められたのである。
イエスは十字架においてサタンに勝利し、世界の王になられた。
3.
わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。(ヨハネ10・16)
この発言の段階で「羊」とは異邦人ではない。異邦人は「山羊」である。
イエスが異邦人の救いについてはっきりと言及されたのは、大宣教命令においてである。
「すべての国民を弟子とせよ」との命令は、「バプテスマを授け」「わたしが命令したすべてのことを守るように命令せよ」という内容である。
つまり、これは、旧約時代において「割礼を授け」「律法を守れ」に対応する。
イエスは、大宣教命令において、「異邦人を神の家族に招き、加えよ」と命令されたのだ。
これ以前においてイエスの宣教命令は、純粋にユダヤ人に対するものだった。
「しかし、イエスは答えて、『わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。』と言われた。 」(マタイ15・24)
「イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。『異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。』」(マタイ10・5)
それゆえ、「囲いに属さない羊」は「ディアスポラのユダヤ人」を指すとわかる。
イエスは離散ユダヤ人「をも導かなければな」らなかった。離散ユダヤ人は「わたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となる」。
つまり、パレスチナのユダヤ人も離散ユダヤ人も一つになり、イスラエルが再興されると。
この「イスラエルの回復」はいつ起きるのか。
明らかに紀元1世紀である。
幼子イエスを礼拝しにやってきた東方の博士は、その予兆であろう。
離散ユダヤ人及び離散ユダヤ人の影響を受けた異邦人が東洋に存在していたという証拠である。
「これからイスラエルは回復する」と唱えるクリスチャン・シオニスト(ディスペンセーション主義者)は、この東方の博士の存在を無視している。
イエス・キリストの初臨及び紀元70年再臨までの間に、離散ユダヤ人は神の家に加わり、パレスチナのユダヤ人と一緒になって、イスラエルは回復したのである。
ペテロやパウロら弟子たちの伝道により、世界各地に散っていたユダヤ人たちが福音を聞いて回心した。これでイスラエルは復活したのである。
ダビデが象徴する真のイスラエルの王イエスの到来において、イスラエルが回復したと考えないことは「実質的にイエスを拒否すること」である。
しかし、私は、これだけでも足りないのではないかと考えている。
イスラエルの真の復興は、永遠の楽園を必要としていたのではないか。
「回復されたイスラエルの民」が住む場所として日本があったのではないか。
日本に初代教会の人々がやってきて、旧約の信仰を持つ物部氏と合体したのが大和朝廷である。
日本国の本質は「パレスチナのユダヤ人と離散ユダヤ人が合体」した栄光のイスラエルである。
4.
イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。(使徒の働き1・3-7)
前半では「教会」の成立が扱われている。
ペンテコステにおいて、実際に聖霊が下ったときに教会は誕生した。
後半では「イスラエルのための国の再興」が述べられている。
「父がご自分の権威をもってお定めになってい」るのであるから、それは実現するのである。
「新約時代において、教会がイスラエルの代わりとなった。だから、国の再興は不要だ」との「置換神学」が誤謬であるとわかる。
イスラエル民族が国を作ることは、御父のご計画である。
ロスチャイルドは、現代においてイスラエルを誕生させたが、パリサイ人の悪魔教の国である。
本当のイスラエルの再興は日本で成就したのではないだろうか。