堕落後、人間は己の堕落の程度に応じて、仕事が呪われるようになった。贖いを受けた人の場合、その人の仕事は、その人の聖めの度合いに応じて、神の御支配に貢献する。 

―R・J・ラッシュドゥーニー(God’s Plan for Victory, p. 18) 


人は聖められれば、聖められるほど、その仕事が神の御国の拡大に役立つようになる。 


わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。(ヨハネ15・2) 


「刈り込み」をされたら、喜ぶべきである。 

なぜならば「実を結ぶもの」と認められたからである。 

「実を結ばないもの」との判断が下された場合、その人は「取り除」かれる。 

つまり、教会から去り、クリスチャンであることをやめて、生涯ノンクリスチャンとして過ごすようになる。 

「実を結ぶもの」として認定された人は、試練にあっても、信仰を捨てない。 

むしろ、試練を「刈り込み」として喜ぶ。 

このような人は、罪を「無駄なもの」と認識している。 

自分が罪を犯す傾向にある場合、それを「御国の実現を妨害する邪魔物」と考えている。 

「できれば、完全な生活を送りたい」と心から願っている。 

なぜならば、罪に応じて御国は停滞するからである。 

御国に役に立たない仕事を一生懸命やっても、報いにはつながらない。 

自分が聖められればられるほど、実を結ぶ確率が高くなり、それだけ永遠の報いは豊かになる。 

だから、自分の罪は、自分にとって敵であり、妨害者である。 

神はわれわれの生涯がもっと効率的になり、生産的になるように、「刈り込み」をしてくださる。 

無駄な枝を切り落としてくださる。 

ある人は、悩んでも何にもならないものにとらわれている。 

お化けやUFOを恐れている。 

部屋中にお札を貼って、呪いがかからないように恐れている。 

人の目や評判を恐れて、自分で自分を牢獄の中に入れている。 

天皇陛下から勲章をもらうために、懸命に努力している。 

歴史に名が残るように頑張っている。 

これらは、全部「無駄な枝」である。 

人生にとってなくてもいいものである。 

神はわれわれがこのような無駄なことにエネルギーを使わなくてもよいように、刈り込みをしてくださり、エネルギーが「御国の実」に集中するように整えてくださる。 

大切なことは、一つである。 

神の国のために自分の生涯を使い尽くすことができるかどうか。 

御名の栄光のために時間とお金と力を使い尽くすことができるかどうか。 

自分の人生をもっとも有意義に送るために必要なのは、集中である。