1.
人体は神殿として造られている。

神殿であるから、至聖所、聖所、庭の区別がある。

至聖所は、支配の拠点であったから、人格を司る部分である。

この部分を悪霊に占領されると、狂人になる。

この部分を自分が占めている人は、正常である。

クリスチャンは、至聖所に聖霊と「自分」がいる。

ときどき「自分」が罪を犯して、聖霊が悲しまれることがある。

したがって、クリスチャンの場合、2つの人格が司令官として君臨しているということである。

「自分」は、生まれながらに堕落しているので、「自分」が主導権を握っている人は、罪に傾く。

しかし、聖霊に主導権を明け渡している人は、善を行う。

聖霊はクリスチャンになると与えられるものである。

だから、ノンクリスチャンには聖霊は内在されない。

ノンクリスチャンの至聖所にいるのは「自分」のみである。

したがって、人間の構成要素として、次の図式が成り立つ。

クリスチャン→ 霊・たましい・肉体(三分法)

ノンクリスチャン→ たましい・肉体(二分法)

 

2.

 

天は至聖所の本体である。

つまり、至聖所は天を象徴する。

イエス・キリストが受肉する以前、至聖所には神だけがおられた。

しかし、イエス・キリストが受肉され、真の人間として復活され、昇天されてから、至聖所である天には、神とイエス・キリストがおられる。

そして、イエス・キリストにあって勝利したすべての人々、つまり、昇天したクリスチャンも至聖所にいる。

それだけではなく、われわれ地上にいるクリスチャンも、至聖所にイエスとともにいる。


キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペ2・6)


われわれは、昇天したクリスチャンたちと一体であり、一人の人として、イエス・キリストの花嫁であり、イエス・キリストの体である。

つまり、われわれと昇天したクリスチャンたちは、契約的にキリストと一体である。

それゆえ、天には、神とイエス・キリストの2人がおられる。

至聖所にいる神と人間。このモチーフは、われわれの肉体についても言える。

神殿であるわれわれの肉体に存在する至聖所には、われわれのたましいと、聖霊がおられる。

われわれが最終指揮権を聖霊に与えている場合、われわれは、副官となる。

聖霊は王、われわれは将軍である。

天において、神は王、イエス・キリストは将軍である。

イエス・キリストは、ご自身の御体である教会を用いて、地上を制圧する戦いを進めておられる。

最終的に地上をすべて支配したら、全体を神に献上する。そのとき、歴史が終わり、永遠の世界が到来する。

王である聖霊はわれわれの肉体のうちにいて様々な指令を発し給う。

われわれのたましいは、その指令に基づいて行動する。

このような主従関係が存在する。

聖霊が主でない場合、その人の存在そのものがむなしくなる。

なぜならば、本来の目的に従っていないからである。

人間が創造された目的とは、王である聖霊が支配する肉体を用いて、神の国を発展させることにある。

アダムが失敗したので、聖霊が去った。

キリストにより、クリスチャンには聖霊が与えられた。

聖霊が王として君臨され、われわれのたましいはその命令に従って肉体を動かし、神の国を建設する。

クリスチャンに聖霊が与えられたのは、元初の人間の働きを再開するためである。