1.
籠神社の神主海部氏は「ここのご祭神はユダヤの神だ」と言われた。
そのとおり。
海部氏は、物部氏の中核であり、物部氏の祖先は徐福である。
徐福は嬴族であり、秦の始皇帝と同族である。
そして、秦の始皇帝の父親呂不偉はレビ。
秦の統治形態がペルシャのそれと酷似しているから、秦とはペルシャ系ユダヤ人が建てた国だと推測できる。
ということは、籠神社のご祭神がユダヤの神であるというのも、うなずける。
ペルシャによってバビロン捕囚から解放されたユダヤ人たちが中国に移動して建国した秦から、物部氏はやってきた。
物部王国はユダヤ王国であり、物部神道とは旧約聖書のキリスト教(俗にユダヤ教と呼ばれるが、ユダヤ教は現在タルムード教、つまり、ルシファー教を意味しており別物)なのである。
同じくバビロン捕囚から解放されユダヤ人がバルハシ湖付近に弓月国を作り、原始キリスト教を信じていた。
故佐伯好郎早大教授曰く:
「私見によれば、弓月の民(秦氏)は、使徒時代以後のキリスト教徒であったに相違ないし、又、大多数がユダヤ人改宗者であった原始教会のキリスト教徒であったかも知れない。」
つまり、弓月国からやってきた秦氏は、原始キリスト教を信じていたユダヤ人であった。
物部氏は秦氏と同じ璽を持つことを確認し、秦氏に国を譲った。
ここに、現代に続く大和王朝が成立した。
つまり、日本は、ユダヤ系キリスト教国なのである。
これこそが、籠神社の「カゴメ歌」の意味である。
カゴメとは六芒星であり、すなわち、ユダヤ。
六芒星は亀の甲羅の文様であり、それゆえ、ユダヤは亀によって象徴される。
籠の中の鳥とは、鶴のこと。
なぜならば、籠神社の浦島太郎伝説において、浦島太郎は最後、鶴になって飛んで行ったことになっているから。
籠の中の鳥=鶴亀である。
籠神社の象徴の一つであるヒョウタンは、キャップの部分を「つる」と言い、ボトルの部分を「かめ」という。
籠神社の極秘伝によると、亀は籠神社を、鶴は伊雑宮を表す。
八咫烏は、籠神社と伊雑宮は「阿吽」であると飛鳥氏に言った。
「阿吽(あうん)」とは「あ」と「ん」であり、ギリシャ語のアルファベットでいうと「アルファ」と「オメガ」。
イエス・キリストはご自身のことを「わたしはアルファであり、オメガである」と言われた。
つまり次のようになる。
亀と鶴=籠神社と伊雑宮=阿吽=アルファとオメガ=イエス・キリスト
伊勢神宮は、その本宮である籠神社から五十鈴川のほとりにある現在の位置に移動した。
伊雑宮は伊勢神宮の奥宮であるから、伊勢神宮は籠神社から伊雑宮に移動したことになる。
これで伊勢神宮の本質が明らかになった。
伊勢神宮は、イエス・キリストの神社なのである。
浦島太郎の物語は、亀で始まり、鶴で終わる。
浦島太郎は、イエス・キリストを示している。
亀(イスラエル)を助け、竜宮城(黄泉)に下り、復活して地上に戻り、最後鶴になって昇天した。
鶴になってどこに行ったかというと、富士山である。
浦島太郎伝説は、富士山で終わる。
つまり、富士山はパラダイスなのである。
これでなぜ徐福が富士山と関係するのか明らかである。
富士山は別名蓬莱山であり、不老不死の薬があるところとされてきた。
古来より、富士山周辺には不老不死伝説が多く存在しています。 太古の人達も不老不死の秘薬を求めて、富士山にやってきました。かぐや姫の持っていた不老長寿の秘薬を携え富士山に来た帝、 始皇帝の命を受けて不老不死の秘薬を求めてやってきた徐福。
http://www.fgo.jp/~fuimi/frame/fuji.html
富士山とは「不死山」と呼ばれており、現在の名称になったのは鎌倉時代。
皆さんご存知の「竹取物語」、この中に富士山の謂れと不老長寿の記述があります。
竹取物語の舞台は、駿河の国、大綱の里(現在の富士市)に、竹かごを作って暮らしている老夫婦が竹薮で、赤ん坊を見つける場面から始まります。
やがて、その赤ん坊は成長し、「かぐや姫」と呼ばれるようになり、うわさを聞いた都の帝をはじめ様々な男性から求婚を受けます。
そして、物語後半、かぐや姫は月へと帰るわけですが、かぐや姫は帝の下を去るときに、帝に不老不死の秘薬を預けます。
その後の帝は、生きる希望を失い富士山にやってきて、不老不死の秘薬を焼きました。
この古事から富士山は不老不死と結びつき、不死山=不二山から、鎌倉時代に富士山になりました。
http://www.fgo.jp/~fuimi/frame/fuji.html
以上から推測すると、ペルシャ系ユダヤ人は、日本を不死の国、つまり、パラダイスと考えていたのだろう。
そして、浦島太郎の伝説を通じて、日本はイエス・キリストの国であり、大和朝廷は永遠不滅の王朝であると示しているのであろう。
2.
バビロン捕囚にあい、ペルシャによって解放され、日本にやってきた物部氏は、自らの歴史をイエス・キリストのそれに重ね合わせていたのかもしれない。
聖書において、解放したペルシャ王クロス(紀元前600年頃 - 紀元前529年)は、その名前が二百年前にイザヤ書(紀元前8世紀)においてすでに預言されており、イエス・キリストの型なのである。
わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる』と言う。」
主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。(イザヤ44・28、45・1)
浦島太郎伝説は、このことを象徴している。
亀である物部氏(イスラエル)は、浦島太郎(クロス=イエス・キリスト)によって救われ、自らイエス・キリストとともに竜宮城(黄泉)に下り、復活して地上に戻り、鶴となって富士山(パラダイス)に上った。
彼らにとって、富士山のある日本とはパラダイスであり、永遠の安息を得られる場所だったのだ。
日本という国の意味がこれで明らかになった。