ジュネーヴ聖書の特色である傍注には、カルヴァン主義とピューリタンの思想が色濃く反映されている[20]。それゆえイングランド国教会に立つジェームズ1世はジュネーヴ聖書を異端と見なしてこれを嫌い、欽定訳聖書の作成を思い立ったと言われる(Wikipedia―ジュネーブ聖書)



キング・ジェームズ訳がなぜ権威としてもてはやされるかわからない。

ジュネーブ聖書は、カルヴァン主義とピューリタン思想が色濃く反映しているためにジェームズ1世によって異端として退けられた。

そして、ジェームズ1世は、これに対抗すべくキング・ジェームズ訳を出版した。

ジェームズ1世はフリーメイソンであった。


「スコットランドのパースにある第3ロッジ・スクーン・アンド・パースの西壁には、ジェームズ6世[訳注:イングランドではジェームズ1世]がイニシエーションを受けるために祭壇の前にひざまずいている壁画がある。

1658年12月24日の「壁画の契約」と呼ばれるこのロッジの現存する最古の記録」には、ジェームズが、1601年4月15日に「フリーメイソンとスクーンのロッジのフェロークラフトに加入した」とある。
(D. Crawford Smith and William James Hughan, History of the Ancient Masonic Lodge of Scoon and Perth (Number 3, The Lodge of Scone) Perth: Cowan and Company, 1898))及び('Year Book of the Grand Lodge of Antient Free and Accepted Masons of Scotland 1990,' p.50)



つまり、キング・ジェームズ訳は、フリーメイソン訳である。

初版の扉絵は挿絵には無数のフリーメイソンの象徴が描かれている。

そして編纂者には、近代フリーメイソン及び薔薇十字団の始祖としてあがめられるフランシス・ベーコンがいた。

フリーメイソン32階級にしてAMORC薔薇十字団の会員であるRichard Allan Wagnerによると、フランシス・ベーコンは自らの名前を暗号にして、聖書の中に織り込んだ。

もし宗教改革の伝統を受け継ぎ、カルヴァンの弟子、ピューリタンの神学に立とうとするならば、聖書はキング・ジェームズ訳ではなく、ジュネーブ聖書を選択すべきである。