神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8・28)
ポスト・ミレは「クリスチャンにとって、歴史とは必ず勝つゲームである」と教える。
クリスチャンは、どう転んでも必ず勝利する。
オセロでは、どんなに相手側の色のコマが増えても、2枚のコマで挟めば、中間のコマが一挙に全部ひっくり返って形成が逆転することがある。
人生において、どれだけ不幸が続いても、神が必ず逆転のための機会を用意してくださるので、その不幸はことごとく幸いに変わる。
どんなに負けが続いても、その負けが全部勝利に変わる。
信じるクリスチャンにとって敗北はありえない。
だから、クリスチャンになったということそのものが「勝ち組になった」ことを意味する。
負けたくても負けることが許されない。
失敗したくても、全部勝利に変えられてしまう。
どうしてそうなるのか。
イエス・キリストが悪魔にすでに勝利され、宇宙の全権を獲得されたから。
宇宙のどこに行っても、イエスが王である。
何億年先でも、イエスは王である。
いつでもどこでもイエスは王である。
だから、イエスにつくクリスチャンは同じように、いつでもどこでも王であり、それゆえ敗北はあり得ない。
負け、負け、負け・・・と、負けが100回続いても、101回目に勝ちがくると、その前のすべての負けは勝ちになる。
だから、全部勝ちになる。
これが「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」ということの意味である。