ここ一週間、バージニア州フェアファックスのフェアファックス・クリスチャンスクールを訪問していた。美しいグラウンドときれいな建物を持つこの学校の実績は、驚くべきものである。

生徒の多くは知的に優秀で、家庭も素晴らしい。

ある一人の生徒が私の目に留まった。

この少年は1969年年9月に4年生のクラスに編入した。

両親はワシントンDCに引っ越してきたのだが、問題を抱えていた。

この少年は、知的障害者であった。3学年までの成績がこのことを示していた。

特殊学校を見つけるまで、フェアファックスの学校が子どもを受け入れてくれるか心配だった。

学校は受け入れた。

そしてこの生徒は、驚くべき進歩を遂げ始めた。

第4学年末に、心理学者が少年をテストした結果、 IQは67しかなかったが、学力達成テストにおいて全ての教科において平均以上の成績を収めたのである。

不可能だと人は言うかもしれない。

しかし実際にこのことが起きたのだ。

なぜだろうか。

カリキュラムが優れていること。そしてクリスチャンの教師たちが優秀で信仰がしっかりしていること。確かにそれも理由だろうが、最も重要な理由は、パウロが明示したように「文字は殺し、御霊は生かす」(2コリント3・6)ということにあった。

つまり、単なる形式だけの宗教は死んでおり、人間の希望を奪うものであるが、神の御霊は命を与える、ということである。

たとえ人間が行動を起こしたとしても、神の御霊がなければ命はなく、真の力は生まれない。

これこそが、教育や政治その他のすべての分野においてわれわれが経験している問題である。

法律やカリキュラムを作ったり、環境を操作したりしても無駄に終わっている。

フェアファックスの生徒は、教室で命を見い出した。

担任のクリスチャン教師、キリスト教に基づく指導、そして彼や教師たちの心を御霊の指示どおりに動かした信仰。

優秀な生徒たちとの競争によって「殺され」ようとしていた彼が、真のクリスチャンスクールによっていのちと希望を与えられた。

そろそろわれわれは次のことに気づくべきである。

すなわち、法律も環境の変化も様々な支援も、それがいかに優れていて必要性の高いものであったとしても、真の解答では無いことを。

もしそれらが真の回答の代わりに用いられているならば、それ自体が人を「殺す」ことにもなりかねない。

真の回答とは、主ご自身である。

主の御霊は、われわれの活動に命と意味と力を注入する。

This article was translated by the permission of Chalcedon.