1.

すでに出した例を利用すれば、イエス・キリストは、コンビニに入って出てきた人のようである。

キリストは、コンビニに入って、店長と交渉し、経営権や不動産を含め、コンビニ全部を買い取り、中の商品も全部買い取られた。

そして、出てきて、われわれクリスチャンに向かって「私が代価を払ってコンビニ全部を買い取ったので、行ってなんでも好きなものを取ってきてよい」と言われた。

しかし、所有権が移転したために、解雇になった従業員がわれわれを中に入れないようにピケを張っている。

また、詐欺師が現れて、「あのコンビニの所有権はまだ移転していませんよ。未来に移転するはずですから、それまで待っていてください」と言った。

われわれは、法的所有権を有しているので、従業員は警察に排除された。

また詐欺師に対しては「未来に移転するのではなく、すでに移転したのです」と惑わしをはねのけた。

こうして、われわれは、コンビニの中に入ることができ、中の商品を自由に手に入れることができた。

このたとえで、従業員は、サタンと悪霊を指す。

サタンと悪霊には法的所有権はもはやない。

キリストが十字架においてすべての代価を払ったので(コロサイ1・20)、彼らは権利を失った。

サタンと悪霊にはわれわれを妨害する法的根拠はない。

また、実際的な力もない。

なぜならば、神はサタンや悪霊よりも強いからである。

詐欺師は、ディスペンセーショナリストである。

ディスペンセーショナリストは、「将来再臨がある。そのときに、世界はキリストとクリスチャンによって支配されるだろう」と教えるが、「今クリスチャンは世界の王である」とは教えない。

2.

われわれの労働は、ことごとく「奪還」を目的としている。

サタンが牛耳っている「法的根拠のない分野」を奪還するのである。

たとえば、クリスチャンの教師は、教育をサタンから奪還して、神の教育をするために召されている。

学校では進化論や無神論の世界観が教えられ、子供たちが悪魔教徒にされている。

この世には神か悪魔の2人の主人しかいないからである。

神を主としない人は、ことごとく悪魔を主としている。

パウロがいうように、この世にあまたの宗教があるが、聖書的キリスト教以外は、ことごとく悪霊礼拝である。

いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。(1コリント10・20)


教育を奪還しない限り、悪魔の支配が拡大する。

あらゆる分野において、われわれはサタンが支配しているものを取り返すべきである。

聖書の真理を掲げて敵に迫るときに、敵は逃げ去る。

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコブ4・7)