ノアの箱舟が到着した場所は、アララテ山の上であり、そこにおいて神から第2の「文化命令」が与えられた。
文化命令とは、「地を従えよ」との命令である。
それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。
野の獣、空の鳥、――地の上を動くすべてのもの――それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。
生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。
しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。
わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。
人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。
あなたがたは生めよ。ふえよ。地に群がり、地にふえよ。」(創世記9・1-7)
おそらく、ノアがこの命令を受けたのは、山頂ではなく、中腹だろう。
なぜならば、エデンの園は中腹にあったからだ。
(エデン山からの水が園をうるおし、4つの川になって流れ出たとあるので。)
山頂(神の住まい)―中腹(支配者の住まい)―平地(被支配者の住まい)
こういう序列がある。
アダムは、地上を支配する者として、中腹に置かれた。
山頂に置かれたのではない。つまり、アダムはこの世界の最高権力者ではない。
神が最高権力者である。
新約時代において、われわれクリスチャンは、中腹にいる。
神から命令を受けて、地上を統治するためにエデンの園(新エルサレム)に置かれた。
神はモーセに山の上から十戒を与えられた。
イエスは山の上から弟子たちに「山上の垂訓」(マタイ5~7章)を与えられた。
もしノアがアダムと同じ文化命令を受けたのであれば、それを受けるにふさわしい場所は、山の中腹である。
アララテ山は第2のエデン山である。
その麓には、古来アルメニア人が住んできた。
アルメニア人は、世界で最初にキリスト教を国教としたと言われる。
R・J・ラッシュドゥーニーの先祖は、紀元前8世紀からアルメニアの国王であり、紀元後は、代々牧師を途切れることなく出した家系に属する。
富士山はアララテ山に酷似している。見まがうほどである。
http://enacap.seesaa.net/upload/detail/image/mt_ararat-thumbnail2.jpg.html
徐福がユダヤ人であり、聖書思想に通じていたとすれば、富士山を新エデン山と見たとしてもおかしくない。
そして、その麓に新エデンの園を作ろうとしたであろう。(*)
徐福が作ったこの新エデンの園が、日本初の統一王朝と言われる富士王朝だったのではないだろうか。
富士吉田市明見に富士王朝の政庁跡(徐福祠)がある。
http://fuji-san.txt-nifty.com/osusume/2008/04/post_936b.html
大和王朝が誕生するまで、富士王朝が日本の王朝であり、富士山が9世紀に噴火するまで存在していたという。
富士山は、日本が古代に世界を統一していた「富士王朝」と首都「家基津(かきつ)」があった場所であり、この日本が全世界の開闢(かいびゃく)の祖国で、この富士山の地で古代の神々や天皇は即位していたのです。
そして、富士山には日本最初の神社である「阿祖山太神宮」があり、富士浅間神社は、その伝統を受け継いだ神社にすぎません。
ムーの末裔であり、日本人の祖先が、縄文時代と呼ばれている頃に、この富士山麓の高天原の地で文明が生まれ、やがて「ウガヤフキアエズ王朝」として51代も続いていました。
もっとも地神3代目のニニギノミコトと5代目のウガヤフジアワスの時に朝鮮半島から日本への軍事侵略の動きが活発化したために、途中に九州の筑紫、高千穂へ遷都していますが、それでも家基津は「天都」と呼ばれて、皇位継承には必ず天都に上り、三種の神器を捧げ持って即位式を行う決まりになっていました。
新しい筑紫の都は「神都」と呼ばれ、政治経済•軍事の拠点にはなりましたが、国事の重要な儀式は必ず天都の家基津で行われていたのです。
そして、51代目の神皇の時代に白木(新羅)が日本の統治を目論み、そこに寝返った近畿地方の反乱軍を鎮圧するために東征したのが皇太子で、それが52代目で神皇から初めて人皇となった後の神武天皇となります。
そして、反乱軍を平定した後に橿原の地に帝都として橿原宮を建造し、そこに阿祖山太神宮から三種の神器を運びました。ここから天皇の即位式は、橿原宮で行われるようになったようですが、それでも粗即位式が終わったら三種の神器を阿祖山太神宮へと戻していたそうです。
ちなみに橿原宮から阿祖山太神宮へと参拝するために神武天皇が道路を開き、それが東海道のルーツにもなっています。
しかし、これらの史実は現代の日本史には一切語られていません。日本初の統一王朝は、富士王朝ではなく大和朝廷となっており、そして52代目である天皇の神武天皇が初代天皇となっています。
そして三種の神器も第10代崇神天皇の時に阿祖山太神宮から新宮(伊勢神宮の前身)に移されています。
「歴史は勝者によって作られる」という言葉があるように、時の権力者にとって都合の悪い史実というのは、すべて封印されたり作り替えられてしまいます。
ただ、三種の神器を奪われても、崇神天皇以降も富士王朝は富士山麓に存在しており、実際は2つの王朝が当時の日本には平行して存在していました。
富士王朝が完全に滅んだのは、800年と864年に起こった2度の富士山の大噴火であり、この噴火によって富士王朝そのものと、その存在を記録した文献や証拠品はすべて溶岩流に呑み込まれてしまいました。
ちなみに、この2度の大噴火によって地形が変わって現在の富士五湖が出来ています。
ということで、より詳細の歴史や真実はもっともっと深いのですが、せっかく今後富士山が世界遺産として認められて世界中から注目が集まるのであれば、この真実を日本人だけでなく、是非とも世界中の人々に知ってほしいとは思っています。
すでに阿祖山太神宮は復活しておりますし、真実を明らかにする準備は着々と進んでいます。
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51856781.html
徐福の本当の目的は、日本に神の国を作ることだったのではないだろうか。
そのために、富士山をエデン山とみたて、その麓にエデンの園である富士王朝を作った。
日本の最初の首都は富士山麓にあった。
ちなみに、物部氏の重要な山である富士山と剣山を結ぶ直線上に高野山と伊勢神宮がある。
http://www.millnm.net/qanda4/turugifuji.jpg
(*)
徐福の富士山へのこだわりは、その子孫にも受け継がれており、物部氏(徐福系秦氏)は富士山が見える場所に好んで居住したようである。
東三河は、まぼろしの「富士王朝」と関係があるようだ。 豊川市牛久保の伝承「牛久保密談記」によれば、鳳来寺山の少し南の「本宮山」 の麓には、紀州「古座」から移り住んだ徐福の子孫が繁栄し、秦氏を名乗っていたとの伝承がある。
http://homepage2.nifty.com/kodaishinto/page006.html
文化命令とは、「地を従えよ」との命令である。
それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。
野の獣、空の鳥、――地の上を動くすべてのもの――それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。
生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。
しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。
わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。
人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。
あなたがたは生めよ。ふえよ。地に群がり、地にふえよ。」(創世記9・1-7)
おそらく、ノアがこの命令を受けたのは、山頂ではなく、中腹だろう。
なぜならば、エデンの園は中腹にあったからだ。
(エデン山からの水が園をうるおし、4つの川になって流れ出たとあるので。)
山頂(神の住まい)―中腹(支配者の住まい)―平地(被支配者の住まい)
こういう序列がある。
アダムは、地上を支配する者として、中腹に置かれた。
山頂に置かれたのではない。つまり、アダムはこの世界の最高権力者ではない。
神が最高権力者である。
新約時代において、われわれクリスチャンは、中腹にいる。
神から命令を受けて、地上を統治するためにエデンの園(新エルサレム)に置かれた。
神はモーセに山の上から十戒を与えられた。
イエスは山の上から弟子たちに「山上の垂訓」(マタイ5~7章)を与えられた。
もしノアがアダムと同じ文化命令を受けたのであれば、それを受けるにふさわしい場所は、山の中腹である。
アララテ山は第2のエデン山である。
その麓には、古来アルメニア人が住んできた。
アルメニア人は、世界で最初にキリスト教を国教としたと言われる。
R・J・ラッシュドゥーニーの先祖は、紀元前8世紀からアルメニアの国王であり、紀元後は、代々牧師を途切れることなく出した家系に属する。
富士山はアララテ山に酷似している。見まがうほどである。
http://enacap.seesaa.net/upload/detail/image/mt_ararat-thumbnail2.jpg.html
徐福がユダヤ人であり、聖書思想に通じていたとすれば、富士山を新エデン山と見たとしてもおかしくない。
そして、その麓に新エデンの園を作ろうとしたであろう。(*)
徐福が作ったこの新エデンの園が、日本初の統一王朝と言われる富士王朝だったのではないだろうか。
富士吉田市明見に富士王朝の政庁跡(徐福祠)がある。
http://fuji-san.txt-nifty.com/osusume/2008/04/post_936b.html
大和王朝が誕生するまで、富士王朝が日本の王朝であり、富士山が9世紀に噴火するまで存在していたという。
富士山は、日本が古代に世界を統一していた「富士王朝」と首都「家基津(かきつ)」があった場所であり、この日本が全世界の開闢(かいびゃく)の祖国で、この富士山の地で古代の神々や天皇は即位していたのです。
そして、富士山には日本最初の神社である「阿祖山太神宮」があり、富士浅間神社は、その伝統を受け継いだ神社にすぎません。
ムーの末裔であり、日本人の祖先が、縄文時代と呼ばれている頃に、この富士山麓の高天原の地で文明が生まれ、やがて「ウガヤフキアエズ王朝」として51代も続いていました。
もっとも地神3代目のニニギノミコトと5代目のウガヤフジアワスの時に朝鮮半島から日本への軍事侵略の動きが活発化したために、途中に九州の筑紫、高千穂へ遷都していますが、それでも家基津は「天都」と呼ばれて、皇位継承には必ず天都に上り、三種の神器を捧げ持って即位式を行う決まりになっていました。
新しい筑紫の都は「神都」と呼ばれ、政治経済•軍事の拠点にはなりましたが、国事の重要な儀式は必ず天都の家基津で行われていたのです。
そして、51代目の神皇の時代に白木(新羅)が日本の統治を目論み、そこに寝返った近畿地方の反乱軍を鎮圧するために東征したのが皇太子で、それが52代目で神皇から初めて人皇となった後の神武天皇となります。
そして、反乱軍を平定した後に橿原の地に帝都として橿原宮を建造し、そこに阿祖山太神宮から三種の神器を運びました。ここから天皇の即位式は、橿原宮で行われるようになったようですが、それでも粗即位式が終わったら三種の神器を阿祖山太神宮へと戻していたそうです。
ちなみに橿原宮から阿祖山太神宮へと参拝するために神武天皇が道路を開き、それが東海道のルーツにもなっています。
しかし、これらの史実は現代の日本史には一切語られていません。日本初の統一王朝は、富士王朝ではなく大和朝廷となっており、そして52代目である天皇の神武天皇が初代天皇となっています。
そして三種の神器も第10代崇神天皇の時に阿祖山太神宮から新宮(伊勢神宮の前身)に移されています。
「歴史は勝者によって作られる」という言葉があるように、時の権力者にとって都合の悪い史実というのは、すべて封印されたり作り替えられてしまいます。
ただ、三種の神器を奪われても、崇神天皇以降も富士王朝は富士山麓に存在しており、実際は2つの王朝が当時の日本には平行して存在していました。
富士王朝が完全に滅んだのは、800年と864年に起こった2度の富士山の大噴火であり、この噴火によって富士王朝そのものと、その存在を記録した文献や証拠品はすべて溶岩流に呑み込まれてしまいました。
ちなみに、この2度の大噴火によって地形が変わって現在の富士五湖が出来ています。
ということで、より詳細の歴史や真実はもっともっと深いのですが、せっかく今後富士山が世界遺産として認められて世界中から注目が集まるのであれば、この真実を日本人だけでなく、是非とも世界中の人々に知ってほしいとは思っています。
すでに阿祖山太神宮は復活しておりますし、真実を明らかにする準備は着々と進んでいます。
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51856781.html
徐福の本当の目的は、日本に神の国を作ることだったのではないだろうか。
そのために、富士山をエデン山とみたて、その麓にエデンの園である富士王朝を作った。
日本の最初の首都は富士山麓にあった。
ちなみに、物部氏の重要な山である富士山と剣山を結ぶ直線上に高野山と伊勢神宮がある。
http://www.millnm.net/qanda4/turugifuji.jpg
(*)
徐福の富士山へのこだわりは、その子孫にも受け継がれており、物部氏(徐福系秦氏)は富士山が見える場所に好んで居住したようである。
東三河は、まぼろしの「富士王朝」と関係があるようだ。 豊川市牛久保の伝承「牛久保密談記」によれば、鳳来寺山の少し南の「本宮山」 の麓には、紀州「古座」から移り住んだ徐福の子孫が繁栄し、秦氏を名乗っていたとの伝承がある。
http://homepage2.nifty.com/kodaishinto/page006.html