引き続き、三位の声を別々に聞く、についての情報をお伝えしたいと思います。そのような教えの主は、Aで、カフェを経営する方で、昨年は、携挙の日時を指定して、偽預言をばら撒いた方ですが、未だに、そのような思想のもと、多くの惑わしを拡散しております。ただ私の本心は、願わくばこの方も正しい教えと信仰に回帰して欲しいと考えております。しかし、私個人では、反駁にも、吟味にも力不足でしたので、富井氏のHPを通じ、様々のことを教えてくださり、大変感謝しております。これからも影ながら応援しておりますので、ご教示のほど宜しくお願いいたします。 在に在りて
タカ様、メールありがとうございました。
HPをご覧くださり、まことにありがとうございます。
聖書から逸脱した教えには、強い力があります。
それは、人々の目を曇らせ、間違った方向に向かわせ、滅ぼしてしまいます。
私たちは、四方八方から攻撃されます。
少しの誤謬でも油断はできません。
三位一体論については、聖書に従わない考え方は、即滅亡を意味します。
なぜならば、三位一体論は、人間、人間関係、社会、宇宙すべての存在の基礎となるからです。
このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。
それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。
父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。
また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。(ヨハネ5・18-23)
この箇所を読んで、「父と子が同一人物である」と考える人はいません。
ですから、父と子は別の人格、つまり、父なる神と子なる神は別の神であるとわかります。
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。(ローマ8・14, 16, 27)
「御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださる」
ここで、御霊は神から独立した人格であることがわかります。
そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(使徒の働き5・3-4)
ここで、「聖霊を欺」くことは、「神を欺」くことであると言われています。
つまり、聖霊は神です。
あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。…(ヤコブ2・19)
神は「おひとり」です。
父なる神と子なる神と聖霊なる神は別の神であるが、一人である。
3つにして一つ。
これは、3者が契約によって一人になっていることを意味します。
人間は一人でも神の似姿ですが、集団でも神の似姿です。
人間が集まって一つの法人を作ります。
会社などもその一つです。
会社は、構成員が互いに契約を結んで一人になったものです。
このように契約によって集団を形成することにより、人間は神を象徴します。
一と多を調和させればさせるほど、人間はさらに神に似て行き、神に近づきます。
2.
携挙が未来に起きることを証明できる箇所はないので、携挙の予告は不可能です。
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサロニケ4・17)
パウロは、紀元1世紀に住むテサロニケの教会の人々に向かって
「生き残っている私たちが」と言っています。
これを聞いたテサロニケの教会の人々は、「自分の時代に起きるのだ」と理解するでしょう。
そして、もしその預言が成就しなかった場合、パウロは偽預言者になり、この箇所も聖書には含まれなかったでしょう。
眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。(1テサロニケ4・13-15)
ここで、「主が再び来られる」ときに、「(神は)イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られる」とわかります。
つまり、イエスを信じて黄泉にいる人々がイエスといっしょに来る。
その時はいつか。
「私たち」が「主が再び来られるときまで生き残っている」!!
テサロニケ教会の人々が生き残っている間!!
つまり、携挙は、紀元1世紀に起きる!
これだけの明示に、どうやって携挙未来説の人は対抗できるのでしょうか。
携挙が未来に起きるという説を作ったのは、イエズス会(つまりイルミナティ=タルムードユダヤ人=悪魔崇拝者)の司教インマヌエル・ラクンザ。
携挙・再臨未来説は、悪魔教の教えです。