1.

われわれが主張を開始した当初、おかしなことを言うと非難されていたが、今普通になっているものがある。

たとえば、セオノミー(神の法)である。

1980年代にセオノミーを主張したわれわれは「危険な教えを唱える」と非難された。

当時、ディスペンセーショナリズムが強く支配していたため、教会は「セオノミーは、人を縛って自由を奪う」と考えられていた。

しかし、パウロは「信仰は律法を確立する」と述べている。

それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。(ローマ3・31)

私は、正式に教会において「異端ではないが、危険な教え」と烙印を押され、退職に追い込まれた。

われわれのほうが聖書的であったので、今は普通になっている。

再建主義のセオノミーはメシアニック・ジューの運動の契機となり、メシアニック・ジューを唱える牧師たちは、セオノミーを唱える。

同じく、ホームスクーリングも非難された。

ある同僚の再建主義者の牧師は、当時、子供を学校に送らないことを舅に非難された。

「こんな非常識なことを主張する男に娘をやるのではなかった」と。

後にチア・ニッポンなど、日本でもホームスクーリングを行う運動が起き、市民権を得ている。

ポスト・ミレも非難された。

しかし、ある牧師先生によると、最近、ポスト・ミレを奉じる若い牧師が増えているという。

日猶同祖論も昔非難された。

しかし、今や、メジャーのテレビで放映されたこともあり、普通になりつつある。

このように、われわれが主張していたことは、次々と今普通に信じられるようになっている。

これは、われわれの功績というよりも、神がわれわれを起こされたということである。

神は、時代を変えようとしておられる。

そのために、われわれが1980年代に用意されたのだ。

今われわれの主張で、奇異に思えることがあるかもしれない。

たとえば、天照大神はキリストであるとか。

四国全体が神社であるとか。

いずれわかる。

だから、今、表面を見た段階で「おかしい」と一蹴するのをやめていただきたい。

2.

私の中では、日猶同祖論は、30年の歴史がある。

何度もやめようと思った。

しかし、不思議と導かれる。

最初、日猶同祖論について聞いたときには、バカらしいと思った。

こんなことやめようと。

たまたま、近所の通りを歩いていると無意識に古本屋に導かれ、ある本の前に立たされた。

それは、ユダヤ教ラビ・マーヴィン・トケイヤー氏の著書であった。

この本は、古代日本にユダヤ人が来た可能性を実証的に説明していた。

紀元前2世紀にすでに世界のいたるところにユダヤ人の集団がいると記録した古代の文献がある。

これは、聖書の記述と合致する。

イエスは、パリサイ人が世界中を飛び回って布教していると言われた。

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、彼を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのです。(マタイ23・15)

世界で布教が成立しているということは、世界にユダヤ人の集団がいたということを意味する。

「ああ、日猶同祖論はけっして非聖書的ではない」と悟り、本格的に調べるようになった。

3.

トケイヤー氏の先祖は、シルクロードのブハラという町で、巡回ラビとして活躍していたという。

ブハラは一度行ったことがある。

サマルカンド、ブハラ、タシケントと、昔からオアシス都市には、ユダヤ人の集団がいた。

東西交易は、ユダヤ人が担っていた。

トケイヤー氏によると、絹織物の商売はユダヤ人の独占であったという。

日本の埴輪に、ユダヤ人の格好をしたものがある。

ユダヤ人は、「鬢の毛を剃るな」という律法の規定を守っていた。今でも正統派のユダヤ人はこの恰好である。

この耳の脇の毛を伸ばしたり、それを束ねるファッションは、シルクロード沿いの地域から出土する土偶や絵画に普遍的にみられる。

http://tacchan.hatenablog.com/entry/2014/10/23/173718

ユーラシア大陸にはみずら状髪型が紀元前から存在していた。

シルクロードの交易の主役と教科書にも記述されるソグド人の髪型もこのみずらであった。

中央アジアでは5世紀頃、ソグディアナ人がみずら状髪型をしていたことが、ベゼクリクの壁画でわかっています。下の画像は左がソグディアナ人、右が倭人の埴輪。
http://tacchan.hatenablog.com/entry/2014/10/23/173718


このページを見ると、日本で出土するみずらをつけた埴輪が、実はソグド人であるとわかる。

つまり、ユダヤ人=ソグド人=日本のみずら埴輪。

これで、ユダヤ人が交易の目的で古代から日本に来ていたことが証明できる。

『古事記』によると、黄泉の国へ向かった伊邪那岐命も、八岐の大蛇を退治した須佐之男命もみずらをしていた。

『日本書紀』では男装した天照大神がみずらをしていたとある。

つまり、日本の神々は、ユダヤ人だった。

ということは、天照大神の天岩戸がキリストの十字架と復活を示すと考えても無理はない。

4.

もともとユダヤ人は契約の民であり、それゆえ契約的に思考していた。

それゆえ、ヨセフが作ったピラミッドも神殿であり、契約の構造に従っていた。

この契約の構造は、ユダヤ人を通じて日本にも伝わっている。

最近、吉村作治教授が、ピラミットの謎を説く鍵は日本にあるのではと示唆した。仏教や神道の考え方には、エジプトの宗教観との共通点があると。

http://news.livedoor.com/article/detail/9565654/

ソロモン神殿の構造は、幕屋の構造と同じであり、幕屋の構造は、ピラミッドの構造と同じである。

つまり、門→庭→聖所→至聖所→契約の箱。

初期のピラミッドは、このような構造をしていた。

http://www.millnm.net/qanda4/kokkaigijidouobelisk.files/image003.jpg

私は、このピラミッド・幕屋・神殿の構造が、エデンの園の構造の模型であると考えている。

そして、これと同じ構造が神社にある。

古代からずっと「エデンの園への回帰願望」はこのような構造によって表現されてきたのではないか。

そして、日本に入ってきたユダヤ人を通じて、日本の様々な文物にこの構造が隠れていると考える。

これからいろいろな研究を通じて明らかにされていくだろう。