小学校の教師になって15年が経ちました。

幾度となく、子どもから「先生、何のために勉強するの?」と聞かれてきました。この問は、生きることを考える上でとても本質を突いた問であると思います。

 

 

「何のために勉強をするのか」を説明するためには、

「何のために生きるのか」を語る必要があります。

 

 

私はこの問をずっと考えながら15年過ごしてきました。書籍を読んだり、人と話をしたり、様々な場所に出かけたりしながら、ずっと考えてきました。

 

 

今年度、私は小学校5年生の担任をしています。

そのクラスの子から、「先生、何のために勉強しなきゃいけないの?」という問が投げかけられました。ここ1~2年はあまり聞かれていなかったので、久しぶりの問に、一瞬驚きました。コロナ禍の3年間で、私自身も生きることの意味や学ぶことの意味を考えていました。私は、このように答えました。

 

 

 

「自分の人生を全うするためだよ。そのためには2つのことが大切だと思う。」

「1つは、自分のやりたいことをして、楽しむことだよ。」

「もう1つは、人の役に立つことだよ。」

「勉強をすると、自分の周りの世界や、自分自身のことを理解することができる。自分がやりたいことを追究することができるようになるし、他の人がどのようなことを考えているかを想像することができるようになる。だから勉強をするんだよ。」

 

 

今の私は、この2つの視点こそが、自分が生きる意味であると考えています。自分の人生で考えてみます。

「自分のやりたいこと」は、家族と過ごすこと、子どもたちの成長を見守ること、こうしてブログを書いていることもやりたいことの1つです。子どもとサッカーをすること、虫取りをすること、一緒にでかけること。そして、学校の子どもたちと一緒に楽しむこと。授業の腕を磨くこと。本を読むこと。いつかは本を執筆したいと考えていること。

「人の役に立つこと」は、家族と一緒に生活をすること。学校の子どもたちの成長に携わっていること。学校の運営に力を注いでいること。友達や仲間の話を聞くこと。サッカーチームで子どもと一緒にボールを蹴っていること。先祖の思いを子どもたちに伝えていること。

 

 

「自分のやりたいこと」と「人の役に立つこと」のバランスは人によって異なると思います。範囲も、対象も人によって様々です。また、「自分のやりたいこと」=「人の役に立つこと」になっている人もいると思います。自分が何か満たされないときには、この2つのどちらかが満たされていないことが多くあります。40年間生きてきた今の私は、この2つの視点が生きる意味であると考えます。

 

 

子どもの問は、物事の本質を突いていることがたくさんあります。普段見落としていることに気付かせてくれることがあります。子どもとの関わりは、本当に面白いし、自分の人生を豊かにしてくれます。