東京大空襲から

79年

今も空襲の恐怖に毎日慄いている人たちいます。 

 

 今世界では、空襲が行われています。

1つはイスラエルのガザへの空襲です。

もう1つはウクライナです。

実際に空襲の恐怖に毎日慄いている人たちが、

現在も世界にいるのです。

こんなことは許されません。

空襲のない平和の実現を望みます。

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3月10日(日)

東京都慰霊堂

 昨日3月10日は東京大空襲の日でした。1945年3月10日東京大空襲は東京の下町地区を襲った無差別爆撃でした。一夜にして10万人の尊い命が奪われました。空襲のブログで取り上げる早乙女勝元(1932年3月26日 - 2022年5月10日)さんは、この時12歳でした。勝元さんは、2018年にも「赤ちゃんと母の火の夜」を出版して、平和の大切さを訴えています。勝元さんの岩波新書の「東京大空襲」の一節を掲げます。

 

イメージ 1

東京浅草にある平和地蔵尊

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早乙女勝元さん 「東京大空襲」

 B29が1機,電柱にでもぶっかりそうな超低空で、一直線につつこんでくるのを見た。その翼が、血もたるようにギラギラと赤い。「あ,落ちてくる!」私の1歩前にいた男は、頭をのけぞらして叫んだ。ごしッ! と耳の破れたような音。地底にひきこまれそうな爆音。あわてて閉じたまぶたの裏に,金色の閃光がはしる。焼夷弾は,落ちてくる-とさけんだ男ののど首に,火をふいてつきささった。その横を走ってきた女の左肩をかすって、電柱にささりこみ、あっというまに、あたり一面を地獄絵図に変えてしまった。手も首もむしりとられ、ぼろくずのようになった人びと。その中で、ふしぎにも助かった4、5歳の女の子が、身体中にかえり血をあびて、,棒立ちになっている。‥

 

 午前5時10分、猛火は鎮火にむかい、そして朝がきた。……東の空から、血のかたまりのような太陽が、ゆらゆらと不安定に昇ってきた。しかし空は不気味なほどに暗い。私は救急箱の中に用意した薬で、手っとりばやく火傷の手当をしてもらい、1人だけ離れて、白髭橋のたもとまで行ってみた。‥

 

 だが、隅田川の岸壁まできた私は、目を見はった。どんよりとけぶる対岸の石垣の上で、カーキ色の服が、いくつもゆれている。警防団だ。石垣のくずれたところから、水面のふとい材木の上を往復する男たちは、そんなかけ声をあげながら、水中の死体を引きあげているのだった。見れば眼下の水面は焼死体で隙なくうまっていた。男たちは、みな手ぬぐいでほおかむりし、トビロをのばして、おびただしい死体をたぐりよせた。硬直した死体は、ロープがかけられ、地上に引きあげられて、魚市場のようにならべられる。

 

……「勝元、見とけ。忘れないように見とけ、これが戦争の姿だぞ」父がつぶやくようにそういった声が、私には忘れられない。