重吉を知っていますか。
「漂流484日 船頭・重吉の長い長い家路」
池内博之の漂流アドベンチャー
最近NHKのBSで『池内博之の漂流アドベンチャー「漂流484日 船頭・重吉の長い長い家路」』の再放送がありました。地元の重吉のことでしたので、興味をもって覧ました。最初の放送は2020年1月26日(日)です。NHKのホームページにあるのでご覧ください。
半田市にある顕彰碑 (銅板に印字されています。)
池内博之が船頭・重吉を演じ、実際に大型のヨットのチームと漂流を疑似体験します。 重吉の船長日記を読むという形で展開していきます。三河の出身地佐久島や、重吉が供養のために石碑を建てた名古屋の成福寺にも訪れます。
NHKのホームページ
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なぜ重吉たちは484日間もの長期にわたる漂流に耐えることができたのか。
積み荷の大豆を粉に引き香煎のように食べて命をつないで行きます。TVはそれを再現していました。乗組員がそれを作ることが日課になって、規則正しい生活のリズムができていった。これらを考え出した重吉の才覚とリーダーシップを上げることができます。
水は、当時の船乗りは「ランビキ」という手製の蒸留器を造る知恵を語り継いでいたようで、海水を蒸留して真水を作ることも再現していました。
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重吉のこと、万次郎より30年も前
重吉が遭難したのは数え29歳のとき。現在の愛知県半田市の家に養子に入っていた重吉は千石船「督乗丸(とくじょうまる)」の船頭だった。味噌や醤油(しょうゆ)などを江戸に運んだ後、大豆700俵を積んで帰る途中、遠州灘で暴風雨に遭う。
万次郎より30年も前
帆は切れ、舵(かじ)はきかなくなり、14人の乗組員は漂流。積み荷の大豆などで食いつなぎ、1年4カ月後にアメリカ西海岸のサンタバーバラ沖で、イギリス船に発見されて救われる。
ただ、日本は鎖国時代。すぐには帰れず米国やロシアを転々とする。故郷に戻れたのは漂流から4年後のことだ。14人いた乗組員のうち、重吉ともう一人だけだった。漂流の末に帰国して有名になるジョン万次郎よりおよそ30年も前のことだ。
重吉は帰国後、外国から持ち帰った珍しい品々を各地で展覧したり体験を語ったりしてお金をため、仲間のために千石船をかたどった供養碑を建立した。漂流中に生きて帰ることができたら、亡くなった者のために碑を建てることを互いに約束していたのだ。この碑は現在、名古屋市熱田区の成福寺に立っている。
名古屋市熱田区の成福寺
Nikon撮影
Nikon撮影
重吉が建立した千石船をかたどった供養碑
千石船「督乗丸(とくじょうまる)」
ロシア人との交流の中で簡単なロシア語を覚え、和露対訳語集「ヲロシヤノ言」も発刊した。こうした重吉の体験談は新城藩(愛知県新城市)菅沼家の家臣・池田寛親(ひろちか)が聞き取りし「船長(ふなおさ)日記」としてまとめた。後世には写本で伝わっていたが、原本は1988年に新城市の寺で見つかっている。