皆さま〜🌈🧚‍♀️✨
お久しぶりです🌸


お元気でしたか?
閉会式の光の輪
素晴らしかったですね✨

選手の皆さま
ボランティアの皆さま
東京都庁で8年前のもっとその前から
準備にあたっていた皆さま(特にミヤチ←私の幼馴染み)
お疲れ様でした。
ありがとうございました。

この時に展開された
「東京音頭」の盆踊り👘


この国立競技場のすぐ脇に
私の生家はあり、
東京音頭も
この国立競技場のすぐ横の盆踊り会場で
毎年の夏に踊っていた…


あの50年以上前の夏
を思い出し…



個人的にも感慨深く
隣の伶ちゃんと一緒に
東京音頭を踊りながら
この閉会式を観ていました。


怜ちゃんも
成城という地に、
ひいおじいちゃんの世代から住んでいたという
江戸っ子です。
今、
村のパン屋さん
で頑張っていまして、
私のウチで暮らしています。
クックをなでなでして
こんな風にしちゃうくらい
我が家の三女という感じで暮らす24歳です。


盆踊りを踊りながら、
もしかしたら私達は
未来には
ほんとうの親子になるのかも知れない…
不思議な感覚が湧いてきました。



今日は
過去の思い出を
振り返り
投稿しよう!

というテーマで書かせていただきます。
まずは
この↓記事を読んでください。


今、
村のパン屋さんでの「一番人気」は
メロンパンなのですが、
このメロンパンは
都留市にある障害者福祉サービス事業所の
「みとおし」さんにいる
身体障害と発達障害をもつ男の子が
一人で焼いて、
毎週金曜日に届けてくれています。


この男の子は、
身体(手)にも障害があったため、
そのリハビリとしてパン作りをはじめたのです。
ですが、
軽い発達障害もあるため
メロンパンしか焼かない男の子でした。


ただ、
メロンパンに関しては強いこだわりがあるため
その技術はどんどん素晴らしいものになり、
自分でインターネットで
美味しいメロンパンの作り方などを調べて
さらに上手になっていました。



私は、
ジャム作りを依頼する「みとおし」さんに
ある日、打ち合わせに伺って
帰りにメロンパンをお土産にいただきました。


その日はそのまま甲州市の塩山の
もっと向こうの
私の「蜂🐝先生」のところに養蜂のレクチャーを聞きに行くことになっていまして
帰りのクルマの中で
そのメロンパンをかじりながら運転しました。


そのメロンパンの美味しいこと✨


なんていうの…
私の大好きな言葉でいうと「エッギー」な感じ。


タマゴ感に溢れて、
表面はカリッと
中はしっとりな自然な味。
これを障害をもつ男の子が焼いているなんて✨



私は、
すぐに「みとおし」の志村さんにご連絡をして
このメロンパンが
焼いても焼いても行き場がないのなら、
私のパン屋さんで売らせて下さい
とお願いをしたのでした。


それ以来、
その男の子はさらに張り切るようになり、
最初は週に35個しか焼けません
と言っていたのに
今では週に50個が焼けるようになりました✨



さて、
お話しを先程の
過去の思い出を
振り返り
投稿しよう!
に、戻しますが…


この投稿の中で、
私がダウン症の男の子とハグをする夢について
書いていますが、
夢にでてきたその男の子は20歳くらいで
ポッチャリと太っていました。
実はこの都留市にある障害者福祉サービス事業所「みとおし」さんには
ダウン症の方々も通所しています。
他にも障害のある方々が
約40名ほど通っているのですが、


その中でも
私がいちばん仲良しになったのが
ダウン症の男の子
20歳くらいの
ポッチャリと太った子
なのです。

何度も打ち合わせなどで
「みとおし」さんに伺っているうちに
今では私の顔も覚えていてくれて、
あるときは
「みとおし、くる?」
と笑。
私に、みとおしさんに通所して欲しい
とまで言ってくれて笑。
微笑ましい交流をさせてもらっています。



2年前の今日。
このアールブリュットという…
の記事をポストしましたが、
あれから数週間後にこの山梨県に引っ越すことになり、
そして本当にダウン症のポッチャリした男の子とハグまではしませんが
コロナだし。
いつも別れ際にはハイタッチ🤚をして…
が、
不思議でならない現実と夢との繋がりに
正夢ってあるんだなと…
ますます今、やっていることに向き合って
これからもこれを信じて
前に進もうと思っているところです。





↓もう一つの社会福祉法人
不二の森福祉会「けやき園」さんに
作成を依頼しているブルーベリージャム
今年のブルーベリージャムがあがりました。