トロールビーズのお店が日本に初めて、2009年9月3日に銀座松屋にオープンしてからお蔭様で昨日で2年になりました。
この2年の皆様のサポート、温かいお気持ちに心からの御礼を申し上げます。
私達を支えてくださったお客様に、そして銀座松屋の社員の皆様に、このスタッフ全員に、私は感謝の気持ちでいっぱいです!
思えば、芸能界出身で料理教室やってたみたいな、こんな甘ちゃんの私がファッションの世界でやっていくなんて大それたこと...。
どうして出来たのだろうかと、ホントに今でも不思議です。
...トロールビーズに出会ったのが、この銀座松屋のお店の出来るちょうど1年半前(今から3年半前)のことでした。
私は二回目の結婚に限界を感じ、(もうこれ以上ムリ)と心に決めた後でした。
おかしいなぁ...と思ってから数年。
私は造り酒屋の息子さんにお嫁さんに嫁いだつもりのお見合いだったの。(彼のお仕事は東京でご自分のがあって、ご実家が造り酒屋さんだったの)
当時、住んでいたマンションを引越しすることにして、別々の道を行くことに決め、マンションの鍵をお返ししたのが2008年3月11日...
(今、書いて初めて気がついたけれど震災の丸4年前ですね)
彼のご実家は、荘厳な日本建築の素晴らしいお宅でしたし、とてもいい人でしたけれど。
だけど、私ってね、(おかしいな)と思っても二年くらい言わないで楽しく暮らす...みたいとこがあって。
それでも、(感謝してればなんとかなるかも)と、4年くらい経ってしまって...
私ね、いつも割と笑ってるから、
あんまりね、嫌なの。揉め事とか。
最初の結婚でも、喧嘩や言い合いってしたことなかったの。話し合いはしたけど。
ま、パパは日本一の司会者でしたから話し合いは、日本一の司会進行で収まるけど...みたいなね(号泣)
ママの人生は子供達にも迷惑のかけっぱなしでしたし。
(思い切って聞こう!)と思って、
二番目の人に切り出したのだけどね。
私の感謝が足りなかったのか、何かお見合いで聞いたことが聞き間違いだったのかしらと思いながらも....
だけど、だけど、さすがに私の貯金が限界で「スミマセンが、もうこれで...」というタイミングだったの。
あのご実家には誰も住んではいなかったけれど、敷地内にふたつもあった白壁のお蔵、美しい日本建築の母屋に今は入れないのだわと思うとホントに心が痛みます。悲しい。
(...原発から数キロ圏内だったんです...。)
が、
心を決めて前に進もう...と、
マンションの鍵を返したのが、
さっきも言いました2008年3月11日。
それで、なにか大きな運命が変わったのでしょうか。
デンマークの紅茶店7代目当主のクリスチャンから一本のE-mailが突然入ったのが、その一週間後のことでした。
「僕の友人の、トロールビーズオーナーのピーターが、緊急で日本の仲間を探している。
ミリ、僕の友人を助けてくれないか。」
私はクリスチャンへの深い信頼関係と、言い表すには言葉が足りないのですが、その短い中にも緊迫したE-mailの感じに、
あまり深いこと考えずに
「オッケー、大丈夫なんとかします!」と、答えたのでした。
そしてキッチンスタジオだった、あのお家をすぐにオフィスとし、
トロールビーズの最初の航空宅急便が届いたのが確か4月上旬くらいだったかしら。
でも、プライベートではものすごい落ち込んでるわけです。
もう、
心から頼れる素晴らしいパートナーなんて、現れないわ。
お見合いも二度とイヤ。
こんな、バツ2なんて誰も相手にしてくれないわ。
せいぜい、不倫でもするつもりの、嫌らしい中年しか寄ってこないでしょう...。
と...。
だけど、今でも忘れない。
600種類あるトロールビーズの意味を翻訳するうちに、
その哲学的な世界観と、祖母の国デンマークの美しい情景が浮かぶような自然描写、
そして北欧の妖精トロールの不思議な世界や、
アンデルセンのおとぎ話、シェイクスピアの詩やギリシャ神話などの話を紐解き、調べながら....
(これは単なるビーズの「意味」ではない。癒し。そう、Lyricだわ!)
Lyricを日本訳すると「歌詞」という短い一語になりますが、そうとも言いきれない、Lyric。
何て言うの...散文、韻文の世界。例えば、スガシカオやスピッツ、
竹内まりや、平井堅、MISIA、
コブクロとかSMAPだって、
ほら歌詞に元気づけられたり勇気をもらったり、癒されたりしますでしょう?
トロールビーズには、あんな感じの胸を打つ文学的なLyricがあったのです。
それから一年近く経ち。
大好きな人と結ばれず、海の泡となってしまった人魚姫が、
本当はその後で天に昇り神様の国で「本当の幸せ」を掴んだこと。
ほら、この地上でどんなに辛いことがあっても天国では皆が美しい幸せを掴みますよね。
そんなマーメイドのビーズを見つめて見つめて、
こすり過ぎてシルバーが「減る」んじゃないかと(笑)思うほど頼った運命の翌年、2009年3月26日に...。
私はピュー君と25年ぶりに再会したのでした。
このブログを長く読んでくださっている方ならわかりますか?
私がお花見に行ったサクラの樹木の下で、「ヤッター」と寝転んでいた写真。
あれはピュー君が撮ってくれたものです(>_<)
←記事はアーカイブから探してくだされば、あるはず。
2009年4月10日前後に。4月13日だったかしら。
その樹木の下で、「僕が最近よく聴いている曲なんだ」と、iTunesのイヤホンをひとつづ耳に持って二人で聴いたのが、
「えっ!これ私も最近よく聴いてた(>_<)」
竹内まりやの「人生の扉」
ふふ。
だんだん繋がってきましたね...。
それから半年経った9月3日に、
銀座松屋のお店のオープンとなったと、いう訳です。
その3月26日以来、私のよき相談役となり百貨店様とのお取り引きなど、未知で無知な私をずっと陰で応援してくれたのが、
人魚姫が結ばれずお別れした王子様。
↑
ここ、ちょっと黒柳徹子風に読んでくださいね(笑)
よく、会社って
会長
顧問
相談役
という役職があるわよね、
彼はアパレル界が長く専門で、
あまりにも毎晩、毎晩、ご飯を食べながらや電話で相談に乗ってもらっているので、私は彼を「夜の相談役」(笑)と呼んでいます。
ついでに余談だけど。
彼は私を、のれんをくぐると小料理が出てくるカウンター割烹をしている「女将さん」と呼んでいます。
もっと余談だけど、私は彼にキッチンで作ったお食事を出す時、
「いらっしゃいませ」って言うの。
「ホワイトアスパラガスが入りまして...」とか言いながら。
↑
これは八千草薫ふうね。
あ、ゴメン話は戻りますが。
ですからトロールビーズの銀座松屋には、愛、愛、愛が溢れております。
私の愛、スタッフの愛、今はお客様の愛です。
子供の頃から、ばかみたいにホントに妖精の存在を信じていた私に起こった嘘みたいなホントの話。
私に足りなかったものを運んでくれた北欧の妖精トロールが、
今も大きな樹木の陰でクスッと笑っているような気がします。
扉は自分から開けないと開かない。
そして、自分から開けたならパッと開ける大空。
開けないなんて、思ってはいけないの。開くの!
貯金がなくても、前に進もう。
パパラッチも乗り越えて。
そして、これからは皆様の幸せのお手伝いができるように、
震災で心を痛める日本のために、
デンマークと日本の掛け橋となるように、
こんな私でも何度でも立ち上がり、幸せを探して今があるのだから、
誰かのお役に立つことをこれからの目標として、これからも頑張っていきます!
そして、どんな時も、どんなに荒んだ時にでも私の側で私を励ましてくれた娘達に感謝。
ありがとう!