検査の次の日

やはり決断したものの、気分は落ち込んでいました。

 

赤ちゃんを失う恐怖

手術への恐怖

産んであげられない悲しさ

どうして私が…と言うやり場のない怒り

 

しかし次第に、この子はまだ生きている。

私の気持ちを察している。このままではいけない。

この子との残りの時間を大事にしなくては。

そう考えるようになりました。

 

また、私はヨガをしていることもありヨガ哲学から

輪廻やどんな短い命にも意味があることを学んでいました。

そうです。この子にももちろんなんらかのミッションがあったわけです。

それを終えるから、天に還っていく、それだけのことなのです。

よくよく考えてみれば、

新しい技師の方やドクターやカウンセラーが同席していたこと

彼女は自ら教材になったのではないか?

都合のいい解釈かもしれませんが、そう思わずにはいられませんでした。

もちろん私たち夫婦にもたくさんの学びをくれました。

 

むしろ、まだミッションを遂行するために生きている私たちよりも

ずっと優秀ですごい子なんだと誇りに思いました。

 

もちろんこれは、私の考え方ですので正解なんてないし

都合がいいと言われても仕方がありません。

しかし、そう考えることで前を向くことができるなら

それでもいいと私は思っています。

この子に恥じないように生きていかなければならいからです。

 

とはいえ、できるだけ外出したくなく、人にも会う気になれず、

基本的に友人等と会う約束はキャンセルしました。

以前から予約していた教会での弦楽器アンサンブルも

旦那と行くのやめようかと話していたのですが、

素敵な音楽を聞かせてあげたい。思い出を作りたい。

そう思い、思い切っていくことにしました。

 

久石譲さんの曲の演奏で、たくさんのジブリの曲が演奏されました。

無事に生むことができたら、一緒に見たのかな?

ジブリの情景、歌詞が頭に浮かび、泣いていました。

 

数日間は気分も冴えず、塞ぎ込んだような日々だったのですが

 

徐々に、将来のことややりたいことを考えるようになってきました。

私はキャリアのためにも学校に通いたいと常々考えていたのですが

妊娠が発覚し、2、3年後かなと思い、

後回しでいいやと学校について調べたりするのをやめていました。

今回のことを経て、妊活はもちろんまた続けたいけど

私自身の将来のことをしっかり考えようと

 

手術が終わってから始めたいこと

始めるべきこと

やりたいこと(旅行に行きたいとか、観光に行きたいとか)

 

 

考え、1、2年のスパンの大まかな計画を立てることにしました。

そうすることで、

気分転換になり、前向きな気持ちになることができました。

 

日本に住む母とも何度も通話で話しました。

母は「よく頑張って、決断したね。辛かったね。

   近くで支えてあげられなくて、ごめんね。

   手術の日まで、この子のためにやれることをやりなさい。」

そう言ってくれました。

離れて暮らしていても、たくさん支えてくれました。

もちろん旦那両親も国外に住んでいますが、旦那と通話するたびに

私の体調のことメンタルのこと常に心配してくれ

電話越しに多きなハグをくれました。

たくさんの人に支えられていることにとても感謝した日々でした。

 

そして、この子のために何か残したいと思い

刺繍キットを使って、彼女の名前を入れた刺繍を作ることにしました。

 

そんな生活をしていると

次第に悲しいとか罪悪感とか苦しい気持ちが軽減されていきました。

もちろん完全になくなったわけではありませんし、

そういう気持ちも心に留めて生きていくと思いますが、

ほとんど前を向いていました。

 

そんな自分が、冷たい人間なんじゃないかと思いましたが

カウンセラーの先生に

「それはとっても普通のことです。

 人間は常にストレスを感じては命に関わるから、

 脳は軽減させようと働きます。

 だからあなたの感情の変化は、普通のことだし、健康な証拠。

 だからと言って、冷たい人間ってわけじゃない。

 安心してください。」

そう言われ、とても気持ちが救われました。

 

手術を待つ時間は

必要な時間だったし、大切な時間だったと感じています。

おかげで穏やかな気持ちで手術に臨むことができましたし、

赤ちゃんとの時間を大切に過ごすことができたと思います。