東方不死死 第73章 「天地攻防」


 懐かしい声が聞こえる。
 色褪せた記憶の中に確かに存在する、力強く、そして優しく懐かしい声が、遠くかすかに聞こえてくる。
 しかし、忘れられない声なのに、その声の持ち主が誰なのか咄嗟に思い出す事が出来ない。もどかしい。
 それほど多くない記憶の人名リストからその声の主を探してみたが、朧気に人物像が浮かぶだけではっきりとした『誰か』には想い至らない。
 おかしい・・・何か変だ・・・。よく知っているはずなのに、何故か顔も名前も思い出せない。
「(・・・そういえば私は誰だっけ?)」
 どこで会ったのか記憶を遡ってみると、他者との関連性の起点となる自分自身が誰なのか分からない事に気付き愕然とする。仮にその相手の名前が分かったとして、自分が誰なのか分からなければ意味がないのではないか。
「(私は・・・誰だっけ?)」
「(・・・さ。・・・りさ。)」
「(ん?また、あの声だ・・・。)」
 いつの間にか途絶えたさっきの声がまた聞こえてくる。遠くから聞こえてくるようなその声は、次第にはっきりと発音が聞き取れる様になったが、まるで異国の言葉でも聞いているかの様で意味が全く頭に入ってこない。
「まりさ・・・まりさ。」
 その声は『ま』『り』『さ』とこの3文字を1セットとして繰り返し言っているのは理解出来た。しかし、『ま・り・さ』とは一体何なのかがわからない。

 自分が誰でどこで何をしているのか全く分からないのに、不安はなく何故かとても気分が良い。不思議だ。
 あらゆる抑圧から解放され、水の中、或いは空の上をふわふわと漂っているかの様で、自分や他人の名前などどうでもよく感じてくる。
 身体が軽い。何も身に着けていないようだ。ふと、その軽い身体をまさぐろうと手を動かそうとした時、肢体の感覚が無い事に気付きギョッとし、あるかどうかも分からない『肝』が冷える感覚だけを覚える。
 その時、虚ろな夢から現実に強制的に引き戻されたかの様に、ふわふわしていた身体が突然重力の干渉を受けて、急降下していく感覚に陥る。そしてそれを無感動に他人事の様に冷静に感じている。
 堕ちていく。
 自分の精神と身体が一つになっている実感がない。肉体は何やら大変な事になっていることは頭では分かっているのに、実感が湧かずどこか他人事になってしまう。
「まりさ・・・まりさ!」
 また、声が聞こえてくる。その声は自分に向けられているとはっきりと確信できた。そう、自分はよく知っているはずの忘れてしまった誰かに呼ばれているのだ。そう、『ま・り・さ』とは自分の名前だったのだ。
「私は・・・まりさ・・・。」
 口を開くと声が出て、途端に五感が復活し、猛烈な暑さを感じ無理矢理現実に引き戻された。
「そうだ、お前は魔理沙だ。漸く気付いたか?」
「あ、なんだ魅魔様か・・・おはよう・・・。」
 心地よい夢から覚めて現実に戻った魔理沙は、最初に視界に入った見覚えのある顔を見て、無意識にその名前を口に、余りの心地良さに二度寝しかける。
「・・・え?」
 そして重要な事に気付いて飛び起きた。
「み・・・魅魔・・・様?あれ?何で?」
「どうした魔理沙、私はここにいるぞ?」
 柔らかいソファーの上にゆったり座っている様な感覚だった魔理沙は、そこが、魅魔と呼んだ人物の膝の上だと理解出来た。
 悪霊の大魔導師、そして自分の師匠であり母の様な存在、魅魔だ。
「何でここに魅魔様が?たしか・・・死んだはずじゃ・・・。」
 目をパチクリさせ、驚きを隠せない様子の魔理沙だが、魅魔が復活したのではなく、自分が死んで魅魔のいる死後の世界とやらに来てしまったのではないかと思い至り思わず言葉を詰まらせてしまう。
「悪霊がそう簡単に死ぬものか。お前が『自律動作』出来る様に隠れておったのじゃ。」
 周囲の温度が人体に悪影響を及ぼす危険水準に達するタイミングで発動する、妹紅の召喚呪符で再び魔理沙の中から現世に召喚された魅魔は、どんな顔をしていいのか分からない魔理沙の心中を察し、安心させるように力強い口調で健在を示す。

 藤原妹紅は、紅魔館に関する諸々で数回魅魔を召喚した後、異変に対する具体的な作戦行動が定まった際に、再度魅魔を召喚して協力を仰ぎ、快諾した魅魔にその役割を伝えていた。その妹紅は現在、不死鳥の浄化の炎の中で擬似的な死を体験し、あの世の手前である人物を待っているところである。
 魅魔は妹紅から魔理沙完全復活の段取りを事前に知らされているため、この危機的状況でも冷静でいられるが、何も知らない魔理沙は当然状況を把握出来ず、記憶も混濁し様々な感情が入り混じった複雑な表情をしている。
 魔理沙は10歳の時、吸血鬼戦争で敗れた吸血鬼始祖の魂の安息を乱し、怒った彼らによって為す術も無く魂を切り離されてしまった。それを魔理沙の守護霊として見守っていた母サーヤの機転によって肉体と魂は切り離されたまま別々に保持され、その後駆けつけた魅魔が死霊術で、その2つを繋ぎ合わせたのである。
 その死霊術の奥義は、本来は別々の肉体と魂を繋げる術だが、同じ人間のものなら蘇生術と同義である。しかし、蘇生術とは違い死霊術は、被験者と術者の間に主従関係を造り、僕にして支配するというルールがあるため、魔理沙はそのルールに従って魅魔の虜となって隷属し、性格が一変し別人になってしまったのである。
 命を繋ぎ止める為に一時的に死霊術をかけた魅魔は、その後元の人間だった頃の魔理沙に戻そうと様々な実験を試みるが上手くいかなかった。
 ある時、特性の違う術をいくつも重ね掛けしたせいで、大元の死霊術が不完全な状態になってしまったが、この時魔理沙は一瞬だけ元の性格に戻ったのである。術を完全に解けば魔理沙は元の人間に戻るのは道理だが、それは人間として完全に死ぬ事を意味していた。
 偽りの人間、操り人形として生かすか、いっそのこと人として死なせてやるかの二択である。しかし魅魔は、魔理沙を人として完全復活という絶望的に難しい選択を捨てきれなかった。
 熟考の末魅魔は、術の解除によって切り離れていく肉体と魂を、死霊術ではなく別な方法で結びつけるアイデアを思いつき、自らがその繋ぎ役になる事を決意したのである。 
 肉体と魂を縛る鎖となって魔理沙の体内に隠れる事を決めた魅魔は、周囲が納得出来る尤もな理由を作るために、死霊術の影響で人格が変貌した魔理沙を率いて封魔異変を起こし、霊夢と対決するどさくさに紛れて死を偽装し、魔理沙に掛けられた死霊術を解き、その肉体に鎖となるために自ら封印されたというわけである。
 今起こっているこの状況は、妹紅の術によって魔理沙を仮死状態にした間接的な召喚ではなく、完全に肉体と魂を結ぶ鎖としての術を解いてしまっているため、魔理沙の肉体と魂が剥離しはじめている。次第に体温が低下し、数時間で死に至るが、この高温状態が魔理沙の体温低下を緩やかなものにしていた。

 改竄していた忌まわしい死の記憶の封印が、死霊術の解除と共に呼び覚まされてしまう魔理沙は、大量の情報が脳に押し寄せ処理が追いつかず、暑さではない別の苦痛で表情が歪んでいく。
 自分自身がままならず、頭を抱えて苦しむ愛娘を優しく包み込む母親の顔となっている魅魔。
「すまなかった魔理沙。ちゃんと躾けていればこんな事にはならなかった・・・霊夢も幻想郷もこんな事にはならなかったはずだ・・・。全て私の責任だ・・・ゆるしてくれ、魔理沙・・・霊夢・・・紫・・・。」
 自分の失態で今なお苦しめ続けている者達への謝罪をしつつ、苦しむ愛娘を強く抱きしめる魅魔。
 母と娘の再会。しかし、その余韻をいつまでも味わっている時間的余裕はない。膝から下をゲル状にし、妹紅の呪符結界を補強し室温の上昇を緩和させる魅魔だが、結界内部の室温は刻一刻と上昇し続けている。
 このままでは危険と感じた魅魔は、自分自身に渇を入れて魔理沙に対し厳しく迫る。
「魔理沙よ。いつまでそうしている?お前が今すべきことは何だ?」
 復活しぐちゃぐちゃになった記憶を辿る作業に思考をとられていた魔理沙は、魅魔のその言葉を聞いてはっとなって周囲を見渡した。
「これ以上ここに留まるのは危険だ。どうする?逃げるか?」
「い、いや、ダメだ、アレを壊さないと・・・私、その為に来たんだ。」
 頭の回転が速い魔理沙は、今優先してやるべき事を思い出し思考の比重を切り替え、溢れかえる封印された思い出の整理を一旦脳の片隅に追いやる。
「なるほど、アレか・・・しかし、魔理沙はアレが今どこにあるのか見えておるのか?」
 アレとは永琳の防御要塞の中枢制御コアの事である。
「外が全く見えないんだぜ!全然わからねーよ!魅魔様は分かるのか?」
 聞きたい事、考えたい事が山程あったが、今は自分に課せられた任務の遂行が先だと気持ちを切り換える魔理沙。この様に思考を素早く適切に切り替えられたのは、今まで冷たかった背中のチルノがぬるく感じられ、氷の妖精に命の危機が迫っている事を直接肌で感じていたからである。
 目の前の事象にこだわって大義を失する昔の魔理沙から少しは成長していると目を細める魅魔だが、直ぐに頭を切り換え、不肖の弟子にこの場の凌ぎ方を伝授する。

「当たり前だ!」
「どこにあるんだよ!」
「アレは今、空から落ちてくるのは分かるな?」
 焦りで喧嘩腰の魔理沙の質問に力強く答え、別の質問で返す魅魔。今は母子ではなく師弟関係である。
「う、うん。」
「位置を絞り込むなら、先ずは天地を認識し、正しい基準を作る事だ。」
「天地?どうやって・・・なんとなくわかるけど目印が全くないし・・・。」
 魅魔はそこで魔理沙の頭を痛みを感じる程度にポカリと叩く。
「あ、痛!」
「今、この場、つまり空、天は炎の属性に支配されている。」
 魅魔は夥しい炎の属性を利用してヒントを言う。
「・・・そうか!炎の力が少ない方が地面か。うーん・・・。」
 魔理沙はすぐに要領を得て、属性を感じ取る為にしばし精神を集中する。
「・・・こっちだ!こっちが地面だ。」
 そう言って魔理沙は、地表面に対しほうきを水平にさせる。
「先ずは合格だ。では、次にアレの正確な位置だ。」
「う・・・。」
「わからんのか?地面を見つけた時と同じ要領で、多少の応用を利かせれば簡単であろう?」
「応用?」
 背中のチルノの息が荒くなっている。魔理沙は早くこの謎を解かないとまずいと焦る。
「空は全面炎という単一の属性だ。」
「あ、そうか!中心コアは直径数キロの物体。そこだけ属性が存在しない!」
「うむ!早くしないとその妖精、溶けてしまうぞ。」
 魅魔は背中に何故かくくりつけられている氷の妖精に魔理沙が意識を取られている事に気付いて、それを利用して魔理沙を急かせる。理屈で分かっていても実際に中空の一点を絞り込むのは上級魔法使いでも難しいだろう。
「うーん!」
 魔理沙は再び精神を集中させ、2人がアレと呼ぶ永琳の防御要塞の中心核を探す。
 妹紅に貰った属性眼鏡を使えば簡単に見つけられるだろうが、外に持ち出しは禁止なので家に置いてきている。しかし、その時の属性の見え方と感じ方を具体的に体験出来た魔理沙は、炎の属性を示す赤いイメージの中に一点の空白地点をすぐに見つける事が出来た。
「あった!あそこだ!」
 妹紅の呪符と魅魔のゲル状の身体で包まれた、全く外を見通す事が出来ない閉鎖空間の天頂方向目掛けて指を指す魔理沙。
 直径約2キロメートルの永琳の防御要塞の中枢コア。決して小さくはないが、この広大な空の中のしかも10キロメートル先に存在す空白地点を瞬時に見抜くのには、属性に対するそれなりの知識や練度が必要だろうと思い、もう少し時間を要すると魔理沙を侮っていた魅魔は、その早さに素直に感嘆の意を示し、愛娘の成長を喜ぶ。
 約5年の歳月で、魔法使いとしてそれなりに成長している事が分かって嬉しくなる魅魔。それと同時に、自分が不要になるかもしれないと、師として寂しくも感じる。
 端から見れば単なる親バカ、いやバカ親な魅魔のこの辺は、魔理沙の成長に比べ、5年前と少しも変わっていなかった。

「魔理沙、一撃で仕留めて見せよ。」
 可愛い娘の頭をなで回して褒めてやりたい気持ちをグッと堪え、魅魔は敢えて魔理沙に厳しい要求をする。
「そんな無茶な・・・もっと近づかないと・・・。」
「氷の妖精が溶けてしまってもいいのか?」
 魅魔にとってはどうでもいい一匹の妖精だが、魔理沙にはとても重要な存在のようである。その理由に興味はあるが、今は何も聞かずこれを有効に利用するだけである。
「あ、そうだった・・・くそ!やるしかないか!あ、でも、ここで撃っても大丈夫かな?」
「妹紅の呪符結界を私自身が包み込んで補強している。私を通してエネルギーは外に抜けるから安心しろ。」
 この結界の仕組みの簡単な説明を盛り込んで問題ないことを伝える魅魔。
「・・・分かった。やってみる!」
 魅魔は覚悟を決め魔法使いの顔になった魔理沙を見て昔を思い出す。妖精を相手に魔法の練習をして、たしなめても言うことを聞かず、蟻を踏みつぶして楽しむ幼子の様に小妖精を炭化物に変えていた魔理沙。今は、その妖精の命を守るために懸命に働こうとしている。
 人の道を踏み外し一度、いや今現在も人外に成り下がっている愛娘だが、今こうして人として保たれている事に、重罪を犯してまでも封魔異変を起こした甲斐があったと、自分を慰める魅魔。
 
「マスタースパーク!」
 視認できない標的めがけて得意の呪文を唱える魔理沙。
 ミニ八卦炉を媒介し魔界の門が開いてそこから大量の無属性エネルギーが放出されると、魅魔の身体と一体化した妹紅の結界の内壁を貫通して、純白の獄炎の中を一筋の極彩色の光の矢が飛翔する。
「・・・。」
「手応えあったか?」
 マスタースパークを撃つモーションのまま静止する魔理沙に声をかける魅魔。
「たぶん、当たったと思う・・・。」
「うむ。しかし、アレはまだ無傷だな。」
「確かに命中したはずなのに!」
「この炎熱で消滅しないとなれば、相当な強度を持つ物体であることに間違ない。」
「くそ!マスタースパーク!」
 魔理沙の魔法使いとしての売りの一つはパワー、力であり、他の妖怪が非力な人間の少女に一目置く理由が、風見幽香と同系の技マスタースパークを撃てる事である。
 人間の魔法使いを自称する霧雨魔理沙にとって最も得意な魔法であり奥義でもあるマスタースパークで破壊出来なかった事は、魅魔が端から見て思うよりも自身ショックが大きかったようである。
 魔理沙は悔しくてがむしゃらに呪文を乱射したが防御要塞のコアを破壊するまでには至らなかった。
「(子どもの頃に教えた通りのやり方か・・・そこは全く成長していないか・・・。)」
 風見幽香が独自に創意工夫し威力の向上を研究して星すら破壊しかねない高出力レーザー『サニー・レイ』を完成させた一方で、魔理沙は5年前に教えた通りの方法でしかマスタースパークを撃たなかった事に落胆する魅魔。
 これは魔理沙の魔法使いとしての資質が足りないというより、吸血鬼スカーレット姉妹同様に成長を意図的に抑えていたからである。もし、風見幽香のように自在にこの力を使い始めたら、幻想郷の脅威対象として排除される危険性があったので、この様なセーフティを施したわけである。しかし、無能な弟子の実力を間近で見てしまうと流石に師としては複雑な気分である。
「(この様な特殊な状況下はむしろ資質を伸ばしたり、発想の転換や固定概念の払拭に利用出来るが、今の魔理沙では無理であろうし、時間的にも肉体的にもそろそろ限界だな・・・。)」
 結界内の室温は40℃に達しようとしていた。気が張って集中力が維持できている間は大丈夫だが、一旦気が萎えるとこの環境では回復は難しい。魅魔はここが魔理沙の肉体的な限界とみて予定通り介入する。
「何で壊れないんだ!」
「魔理沙、これでは埒があかん。力を貸そう。」
 魅魔はそういうと指をパチンと鳴らす。
 キョトンとする魔理沙を尻目に、ニヤリとする魅魔。数秒後、防御要塞の気配が消える。
「な!魅魔様なんだよそれ!私にも教えてよ!」
 魔理沙と初めて出会った時、追い払おうと使った魔法を見て、目をキラキラさせて教えて貰おうと悪霊に食い下がる幼いあの時の顔と全く同じ顔がそこにあった。
「特別な魔法ではない。ただ、コアを急冷しただけじゃ。」
「・・・あ!そうか!」
 魔理沙は、妹紅と幽香が要塞に攻撃した時、妹紅が要塞を熱し、幽香がそれを冷やして破壊すると予想してみせたが、今魅魔がやったことは正にそれだった。
 どんな材質でも急激でしかも大幅な温度変化を加えれば性質が変化する。それを利用して材料を堅くしたり、粘りをだしたりなど出来るが、数億度から一気に絶対零度まで下げ、それを数億度の炎に戻せば、分子構造が壊れて元の性質と形状は維持出来なくなる。一旦どこかに歪みが出ればあとは一瞬である。
 魅魔は簡単だと口にはだしてそう言っているが、実は温度を下げるのは上げるよりも遙かに難易度が高く、絶対零度にまで温度を下げるのは、高い魔力と高度な魔法技術、そして生まれ持っての素質が必要なのである。

 この魅魔のやり方には重大な問題があった。それは要塞の中枢コアを爆発させてしまう事である。
 魅魔の力を持ってすれば、強力な魔法攻撃で爆発の機会すら与えず蒸発させることが出来るが、これは妹紅のオーダーに従った結果である。
 妹紅は要塞中枢コアを爆破させる事で、霊夢の結界に負荷を与え、この異変を企画した側に大きな責任と負担をかけさせ、安易に異変解決をさせないように目論んでいたのだ。
 魔法使いとして余りの実力差を見せつけられた魔理沙は完全に意気消沈し、更に任務を達成したことで緊張感が萎え沈んで一気に疲労が襲う。
 任務は達成出来たものの脱出の手段が無く、暑さにも耐えきれず、冷静さを失いあわあわと焦り始める魔理沙。
「やばい!はやく脱出しないと!」
「慌てるな魔理沙。」
 魔法使いならもっと冷静になれとたしなめる魅魔だが魔理沙は全く言うことを聞かない。
「これが慌てずにはいられるかよ!チルノがやばいって!」
 この氷の妖精がチルノと言う名前であることを初めて知る魅魔。一応妹紅の段取りを知ってる魅魔としては、まだ次のアクションが起きていないので慌てる時間ではない。
 しかし、その慌てなければならない時が唐突に来る。


「魔理沙達は無事なの?」
「・・・さぁ?」
「さぁ?って!どういう事?」
 人形使いアリス・マーガトロイドは、こちらから手も足も出せず膠着状態になった異変と、それに対する作戦会議の無力さに苛立ち、魔理沙をダシにして、河童の河城ニトリを傍らに首謀者達に詰め寄っていた。
 魔理沙によって無理矢理会議に参加させられ、その様子を間近で見ているだけに、竜頭蛇尾とも言える威勢のよかった会議の尻すぼみに苦言の一つも言いたくなる。特にこの異変の裏を知らない第三者のアリス達にはなおさらである。

 この異変を主導的立場で進めるための必須能力であるスキマの力を失った八雲紫と藍は、事態に介入出来る具体的な手段はなく、また、その意思も既に萎えていた。僅かに残った幻想郷の残り時間を紅魔館のメイド長に言われた通り観客としてただ傍観しているだけだった。
 八雲紫は魔理沙が生きているものと想定し彼女と交信をしているふりをして瞑想する様に目を閉じており、周囲への応対は九尾の藍が代理で行っており、会議のメンバーもそれは既に承知していたので、アリスは紫ではなく藍に詰め寄っていた。
「今は紫様にしかわからない、という意味での返答だ。そう怒るな。」
 魔理沙と仲の良いニトリはともかく、何故怒っているのか自分でもよくわからないアリス。ふんと鼻をならして自分の席に戻る。
「(・・・魔理沙・・・。)」
 胸の鼓動が外に聞こえてしまいそうなほど大きく速くなっている。人間から妖怪となってさほど経っていないアリスは、趣味と実益を兼ねた究極の魔導人形の完成の為に必要な膨大な時間を得る為と、脆く不安定な精神を克服する為に妖怪になったはずなのに、嫌いだった人間時代の様に心を乱している自分に苛立ちと戸惑いを覚える。
 威圧感が無くなった九尾に対し、強気に『あっかんべー』をしてアリスの後について席に戻るニトリ。河童という種族は人間好きとそうでないものと2種類いるが、ニトリはその前者で、しかも魔理沙とは個人的にとても仲が良いのでこの状況に怒りを覚えるのは当然の事である。
 アリスは人間から脱却して妖怪の魔法使いとなったが、生活スタイルは人間のままで、商売敵、犬猿の仲である人間の魔理沙よりも人間らしい規則正しい生活をしている。別に人間という種族が嫌いなのではなく、人間としての弱い自分が嫌いなだけだった。そして今、その弱い人間だった頃の自分に戻っていることに気づかされる。そして、その原因があの魔理沙なのだ。
 虫の報せではないが、先程から胸騒ぎが止まらない。こんなことは人間の時以来である。

 小さなバルコニーの真ん中に大きなテーブルを置き、その上に『パチュリー・ノーレッジの幻想郷地図』が置かれている。地図は魔力によって立体化しており、落下する要塞の中枢コアのおおよその位置を観測し、その位置関係と各種情報をリアルタイムで映像化してしている。
 長時間空を見上げるのは人の妖に関わらず大変な作業なので、作戦会議のメンバーは皆この『パチュリーの地図』があるテーブルの上を注視していた。
 アリスが席に戻ってすぐの事だった。全員が何かの気配を感じ上を向く。
「・・・中枢コア・・・消滅・・・。」
 魔理沙のマスタースパークと思しき数十回に及ぶ魔法の捜射の後、一際大きな魔力が発生し、その後永琳の防御要塞の中枢コアが消失する。
「・・・。」
 パチュリーの報告後、すぐに目を開けた八雲紫は視線を真っ直ぐ正面に向け、空を見上げたままの藍と視線を合わせずすぐに目を閉じる。魔理沙がコアを破壊したと思しきタイミングでの紫の小さな動きだったので、誰も特に疑う事はなかったが、当の本人はこの時、凄まじい衝撃を受けて、思わず大声を上げそうだったのである。
 紫と藍は、スキマが消失した事で不死鳥の浄化の炎の中にいた魔理沙はその時点で消し炭になっていると思い込み、その前提で十六夜咲夜の提案に乗って演技をしてきたわけである。
 自分達の予測通りに事が進めば、コアは誰にも阻まれる事無く1時間以内に霊夢の結界に穴を空け、数億度の炎が漏れだして幻想郷が焼失するか、結界を押し下げて幻想郷の大地を圧壊さるか、又は結界と衝突して大爆発を起こして前述の被害にプラスαの被害が付与されるなど、いくつかの推測は成り立つが、何れも幻想郷に夥しい被害が出る予想に間違いなかった。
 可能性は低いが、結界と接触したコアが消滅しそのままの状況が維持できた場合でも、浄化の炎をすぐに外に逃がすことが出来ず、自然鎮火までの間に霊夢が力尽きるか寿命で死んで結界が消失するかなどで、結局は同じ結果になると思われた。
 何れにしても今現在の状況でコアを消滅させる事が出来る存在はこの世に存在しないはずだったのに、それが突然消失したのである。

 紫と藍は思わず顔を見合わせてしまうところだったが、先程何度かそうした失態を演じてしまっていたため、免疫が付いて、寸でのところで思いとどまり平静を装う事に成功した。
「(どういうことだ?あの黒い魔法使いはとっくに消し炭になったはず!)」
 藍はあってはならない事実を簡単に受け入れる事が出来ず誰とはなしに心の中で罵る。スキマ消失で紫と思考共有が出来なくなっている藍は、ここぞとばかりに腹に溜めていたありとあらゆる罵詈雑言を憎き藤原妹紅に浴びせまくってストレスを発散させる。
 そんな藍とは裏腹に、紫は別の感想を抱いていた。
 結界を破壊すると想定していた永琳の防御要塞の中枢コアが消滅した事で、あと数時間以内に幻想郷が焼滅するというシナリオが無くなったわけであり、これは素直に歓迎したい状況である。
 幻想郷放棄という苦渋の決断をしたにもかかわらず、希望を捨てきれずにいた紫としては嬉しい限りであるが、幻想郷を棄て、会議を見限った立場では、発言の機会はもう無いだろう。主役の座を譲り舞台を下りてしまった事が悔やまれてならない。
 紫は後悔しつつ、魔理沙が無事でいられる理由を自分なりに考える。
 想像の範囲でしかないが、妹紅が出発前に魔理沙の身体中に貼ったあの呪符によるものだろう。紅魔館の魔法使いも何かのお守りを渡していたし、怪しい点は今にして思えば多々見つける事が出来た。しかし今となっては後の祭りである。
「(・・・でも。)」
 魔理沙は生存している。ここまではいい。しかし、この後どうやって魔理沙を脱出させるのだろうか?
 転移魔法によって離れた空間に分子移動させることは可能だが、そんな高度な魔法はどう考えても魔理沙には無理である。
 自力他力にかかわらず脱出は絶対に不可能だ。魔理沙はやはり尊い犠牲となるシナリオなのだろうか?
 そういえばあの紅魔館のメイドは『まだ、生きている』と言っていた。
「(まだ・・・つまりそういうことなのね。)」
 魔理沙は異変解決に命を捧げた英雄として祭り上げ、レミリアに向くネガティブな感情を逸らす道具として利用するなのだろうか?
 大魔導師魅魔の復活を知らない八雲紫と藍は、それぞれの思考の及ぶ範囲で同じ結論に到達した。魔理沙を救えるのは、この世に一つしかないスキマの能力だけであり、それが使えない以上霧雨魔理沙の死は確実なのだと・・・。


 神の力を受け、パワーアップし限界突破を果たした霊夢の夢想式結界は、不死鳥の転生による漂白の領域拡大を完全に封殺して幻想郷を守っていたが、空の白い輝きまでは遮る事が出来ず、半透明の紅い結界越しに透けて光が浸透し、幻想郷の大地を薄紅色に染めていた。
「ふふ、綺麗ね。」
 人間の里と呼ばれて久しく、正式な名称が忘れ去られた『博麗の里』の東の門の外に、複数の妖怪を従えた女性が一人佇んでいる。
 最強の妖怪と誉れ高いフラワーマスター風見幽香である。
「リグル、首尾は?」
「完璧です、幽香さん。」
「妖怪の山にもちゃんと播いた?」
「ええ、勿論です!」
「へー・・・天狗の結界は大丈夫だったの?」
「虫だけに無視されました。なんちゃっゲフッ!」
「鴉天狗の質もだいぶ落ちたみたいね・・・。ま、だからこそ異変を起こす意味があるというわけね。」
 幽香の後ろに控えている3人の妖怪の内の一人、虫の妖怪リグル・ナイトバグは2、3会話した後、ご褒美を貰い満足そうに地に伏せている。
 炎に弱いなど致命的な弱点を多く持ち、妖怪としては弱い部類に入るリグルであるが、幽香とは花と虫という相互利益の特別な関係があるため、主従関係無しに特別な待遇を受けていることから周囲の妖怪からも一目置かれている。
「ずるぅーい!そいつばっかり、ご褒美ずるぅーい!」
 2人のやりとりを見て、背が高く美しい金髪とドレスに似合わない大きな鎌を持つ女性が我慢しきれず声を上げる。
「エリーにも約束通りご褒美上げるってば。」
「やったー!」
 先程、ある特殊な嗜好におけるライバル同士となったリグルとエリー。その2人とは別にもう一人の妖怪が少し引いた場所で苦笑いをしている。
「ところで幽香さん、一体何が始まるんです?」
 空が白く輝くと同時に先程まで断続的に続いていた『大地の怒りは幽香の怒り』、ようするに地震が消え、直後大きな爆音と衝撃波が里を襲った。家屋が倒壊するほどの被害は無いようであったが、何かが割れる音や倒れる音、悲鳴などがそこかしこで上がっていた。
 これには里の守護神上白沢慧音が対処しており、幽香達はその横を通り過ぎて里の外に出ていたのである。
 今は喧騒は消え辺りは異様な程静まりかえっている。
 質問をしたのはミスティア・ローレライ。最近、幻想郷東部で屋台を営みはじめた元人喰い妖怪である。
「まー見てなさい。今とんでもない事が起こるから。」
 彼女が怒る以上にとんでもない事などこの世に存在しないのではないかと思うミスティアは、風見幽香にして、とんでもないと言わせる、その『とんでもないこと』が一体どんなことなのか、全く想像できなかった。


「異常なエネルギー反応を感知したわ。」
 パチュリーの立体地図が、警告を示す紅い明滅とアラームを繰り返し作戦会議の場に緊急事態を報せる。
「やはり爆発しましたね。」
 緊急を告げるアラームとは対照的な抑揚の無い無感動なパチュリーの声に相槌を打つ様に、八意永琳がポツリと呟く。場が一瞬ザワッとする。
 圧倒的な神の力で補強された霊夢の結界なら大丈夫ではないかという楽観的な思いと、もしそれがダメだった時は、もはや逃げ場も無くここで全てが終わるという絶望的な思いが交錯する。
「衝撃波が来るわ。みんな気を付けて。」
 全く危機感のない声で警告するパチュリーだが、両耳を塞ぎ、少し首をすぼめるその動作を見て強い力が地上まで到達する事を瞬時に理解した会議のメンバーは各々思い思いの耐衝撃姿勢をとる。
 直ぐに衝撃音がして、大気が大きく振動する。しかし、予想よりもその衝撃は小さく、不死鳥が自爆した、実際には要塞がパージした時の衝撃の方が大きく、大袈裟な態度をとった会議の場は少し白けてしまう。
 パチュリーは、発した警告を真に受けて互いに身を寄せ合っている八雲紫と藍、そして西行寺幽々子の大物達の姿を見て内心クスクスと笑いながら、口に出しては失敬と詫びつつ、爆発の衝撃をまともに受けて、地上への被害を最小限に食い止めた霊夢の結界が、その圧力で押し下げられ地上に急接近しているという重大な事実をサラリと伝える。
 一斉に空を向く会議のメンバー。
「スピードは?それと魔理沙は今どうなっているの?」
 指揮官として名実共に会議のメンバーに認められ、噎せ返るようなカリスマオーラを醸し出すレミリア・スカーレットが、この状況で優先順位が下がり忘れ去られようとしている人間の魔法使いの安否を喚起させるために親友のパチュリーと、裏の事情を知らず参謀役として未だ頼りにしている八雲紫に両名に問う。
 レミリアはこの段階においても、八雲紫が全てを掌握しながら異変が進められていると思い込んでおり、作戦で選出したメンバーを絶対に死なせまいとして、魔理沙の安否の鍵を握る紫への信任を厚くする。
「時速約30キロメートル。このまま停止しなければ5分もたたない内に幻想郷はぺしゃんこか、妖怪の山の剣が峰で結界が破れて中の炎がぷしゅーっとこっちに出て来てしまうわね。」
 抑揚のない棒読みで事情を半分ふざけた様に説明するパチュリーは、最後にお手上げのポーズをとる。これで終わりだと思っていないパチュリーだが、敢えてそう見せて幻想郷の危機的状況を煽って見せる。
「ふざけないでパチェ!」
「だって、どうにもならないわ。」
「スキマで圧力を逃がせないの?」
「そんなこともうとっくにやってるでしょう?」
 そう言ってパチュリーは紫と藍の方を伺う。そして、場の全員がそちらに注目する。
「全力でやっているが、如何せん熱量が多すぎて全く捗らない・・・。」
 咄嗟に九尾の藍が主に代わってパチュリーに合わせた尤もらしい言い訳をする。
「何にしても最初に時間を掛けすぎたのよ。」
 パチュリーは敢えて紫らの責任を問わず、時間を掛けさせた張本人ともいえる親友の顔を睨む。犯した失態を思い出し恥じらいと悔しさの入り混じった表情で口をつむぐレミリア。
「(私たちの仕事はここまでね。あとは藤原妹紅のお手並み拝見といきましょうか・・・。)」
 この絶体絶命のピンチをどうやって挽回するのだろうか?少し前の自分なら絶望に絶えきれずストレスで持病の喘息の発作を起こし失神でもしていたことだろう。今は自分でも信じられない程落ち着いている。これが諦めの境地というものなのだろうか?いや違う、心は落ち着いているが、次に起こる何かを期待して少なからず興奮している自分がいるのだ。
 親友に苦言を呈されたレミリアだが、パチュリーがしれっとしている時は、それが彼女の本領が十二分に発揮されている最も良い状態である事を知っているので、心強く感じ気持ちが落ち着いてくる。
 これまでのレミリアなら、仲間を信頼しつつも自分の思い通りにいかない状況に腹を立てて八つ当たりの一つもしていたところだが、今は大人しく我慢している。そんないつもと違う大人の対応が出来ている親友の様子に目を細めながら、パチュリーは一つ面白いことを思い付いた。
「ねぇ、レミィ?」
「な、何?パチェ。」
「天が落ちてくるわね。流石にお手上げだけど・・・貴女はどんな奇跡でこれを回避するつもりなの?」
「え?それは、運命を操る力で私にどうにかしろってこと?」
 パチュリーの突然の質問に、その意味を咄嗟に理解して察しの良い質問で返すレミリア。ここは恐らく藤原妹紅が自分達の及ばない策を弄してあっと驚かせるのだろうと勘ぐっているが、これをレミリアの運命操作として彼女の功績にすげ替えられないかと咄嗟に思いつくパチュリーである。恐らく妹紅もそれを望んでいるはずである。
「ええ・・・フランはどう思う?」
 レミリアが即答を避けたので彼女の呪いを破壊した影の功労者、フランドール・スカーレットに質問を振る。
「簡単だよ。つっかえ棒をすればいいんだよ。」
 余りにも幼稚過ぎていい大人が口に出せない実に子どもらしい答えが返ってきて、思わず場が和む。
「レミィ、フランの希望叶えてあげたら?」
「ちょっと、急に無茶言わないでよ!」
 今はもう、人智の及ぶところから離れ、天がどう采配を振るうかを待つしかない状況である。
 パチュリーが冗談半分でレミリアをけしかけるが、会議のメンバーはこの場で最も頼りになるパチュリーのその様子を見て万策尽きた事を知り、開き直って緊張が緩む。そして館内にいた妖怪達が状況を確認しようと外に出て空を見上げ紅魔館の外が騒がしくなる。
 その時である。突然大きな音が西の方から聞こえてきた。
 西を見ると、落ちてくる霊夢の結界が妖怪の山の尖った2本の峰を磨り潰す様子が見えた。空全面が結界なので距離感が掴めず、どのくらい押し下げられたか分からなかったが、妖怪の山の剣が峰に到達したと言うことは、結界と地表面までの距離が1500メートルを切った事になる。
 緩んだ場が再び緊張を始め、いよいよ終焉の時と覚悟を決める。
「それにしても、何という結界かしら・・・。」
 永琳が霊夢の恐るべき潜在能力の高さに素直に感嘆の意を示すものの、どこか他人事だった。
 もはや、この状況に対抗できる術を持つ者はどこにもおらず、永琳の隣でレイセンは絶句して立ち尽くし、死神小野塚小町は言葉を無くした上司の横であははと笑うことしか出来なかった。
 いよいよ幻想郷崩壊の時を察知した九尾の八雲藍は、コアの破壊で一瞬芽生えた希望から奈落の底に落とされ茫然自失している主の八雲紫と手を握り合っている同じく呆然としている西行寺幽々子の肩を包むように抱き、そのまますり足で音を立てず閻魔四季映姫の元に歩み寄る。そして、先程主から手渡された幽冥結界行きの片道スキマの巻物を取り出そうと懐に手を伸ばす。
 会議の他のメンバーはバルコニーの先端から紅魔館の屋根越しに、磨り潰される妖怪の山をただ唖然と見ているだけで、藍の行動に気づく者は八意永琳以外にはおらず、彼女はその様子を見て見ぬ振りをして皆と同じように西を眺めていた。


「ふふふ・・・。」
 自身の言ったとんでもない事が起こり、それを歓迎するように含み笑いをする最強妖怪。
「これこれ、これを待っていたのよ!」
 誰も歓迎していない、落ちてくる霊夢の紅い結界を歓迎する風見幽香。
「幽香ちゃん!どうしたの、頭逝っちゃったの?げふっ!」
 死神エリーがそんな幽香を心配して近寄ったが、次の瞬間大地に強制的にキスをさせられる。それを見たミスティア・ローレライは、幽香と天井を交互に見ながら後ずさりを始める。幻想郷から逃げだしたい衝動に駆られるが、逃げようにも最強の妖怪の側以外に安全な場所がいくら考えても見当たらず、次の瞬間殴られるのを覚悟で幻想郷で最も安全な場所、幽香の下に集まり腰にしがみついて助けを乞う。そしてリグルもそれにならう。
「ふふふ、最初はただの保険のつもりだったけど・・・運命に絡め取られた以上こうなるしかないわけよね。」
 妹紅が中心となり妹紅の思い通りに進む異変の性質をいち早く見破った風見幽香は、悟りを開いた如来の様に目を細める。
「さぁ、みんな、大きく育つのよ。」
 そして、静かに右腕を前に差し出し、肘を折って目の高さに上げた拳から親指と中指を差し出し、軽くパチンと弾き、小気味のいい透る乾いた音が周囲に響かせた。


「(さらば幻想郷、いい実地試験になったよ。この教訓を次なる幻想郷へ繋げよう。それがせめてもの手向けだ。)」
 九尾八雲藍は精神的にすでに限界を超え、正常な自律動作が出来なくなり寝たきり老人の様になってしまった主の八雲紫と、冥界の住人である西行寺幽々子、四季映姫、小野塚小町を自分の側に置き、使い捨ての簡易スキマ移動の巻物を取り出して開き、術の発動を今正に行うところだった。
 主ほどこの幻想郷に愛着があるわけではない藍でも、流石にこの最期の場面は感慨深いものを感じずにはいられなかった。

 その時だった。

 西の妖怪の山の山頂部が見えるバルコニーの先端に集まっている他のメンバーの方から一際大きな声が上がる。こっそりこの場を去ろうとしていた藍は、それが見つかってしまったと思い、捨てぜりふの一つも言ってやろうかとその声の方を向き、そこであり得ないものを見てしまった。
「な、何だあれは・・・。」
 藍は絶句した。幻想郷の大地から無数の触手の様なものが天に向かって高速で伸びていくのである。
 細い触手の様な何かは、最初は細く自重で折れ曲がってしまいそうなほど弱々しかったが、途中から径が太くなり、逞しい巨木の様になって空へ向かって伸びていった。
 紅魔館の周辺もそうしたものが次々と生え出し、それらにとり囲まれて視界が限られて行く。
 巨木の様な筒状の物体は濃い緑色をしており、上空に緑の筒から横に生え出た大きな葉の様なものが見える。それは、あまりにも大きさが違い過ぎるが、特徴的な花を咲かせるある植物の形状と類似していた。
 その場にいる全員が同じ植物とある人物の名前を脳裏に浮かべた。
「これは・・・大きなひまわり?」
「か、風見幽香!?」
 向日葵は風見幽香のトレードマークの様なもの。誰もがこの光景を見て彼女の名前を思い浮かべる。
 先程の要塞を浮かせた超弩級の攻撃といい、再三に渡り幻想郷を守らんとする風見幽香の孤軍奮闘に幻想郷の住人達は感銘を受けていた。

 巨大な向日葵の幹は、空へ向かって長く伸びながら大輪の花として成長していき、天地を分ける霊夢の結界に衝突し、どーんどーんという遠くで上がる花火のような音を空全体に響せる。
 薄紅色に輝く天空に向かって一心不乱に伸びる向日葵の群れは、幻想郷で最も太い木よりも遙かに太く、その太い幹より更に数十倍大きな花を咲かせ、そのまま霊夢の結界にぶつかり、更に上へ伸びようと懸命に成長を続ける。
 巨大向日葵は、要塞の中枢コアの爆発で押し下げられている霊夢の結界に頭を抑えられつつも、それに抗う様に必死に背丈を伸ばそうとするも敢えなく成長限界に達し、頭花が折れてたちまち枯藻屑となって中空に霧散する。しかし、向日葵は最初に生え伸びたものだけではなく、後から後から枯れ消える仲間の屍を超えて空を目指す。
 一年草である向日葵の数カ月の寿命を十数秒に凝縮した命の大パノラマが繰り広げられている。
 その光景はまるで、弱者にとっては大自然の偉大さを、強者にとっては自己の無力さを思い知らせているようであった。

「結界の降下速度が落ち始めたわ。」
 向日葵1本あたりの生存時間は極めて少ないが、継続してこのサイクルが繰り返されるので、まるで自動装填式の散弾銃を無限に撃ち続けているようなものである。その結果、それを受ける霊夢の結界が次第にその降下速度を落としていく。
「(ま、またしても風見幽香か!)」
 藍は開こうとしていた簡易スキマの巻物の発動を思い留まっていた。と、言うより余りの驚きでそのタイミングを逸したと捉える方が正確だろう。もし、スキマを開いて幽冥結界まで移動し、会議という最前線から姿を眩ましていたら、逃亡者として臆病者のレッテルを貼られ、大量の畏れを失い妖怪としての立場を著しく悪いものにしていただろう。

 それぞれの思惑はともかく、永琳の防御要塞に関わる脅威はこれで全て取り去った。このまま行けば確実に結界の降下は止まり、結界が維持されている間は幻想郷が滅ぶ事はないだろう。問題は結界の向こうに留まっている不死鳥の浄化の炎である。
「(直ちにどうにかなるという状況は無くなった。しかし、幻想郷放棄という選択肢は未だ上位にある。)」
 押し下がる結界はそのスピードを緩めていき、間もなく停止すると、今度は上昇に転ずる。
 妖怪の山の結界に磨り潰された二本の峰は半分以上削られて、その特徴的な姿が失われてしまった。守矢神社は恐らく無事だろうが、峰の残骸が周囲に大きな被害を及ぼしている可能性が高い。
 比良山次郎坊の『西側にも影響を及ぼす大きな異変』というオーダーには完璧に応えられたはずであり、そちらの始末は言い出しっぺの旋風につけてもらうのが筋だろう。
「(後は、スキマがいつ復活するか、霊夢がどこまで持ちこたえられるか・・・だな。)」
 藍は元いた場所に戻って何事もなかったかのように振るまい、早急に対処すべき危機が去ったと安堵しつつ、次の展開に思考を巡らせる。兎に角、ここ数時間から数日の時間的余裕は出来たはずである。

 結界の上昇に転ずるタイミングに合わせる様に巨大向日葵の密度は急速に薄れていき、間もなく何事も無かった様に幻想郷は静寂を湛える。