東方不死死 第52章 「妖夢捕物帖」
小高い山の頂上にある幽明結界を出てそのまま高度を上げて東に飛ぶと、マヨヒガ、川縁の関所跡、そして人間の里がほぼ直線上に見える。
魂魄妖夢はその幽明結界を出て東方を望み、希望に満ちた前途を疑っていなかった。
「・・・先ずは妹紅さんに会って謝らなくては・・・。」
妖夢にとっての気掛かりは、やはり藤原妹紅であり、非礼に対するお詫びと助命に対する感謝から全てが始まるのだと考えている。
それから、不死人狩りの時の無礼も詫びたいし、今回の件で八意永琳に助命の根回しをした理由も知りたい。兎に角ちゃんと向き合って話したい、一刻も早く藤原妹紅に会いたいと思う妖夢である。
妖夢の主人は退屈と共に毎日を過ごしている為、その暇つぶしの付き添いで妖夢もまた幻想郷に訪れる。幻想郷に一人で来る時は幽々子が公務で身動き出来ない時などで、幻想郷に友人らしい友人がなく、更に主人から解放された事を喜び羽根を伸ばして遊び回る様な甲斐性もない妖夢としては、幻想郷に長居する理由もないので用事が済めば真っ直ぐ冥界に帰るだけだった。
考えてみると、自分の用事で幻想郷に一人で来る事は初めてかもしれない。
左斜め前方に見えるマヨヒガは博麗の里が『人間の里』と呼ばれるのに対して『妖怪の里』とも呼ばれている妖怪達の住処で、変温体質の妖獣や冬季に活動が鈍化する妖怪の越冬地としても知られている。
川縁の関所跡は人間の里と妖怪の里のほぼ中間に位置し、川を挟んで人間と妖怪が交易を行う中継基地となっている。里まで行かなくてもここで要りような物は充分賄える事もあり、妖夢は人間の里よりも関所跡の方に来る頻度が高い。ちなみにマヨヒガは妖怪しかおらず幽々子が欲しい物は販売していないので妖夢としても訪れる理由があまりなく馴染みがない。
マヨヒガより北と西は妖怪同士や天狗らといざこざが絶えない場所だが、マヨヒガより以東は比較的静かな場所である。しかし最近、人間の里で傭兵を募集している噂が関所跡やマヨヒガ以西まで伝わってしまい、西の荒くれ武闘派妖怪達が傭兵の話しに興味を示し、マヨヒガや関所跡に情報収集の為に一時的に駐屯したり、単身里に出向いて五人組を作って来るように門前払いを喰らって出戻り、仲間探しの為に停頓する者、更に野次馬や行商、それに群がる物乞いやこそ泥なども集まり、妖怪の数が平時の倍以上に膨れ上がっていたのである。
そうした幻想郷の情勢を知らない、知ろうともしなかった冥界の住人である魂魄妖夢は、幽々子と別れた後幽明結界を出て取り敢えず妹紅に詫びをしようと思い、彼女が居そうな竹林に向かおうとしていた。
「ちょっと待ちな!お嬢ちゃん!」
魂魄妖夢は幽明結界を出た後、真っ直ぐ東進して竹林に向かう途中、丁度左手にマヨヒガの建物群を見る位置に来た時、不意に妖怪の集団に取り囲まれてしまった。
「!」
数は12人程、どれも小柄で単独ならそれほど恐ろしい相手ではないと感じる。しかし12人ともなると状況は大きく違う。妖夢は警戒しながら様子を窺った。
スペルカードルールによる幻想郷の住人同士の決闘は一対一が原則であるが、西側の妖怪にはスペルカードは浸透しておらず、むしろ女子供の遊びとして軽蔑している感もあり、この状況はスペルカード戦を挑まれたわけではなく、明らかにこちらを害そうとする意図の待ち伏せだろうと思われる。
「(しまった!これだけの妖怪に囲まれている事に気付かないなんて・・・。)」
気配を消して忍び寄るなど妖怪の十八番の様なものだが、妖夢レベルなら余程の隠密性を持つ強者でもなければ接近に気が付かない事はない。そして、気付く気付かない以前の問題として、発見されやすい高度のまま迂闊に飛んでしまった自分自身の浅はかさである。幽々子に送り出され後顧の憂いが無くなった事で浮かれてしまい、前途洋々の大らかな気持ちで気の緩みが出たのだ。強くありたいと願って修業の為に外に出たのに、出た早々油断して妖怪に取り囲まれるとはなんたる不覚。幽々子に会わせる顔がない。
妖夢は唇を噛みしめ剣に手をかける。が、まだ抜かない。ここで抜いたらこっちから戦闘を仕掛けた事になる。流石に経験が生きる。
「通して下さい。私は争うつもりはありません!」
周囲に気を配りながら一番強そうな、声を掛けてきたボスらしき妖怪と正対して、戦う意志がない事を伝える妖夢。
「こっちも争うつもりはない。その得物さえ大人しく置いていけば何もしない。」
妖怪の要求は武器だった。こいつらは戦いを挑んできたのではなく数に物を言わせたただの強盗のようだ。
「この剣は私にとって宝、命より大切なもの。渡すわけにはいきません!」
毅然と拒否の態度を示す妖夢。
「ふっ、命より高い剣とはな・・・それともお前の命が安いのか・・・。」
妖夢の台詞を受けて鼻で笑うその妖怪。周囲の者達も一斉に笑いだす。
「何ぃ!」
安い命とあざ笑う簡単な挑発に乗ってしまった妖夢は思わず剣を抜いてしまう。
痩せ形の人型妖怪は一見すると体型的に人間にも見えるが、山嵐の様な棘状の頭髪で一目で人外と判断出来る。体格から腕力で勝負するタイプではないと判断出来、ならば飛び道具や策を弄するタイプとすぐに気が付かなければならないところだが、雑魚妖怪如きに策無しと見て油断する妖夢。
「抜いたな?この戦いは俺達の正当防衛だ!」
妖怪の切り返しで自分に非があると擦り付けられ一瞬狼狽える妖夢。その言葉に対する返しがすぐに見つからず、後は子供の喧嘩の台詞しか出てこない。
「そっちから先に仕掛けてきたのでしょう!」
「俺達はあくまで交渉を持ちかけただけだ。」
「そ、そんなの・・・詭弁だ!」
妖怪のふざけた態度にカッとなって斬りかかるがすぐに冷静になり、突撃がかわされる事を予め想定し、その突進スピードを利用して囲みを突破して逃げようと目論む妖夢。ここは逃げるが勝ちである。
「な!」
しかし、妖夢の思惑とは裏腹にその妖怪は妖夢の剣を避けようともせず、自ら剣に当たりに来る。最初から猛スピードで突進した妖夢はそれを止める事が出来ず、剣を引くも間に合わず高速の突きが妖怪の腹に深々と刺さり背中に貫通する。この時妖夢は肉や内蔵を突き刺す手応えが無かった事で、その妖怪の特異な体質をすぐに見破るべきところだが、そこまで看破する経験や能力は今の妖夢には無く、剣が体に刺されば相手は死ぬと単純な思考にかならず、殺してはまずいと、妖夢は慌てて剣を抜こうとする愚を犯す。
そんな妖夢の『しまった』という表情を見てニヤリとした妖怪は、棘の様な頭髪を妖夢の顔に向けて威嚇する。この棘に刺さると毒や麻痺など状態異常になるのではないかと、条件反射的にそれを嫌った妖夢は、棘を避ける為に突き刺したまますぐに抜けない剣をその手から離してしまう。
「よし!づらかれ!」
その時、剣を刺した妖怪の号令で他の妖怪達が蜘蛛の子を散らす様に四散するのを妖夢は呆気にとられて見入ってしまう。剣を腹に刺した棘頭の妖怪も真っ先に下に地上の森の木々の中に紛れ込む。
「え?え?ええええええ?」
妖夢はその状況を一瞬理解出来ず、ぽかんと口を開けて固まる。そして10秒程経って騙された事に気付く。
剣撃が聞かない特異な体質を利用して身体に刺さった剣だけを奪い去る弱小妖怪達のしようもない作戦にまんまと引っかかって、大事な宝物を盗まれてしまった妖夢。
あの頭髪の針も見せかけだけで毒も無く、そもそも棘に見えるだけで刺さりもしないかもしれない。
おかしいとは思ったのだ。強い妖怪の接近ならもっと早く気付いていたはず。弱すぎて逆に気付かなかったのだ。逃げる妖怪達の逃げっぷりも見事で、連中は戦いも知らない文字通りの雑魚だったのだ。
「やられた!」
下手に出て通してくれなどと言わず気迫で迫れば追い払えたのかも知れない。しかし、何を言っても後の祭りである。兎に角あの大事な剣を早く取り戻さなければならない。
「あいつは何処に?確か・・・向こうか!」
剣を腹に刺したままのあのハリネズミ頭の妖怪が逃げた方向を確認し妖夢は追跡を開始した。
取り敢えず剣を奪って逃げた妖怪の消えた辺りに着地した妖夢は木々の間に彼らの気配を探す。連中が単純な盗人妖怪なら追っ手を待ち伏せすることなどせず、すぐに安全な場所に逃げているだろう。恐らくこの近辺からは姿を消しているだろうと判断する妖夢。
相手は10人以上いたと言う事は彼らは一つの共同体として行動するグループで、どこかに必ず集合する筈である。盗賊団を形成しているなら、『何とか団』のように名前があり、妖怪の界隈ではそれなりに有名かもしれない。ここから一番近い妖怪の集落はマヨヒガであるが、あそこは結構強い妖怪がおり、こそ泥の様な弱い妖怪は危なくて近寄らないと思われる。まともな妖怪はこそ泥の類は嫌いなのだ。
「だとすれば・・・関所跡か。」
あの剣を彼らが自分達で使うとは思えない。盗んだ目的は売って酒代か何かにする為だろう。妖怪と人間双方向けの店が混在する関所跡なら盗品を売りさばくには便利な場所ではないだろうか?
「・・・でも。」
このまま関所跡に飛ぶのもいいが、念のために目と鼻の先のマヨヒガで情報を収集してから行った方が良いかもしれないと判断した妖夢は、まずマヨヒガに向かう事にした。
マヨヒガ。妖怪や妖獣など集落で、人間っ気が全くない純粋な妖の里である。妖物(あやかしもの)の越冬地としても知られ冬場はとても静かだが四季を通して沢山の妖怪が集まる場所である。
マヨヒガより西側は妖怪同士で縄張り争いをして年中戦いが絶えない場所で、幽明結界からもほど近いので、そんな妖怪達の祝勝会や慰労会の会場に白玉楼が選ばれる事多々である。ライバル同士、戦が終われば次の戦までは休戦し、ここで互いに称え合い次の戦への糧にするのだ。
無秩序な個人闘争から集団戦闘による陣取り合戦方式に戦いの様相が変わったのは、マヨヒガよりさらに西にある廃村、派閥から抜けた堕ち天狗が住まう『堕天の里』に逗留中の大天狗・大峯前鬼坊の勧めによるもので、時期を決めた集中的な陣取り合戦が単純な個々の優劣を決める戦闘ではなく策敵や伏兵など、強さの上下に関係なく状況に応じた様々な能力が必要とされ、様々な層の妖怪に幅広く広まって人気がでたのだ。
そうした現役の兵隊の様な猛者達が人間の里で大規模な傭兵募集を行っている事を聞きつけ、その情報収集の為にマヨヒガに参集し、元々いる妖怪も含めてかなり数に膨れあがっていたのである。
西側の妖怪は人間との関わりを持ちたくない者達ばかりで、傭兵募集の噂を聞きつけたものの直接出向く者は少数で、ほとんどの者は一旦マヨヒガか関所跡に駐屯している。傭兵を募集している妖酔乃瀧も里に大量の武装妖怪が来られてもまずいし、あまりこの事は大っぴらにしたくないので、人を派遣してマヨヒガと関所跡に出張所を設けて対応していた。
妖夢はそんないつもと様子が違うマヨヒガに足を踏み入れていた。
「何だろう・・・この人だかりは・・・。」
三賢者会議に参加した顔ぶれからして、妹紅や永遠亭に関わる異変が起こる事は想像していたが、小さな異変ではない事がこのマヨヒガの状況から伺えた。
「よう、庭師。こんなところに何の用だ?」
名前は知らないが見覚えのある妖怪に声を掛けられる妖夢。妖夢自身はあまりマヨヒガには行かないが、マヨヒガの妖怪は宴会と称してよく白玉楼を散らかしに来る。庭師の妖夢としては彼らは招かれざる客であり、来る妖怪にしても小うるさい妖夢は煙たい存在だった。幽々子がいなければひと騒動どころが血の雨が降ったかもしれないが、その幽々子の人柄のお陰か、妖夢の煩い小言も笑って済まされていた。
「あ、どうも・・・。」
「どうした?さすがにこっちじゃ、大人しくしてるか?」
ペコっと頭を下げて挨拶した口やかましい庭師の殊勝な態度に拍子抜けするその妖怪。妖夢が殊勝な態度に出るのは、所謂アウェーだからというわけではなく、先日の事件で心を入れ替えた所為である。
「どうしたんですか、これ?」
妖夢は苦笑いしながらいつもは静かなマヨヒガのこの喧騒を腰低く尋ねる。
「人間の里で傭兵を募集しているんだとよ。西側は今オフシーズンだからってんで手が空いてる奴が多くて興味があるらしいのさ。」
相手の腰が低いと妖怪は気が大きくなって饒舌になる。妖夢はそうした妖怪の習性を今初めて知る。
目の前の上半身が異様に大きく腕の長さが足の倍以上ある外見的特徴がハッキリしているこの妖怪は確かに見覚えがあるが、互いに自己紹介をしたわけではなく妖夢は彼の名前を知らない。向こうはこちらが白玉楼の庭師として宴会で庭を散らかす度に大声で怒鳴っていた自分の事を良く知っているようである。
友達ではないが顔見知りという事で向こうも馴れ馴れしく近付いてくるが、この状況なら剣を盗んだ犯人の情報をさりげなく聞き出せるのではないかと思い、さっそく聞いてみる。
「ところで、ハリネズミの様な頭の小柄な妖怪見ませんでした?もしかしたらお腹に剣が刺さってるかもしれないのですが・・・。」
剣が刺さってると聞いて、その妖怪は妖夢の腰の空の鞘を見る。
「おめーまさか・・・剣を盗られたのか?」
目聡い妖怪は妖夢の脈絡のない質問を不思議がり、主が留守にしている腰の鞘を見て妖夢の身に起こった災難を一瞬で言い当ててしまう。妖夢から見る妖怪達は、宴会で馬鹿騒ぎする間抜けな存在と、頭のどこかでそう見下していた。相手を過小評価していた妖夢は手痛いしっぺ返しを受ける事になる。
「ひ、平たくいえば・・・そう・・・です。」
それを聞いて腹を抱えて大笑いをし出すその妖怪。そしてそれを聞きつけて何人かが集まってくる。どれもこれも皆白玉楼に騒ぎに来る妖怪達で、名前は知らないが皆顔を知っている者ばかり。この場合、面識があるだけに余計に恥ずかしい。
妖夢は後悔した。自分では当たり障り無く他人事の様に言ってみたのだが、すぐに自分の事だとばれてしまった。集まった妖怪達の中心で赤面し下を向く。泣きたくなってくる。相手を見誤った自分の無能。つくづくである。穴があったら直ぐにでも潜り込みたい心境だ。
普段冷たくあしらっているにもかかわらず彼らは妖夢に対する態度はネガティブなものではなかった。妖夢はそれがなぜか理解出来ていた。この妖怪達はこちらをただの子供だと思って全く相手にしてなかったのだ。子供のする事に一々腹を立てる程妖怪の度量は小さくないのである。
妖夢の視点では子供と大人の扱いの違いという捉え方になるが、妖怪の視点では弱いか強いかの問題であまり年令は気にしていない。弱いほど良く吠えるの典型として彼らは妖夢を捉えていた。妖怪は弱者には寛大なのだ。
「なんだ、庭師じゃねーか。」
「おめー何昼間っから大声で笑ってるんだよ?」
「庭師がそんなに面白いのか?」
「あのこそ泥一味に剣を盗られたんだとよ。」
「庭師がか?」
小さくなった妖夢に一斉に視線が向く。一瞬の静寂と共に爆笑が沸き起こる。
「あの雑魚は確か剣が効かなかったな。それを知らずに刺したのか。」
「刺したら抜けばいいだろ?」
「びびって手を離したか?」
「ったく、それにしても、あいつら最近うぜーな、そろそろ締めとくか?」
「まぁ、奴等に盗られたなら、競売に出るだろうな。」
「競売?それはどこに?」
妖怪達の好き勝手な言葉の嵐の中にいくつか重要な情報が出た。あの連中はこの近辺でも煙たがられている盗賊団で、盗品は競売に流れるという。もはや自分を取り繕っても仕方がない妖夢は恥を忍んで競売について尋ねる。
「競売は川の方でやってる。人間の里じゃ盗品なんて取り扱わねーから、いかがわしい事は全部あそこだ。」
「盗品ってのは、盗った奴が直接競売にかけるわけじゃないわよ。仲介人が先に安く買い叩くのよ。」
「連中は足がつかないように速く手放してまとまった金が欲しい。仲介人はその盗人の弱みにつけ込んで安く買い叩く。そうした品々も含めてまとまった量になると競売を開いて一気に売りさばくのさ。」
「はぁ、なるほど・・・。」
詳しく親切に教えてくれる妖怪達を意外に思いながら世間の、強いては裏社会の仕組みを学ぶ妖夢。
「しかし、あれだな、時期が悪いな・・・。」
「ああ、確かに・・・。」
「え?それはどういうことですか?」
「今傭兵集めてるだろ?武具の需要が高まってる。あの剣は恐らく名刀だ。高値で取引されるぞ?」
「ああ!」
剣を取り戻す為には競売に掛けられる前、いや、仲介人の手に渡る前に何とかしなければならない。
妖夢は取り囲んでいる妖怪達を掻き分けて囲みから抜け、急いで飛び立とうとするが、そこで立ち止まって妖怪達に振り向き一礼した。
「あの・・・色々と教えてもらって、有難う御座いました!」
妖夢は振り向くとそう言って直ぐに飛び立った。
「・・・。」
それを受けて妖怪達は絶句して周囲の者と顔を見合わせる。
「おいおい、あの庭師、俺達に礼を言ったぞ?」
「どうしちまったんだ?」
「何か悪いものでも食ったんじゃないか?」
「こりゃー明日は雪だな。」
「いや、槍だろう?」
「天変地異の前触れか・・・。」
白玉楼で宴会をすることを良く思わず、いつもいつも小言を言ってわめき散らす小生意気な庭師の妖夢の思いもかけなかった謝意に面喰らう妖怪達。どこかむずがゆかったが、悪い気はしなかった。
その妖怪達はこれからも白玉楼で宴会をする事になるが、魂魄妖夢が小言を言う庭師として彼らの前に立つ事は以後無く、彼女の姿も当分の間白玉楼から消える事になる。
マヨヒガから飛び立った妖夢は、周辺の様子が明らかにおかしい事に気付く。傭兵を募集していると言っていたように武具などで武装した妖怪がマヨヒガ周辺で、何人かでまとまって訓練している。
「一体何が起こってるんだろう・・・。」
三賢者会議で話し合われた内容は分からないが、その事と今のこの状況に関連がある事は間違いないだろう。
しかし、今はそれを詮索している場合ではない。大恥をかいた代償に手に入れた手がかりである。有効に活用すべきである。
妖夢は全力スピードで低く飛翔し川縁の関所跡へ向かった。
魂魄妖夢が幻想郷の地理で最も詳しい場所と言えば、人間の里側の川縁の関所跡である。
関所跡は川そのものを関として利用していたので、川を挟んだ双方に施設が別れている。川を渡るための渡し舟は無く、これは里側の人間がこれより西側に行かせない為でもある。物資等の輸送に関しては空を跳べる妖怪がいるので特に不便はない。
妖夢がこの関所跡に地理があると言っても、他の場所に比べてであって、それも里まで行くのが面倒なのでここに寄るから比較的詳しくなっただけである。買い物をここで済ませる事が多く、特に飲食店の店員には顔がそこそこ効く。
主人である幽々子の為に酒のお使いに何度か来た事がある妖夢は、いつもとは事情が違うものの、いつも通りの表情で暖簾が出て無ければ酒場とわからない普通の家屋の様な酒場の戸口に立つ。
「いらっしゃい。」
昼間から開いているいつもお酒を買い出しに来る酒場の暖簾をくぐる妖夢。ちなみにこの酒場の主人は人間である。こちら岸の集落は里とは地続きの為人間も行商に来るし、ここに住みついて商売をしている人間も多いのである。
「こんにちわ。」
「いつものかい?」
「いえ、今日は・・・。」
言葉を濁した妖夢はそのまま店内に入り店主の立つカウンターの前に進む。昼間だけあって客はほとんどおらず、カウンターにつっぷして寝ている客が一人しかいない。他の客に聞かれずに情報を聞き出せるチャンスである。
「あの・・・ちょっと聞きたい事が・・・。」
「酒場で何か聞きたい事があるなら先ずは注文するのが筋ってもんさ。」
世間知らずの妖夢に酒場のルールを教える店主。
「あ、そうですね。すみません・・・じゃ、徳利1本を。」
「はいよ、毎度あり。」
向こうの世界では『御銚子一本』と頼むと徳利が1本が来ると以前に紫と幽々子が話して笑っていたのを横で聞いた事があるが、こちらの世界では御銚子を頼めば御銚子が来る。御銚子は主に接待の時などに使い一人や親しい仲間内で飲む時は普通は徳利で頼むの一般的である。
店主の目の前のカウンターに座ると、すぐに徳利と御猪口が出される。
「(うわ・・・私昼間からお酒飲もうとしてる・・・。)」
夕餉に主人の付き合いで嗜む程度にお酒を飲む妖夢は、花見などの宴会以外での日中の飲酒は不謹慎な事の様に思えて罪悪感を覚える。他人がしてても気にならないのに不思議なものである。
「で、なんだい?聞きたいことって。」
御猪口に口を付け落ち着かない様子で酒をすする妖夢を見て、逆に尋ね返す店主。妖夢は恥ずかしくてあまり言いたくはなかったが、順を追って今日の出来事を教え、盗賊団や競売について尋ねた。
「そりゃー災難だったなー。でも、ここじゃ盗まれる方も悪いで済まされる。自分で連中を見つけるか、競売で競り落とすしかないだろうな・・・。」
同情する表情を見せる店主ではあるが、妖夢の問題に首を突っ込んで親切のただ働きをする気は更々無い様子。しかし、この近辺を荒らす盗賊団については良く思って居らず、彼らの居場所は追加注文を要求されることなく向こうから教えてくれた。上手くいけば退治してもらえると考えたからだろう。
普段から人に親切にしたり真面目に働いていれば、こういう時に便宜を図ってもらえるのだろうかと考える、これまで与えられた事以外何もしてこなかった妖夢。
「競売はいつ頃やるんでしょうか?」
盗賊団のアジトらしき場所を教えて貰い、つまみを数点注文してささやかな恩を返す妖夢は、ついでに競売についても質問した。
「ここいらじゃ、何かするっていったら夕刻からだな。今日やるかどうかは知らんが・・・。」
「そうですか・・・。」
妖夢は気落ちして一度だけ口をつけただけの御猪口をカウンターに置き、今から酔ってはいられないので酒のかわりに食材が何か不明なつまみを口に放り込む。
「ちなみに競売所は里側で一番デカイ建物だからすぐにわかるさ。」
言われて直ぐに気付く妖夢。大きく立派な家なので見たくなくても目に入るあの建物だ。
「仲介人という人もそこに?」
「ああ、狡賢い小物だが、因幡てゐの後ろ盾があって好き放題やってる。」
妖夢はここで意外な人物の名を聞く。
「因幡てゐってあの悪戯兎?」
「あんたは何か悪戯でもされたのかい?」
「え?いいえ、特には・・・。」
「因幡てゐは人間の味方で妖怪の敵みたいな、里の慧音先生に近い存在だ。あんたはどっちか知らないが、俺達人間にはよくしてくれる。競売にしたって仲介人はともかくあの仕組みでいろんな奴が助かってる。世の中単純じゃない。」
悪戯兎などと迂闊に口にした妖夢に苦言を刺すように諭す店主。
妖夢はこれまで因幡てゐとは永遠亭で戦った事はあるが、これはどちらかというとこっちから向こうに攻め込んだものだし、それ以外では全てスペルカードによる弾幕戦闘である。考えてみると、悪戯兎という妖怪達の噂を鵜呑みにしてそう決めつけているだけで、自分は特に何かをされたわけではなかった。
「すみません・・・。」
「こっちも済まない、大人げなかったな・・・。」
素直に謝る妖夢に、店主も恥ずかしげに頭を掻いた。
対岸に飛んだ妖夢は、酒場の主人から教えられた盗賊団のアジトと思われる家を見つけて、躊躇無くその家の戸を叩いた。
評判の良い盗賊団があるのかどうか分からないが、周辺の話によれば妖夢を襲った連中の評判は悪く、彼らを懲らしめる大義名分は立つだろう。妖夢は強い意思を持って挑む決意をした。
何も言わずドンドンと間を置かず戸を連打されたので、中の住人は煩くてかなわず不機嫌そうに戸を開けた。しかし、戸口に立つ相手を見て驚いて飛び上がる。
戸が開いた瞬間に全開に戸を押し開き中に踏み込む妖夢。どこから見ても雑魚集団、怖いものなど一つもない。油断した自分が悪いとはいえ、こんな連中に大事な剣を盗られた事が許せず、自分も相手も滅茶苦茶にしてやりたい衝動に駆られる。
その妖夢の恐ろしい気迫に完全にびびった妖怪達は、壁側に下がって少しでも妖夢から離れようとする。剣を腹に刺して逃走したこの集団のボスらしき者も酒を煽っていた欠けた杯を落とし、腰を落としたまま後ろに足を蹴って悲鳴を上げて下がる。
完全に油断して逃げ遅れたそのハリネズミ頭の妖怪は突進して間合いを詰めた妖夢に胸ぐらを掴まれて完全に降参の姿勢を取る。
「わ、わわ悪かったよ!」
「剣はどこですか?」
「剣?そ、そんなのあったっけ?」
とぼける妖怪に顔を近づけ凄い剣幕で睨む妖夢。
「あ、ああ!あの剣か!でもあれはお前が俺の腹に刺したんだろ?」
「剣はもう一本あります。これでその首を切り落としましょうか?流石に首と胴が離れればあなたも死ぬでしょう?」
「ま、待ってくれ!殺さないでくれ!お、お前等も謝れ!」
周りにいる子分達に謝るように促すが、怖じ気づいた子分達はじりじりと後ろに下がりだし、一人が妖夢の開け放った戸から逃げると堰を切った様に次々と他の子分も家から逃げ出して行く。
「いい仲間を持って良かったですね。本当の友達なら絶対逃げたりはしないでしょうけど・・・。」
本当の友達など妖夢にもいない。本当の友達とはどんなものなのだろうと自問しながら妖怪に迫る。
「剣はどこですか?」
「剣はもう売った!」
「誰に?」
「競売の仲介人だ。直ぐに現金にしてくれるから・・・。」
「いくらで売ったのですか?」
「300文だ。」
「さ、300文?た、たったそれだけですか?」
妖夢は唖然とした。1000文=1貫で、兎丼が8文、鰻丼で17文、徳利1本で7文程度である。300文なら酒代としてはそこそこの額になるが、剣一本と釣り合う値段ではない。
妖夢は怒りに震える。自分の命とも言える剣が300文で売られ、その銭で酒を手に入れ酒盛りをしているのだ。これが怒れずにいられるだろうか?
「許せない・・・。」
妖夢はナワナワと肩を震わせ白楼剣を抜き妖怪の腹に突き刺す。普通なら死ぬ一撃だが、この妖怪が剣が効かない特殊な妖怪だということを知った上での攻撃である。
妖夢は純粋な怒りが込められた復讐の剣を振るった。相手を殺す覚悟でやった。不死人狩りで妹紅を斬り、先日は八意永琳を斬った。幽々子に人殺しと罵られた。もう人を斬る事にためらいはなかった。幽々子の保護から離れ、独り身となったからには斬られる覚悟は出来ている。だからこそ斬る資格がある。
「この剣は迷いを絶つ剣です。あなたがもし、今の境遇に満足しておらず今の自分に迷っているならその迷いも無くなるでしょう。純然たる悪に染まるか、その逆か・・・。」
白楼剣は実体の希薄な幽霊特攻の武器で、この世に未練を残す幽霊を斬って強制的に成仏させてしまうために、別名『迷いを絶つ剣』などと呼ばれている。
殺傷力のある実剣の楼観剣とは違い、白楼剣は殺傷力の無い霊剣で、妖夢は実際にこの剣で人を斬った事がなく、その真偽は定かではなかった。
妖夢が妖怪に対して迷いを絶つと高言したが、これは実際にそうなる事を想定したというよりは、復讐と同時に二度と自分に近付かないようにするための脅しでもあった。しかし、白楼剣で腹を貫かれた妖怪は楼観剣を腹に刺した時とは違い、かなり苦しそうに悶えている。実剣に対して無効でも霊剣は効くようだ。妖夢は実剣の効かない相手に対して白楼剣が有効な武器になることを学んだ。
苦しそうにもがく妖怪から白楼剣を抜いた妖夢は、剣を抜かれて少し楽になったようにしている妖怪に背を向けて隠れ家の外に出た。これで少なくとも自分に絡んでくる事は無くなるだろう。
「次は競売か・・・。」
酒場の主人の話によれば競売は不定期開催だが、時間は人間も妖怪も活動時間が重なる夕刻に行われるのが決まりらしい。妖夢が幻想郷に出たのは、小町に昼食をご馳走した後白玉楼で幽々子と会ってからで、妖怪に剣を盗まれて追跡の為にマヨヒガから関所跡に移動したのでかなり時間が経っている。陽もだいぶ傾きかけて来たがまだ日没にはまだ少し時間がある。今なら競売にかけられる前に何とか出来るかもしれない。
妖夢は朱に染まり始めた幻想郷の空に向かって飛翔し、仲介人に会いに再び人間の里側の対岸に移動した。
「あの家か・・・。」
酒場の主人に言われた通り一番大きな屋敷は、探すまでもなく直ぐに見つかる。ここに来るといつも目についたあの家が、仲介人の家、そして競売所の会場でもあるのだ。
夕方になり、妖怪の数も次第に増え出す小さな集落。妖夢は足早にその屋敷に向かい門番に要件を伝える。盗品を返して欲しいと言っても恐らく門前払いを受けると妖夢でも容易に想像できたので、盗品の鞘を持っていると伝える。剣と鞘がセットになれば価値は上がるだろうし、そうなれば断る理由はないだろう。
要件を屋敷の中の仲介人に知らせに言った門番は、一人の小柄な妖怪と思しき人物と共に屋敷の外に出てくる。この者が仲介人だろうか?
「ほほー、あの剣の鞘とな?どれ本当かどうか試してみろ!」
小さな妖夢の胸の高さにも満たないその小柄で痩せ形の妖怪は、神経質でがめつい顔付きをしており、見るからに小悪党といった風貌である。衣服は非常に立派で指や腕にいくつもの貴石をあしらった貴金属製の輪をはめている。派手好きで財力を誇示したい性分が伺えた。
門番が楼観剣を持っている事に気付き、奪い取りたい衝動にかられるも、その門番の隙のない挙動に、門番など警護にあたる者は斯くあるべきなのだろうと同じ門番である自分の未熟さを痛感する妖夢。
妖夢から鞘を受け取った門番は、楼観剣をその鞘に収める。そしてそれがピタリとはまり装飾の統一感などから本物とわかると、主である仲介人と思しき小柄な人物にそれを渡す。受け取った小柄な男は嬉しそうに剣を少し抜いて満足げに眺める。妖夢はここで、この楼観剣は自分の宝物で盗まれたものだから返して欲しいと訴えに出る。
「これは競売の仲介人たる私が適切な金額で買ったものだ。それにだいたいこの剣がお前のものと証明出来るか?その鞘とて拾ったものだろう?嘘はもっと上手くうけ!このたわけめ!」
甲高い声でピーピーとわめき散らす仲介人。妖夢も負けじと反論する。
「適切な金額?300文が適切な額と言うのですか?なら私も300文でそれを買取ます。」
盗んだ連中の事情を知っている事を暗に教える妖夢。しかし、その程度でこの強欲な仲介人は動かない。
「ばかめ!仕入れ値と売値は違うのだ。安く仕入れて高く売る。商売の基本もわからぬのか!」
「ならいくらで売るつもりですか?」
「それを今から競って決めるのだ。」
仲介人の言は最もで反論出来ない。
「では、その鞘返してください。むき身の剣など置き場所もなく、二束三文にしかならないでしょうし・・・。」
実際問題として、片刃の細身の長剣である楼観剣は非常に折れやすく、刀身の再生機能が備わっている鞘はこの剣にとって無くてはならない存在なのである。剣よりもむしろ鞘にこそ価値があるのだ。
「うぐ・・・。」
実際に武器として使う以外にも装飾品としての価値もある楼観剣は、保護管理維持の点から考えても鞘は必須であり、鞘が見つかったと門番から聞いて喜び勇んで自ら出向いた程に剣と鞘のセットは商品として重要だった。
しばし剣と鞘を握っていた仲介人は、何かを決意して神妙な顔で妖夢に商談を持ちかける。
「この剣は3貫文から競りを始めようと思っていた。恐らく武装妖怪共に買われると思うが、連中は今オフシーズンで金がない。競ってもせいぜい10貫文がいいとこだ。」
「・・・。」
10貫文と聞いて妖夢はそれでも安すぎると思う反面、手持ちの銭で何とかなる金額だと計算する。
白玉楼の俸禄はそれなりに良く、銭の使い道のない散財しない妖夢は禄のほとんど貯め込んでいた。その貯金と幽々子からの餞別で貰った分を合わせると30貫文ほどが今手許にあるのだ。
「もし、その鞘を貸して貰えるなら、あんたが競り落とした時、支払時に3割値引いてやるがどうだ?」
支払の算段が付き添うな考え込む妖夢の表情を見て、仲介人は妙な交渉を持ちかけてくる。妖夢はこの時、自分が競り落とすことを前提で物事を考えてしまっており3割引きはお得だという誘惑に正しい判断力が低下する。自分が競り落とせなかった時の事は考えずに、盗品を競りにかける仲介人のせめてもの情けと都合良く受け取ってしまったのである。
「わかりました。これは一時お預けします。」
それを受けて、内心歓喜した仲介人は表情はさも有り難そうに振る舞い、競売の会場と時刻を知らせて門番と一緒に屋敷に入った。しかし、これは競売として不正な裏取引であり、ある意味悪魔との契約である。
「馬鹿め!あの小娘まんまとかかりおった!」
「お見事でした。しかし、こうも簡単に引っ掛かるとは・・・。」
「いいな!手筈通りお前は値を釣り上げろ。50貫文までいけるはずだ!」
「わかりました。あの娘には世間というものを教えてやりましょう。」
「くっくっく・・・あの小娘の青くなった顔が見物だ。」
そんな意気揚々と走り去る妖夢を窓越しに見て仲介人はほくそ笑み屋敷の奥に戻った。
そして、そんな妖夢を茂みの向こうから見るもう一つの存在がいた。
「(ふむ・・・しようがない、妹紅の頼みだ。助けてやるかの・・・。それに、あの馬鹿、やってはならぬことをしたな・・・。)」
仲介人の大きな屋敷の大部屋に面した中庭のような広い場所が競売の会場である。
会場には大勢の人妖が集まりプリズムリバー三姉妹の演奏がその喧騒を煽るなか、開場時間の午後6時が訪れる。
酒場に戻って腹ごしらえをした妖夢も会場に訪れ、競りに参加する旨を受け付けに伝えると参加者用の別室に案内され、今日出品される品々の下見をさせてもらう。その後、屋敷の中庭の参加者専用の椅子のある席に案内される。
庭より一段高い屋敷の縁側に主催者側おり、その様子からあの仲介人が司会進行などもやるようだ。先程より派手な衣装を身に纏っている。
開催時間は参加者の入り具合を見て決まるが、既に参加者が大勢席に座っており、見物客で広場全体が一杯になっている。
今回の競売は武器関連が多く、それを目当てに傭兵志望の妖怪達が周辺から集まっている。珍品や実用品などに集まる面々とは明らかに異なった顔ぶれで、妖夢は場違いな所に来てしまったのではないかと不安になる。
そう言えば時々幽々子がここに来て競りを見たり参加していたことを思い出す。妖夢は全く無関心だったので、幽々子をここに置いてどこかで暇を潰していた。今日の様な事もあり、何ごとも経験と幽々子と共に参加していれば、仲介人とも面識が得られて便宜を図ってもらえたかもしれないが、全ては後の祭りである。
妖夢の隣の空いている席に人型の妖怪か人間らしき男が座り、一瞬目が合う。どこかで会った様な気がしてこの時、白玉楼に宴会に来る妖怪の一人と思い、『どうも』とだけ言って首を少し曲げる。
会場の席がほとんど埋まると、何の前触れも無く仲介人が縁側の上に置いた台に乗って競売の開催を宣言し、プリズムリバー三姉妹の次女の奏でるファンファーレを合図に唐突に競りが始まった。
様々な武器が競りにかけられるがどれも小幅な値動きで激しく競り合うような盛り上がるシーンは無く、淡々と競りが進む。妖夢はこの調子なら楽に落札出来るだろうと気持ちを楽にする。しかし、妖夢は知らなかった。競りに参加した者達大勢の狙いが楼観剣であることを・・・。
数点の競りが順調に進み、やがて最後の出品物である楼観剣が会場に姿を見せると、静かなどよめきと共に張り詰めた緊張感が走る。
妖夢はついにこの時が来たと生唾を呑んで体を強張らせる。
「近年では見られない最高の出物がここに御座います。今日を逃したら二度と手にする機会はないでしょう!」
楼観剣をそう讃える仲介人が会場の武人達を煽る。妖夢としては楼観剣を評価してくれるのは嬉しいが、あまり凄いものと煽られるとライバルが増えてしまいそうで複雑な気分である。
騙されている事に気が付いていない妖夢は、この期に及んでも仲介人との裏取引がそのまま現実になると思い込んでいた。しかし、現実はそんなに甘くはなかった。妖夢はそれをすぐに思い知らされる。
「では、10貫文から、レートは1貫文で始めます!」
妖夢は目が点になった。話が違うではないか!妖夢は抗議の声を上げようとしたが、周囲から興奮した怒号の様な入札の声が鳴り響き、その熱気に圧倒され怖気づいて引き下がる。
あっと言う間に20貫文に達した自分の剣は、それだけ高く評価されている事を意味しており、鼻が高いがこのままでは他人に落札されてしまうので喜んでいる場合ではない。
ここで、話が違うと乗り込んで仲介人に問い詰め、競売そのものを止めさせる手もあるが、向こうはこちらを完全にはめる気で取り合わないだろうし、公平でなければならない競売で、裏取引に応じてしまった事を公言したようなもので、咎めを受けるのは自分なのである。仲介人も悪いがそれに荷担して騙された自分はもっと間抜けではないか。
「21!」
妖夢は腹をくくって競売に参加し、21貫文と叫ぶ。しかし、隣の男が一気に値段を上げる。
「30」
妖夢の出せるギリギリの値段に一気に跳ね上がり妖夢は驚愕する。その値を釣り上げた男はこちらを見下ろしニヤリと笑う。どこかで見たような、向こうはこちらを知っているような雰囲気だ。
「(誰だ?ま、まさか・・・)」
先程仲介人と一緒にいた門番だ。あの時は兜を被って顔が全部見えなかったが顎のラインに見覚えがあった。この男は競売の雰囲気を見ながら参加者の懐具合を予測し、競売の値を操作する役目を果たしているのだ。
「31!」
「33!」
「35!」
「37!」
「40!」
レートが1貫文から自然と上がっていき、すぐに妖夢には手が出せない金額になった。
「負けた・・・。」
妖夢はぽつりと呟いた。それは単に競売に負けたという事ではなく、幻想郷という社会に負けたという意味だった。甘かった。剣の腕には多少の自身があったし、勉学もそこそこ出来る。上手く幻想郷に順応して順調に修業に励めると信じて疑わなかった。
しかし現実はこうだ。他者を貶める様々な悪意が常にどこかで蠢いており、それから身を守っていかなければ幻想郷という社会で独り立ちできないのだ。
がっくりと肩を落とした妖夢。既に値は50貫文に迫ろうとしている。自分の分身ともいえる千年連れ添った剣が今無常にも他人に売られようとしていた。妖夢の中にどす黒い感情が芽生える。復讐してやる。こいつらを全員皆殺しにしてやる・・・と。
だが、その時ふと目を上げると、自分の膝に肘をついて頬杖してこちらを見ているつぶらな瞳に気付き、心を見透かされたと思いハッとなって黒い感情を追い払う。
「因幡・・・てゐ?」
それは妖夢も知っている顔だった。
満面の作り笑いで妖夢を見上げると、背を向けてそのまま後ろに跳んで妖夢の膝に乗る。背の低い妖夢より更に一段背が低い無茶な事をするてゐを思わず膝に抱える妖夢。バランスが崩れるとついそれを安定させようとしてしまう。
端から見ると仲の良い親密な関係に見えるが、妖夢は幽々子と共に永遠亭の調査に入りてゐ等永遠亭の面々と戦っている。不死人である八意永琳と蓬莱山輝夜は幽々子の天敵でもあり、妖夢としては妹紅も含めて彼女達を敵と認識していた。その子分でもあるてゐもまた敵であり、正直てゐのこの行動の意味を全く理解出来ず妖夢は戸惑っていた。
「50貫文!」
となりの門番が50貫文まで値を釣り上げ、周囲にどよめきが起こる。参加した妖怪達はここで仲間内でいくらまで都合が付けられるかなど、ヒソヒソと打ち合わせを始めている。恐らくここからは小さな値動きで推移するだろう。
懐事情のさぐり合いに入り、仲介人も様子を見ながら敢えて急かせずに様子を見守る。ここで誰かが一気に値を上げると勝ち目なしと見て周囲が手を引いてしまう可能性もある。主催側とグルである門番は50まで一気に上げたあとはレートを戻して小幅に対応し、相手の様子を見ている。
足をばたばたさせて競売の様子を見ているてゐを抱きかかえながら、妖夢は周囲の状況を冷静に見る事が出来るようになっていた自分に気付く。
一つの事に集中するあまり周囲が見れなくなる。そしてそこをつけ込まれる。全体を見ながら自分を顧みて客観的に状況を見ていれば、そもそも剣を盗られる事も無く、今ここに座って茶番に付き合う必要もなかった。全ては今更だが、幽々子の言いつけ通り妹紅を通していれば、紫の計略にはまる事もなく、今という時は存在していないはずなのだ。
妖夢の予想通りレートは1貫文に戻り小幅な値動きで、競りの声も2名だけになった。レートを釣り上げた門番は既に手を引いたようだ。後はこの2名、いやこの2名の後ろ盾のグループの財力勝負であり、その駆け引きは見物といえる。
久々の面白い競売に参加者以外の野次馬も熱気を帯び、この勝負で賭けに興じ始めている集団もいる。妖夢はそれも仲介人らの一味が煽ってやってることだろうと冷めた目で見る。感情がかさ付いて、何事も悪い方向にしか考えられない。ここにいる全ての者が不幸になれと心底そう思い念じる。
そんな妖夢に変調が見える。
妖夢は大きな敗北感に呼吸が自然に出来ない状態になっていた。意識して息を吸い、そして吐いていた。悔しさも悲しさも通り過ぎて涙も出なかった。何も考えられなくなっていた。世界中の全てが敵になったような凄まじい孤独感が妖夢を襲った。しかし、そんな妖夢をかろうじて現実に引きとめ、救ってくれた者がいた。
膝の上の邪魔な妖怪兎、因幡てゐだ。
何かに触れている、触れられているという事が安心に繋がり、なんとか平静を保つ支えになっていた。
安心した妖夢はいつの間にかてゐをぎゅっと強く抱きしめ啜り泣いていた。
「(剣の事は諦めよう。今日の事を戒めにして二度とこんな惨めな目に遭わない糧としよう・・・でも・・・。)」
千年連れ添った分身とも言える大切な剣である。簡単に諦められるものではない。
妖夢は落札される瞬間を見届けたいと思うものの、それを見てしまうと完全に自分の物では無くなるという事実を受け入れる事にもつながり、それを恐れた妖夢はこの場を立ち去り、そして、いつまでも『無くし物』としておきたい衝動に駆られる。そうすればいつまでも希望が持てる。
しかし、次の瞬間その考えが虚しく、無様な事に気付く。
現実を受け入れるか受け入れないかは別として、どちらにせよこの場所から一刻も早く抜け出してどこか遠くに行きたいと思う妖夢。
その一方で、膝の上に座って梃子でも動きそうにない不貞不貞しい態度の兎を置いて、このまま立ち上がったら、自分の心が砕け散ってしまいそうな不安が襲う。てゐから伝わってくる命の温もりが、妖夢の心のバランスを取っているのだ。妖夢はそれに気付いていた。
しかし、妖夢の心はそれで保たれていても体はそうはいかない。
胃が痛くなり、先程食べた物が戻って出てきそうな嘔吐感が押し寄せてくる。ストレスで心だけでなく内臓もおかしくなっているようだ。
妖夢は自分ではどうすることもできない感情の底なし沼に嵌ってもがき苦しんでいた。
そして、そんな妖夢を置き去りにするように、無常にも競売は進行していく。仲介人の思惑通り、とても順調に・・・。
小高い山の頂上にある幽明結界を出てそのまま高度を上げて東に飛ぶと、マヨヒガ、川縁の関所跡、そして人間の里がほぼ直線上に見える。
魂魄妖夢はその幽明結界を出て東方を望み、希望に満ちた前途を疑っていなかった。
「・・・先ずは妹紅さんに会って謝らなくては・・・。」
妖夢にとっての気掛かりは、やはり藤原妹紅であり、非礼に対するお詫びと助命に対する感謝から全てが始まるのだと考えている。
それから、不死人狩りの時の無礼も詫びたいし、今回の件で八意永琳に助命の根回しをした理由も知りたい。兎に角ちゃんと向き合って話したい、一刻も早く藤原妹紅に会いたいと思う妖夢である。
妖夢の主人は退屈と共に毎日を過ごしている為、その暇つぶしの付き添いで妖夢もまた幻想郷に訪れる。幻想郷に一人で来る時は幽々子が公務で身動き出来ない時などで、幻想郷に友人らしい友人がなく、更に主人から解放された事を喜び羽根を伸ばして遊び回る様な甲斐性もない妖夢としては、幻想郷に長居する理由もないので用事が済めば真っ直ぐ冥界に帰るだけだった。
考えてみると、自分の用事で幻想郷に一人で来る事は初めてかもしれない。
左斜め前方に見えるマヨヒガは博麗の里が『人間の里』と呼ばれるのに対して『妖怪の里』とも呼ばれている妖怪達の住処で、変温体質の妖獣や冬季に活動が鈍化する妖怪の越冬地としても知られている。
川縁の関所跡は人間の里と妖怪の里のほぼ中間に位置し、川を挟んで人間と妖怪が交易を行う中継基地となっている。里まで行かなくてもここで要りような物は充分賄える事もあり、妖夢は人間の里よりも関所跡の方に来る頻度が高い。ちなみにマヨヒガは妖怪しかおらず幽々子が欲しい物は販売していないので妖夢としても訪れる理由があまりなく馴染みがない。
マヨヒガより北と西は妖怪同士や天狗らといざこざが絶えない場所だが、マヨヒガより以東は比較的静かな場所である。しかし最近、人間の里で傭兵を募集している噂が関所跡やマヨヒガ以西まで伝わってしまい、西の荒くれ武闘派妖怪達が傭兵の話しに興味を示し、マヨヒガや関所跡に情報収集の為に一時的に駐屯したり、単身里に出向いて五人組を作って来るように門前払いを喰らって出戻り、仲間探しの為に停頓する者、更に野次馬や行商、それに群がる物乞いやこそ泥なども集まり、妖怪の数が平時の倍以上に膨れ上がっていたのである。
そうした幻想郷の情勢を知らない、知ろうともしなかった冥界の住人である魂魄妖夢は、幽々子と別れた後幽明結界を出て取り敢えず妹紅に詫びをしようと思い、彼女が居そうな竹林に向かおうとしていた。
「ちょっと待ちな!お嬢ちゃん!」
魂魄妖夢は幽明結界を出た後、真っ直ぐ東進して竹林に向かう途中、丁度左手にマヨヒガの建物群を見る位置に来た時、不意に妖怪の集団に取り囲まれてしまった。
「!」
数は12人程、どれも小柄で単独ならそれほど恐ろしい相手ではないと感じる。しかし12人ともなると状況は大きく違う。妖夢は警戒しながら様子を窺った。
スペルカードルールによる幻想郷の住人同士の決闘は一対一が原則であるが、西側の妖怪にはスペルカードは浸透しておらず、むしろ女子供の遊びとして軽蔑している感もあり、この状況はスペルカード戦を挑まれたわけではなく、明らかにこちらを害そうとする意図の待ち伏せだろうと思われる。
「(しまった!これだけの妖怪に囲まれている事に気付かないなんて・・・。)」
気配を消して忍び寄るなど妖怪の十八番の様なものだが、妖夢レベルなら余程の隠密性を持つ強者でもなければ接近に気が付かない事はない。そして、気付く気付かない以前の問題として、発見されやすい高度のまま迂闊に飛んでしまった自分自身の浅はかさである。幽々子に送り出され後顧の憂いが無くなった事で浮かれてしまい、前途洋々の大らかな気持ちで気の緩みが出たのだ。強くありたいと願って修業の為に外に出たのに、出た早々油断して妖怪に取り囲まれるとはなんたる不覚。幽々子に会わせる顔がない。
妖夢は唇を噛みしめ剣に手をかける。が、まだ抜かない。ここで抜いたらこっちから戦闘を仕掛けた事になる。流石に経験が生きる。
「通して下さい。私は争うつもりはありません!」
周囲に気を配りながら一番強そうな、声を掛けてきたボスらしき妖怪と正対して、戦う意志がない事を伝える妖夢。
「こっちも争うつもりはない。その得物さえ大人しく置いていけば何もしない。」
妖怪の要求は武器だった。こいつらは戦いを挑んできたのではなく数に物を言わせたただの強盗のようだ。
「この剣は私にとって宝、命より大切なもの。渡すわけにはいきません!」
毅然と拒否の態度を示す妖夢。
「ふっ、命より高い剣とはな・・・それともお前の命が安いのか・・・。」
妖夢の台詞を受けて鼻で笑うその妖怪。周囲の者達も一斉に笑いだす。
「何ぃ!」
安い命とあざ笑う簡単な挑発に乗ってしまった妖夢は思わず剣を抜いてしまう。
痩せ形の人型妖怪は一見すると体型的に人間にも見えるが、山嵐の様な棘状の頭髪で一目で人外と判断出来る。体格から腕力で勝負するタイプではないと判断出来、ならば飛び道具や策を弄するタイプとすぐに気が付かなければならないところだが、雑魚妖怪如きに策無しと見て油断する妖夢。
「抜いたな?この戦いは俺達の正当防衛だ!」
妖怪の切り返しで自分に非があると擦り付けられ一瞬狼狽える妖夢。その言葉に対する返しがすぐに見つからず、後は子供の喧嘩の台詞しか出てこない。
「そっちから先に仕掛けてきたのでしょう!」
「俺達はあくまで交渉を持ちかけただけだ。」
「そ、そんなの・・・詭弁だ!」
妖怪のふざけた態度にカッとなって斬りかかるがすぐに冷静になり、突撃がかわされる事を予め想定し、その突進スピードを利用して囲みを突破して逃げようと目論む妖夢。ここは逃げるが勝ちである。
「な!」
しかし、妖夢の思惑とは裏腹にその妖怪は妖夢の剣を避けようともせず、自ら剣に当たりに来る。最初から猛スピードで突進した妖夢はそれを止める事が出来ず、剣を引くも間に合わず高速の突きが妖怪の腹に深々と刺さり背中に貫通する。この時妖夢は肉や内蔵を突き刺す手応えが無かった事で、その妖怪の特異な体質をすぐに見破るべきところだが、そこまで看破する経験や能力は今の妖夢には無く、剣が体に刺されば相手は死ぬと単純な思考にかならず、殺してはまずいと、妖夢は慌てて剣を抜こうとする愚を犯す。
そんな妖夢の『しまった』という表情を見てニヤリとした妖怪は、棘の様な頭髪を妖夢の顔に向けて威嚇する。この棘に刺さると毒や麻痺など状態異常になるのではないかと、条件反射的にそれを嫌った妖夢は、棘を避ける為に突き刺したまますぐに抜けない剣をその手から離してしまう。
「よし!づらかれ!」
その時、剣を刺した妖怪の号令で他の妖怪達が蜘蛛の子を散らす様に四散するのを妖夢は呆気にとられて見入ってしまう。剣を腹に刺した棘頭の妖怪も真っ先に下に地上の森の木々の中に紛れ込む。
「え?え?ええええええ?」
妖夢はその状況を一瞬理解出来ず、ぽかんと口を開けて固まる。そして10秒程経って騙された事に気付く。
剣撃が聞かない特異な体質を利用して身体に刺さった剣だけを奪い去る弱小妖怪達のしようもない作戦にまんまと引っかかって、大事な宝物を盗まれてしまった妖夢。
あの頭髪の針も見せかけだけで毒も無く、そもそも棘に見えるだけで刺さりもしないかもしれない。
おかしいとは思ったのだ。強い妖怪の接近ならもっと早く気付いていたはず。弱すぎて逆に気付かなかったのだ。逃げる妖怪達の逃げっぷりも見事で、連中は戦いも知らない文字通りの雑魚だったのだ。
「やられた!」
下手に出て通してくれなどと言わず気迫で迫れば追い払えたのかも知れない。しかし、何を言っても後の祭りである。兎に角あの大事な剣を早く取り戻さなければならない。
「あいつは何処に?確か・・・向こうか!」
剣を腹に刺したままのあのハリネズミ頭の妖怪が逃げた方向を確認し妖夢は追跡を開始した。
取り敢えず剣を奪って逃げた妖怪の消えた辺りに着地した妖夢は木々の間に彼らの気配を探す。連中が単純な盗人妖怪なら追っ手を待ち伏せすることなどせず、すぐに安全な場所に逃げているだろう。恐らくこの近辺からは姿を消しているだろうと判断する妖夢。
相手は10人以上いたと言う事は彼らは一つの共同体として行動するグループで、どこかに必ず集合する筈である。盗賊団を形成しているなら、『何とか団』のように名前があり、妖怪の界隈ではそれなりに有名かもしれない。ここから一番近い妖怪の集落はマヨヒガであるが、あそこは結構強い妖怪がおり、こそ泥の様な弱い妖怪は危なくて近寄らないと思われる。まともな妖怪はこそ泥の類は嫌いなのだ。
「だとすれば・・・関所跡か。」
あの剣を彼らが自分達で使うとは思えない。盗んだ目的は売って酒代か何かにする為だろう。妖怪と人間双方向けの店が混在する関所跡なら盗品を売りさばくには便利な場所ではないだろうか?
「・・・でも。」
このまま関所跡に飛ぶのもいいが、念のために目と鼻の先のマヨヒガで情報を収集してから行った方が良いかもしれないと判断した妖夢は、まずマヨヒガに向かう事にした。
マヨヒガ。妖怪や妖獣など集落で、人間っ気が全くない純粋な妖の里である。妖物(あやかしもの)の越冬地としても知られ冬場はとても静かだが四季を通して沢山の妖怪が集まる場所である。
マヨヒガより西側は妖怪同士で縄張り争いをして年中戦いが絶えない場所で、幽明結界からもほど近いので、そんな妖怪達の祝勝会や慰労会の会場に白玉楼が選ばれる事多々である。ライバル同士、戦が終われば次の戦までは休戦し、ここで互いに称え合い次の戦への糧にするのだ。
無秩序な個人闘争から集団戦闘による陣取り合戦方式に戦いの様相が変わったのは、マヨヒガよりさらに西にある廃村、派閥から抜けた堕ち天狗が住まう『堕天の里』に逗留中の大天狗・大峯前鬼坊の勧めによるもので、時期を決めた集中的な陣取り合戦が単純な個々の優劣を決める戦闘ではなく策敵や伏兵など、強さの上下に関係なく状況に応じた様々な能力が必要とされ、様々な層の妖怪に幅広く広まって人気がでたのだ。
そうした現役の兵隊の様な猛者達が人間の里で大規模な傭兵募集を行っている事を聞きつけ、その情報収集の為にマヨヒガに参集し、元々いる妖怪も含めてかなり数に膨れあがっていたのである。
西側の妖怪は人間との関わりを持ちたくない者達ばかりで、傭兵募集の噂を聞きつけたものの直接出向く者は少数で、ほとんどの者は一旦マヨヒガか関所跡に駐屯している。傭兵を募集している妖酔乃瀧も里に大量の武装妖怪が来られてもまずいし、あまりこの事は大っぴらにしたくないので、人を派遣してマヨヒガと関所跡に出張所を設けて対応していた。
妖夢はそんないつもと様子が違うマヨヒガに足を踏み入れていた。
「何だろう・・・この人だかりは・・・。」
三賢者会議に参加した顔ぶれからして、妹紅や永遠亭に関わる異変が起こる事は想像していたが、小さな異変ではない事がこのマヨヒガの状況から伺えた。
「よう、庭師。こんなところに何の用だ?」
名前は知らないが見覚えのある妖怪に声を掛けられる妖夢。妖夢自身はあまりマヨヒガには行かないが、マヨヒガの妖怪は宴会と称してよく白玉楼を散らかしに来る。庭師の妖夢としては彼らは招かれざる客であり、来る妖怪にしても小うるさい妖夢は煙たい存在だった。幽々子がいなければひと騒動どころが血の雨が降ったかもしれないが、その幽々子の人柄のお陰か、妖夢の煩い小言も笑って済まされていた。
「あ、どうも・・・。」
「どうした?さすがにこっちじゃ、大人しくしてるか?」
ペコっと頭を下げて挨拶した口やかましい庭師の殊勝な態度に拍子抜けするその妖怪。妖夢が殊勝な態度に出るのは、所謂アウェーだからというわけではなく、先日の事件で心を入れ替えた所為である。
「どうしたんですか、これ?」
妖夢は苦笑いしながらいつもは静かなマヨヒガのこの喧騒を腰低く尋ねる。
「人間の里で傭兵を募集しているんだとよ。西側は今オフシーズンだからってんで手が空いてる奴が多くて興味があるらしいのさ。」
相手の腰が低いと妖怪は気が大きくなって饒舌になる。妖夢はそうした妖怪の習性を今初めて知る。
目の前の上半身が異様に大きく腕の長さが足の倍以上ある外見的特徴がハッキリしているこの妖怪は確かに見覚えがあるが、互いに自己紹介をしたわけではなく妖夢は彼の名前を知らない。向こうはこちらが白玉楼の庭師として宴会で庭を散らかす度に大声で怒鳴っていた自分の事を良く知っているようである。
友達ではないが顔見知りという事で向こうも馴れ馴れしく近付いてくるが、この状況なら剣を盗んだ犯人の情報をさりげなく聞き出せるのではないかと思い、さっそく聞いてみる。
「ところで、ハリネズミの様な頭の小柄な妖怪見ませんでした?もしかしたらお腹に剣が刺さってるかもしれないのですが・・・。」
剣が刺さってると聞いて、その妖怪は妖夢の腰の空の鞘を見る。
「おめーまさか・・・剣を盗られたのか?」
目聡い妖怪は妖夢の脈絡のない質問を不思議がり、主が留守にしている腰の鞘を見て妖夢の身に起こった災難を一瞬で言い当ててしまう。妖夢から見る妖怪達は、宴会で馬鹿騒ぎする間抜けな存在と、頭のどこかでそう見下していた。相手を過小評価していた妖夢は手痛いしっぺ返しを受ける事になる。
「ひ、平たくいえば・・・そう・・・です。」
それを聞いて腹を抱えて大笑いをし出すその妖怪。そしてそれを聞きつけて何人かが集まってくる。どれもこれも皆白玉楼に騒ぎに来る妖怪達で、名前は知らないが皆顔を知っている者ばかり。この場合、面識があるだけに余計に恥ずかしい。
妖夢は後悔した。自分では当たり障り無く他人事の様に言ってみたのだが、すぐに自分の事だとばれてしまった。集まった妖怪達の中心で赤面し下を向く。泣きたくなってくる。相手を見誤った自分の無能。つくづくである。穴があったら直ぐにでも潜り込みたい心境だ。
普段冷たくあしらっているにもかかわらず彼らは妖夢に対する態度はネガティブなものではなかった。妖夢はそれがなぜか理解出来ていた。この妖怪達はこちらをただの子供だと思って全く相手にしてなかったのだ。子供のする事に一々腹を立てる程妖怪の度量は小さくないのである。
妖夢の視点では子供と大人の扱いの違いという捉え方になるが、妖怪の視点では弱いか強いかの問題であまり年令は気にしていない。弱いほど良く吠えるの典型として彼らは妖夢を捉えていた。妖怪は弱者には寛大なのだ。
「なんだ、庭師じゃねーか。」
「おめー何昼間っから大声で笑ってるんだよ?」
「庭師がそんなに面白いのか?」
「あのこそ泥一味に剣を盗られたんだとよ。」
「庭師がか?」
小さくなった妖夢に一斉に視線が向く。一瞬の静寂と共に爆笑が沸き起こる。
「あの雑魚は確か剣が効かなかったな。それを知らずに刺したのか。」
「刺したら抜けばいいだろ?」
「びびって手を離したか?」
「ったく、それにしても、あいつら最近うぜーな、そろそろ締めとくか?」
「まぁ、奴等に盗られたなら、競売に出るだろうな。」
「競売?それはどこに?」
妖怪達の好き勝手な言葉の嵐の中にいくつか重要な情報が出た。あの連中はこの近辺でも煙たがられている盗賊団で、盗品は競売に流れるという。もはや自分を取り繕っても仕方がない妖夢は恥を忍んで競売について尋ねる。
「競売は川の方でやってる。人間の里じゃ盗品なんて取り扱わねーから、いかがわしい事は全部あそこだ。」
「盗品ってのは、盗った奴が直接競売にかけるわけじゃないわよ。仲介人が先に安く買い叩くのよ。」
「連中は足がつかないように速く手放してまとまった金が欲しい。仲介人はその盗人の弱みにつけ込んで安く買い叩く。そうした品々も含めてまとまった量になると競売を開いて一気に売りさばくのさ。」
「はぁ、なるほど・・・。」
詳しく親切に教えてくれる妖怪達を意外に思いながら世間の、強いては裏社会の仕組みを学ぶ妖夢。
「しかし、あれだな、時期が悪いな・・・。」
「ああ、確かに・・・。」
「え?それはどういうことですか?」
「今傭兵集めてるだろ?武具の需要が高まってる。あの剣は恐らく名刀だ。高値で取引されるぞ?」
「ああ!」
剣を取り戻す為には競売に掛けられる前、いや、仲介人の手に渡る前に何とかしなければならない。
妖夢は取り囲んでいる妖怪達を掻き分けて囲みから抜け、急いで飛び立とうとするが、そこで立ち止まって妖怪達に振り向き一礼した。
「あの・・・色々と教えてもらって、有難う御座いました!」
妖夢は振り向くとそう言って直ぐに飛び立った。
「・・・。」
それを受けて妖怪達は絶句して周囲の者と顔を見合わせる。
「おいおい、あの庭師、俺達に礼を言ったぞ?」
「どうしちまったんだ?」
「何か悪いものでも食ったんじゃないか?」
「こりゃー明日は雪だな。」
「いや、槍だろう?」
「天変地異の前触れか・・・。」
白玉楼で宴会をすることを良く思わず、いつもいつも小言を言ってわめき散らす小生意気な庭師の妖夢の思いもかけなかった謝意に面喰らう妖怪達。どこかむずがゆかったが、悪い気はしなかった。
その妖怪達はこれからも白玉楼で宴会をする事になるが、魂魄妖夢が小言を言う庭師として彼らの前に立つ事は以後無く、彼女の姿も当分の間白玉楼から消える事になる。
マヨヒガから飛び立った妖夢は、周辺の様子が明らかにおかしい事に気付く。傭兵を募集していると言っていたように武具などで武装した妖怪がマヨヒガ周辺で、何人かでまとまって訓練している。
「一体何が起こってるんだろう・・・。」
三賢者会議で話し合われた内容は分からないが、その事と今のこの状況に関連がある事は間違いないだろう。
しかし、今はそれを詮索している場合ではない。大恥をかいた代償に手に入れた手がかりである。有効に活用すべきである。
妖夢は全力スピードで低く飛翔し川縁の関所跡へ向かった。
魂魄妖夢が幻想郷の地理で最も詳しい場所と言えば、人間の里側の川縁の関所跡である。
関所跡は川そのものを関として利用していたので、川を挟んだ双方に施設が別れている。川を渡るための渡し舟は無く、これは里側の人間がこれより西側に行かせない為でもある。物資等の輸送に関しては空を跳べる妖怪がいるので特に不便はない。
妖夢がこの関所跡に地理があると言っても、他の場所に比べてであって、それも里まで行くのが面倒なのでここに寄るから比較的詳しくなっただけである。買い物をここで済ませる事が多く、特に飲食店の店員には顔がそこそこ効く。
主人である幽々子の為に酒のお使いに何度か来た事がある妖夢は、いつもとは事情が違うものの、いつも通りの表情で暖簾が出て無ければ酒場とわからない普通の家屋の様な酒場の戸口に立つ。
「いらっしゃい。」
昼間から開いているいつもお酒を買い出しに来る酒場の暖簾をくぐる妖夢。ちなみにこの酒場の主人は人間である。こちら岸の集落は里とは地続きの為人間も行商に来るし、ここに住みついて商売をしている人間も多いのである。
「こんにちわ。」
「いつものかい?」
「いえ、今日は・・・。」
言葉を濁した妖夢はそのまま店内に入り店主の立つカウンターの前に進む。昼間だけあって客はほとんどおらず、カウンターにつっぷして寝ている客が一人しかいない。他の客に聞かれずに情報を聞き出せるチャンスである。
「あの・・・ちょっと聞きたい事が・・・。」
「酒場で何か聞きたい事があるなら先ずは注文するのが筋ってもんさ。」
世間知らずの妖夢に酒場のルールを教える店主。
「あ、そうですね。すみません・・・じゃ、徳利1本を。」
「はいよ、毎度あり。」
向こうの世界では『御銚子一本』と頼むと徳利が1本が来ると以前に紫と幽々子が話して笑っていたのを横で聞いた事があるが、こちらの世界では御銚子を頼めば御銚子が来る。御銚子は主に接待の時などに使い一人や親しい仲間内で飲む時は普通は徳利で頼むの一般的である。
店主の目の前のカウンターに座ると、すぐに徳利と御猪口が出される。
「(うわ・・・私昼間からお酒飲もうとしてる・・・。)」
夕餉に主人の付き合いで嗜む程度にお酒を飲む妖夢は、花見などの宴会以外での日中の飲酒は不謹慎な事の様に思えて罪悪感を覚える。他人がしてても気にならないのに不思議なものである。
「で、なんだい?聞きたいことって。」
御猪口に口を付け落ち着かない様子で酒をすする妖夢を見て、逆に尋ね返す店主。妖夢は恥ずかしくてあまり言いたくはなかったが、順を追って今日の出来事を教え、盗賊団や競売について尋ねた。
「そりゃー災難だったなー。でも、ここじゃ盗まれる方も悪いで済まされる。自分で連中を見つけるか、競売で競り落とすしかないだろうな・・・。」
同情する表情を見せる店主ではあるが、妖夢の問題に首を突っ込んで親切のただ働きをする気は更々無い様子。しかし、この近辺を荒らす盗賊団については良く思って居らず、彼らの居場所は追加注文を要求されることなく向こうから教えてくれた。上手くいけば退治してもらえると考えたからだろう。
普段から人に親切にしたり真面目に働いていれば、こういう時に便宜を図ってもらえるのだろうかと考える、これまで与えられた事以外何もしてこなかった妖夢。
「競売はいつ頃やるんでしょうか?」
盗賊団のアジトらしき場所を教えて貰い、つまみを数点注文してささやかな恩を返す妖夢は、ついでに競売についても質問した。
「ここいらじゃ、何かするっていったら夕刻からだな。今日やるかどうかは知らんが・・・。」
「そうですか・・・。」
妖夢は気落ちして一度だけ口をつけただけの御猪口をカウンターに置き、今から酔ってはいられないので酒のかわりに食材が何か不明なつまみを口に放り込む。
「ちなみに競売所は里側で一番デカイ建物だからすぐにわかるさ。」
言われて直ぐに気付く妖夢。大きく立派な家なので見たくなくても目に入るあの建物だ。
「仲介人という人もそこに?」
「ああ、狡賢い小物だが、因幡てゐの後ろ盾があって好き放題やってる。」
妖夢はここで意外な人物の名を聞く。
「因幡てゐってあの悪戯兎?」
「あんたは何か悪戯でもされたのかい?」
「え?いいえ、特には・・・。」
「因幡てゐは人間の味方で妖怪の敵みたいな、里の慧音先生に近い存在だ。あんたはどっちか知らないが、俺達人間にはよくしてくれる。競売にしたって仲介人はともかくあの仕組みでいろんな奴が助かってる。世の中単純じゃない。」
悪戯兎などと迂闊に口にした妖夢に苦言を刺すように諭す店主。
妖夢はこれまで因幡てゐとは永遠亭で戦った事はあるが、これはどちらかというとこっちから向こうに攻め込んだものだし、それ以外では全てスペルカードによる弾幕戦闘である。考えてみると、悪戯兎という妖怪達の噂を鵜呑みにしてそう決めつけているだけで、自分は特に何かをされたわけではなかった。
「すみません・・・。」
「こっちも済まない、大人げなかったな・・・。」
素直に謝る妖夢に、店主も恥ずかしげに頭を掻いた。
対岸に飛んだ妖夢は、酒場の主人から教えられた盗賊団のアジトと思われる家を見つけて、躊躇無くその家の戸を叩いた。
評判の良い盗賊団があるのかどうか分からないが、周辺の話によれば妖夢を襲った連中の評判は悪く、彼らを懲らしめる大義名分は立つだろう。妖夢は強い意思を持って挑む決意をした。
何も言わずドンドンと間を置かず戸を連打されたので、中の住人は煩くてかなわず不機嫌そうに戸を開けた。しかし、戸口に立つ相手を見て驚いて飛び上がる。
戸が開いた瞬間に全開に戸を押し開き中に踏み込む妖夢。どこから見ても雑魚集団、怖いものなど一つもない。油断した自分が悪いとはいえ、こんな連中に大事な剣を盗られた事が許せず、自分も相手も滅茶苦茶にしてやりたい衝動に駆られる。
その妖夢の恐ろしい気迫に完全にびびった妖怪達は、壁側に下がって少しでも妖夢から離れようとする。剣を腹に刺して逃走したこの集団のボスらしき者も酒を煽っていた欠けた杯を落とし、腰を落としたまま後ろに足を蹴って悲鳴を上げて下がる。
完全に油断して逃げ遅れたそのハリネズミ頭の妖怪は突進して間合いを詰めた妖夢に胸ぐらを掴まれて完全に降参の姿勢を取る。
「わ、わわ悪かったよ!」
「剣はどこですか?」
「剣?そ、そんなのあったっけ?」
とぼける妖怪に顔を近づけ凄い剣幕で睨む妖夢。
「あ、ああ!あの剣か!でもあれはお前が俺の腹に刺したんだろ?」
「剣はもう一本あります。これでその首を切り落としましょうか?流石に首と胴が離れればあなたも死ぬでしょう?」
「ま、待ってくれ!殺さないでくれ!お、お前等も謝れ!」
周りにいる子分達に謝るように促すが、怖じ気づいた子分達はじりじりと後ろに下がりだし、一人が妖夢の開け放った戸から逃げると堰を切った様に次々と他の子分も家から逃げ出して行く。
「いい仲間を持って良かったですね。本当の友達なら絶対逃げたりはしないでしょうけど・・・。」
本当の友達など妖夢にもいない。本当の友達とはどんなものなのだろうと自問しながら妖怪に迫る。
「剣はどこですか?」
「剣はもう売った!」
「誰に?」
「競売の仲介人だ。直ぐに現金にしてくれるから・・・。」
「いくらで売ったのですか?」
「300文だ。」
「さ、300文?た、たったそれだけですか?」
妖夢は唖然とした。1000文=1貫で、兎丼が8文、鰻丼で17文、徳利1本で7文程度である。300文なら酒代としてはそこそこの額になるが、剣一本と釣り合う値段ではない。
妖夢は怒りに震える。自分の命とも言える剣が300文で売られ、その銭で酒を手に入れ酒盛りをしているのだ。これが怒れずにいられるだろうか?
「許せない・・・。」
妖夢はナワナワと肩を震わせ白楼剣を抜き妖怪の腹に突き刺す。普通なら死ぬ一撃だが、この妖怪が剣が効かない特殊な妖怪だということを知った上での攻撃である。
妖夢は純粋な怒りが込められた復讐の剣を振るった。相手を殺す覚悟でやった。不死人狩りで妹紅を斬り、先日は八意永琳を斬った。幽々子に人殺しと罵られた。もう人を斬る事にためらいはなかった。幽々子の保護から離れ、独り身となったからには斬られる覚悟は出来ている。だからこそ斬る資格がある。
「この剣は迷いを絶つ剣です。あなたがもし、今の境遇に満足しておらず今の自分に迷っているならその迷いも無くなるでしょう。純然たる悪に染まるか、その逆か・・・。」
白楼剣は実体の希薄な幽霊特攻の武器で、この世に未練を残す幽霊を斬って強制的に成仏させてしまうために、別名『迷いを絶つ剣』などと呼ばれている。
殺傷力のある実剣の楼観剣とは違い、白楼剣は殺傷力の無い霊剣で、妖夢は実際にこの剣で人を斬った事がなく、その真偽は定かではなかった。
妖夢が妖怪に対して迷いを絶つと高言したが、これは実際にそうなる事を想定したというよりは、復讐と同時に二度と自分に近付かないようにするための脅しでもあった。しかし、白楼剣で腹を貫かれた妖怪は楼観剣を腹に刺した時とは違い、かなり苦しそうに悶えている。実剣に対して無効でも霊剣は効くようだ。妖夢は実剣の効かない相手に対して白楼剣が有効な武器になることを学んだ。
苦しそうにもがく妖怪から白楼剣を抜いた妖夢は、剣を抜かれて少し楽になったようにしている妖怪に背を向けて隠れ家の外に出た。これで少なくとも自分に絡んでくる事は無くなるだろう。
「次は競売か・・・。」
酒場の主人の話によれば競売は不定期開催だが、時間は人間も妖怪も活動時間が重なる夕刻に行われるのが決まりらしい。妖夢が幻想郷に出たのは、小町に昼食をご馳走した後白玉楼で幽々子と会ってからで、妖怪に剣を盗まれて追跡の為にマヨヒガから関所跡に移動したのでかなり時間が経っている。陽もだいぶ傾きかけて来たがまだ日没にはまだ少し時間がある。今なら競売にかけられる前に何とか出来るかもしれない。
妖夢は朱に染まり始めた幻想郷の空に向かって飛翔し、仲介人に会いに再び人間の里側の対岸に移動した。
「あの家か・・・。」
酒場の主人に言われた通り一番大きな屋敷は、探すまでもなく直ぐに見つかる。ここに来るといつも目についたあの家が、仲介人の家、そして競売所の会場でもあるのだ。
夕方になり、妖怪の数も次第に増え出す小さな集落。妖夢は足早にその屋敷に向かい門番に要件を伝える。盗品を返して欲しいと言っても恐らく門前払いを受けると妖夢でも容易に想像できたので、盗品の鞘を持っていると伝える。剣と鞘がセットになれば価値は上がるだろうし、そうなれば断る理由はないだろう。
要件を屋敷の中の仲介人に知らせに言った門番は、一人の小柄な妖怪と思しき人物と共に屋敷の外に出てくる。この者が仲介人だろうか?
「ほほー、あの剣の鞘とな?どれ本当かどうか試してみろ!」
小さな妖夢の胸の高さにも満たないその小柄で痩せ形の妖怪は、神経質でがめつい顔付きをしており、見るからに小悪党といった風貌である。衣服は非常に立派で指や腕にいくつもの貴石をあしらった貴金属製の輪をはめている。派手好きで財力を誇示したい性分が伺えた。
門番が楼観剣を持っている事に気付き、奪い取りたい衝動にかられるも、その門番の隙のない挙動に、門番など警護にあたる者は斯くあるべきなのだろうと同じ門番である自分の未熟さを痛感する妖夢。
妖夢から鞘を受け取った門番は、楼観剣をその鞘に収める。そしてそれがピタリとはまり装飾の統一感などから本物とわかると、主である仲介人と思しき小柄な人物にそれを渡す。受け取った小柄な男は嬉しそうに剣を少し抜いて満足げに眺める。妖夢はここで、この楼観剣は自分の宝物で盗まれたものだから返して欲しいと訴えに出る。
「これは競売の仲介人たる私が適切な金額で買ったものだ。それにだいたいこの剣がお前のものと証明出来るか?その鞘とて拾ったものだろう?嘘はもっと上手くうけ!このたわけめ!」
甲高い声でピーピーとわめき散らす仲介人。妖夢も負けじと反論する。
「適切な金額?300文が適切な額と言うのですか?なら私も300文でそれを買取ます。」
盗んだ連中の事情を知っている事を暗に教える妖夢。しかし、その程度でこの強欲な仲介人は動かない。
「ばかめ!仕入れ値と売値は違うのだ。安く仕入れて高く売る。商売の基本もわからぬのか!」
「ならいくらで売るつもりですか?」
「それを今から競って決めるのだ。」
仲介人の言は最もで反論出来ない。
「では、その鞘返してください。むき身の剣など置き場所もなく、二束三文にしかならないでしょうし・・・。」
実際問題として、片刃の細身の長剣である楼観剣は非常に折れやすく、刀身の再生機能が備わっている鞘はこの剣にとって無くてはならない存在なのである。剣よりもむしろ鞘にこそ価値があるのだ。
「うぐ・・・。」
実際に武器として使う以外にも装飾品としての価値もある楼観剣は、保護管理維持の点から考えても鞘は必須であり、鞘が見つかったと門番から聞いて喜び勇んで自ら出向いた程に剣と鞘のセットは商品として重要だった。
しばし剣と鞘を握っていた仲介人は、何かを決意して神妙な顔で妖夢に商談を持ちかける。
「この剣は3貫文から競りを始めようと思っていた。恐らく武装妖怪共に買われると思うが、連中は今オフシーズンで金がない。競ってもせいぜい10貫文がいいとこだ。」
「・・・。」
10貫文と聞いて妖夢はそれでも安すぎると思う反面、手持ちの銭で何とかなる金額だと計算する。
白玉楼の俸禄はそれなりに良く、銭の使い道のない散財しない妖夢は禄のほとんど貯め込んでいた。その貯金と幽々子からの餞別で貰った分を合わせると30貫文ほどが今手許にあるのだ。
「もし、その鞘を貸して貰えるなら、あんたが競り落とした時、支払時に3割値引いてやるがどうだ?」
支払の算段が付き添うな考え込む妖夢の表情を見て、仲介人は妙な交渉を持ちかけてくる。妖夢はこの時、自分が競り落とすことを前提で物事を考えてしまっており3割引きはお得だという誘惑に正しい判断力が低下する。自分が競り落とせなかった時の事は考えずに、盗品を競りにかける仲介人のせめてもの情けと都合良く受け取ってしまったのである。
「わかりました。これは一時お預けします。」
それを受けて、内心歓喜した仲介人は表情はさも有り難そうに振る舞い、競売の会場と時刻を知らせて門番と一緒に屋敷に入った。しかし、これは競売として不正な裏取引であり、ある意味悪魔との契約である。
「馬鹿め!あの小娘まんまとかかりおった!」
「お見事でした。しかし、こうも簡単に引っ掛かるとは・・・。」
「いいな!手筈通りお前は値を釣り上げろ。50貫文までいけるはずだ!」
「わかりました。あの娘には世間というものを教えてやりましょう。」
「くっくっく・・・あの小娘の青くなった顔が見物だ。」
そんな意気揚々と走り去る妖夢を窓越しに見て仲介人はほくそ笑み屋敷の奥に戻った。
そして、そんな妖夢を茂みの向こうから見るもう一つの存在がいた。
「(ふむ・・・しようがない、妹紅の頼みだ。助けてやるかの・・・。それに、あの馬鹿、やってはならぬことをしたな・・・。)」
仲介人の大きな屋敷の大部屋に面した中庭のような広い場所が競売の会場である。
会場には大勢の人妖が集まりプリズムリバー三姉妹の演奏がその喧騒を煽るなか、開場時間の午後6時が訪れる。
酒場に戻って腹ごしらえをした妖夢も会場に訪れ、競りに参加する旨を受け付けに伝えると参加者用の別室に案内され、今日出品される品々の下見をさせてもらう。その後、屋敷の中庭の参加者専用の椅子のある席に案内される。
庭より一段高い屋敷の縁側に主催者側おり、その様子からあの仲介人が司会進行などもやるようだ。先程より派手な衣装を身に纏っている。
開催時間は参加者の入り具合を見て決まるが、既に参加者が大勢席に座っており、見物客で広場全体が一杯になっている。
今回の競売は武器関連が多く、それを目当てに傭兵志望の妖怪達が周辺から集まっている。珍品や実用品などに集まる面々とは明らかに異なった顔ぶれで、妖夢は場違いな所に来てしまったのではないかと不安になる。
そう言えば時々幽々子がここに来て競りを見たり参加していたことを思い出す。妖夢は全く無関心だったので、幽々子をここに置いてどこかで暇を潰していた。今日の様な事もあり、何ごとも経験と幽々子と共に参加していれば、仲介人とも面識が得られて便宜を図ってもらえたかもしれないが、全ては後の祭りである。
妖夢の隣の空いている席に人型の妖怪か人間らしき男が座り、一瞬目が合う。どこかで会った様な気がしてこの時、白玉楼に宴会に来る妖怪の一人と思い、『どうも』とだけ言って首を少し曲げる。
会場の席がほとんど埋まると、何の前触れも無く仲介人が縁側の上に置いた台に乗って競売の開催を宣言し、プリズムリバー三姉妹の次女の奏でるファンファーレを合図に唐突に競りが始まった。
様々な武器が競りにかけられるがどれも小幅な値動きで激しく競り合うような盛り上がるシーンは無く、淡々と競りが進む。妖夢はこの調子なら楽に落札出来るだろうと気持ちを楽にする。しかし、妖夢は知らなかった。競りに参加した者達大勢の狙いが楼観剣であることを・・・。
数点の競りが順調に進み、やがて最後の出品物である楼観剣が会場に姿を見せると、静かなどよめきと共に張り詰めた緊張感が走る。
妖夢はついにこの時が来たと生唾を呑んで体を強張らせる。
「近年では見られない最高の出物がここに御座います。今日を逃したら二度と手にする機会はないでしょう!」
楼観剣をそう讃える仲介人が会場の武人達を煽る。妖夢としては楼観剣を評価してくれるのは嬉しいが、あまり凄いものと煽られるとライバルが増えてしまいそうで複雑な気分である。
騙されている事に気が付いていない妖夢は、この期に及んでも仲介人との裏取引がそのまま現実になると思い込んでいた。しかし、現実はそんなに甘くはなかった。妖夢はそれをすぐに思い知らされる。
「では、10貫文から、レートは1貫文で始めます!」
妖夢は目が点になった。話が違うではないか!妖夢は抗議の声を上げようとしたが、周囲から興奮した怒号の様な入札の声が鳴り響き、その熱気に圧倒され怖気づいて引き下がる。
あっと言う間に20貫文に達した自分の剣は、それだけ高く評価されている事を意味しており、鼻が高いがこのままでは他人に落札されてしまうので喜んでいる場合ではない。
ここで、話が違うと乗り込んで仲介人に問い詰め、競売そのものを止めさせる手もあるが、向こうはこちらを完全にはめる気で取り合わないだろうし、公平でなければならない競売で、裏取引に応じてしまった事を公言したようなもので、咎めを受けるのは自分なのである。仲介人も悪いがそれに荷担して騙された自分はもっと間抜けではないか。
「21!」
妖夢は腹をくくって競売に参加し、21貫文と叫ぶ。しかし、隣の男が一気に値段を上げる。
「30」
妖夢の出せるギリギリの値段に一気に跳ね上がり妖夢は驚愕する。その値を釣り上げた男はこちらを見下ろしニヤリと笑う。どこかで見たような、向こうはこちらを知っているような雰囲気だ。
「(誰だ?ま、まさか・・・)」
先程仲介人と一緒にいた門番だ。あの時は兜を被って顔が全部見えなかったが顎のラインに見覚えがあった。この男は競売の雰囲気を見ながら参加者の懐具合を予測し、競売の値を操作する役目を果たしているのだ。
「31!」
「33!」
「35!」
「37!」
「40!」
レートが1貫文から自然と上がっていき、すぐに妖夢には手が出せない金額になった。
「負けた・・・。」
妖夢はぽつりと呟いた。それは単に競売に負けたという事ではなく、幻想郷という社会に負けたという意味だった。甘かった。剣の腕には多少の自身があったし、勉学もそこそこ出来る。上手く幻想郷に順応して順調に修業に励めると信じて疑わなかった。
しかし現実はこうだ。他者を貶める様々な悪意が常にどこかで蠢いており、それから身を守っていかなければ幻想郷という社会で独り立ちできないのだ。
がっくりと肩を落とした妖夢。既に値は50貫文に迫ろうとしている。自分の分身ともいえる千年連れ添った剣が今無常にも他人に売られようとしていた。妖夢の中にどす黒い感情が芽生える。復讐してやる。こいつらを全員皆殺しにしてやる・・・と。
だが、その時ふと目を上げると、自分の膝に肘をついて頬杖してこちらを見ているつぶらな瞳に気付き、心を見透かされたと思いハッとなって黒い感情を追い払う。
「因幡・・・てゐ?」
それは妖夢も知っている顔だった。
満面の作り笑いで妖夢を見上げると、背を向けてそのまま後ろに跳んで妖夢の膝に乗る。背の低い妖夢より更に一段背が低い無茶な事をするてゐを思わず膝に抱える妖夢。バランスが崩れるとついそれを安定させようとしてしまう。
端から見ると仲の良い親密な関係に見えるが、妖夢は幽々子と共に永遠亭の調査に入りてゐ等永遠亭の面々と戦っている。不死人である八意永琳と蓬莱山輝夜は幽々子の天敵でもあり、妖夢としては妹紅も含めて彼女達を敵と認識していた。その子分でもあるてゐもまた敵であり、正直てゐのこの行動の意味を全く理解出来ず妖夢は戸惑っていた。
「50貫文!」
となりの門番が50貫文まで値を釣り上げ、周囲にどよめきが起こる。参加した妖怪達はここで仲間内でいくらまで都合が付けられるかなど、ヒソヒソと打ち合わせを始めている。恐らくここからは小さな値動きで推移するだろう。
懐事情のさぐり合いに入り、仲介人も様子を見ながら敢えて急かせずに様子を見守る。ここで誰かが一気に値を上げると勝ち目なしと見て周囲が手を引いてしまう可能性もある。主催側とグルである門番は50まで一気に上げたあとはレートを戻して小幅に対応し、相手の様子を見ている。
足をばたばたさせて競売の様子を見ているてゐを抱きかかえながら、妖夢は周囲の状況を冷静に見る事が出来るようになっていた自分に気付く。
一つの事に集中するあまり周囲が見れなくなる。そしてそこをつけ込まれる。全体を見ながら自分を顧みて客観的に状況を見ていれば、そもそも剣を盗られる事も無く、今ここに座って茶番に付き合う必要もなかった。全ては今更だが、幽々子の言いつけ通り妹紅を通していれば、紫の計略にはまる事もなく、今という時は存在していないはずなのだ。
妖夢の予想通りレートは1貫文に戻り小幅な値動きで、競りの声も2名だけになった。レートを釣り上げた門番は既に手を引いたようだ。後はこの2名、いやこの2名の後ろ盾のグループの財力勝負であり、その駆け引きは見物といえる。
久々の面白い競売に参加者以外の野次馬も熱気を帯び、この勝負で賭けに興じ始めている集団もいる。妖夢はそれも仲介人らの一味が煽ってやってることだろうと冷めた目で見る。感情がかさ付いて、何事も悪い方向にしか考えられない。ここにいる全ての者が不幸になれと心底そう思い念じる。
そんな妖夢に変調が見える。
妖夢は大きな敗北感に呼吸が自然に出来ない状態になっていた。意識して息を吸い、そして吐いていた。悔しさも悲しさも通り過ぎて涙も出なかった。何も考えられなくなっていた。世界中の全てが敵になったような凄まじい孤独感が妖夢を襲った。しかし、そんな妖夢をかろうじて現実に引きとめ、救ってくれた者がいた。
膝の上の邪魔な妖怪兎、因幡てゐだ。
何かに触れている、触れられているという事が安心に繋がり、なんとか平静を保つ支えになっていた。
安心した妖夢はいつの間にかてゐをぎゅっと強く抱きしめ啜り泣いていた。
「(剣の事は諦めよう。今日の事を戒めにして二度とこんな惨めな目に遭わない糧としよう・・・でも・・・。)」
千年連れ添った分身とも言える大切な剣である。簡単に諦められるものではない。
妖夢は落札される瞬間を見届けたいと思うものの、それを見てしまうと完全に自分の物では無くなるという事実を受け入れる事にもつながり、それを恐れた妖夢はこの場を立ち去り、そして、いつまでも『無くし物』としておきたい衝動に駆られる。そうすればいつまでも希望が持てる。
しかし、次の瞬間その考えが虚しく、無様な事に気付く。
現実を受け入れるか受け入れないかは別として、どちらにせよこの場所から一刻も早く抜け出してどこか遠くに行きたいと思う妖夢。
その一方で、膝の上に座って梃子でも動きそうにない不貞不貞しい態度の兎を置いて、このまま立ち上がったら、自分の心が砕け散ってしまいそうな不安が襲う。てゐから伝わってくる命の温もりが、妖夢の心のバランスを取っているのだ。妖夢はそれに気付いていた。
しかし、妖夢の心はそれで保たれていても体はそうはいかない。
胃が痛くなり、先程食べた物が戻って出てきそうな嘔吐感が押し寄せてくる。ストレスで心だけでなく内臓もおかしくなっているようだ。
妖夢は自分ではどうすることもできない感情の底なし沼に嵌ってもがき苦しんでいた。
そして、そんな妖夢を置き去りにするように、無常にも競売は進行していく。仲介人の思惑通り、とても順調に・・・。