東方不死死 第50章 「信頼」
大きな水晶球に十六夜咲夜と紅美鈴とのやりとりが映し出されている。
誰かのプライベートを覗き見る趣味は無い藤原妹紅だが、水晶球の所有者である魔法使いは特に罪悪感を感じている様子はなく、いつもの事の様に平然としている。実際パチュリー・ノーレッジは、紅魔館内のセキュリティーを管理しており、ルビーのコピーである七曜魔の視界を自由に使う事が出来、この映像は管内から現場を拡大望遠で見ている木属性碧のエメロードからのものである。
このことは十六夜咲夜も、館の主レミリア・スカーレットも知らない。
藤原妹紅は自分なりの視点で紅魔館の人間関係を予測していたが、この映像を見るにつけ、その予測が外れていた事を知る。
紅魔館は、吸血鬼レミリア・スカーレット姉妹を頂点に、その下に忠実な僕でメイド長である十六夜咲夜が、館の実質的な運営者と見ており門番の紅美鈴の存在は気にも留めていなかった。
メイド長の下に門番がいて美鈴は咲夜からあごで扱われる存在と思っていたのだが、意外な事に咲夜は全幅の信頼をこの門番に寄せており、魔性の力を持ちながらも何とか人間として踏みとどまっているのは、他でもないこの門番のお陰だったのである。
深紅の悪魔に差し出された薄紅色の暖かい液体、紅茶とやらが入っている白いティーカップを正面のパチュリーにならって音を立てずに口を付ける妹紅。液体は直接飲まず唇についた液体を口の中の舌で確かめる。毒が入っているとも思えないが初めて口に入れる物はそうやって一応確かめる癖がついている。
ルビーと目が合い、先程の駆け引きで見事に敗れた言を思い出す。妖酔の時もそうだが慧音の件以降、妹紅が得意としていた情報戦で連戦連敗中であり、この事は自分で思っている以上にショックで後に引きずりそうだ。
この悪魔は、悪鬼となった妹紅よりも太古の昔から悪魔をしている根っからの悪魔である。人間に罪という概念を与えた悪の根源とも言える存在で妹紅とは年期が違う。妖酔も自分よりもはるかに年齢は上だろうと思うし、そう考えると自分はまだまだひよっ子なのだと思い知らされる。全てを会得し、あらゆる事象に対処出来ると自負し、それに誇りを持っていただけに尚更落ち込む。
そんな見るからに元気がない妹紅をパチュリーは心配する。
パチュリーはフランドールの件や魅魔の件以降、妹紅に対する印象は頗る良く、今回の件でも結果として咲夜の更生に繋がりそうで、図らずも理想的な展開になりつつある事に満足している。
咲夜の取るべき具体的な行動に関しては、ルビーを経由して全て魅魔から聞いており、咲夜がセレーネ・スカーレットの思念界からアルカードの血晶石を持ち帰る際、その最強の力を目の前にして正気を保っていられるかが最大の問題点だった。
これまでの咲夜なら、間違いなくその力を前にして欲望に屈してしまうだろう。しかし、大切な存在である美鈴との関係を終わらせる苦しみと悲しみを知った今の咲夜なら愚かな選択はしないだろう。
パチュリーの造りだしたルビーのコピーのファミリアの一人、本日咲夜のサポートつまり副メイド長の任に就いているペリーの視界に水晶球の映像が切り替わる。
メイドの控え室に隣接する洗面所で汚れた顔を洗って化粧を直し、血まみれのメイド服を着替える。それを手伝うペリーは、いつもと雰囲気が違う咲夜の様子を見て不思議に思う。
「もうすぐ咲夜が来るわ。」
ペリーの視界から咲夜の身支度が整った事を知らせるパチュリー。
「そうか。」
興味なさそうに答える妹紅。
「咲夜の事、許して貰えないかしら?」
改めて咲夜の無礼を詫び頭を下げるパチュリー。
妹紅としては咲夜の事はどうでもよく、今は落ち込んだ自分を振るい立たせる材料を探すのに手一杯だった。
「許すも何も、罪を犯したのは私の方だ。」
この場合、妹紅に罪はない。しかし、妹紅は自分に罪があると言う。これは、謙譲心で言っている事ではなく本心でそう思っているようだ。
「どうして貴女は、そうやって自分を下に置こうとするの?」
謙虚さは人間、いや日本人のみにとって美徳かもしれないが、少なくとも妖の社会では全く通用しない考え方である。パチュリーとしては、その力を認める数少ない存在の妹紅が悲観的になっている事が心配であると同時に、もう少ししっかりして欲しいとも思い珍しく食い下がる。
「人間と妖怪の違いは何だとおもう?」
「突然そんな事を言われても・・・。」
パチュリーの数回にわたる問い詰めをはぐらかすように妹紅は逆に質問をする。そしてそれに咄嗟に答えられない自分に苛立つパチュリー。
「あんたも元は人間だったんでしょ?」
「人間時代の私は社会不適合者の烙印を押されたどうしようもない存在よ。そんな私が人間としての自分を語れるわけがないわ。」
死ぬまで本と共にあればいいと公言し、そしてそれを実行して封印された禁書の牢獄に取り残された事がきっかけで魅魔と出会い今の自分になったパチュリーである。
「妖怪ってのは生きてこそ価値がある存在で、人間は死んだ時に価値が生まれる存在なの。」
「死んだ時に価値が生まれる?」
「そう、だから死ねない私に人間としての価値は全くないのよ。」
自分が無価値だとさらっと言ってのける妹紅。こういう台詞は妖怪は絶対に言わないことである。
この時パチュリーは、短命な先代、5代目パチュリー・ノーレッジの事を思い出した。彼女は6代目の自分が、目覚める10歳のレミリアと同世代の若干の年長者になるように、意図的に命を削って早死にしているのだ。
「善人として死ぬ者、悪人として死ぬ者、そして最初は善人として生き悪人で終わる者、その逆も然り。人間とは死んで初めて記録が後に継承され、継続する人間社会の規範となって歴史に積み重ねられる。だから死なないと本当の価値が出ない。」
他の妖者が聞けば戯言にしか聞こえない妹紅の言葉もパチュリーは身に染みて分かった。今現在生きている自分に価値は見いだせない。しかし、初代から先代までの存在に価値があるのは歴然で、その流れに自分がいることを改めて知る。そう考えると自分は何をやって死ぬべきかと考えてしまう。この思考は人間特有のものだと、他人事の様に考えていたが、無意識にその思考に走っている自分も種族としての基礎的な部分は人間なのだと自覚する。
「私に気を遣う必要はないわ。」
何も言い返せず押し黙るパチュリーを慰める様に言う妹紅。
藤原妹紅の霊格は1300年間輪廻していないので非常に低い。生き物は高位の魂が宿る存在ほど霊格も高く、人間はそれを目に見えて感じる事は出来ないが、人間社会においては霊格が高いと自然に高位の地位を得たり尊敬されたりと人格に直接現れ、自然と霊格と地位が比例するものである。
感覚の鋭い妖者は、霊格の高さを熱量で感じる事が出来、姿を見るだけでどの位強いのか理解出来る。
妹紅の熱量は実際の強さに対してドが付く程低い為、相手は能力を見間違ってしまい油断する。妹紅と幽香の最初の闘いで幽香が千年振りにブチ切れてしまったのも余りにも格下に見えた存在が生意気な事を口にしたためで、八雲紫もあなどって予想外の行動に面を喰らい、永遠亭との戦闘に於いても八意永琳は終始妹紅を侮り続けて足元をすくわれたのである。そして何れも妹紅に対する態度を改めている。
この妹紅の実際の強さと存在の大きさを表す霊格の食い違いは闘いに於いては相手の油断を引き出す武器になるが、対等に会話をしたがる相手にはストレスに感じる事が多く、それらをある程度理解している妹紅としては相手に無理をするなとしか言えないのだ。
「で、でも・・・。」
パチュリーは不死人狩りで一度スペルカードルールで妹紅と対戦したが、この時、不死身の妹紅を利用してフランドールのストレス解消を思いつき実行した。この時のパチュリーは妹紅を人として見て居らず、犬猫以下に見えたのでそんなことを思いつき、躊躇いもなく実行したのだ。
妹紅はこの連夜の夥しい死に嫌気が差してフランドールの破壊の衝動を抑える方法を刷り込んだが、結果としてフランドールは更生し紅魔館に平和が訪れた。
これまでフランドールのストレス解消は主にファミリア達で、パチュリーは彼女達の犠牲に心を痛める毎日だった。
パチュリーはファミリア達の代わりに妹紅を利用したわけだが、その相手に救われた結果となり紅魔館の住人の中でも特にパチュリーは妹紅に対する感謝の念が大きく、先日魔理沙の家で涙ながらに妹紅に謝罪と感謝の意を表明したばかりなのである。ルビーが妹紅に対して好意的なのも自分の子供ともいえるファミリア達が死なずに済んでいるのが妹紅のおかげだと分かっているからだろう。
歴代パチュリー・ノーレッジの導師である魅魔のアドバイスのおかげで今の自分があると思っているパチュリーは、師として直接学んだ事は無いが、魅魔を師匠として仰ぎ尊敬している。その師が全幅の信頼を置いているのが妹紅である。
そして、先程の咲夜の件。咲夜に人としての心が芽生え始めているのは、水晶球の向こうで身支度を整え、図書館に向かいつつある咲夜の表情を見ればわかる。今の咲夜なら安易な選択をせず、レミリアの予言成就に力を貸す頼れる存在になるはずである。
どれもこれも藤原妹紅のお陰。しかし、彼女はそのことを全く自分とは関係のないことの様に思っており、そこに、自分と藤原妹紅との間に大きな壁があるようでこれ以上踏み込めず、もどかしい気持ちになる。
霊夢や魔理沙の様に他人の家なのにずけずけと横暴に振る舞う様子もなく、あてがわれた席に大人しく客としての態度を演じてくれる。パチュリーとしてはこういうまともな人間と交友を持ちたいのだ。
先程までの恐ろしい表情はどこへいったのかまるで別人の様に何だが元気がない妹紅。その原因を自分達が作り、それを詫びようとしても、逆に向こうが詫びてくる始末。初めての体験でパチュリーはどう話を切り出していいのかわからなかった。
そんな時、ルビーの雰囲気が少し変わり、図書館に何者かの来訪を報せる。
妹紅の様子も少し変わり、表情が硬くなり眉が少し上がる。
普通の家であれば二階程の高さの位置にあるバルコニーに現れた咲夜は、無表情のままゆっくりと階段を降り、少し離れた位置で一旦立ち止まりパチュリーらに軽くお辞儀をする。その後、静かに妹紅の前に歩み寄る。
妹紅は席を立って咲夜の前に自らも進み出て互いに手の届く位置に立つ。咲夜に殺気は無いが、妹紅は明らかに殺気を帯びており、先程の静かな会話とは打って変わって戦闘モードになっている。
パチュリーはこれまでの妹紅の様子から事は穏便に済むかと思ったが、またしても予想がはずれる。思わず席を立つものの、2人の間に割り込めずおろおろするしかない自分に幻滅する。
「先程は申し訳有りませんでした。」
気持ちを押し殺す様に敢えて感情を表に出さず無表情のまま頭を下げる咲夜。妹紅は顔が怒ったままポケットに手を突っ込んで少し身体を反って見下すように咲夜の謝罪を受ける。
「十六夜咲夜。」
咲夜の名前を呼ぶ妹紅。それに応じてはいと返事をして顔を上げる咲夜。妹紅は咲夜の決意に満ちた表情を見て、人としての心の取り戻した事を知る。人間は一瞬で変わる。咲夜は明らかに変わった。しかし、妹紅はそんな咲夜に苦言を与える。
「お前が犯した罪は2つある。一つは紅魔館と私を戦争状態にしたこと。そしてもう一つは、私と咲夜の間で取り決めた個人的な信頼関係を壊した事だ。」
「・・・はい。」
首を下に少し曲げて残念そうに同意する咲夜。
「私も大人げなく門番を殺そうとした手前もあるし、それを止めたあのもやしっ娘に借りがある。」
パチュリーをもやし娘などと表したが、これはひ弱な者が虎穴に入った事に対する賛辞の裏返しである。最初これを聞いてパチュリーは内心ムッとしたが、すぐに妹紅の意を汲み取って機嫌を直す。そして、借りだらけのはずの妹紅が自分に借りがあるなどと嘯く態度に恐縮し歯がゆくなる。
「だから、お前が犯した2つの罪のうち、どれか一つは許してやる。どっちか選べ。」
男口調になった妹紅は凄味を効かせて咲夜を睨む。咲夜は妹紅を直視出来ず首の下あたりに視線を置き、1つの選択をする。考える余地などない、紅魔館と妹紅との戦争状態を止めるのが先決である。
「紅魔館は貴女との戦争を望みません。」
そう言って頭を下げる咲夜。
「分かった。紅魔館との抗争はこれで終いにしてやる。その代わり、私はお前個人を絶対に許さない。十六夜咲夜は永遠に私の敵だ!」
「・・・。」
唇を噛みしめ悲しそうにうつむく咲夜。しかし、紅魔館の事を思えばこれは受け入れなければならない事だった。
「では、先にお前の用事を済ませてしまおう。」
「え?でも?」
予想もしなかった妹紅の答えに戸惑う咲夜、そしてパチュリー。
「勘違いするな?個人的な約束事をこのまま残しておきたくないだけだ。互いに1回ずつ。これが済めば晴れて貸し借り無しだ。」
パチュリーはこの妹紅の言葉で理解した。咲夜が現れてからの妹紅の態度が急に好戦的に変わったのを見て、やはり妹紅は咲夜を許す気がなかったと諦めた。しかし、妹紅は始めから咲夜を許す気でいた。それなのにこんな厳しい態度で咲夜に臨むのは敢えて敵対関係を維持する事で咲夜が暴走しないように抑止力であり続けようと自分の立場を明確にしたのだ。これは、予言成就にとって大変重要な事で、当人が口で言っている事とは裏腹に、実質藤原妹紅が紅魔館に完全に味方した事を意味した。
許す事。感謝する事。謝る事。互いに親睦を深めるにはそれらの要素が架け橋になる。しかし、許さず、敵対することで互いを強く結びつけるという選択肢があったことをパチュリーは初めて知った。
強者が互いに敵対しながらも互いに尊敬しあってバランスを保っている幻想郷の仕組みを今理解した。そして、自分も含めて紅魔館が幻想郷の一勢力として未熟だということも実感した。
藤原妹紅に勝てない自分達がその上位にいる八雲紫や魅魔、天狗といった勢力と肩を並べる事など不可能なのだ。そして、藤原妹紅は先を見て紅魔館を八雲紫が一目置く様な勢力に引き揚げようとしているのだ。
そこまで紅魔館を思っているからこそ、咲夜の裏切り行為が心底許せなかったのだ。
パチュリーは、妹紅に関する感謝の気持ちと同時に戦慄を覚えた。そして大きな敗北感に打ちひしがれた。
「私の用件は無効で構いません。今は貴女の用件を先に!」
一人落ち込むパチュリーを尻目に咲夜は先ずは妹紅の用件が先だと訴える。
「ドッペルゲンガーの件は紅魔館と同盟関係にある以上必ずやらなければならないことだ。どうせやるなら先に済ませた方がお互い清々していいだろう?違うか?」
妹紅はそれで清々するだろうが、咲夜にしてみれば関係性を維持したい以上、自分の用件を先延ばしにして契約を継続させたいのだ。
「案内しろ。」
咲夜に命令する妹紅。美鈴の言う通り、今は妹紅の言う事を聞いて彼女に報いなければならない。
「わかりました。」
「フランは?」
「お嬢様とご一緒です。」
「丁度良かったわね。」
フランドールの部屋に移動したパチュリー、咲夜、ルビー、妹紅の4人。部屋の主であるフランドール・スカーレットが居ない理由を咲夜から聞いて納得するパチュリー。
「ここでドッペルゲンガーと接触しました。そして、あの壁に通路が開いていました。」
世界を裏返せばすぐそこに現れるはずのドッペルゲンガーを見る様に咲夜は何もいない空間に声を向けた。
「ふーん。」
妹紅は関心なさそうに、あの凶暴なフランドールの部屋の可愛らしい部屋を意外に思いながら眺める。
壁にたくさんの手書きの下手な絵が貼られている。色使いから姉、咲夜、パチュリー、門番が区別出来る。門番と思しき緑とオレンジ色の絵が多い事から、あの門番はフランドールにだいぶ気に入られているとわかる。
「この前の続きから始まるとしたらここで始めるのは得策じゃないわね。」
世界を裏返した時点で向こうから先手を打たれる可能性が高い。相手は一切交渉が効かない純粋な悪意なのだ。
「部屋の外から始めるべきだろうな。藍は基本私のいる場所から離れられないと思うから、ドッペルゲンガーを私のいる場所に誘い込むしかない。あちらさんも咲夜にしか関心なさそうだし、自慢のナイフで息の根を止めるだけの簡単な作業になるだろうよ。」
妹紅はぶっきらぼうに言っているが、全くその通りだと思う咲夜。
「トドメは咲夜がしっかり刺すのよ。そうしないと何度でも蘇るわ。」
「藍の攻撃は身を持って知っただろ?3分もあれをやられれば確実に死ぬ。その前にお前がトドメをさせ。」
「わかりました。」
確かに妹紅の言う通り簡単な作業なのだろうが、あの藍の攻撃は非常に危険で、咲夜自身軽いトラウマになっている。出来る事なら藍とはもう会いたくはないがここまで来たから腹をくくるしかない。
「いつでもいいぞ。」
部屋を出て通路にもどって適当な場所に陣取る妹紅等3人。パチュリーとルビーは別にここにいる必要はないが、観察者としてドッペルゲンガーの最期に興味があるらしく妹紅の側についた。妹紅としてもただそこに立っているだけでいいので何の労力もいらず、協力するとはいっても実に楽なものである。
時間を裏返した咲夜は先ず、予め妹紅が用意していた戦闘依頼状を藍に渡す。
セピア色の世界に八雲紫と同じ姿の八雲藍がいる。攻撃してくる様子はなく一先ず安堵する咲夜。交渉の継続の為のパスワードを言い了承されると、人工的な知能として存在する藍の思念体に依頼状を渡して文章で仕事の内容を知らせる。全ての前準備が終わると、一つ深呼吸してフランドールの部屋にゆっくりと歩み寄る。
予め部屋のドアを開けていたので、近付くにつれ部屋の中が見え始める。
「いる・・・。」
あの時感じた純粋な殺意がフランドールの部屋の中に存在しているのがわかる。だが、こちらに気付いている様子はない。気配を殺しながら咲夜は一度振り向いて藍までの距離を測り、自分よりはるかに速いドッペルゲンガーのスピードも考慮してどの程度部屋に近づけるか計算する。
「この位置が限界か・・・。」
これ以上近付くと藍の能力の有効範囲に戻れなくなると悟った咲夜はナイフを取り出して構え、押し殺していた気配を解放して自分の存在をドッペルゲンガーに知らせる。
間髪入れず部屋から反応が現れ、入り口にあの白と黒のメイド服を着た純粋な殺意の塊が現れる。あの時は怖じ気づいた咲夜だが今は違う。心の準備は出来ているし勝てる算段もある。心の中で『よし!』と気合いを入れる。
オリジナルである十六夜咲夜を発見した黒いメイドは、殺意を全開にして躊躇無く突進してくる。咲夜は下がりつつナイフの弾幕を張って突進のスピードを抑えようとするが、ドッペルゲンガーもまた無数のナイフを召喚して弾幕を弾幕で相殺する。召喚するナイフの数が圧倒的に向こうの方が多く、自分の弾幕をかいくぐったドッペルゲンガーの弾幕を手持ちのナイフと華麗なステップで下がりながら回避する咲夜。
ナイフ同士が衝突する乾いた金属音が木霊する一本の細い通路。軌道が逸れて行き場を失ったナイフは背景に溶け込んで模様と化す。
あっと言う間に間合いを詰められた咲夜は、前を向きながら後ろに下がっている体勢を改め、後ろに向き直って無防備な背中を晒しながら後方にいる藍がドッペルゲンガーから見えない様な位置取りで全力で逃げに入る。
勝利を確信したかのように、殺意と歓喜が入り混じった表情のドッペルゲンガー。咲夜の背中にナイフを突き立てようとした瞬間、ドッペルゲンガーの視界が固定される。
藍の領域に入ったドッペルゲンガーはその力で肉体の全機能を硬化させられ動きが強制的に止められる。痛みを感じないドッペルゲンガーは、何故動けないのか理解出来ず振り返って近付いてくる咲夜を苦々しく見つめる。
咲夜は動きを止められたドッペルゲンガーが突き立てたナイフをその手からそっと奪い取る。
数分間は死なないと思うが、このまま死ぬ前に自身がトドメを刺さなければならない。人を殺す事は簡単な作業である。死から逃れようと抵抗する小動物を狩るより人間を殺る方が簡単だと経験で知っている。
しかし、咲夜はナイフをドッペルゲンガーの心臓に突き立てる簡単な作業を躊躇っていた。
「この人は・・・きっと・・・。」
咲夜は封印した古い記憶が蘇っていた。時を止める力があることが判明し、研究の為にカプセルの中で自由を奪われ人体実験をされたあの時の記憶が・・・。
あの時、ここから自分を出してくれる救世主の到来を信じた。自分を害する者達を殺戮する復讐の悪魔との契約を願った。絶望の中で死にたくとも死ねない自分を殺しに来てくれる死神を歓迎した。
このドッペルゲンガーはあの時、自分の怨念によって生まれた幻影なのだ。
人の心を取り戻した咲夜にとって自分から生まれた自分自身を申し訳なく思う。これは初めての感覚だった。
「ごめんなさい・・・。」
苦しみ、悲しみ、絶望から救って欲しくて自らが作りだした幻に謝罪する咲夜。
「もう、私には必要ないの・・・苦しみを分かち合える仲間がいる。一緒に悲しんでくれる友がいる。行き場の無い負の感情を受け止めてくれる敵が自分にはいる。そしてこんな愚かな私でも受け入れてくれる幻想郷という居場所があるの・・・。」
咲夜は自然と溢れる涙をそのままに、ナイフをドッペルゲンガーの胸に静かに埋めていく。肉を裂き、骨を砕く音がその手に伝わってくる。動けない身体となったドッペルゲンガーの断末魔の絶叫の代わりに全身の脈動が悲鳴となってナイフを伝わって咲夜の心に響く。
やがてナイフは柄の部分まで胸に埋まり、真っ赤な瞳に宿った純粋な殺意の光が次第に褪せていく。
「・・・ごめんなさい。」
咲夜はもう一度謝罪し、そして動けない自分自身の影に優しく抱擁した。
絶命した事を受けて藍は術を解くと、抱擁した咲夜に幻影が重くのしかかる。霊的な存在ではなく、物理的に存在するそのドッペルゲンガーの不意に掛かる重みに耐えられずそのまま床に座り込む咲夜。
抱きながら自分自身と同じ髪を優しくなでようとしたところで、すっとその場から宙に掻き消えてしまう。心にぽっかりと穴が空く。何か大切なものを失ってしまったと、咲夜の中で悲しみが込み上げ大粒の涙が止めどなく流れ落ちる。
初めて命を奪った罪悪感が咲夜の心を締め付けた。
現実の世界で事が始まった時と事後は同時で、立っていた咲夜が座り込んで号泣している姿に変わったのは一瞬だった。
「ど、どうしたの?咲夜?」
咲夜の様子に驚いて側に歩み寄ろうとするパチュリーは、作戦が失敗したのかと疑う。
妹紅はそんなパチュリーのか細い肩に手を置いて制止させる。抗議の目で振り向くパチュリーは、妹紅の穏やかな表情を見てハッとしてもう一度咲夜に向き直る。
「ドッペルゲンガーって、言ってみれば出来の悪い双子の妹みたいなものだろ?でも、どんなに出来が悪くても血を分けた姉妹だ。失って悲しまない姉はいない。違うか?」
「咲夜・・・。」
「咲夜の心にはぽっかりと大穴が空いただろう。でも、それはすぐに埋まる。でも、今はそっとしておこう。」
妹紅がそういうと気が利かない主の代わりにルビーが二人の横に立ってそれぞれの肩に手を置き図書館に転送する魔法をかけた。
図書館に戻った3人はテーブルに向かって歩き出す。妹紅は一仕事終えて足取りが軽かったが、何故かパチュリーはうなだれてとぼとぼと肩を落として歩いていた。
「咲夜の事を大事に思っているのに、どうして永遠の敵だなんて言うの?」
席についた早々、パチュリーは疑問を口にする。
「あいつを暴走させないためには抑止力が必要だ。」
「でも、敵対してまで貴女が損を被る事はないでしょ?貴女に何の得があるというの?」
「損得は関係ない。信頼された以上、それに満点で応えるだけの話しよ。」
「それは、魅魔に咲夜の事を頼まれたから?」
「ええ。」
「魅魔だって別に昔からの友人というわけではないのでしょ?」
「今も別に友人というわけじゃないけど。」
「それなら尚更頼み事を聞く筋合いはないじゃない?その為に咲夜と敵対関係になるなんて、貴女に何の得があるのよ!」
パチュリーの執拗な問いにさらっと答え続ける妹紅の態度に苛立ったのか最後は席を立ってテーブルを叩き、前傾姿勢で詰め寄るパチュリー。
お茶を入れ直してきたルビーがティーカップを置く寸前で慌てて戻す。
「信任を得た以上、それに応えるのが道理だ。相手が誰であろうと・・・。」
「バカげているわ!魅魔の言いなりになって、事が済んだら掌を返されて捨てられて、裏切られるって事もあるでしょ?あの人は悪霊で、呪いを得意とするネクロマンサーよ?それをどうやって信じるのよ?」
師匠として尊敬しているが、敢えて悪く言って妹紅の反応を見るパチュリー。ネクロマンサーという意味が分からない妹紅だったが、恐らく余り良いものではないだろうと容易に想像がつく。
「魅魔が私を信任する事と、私が魅魔の信任に応える事は、全く別の話よ。」
「そ、それは・・・。」
鈍器で思い切り殴られた様な衝撃を受けて咄嗟に言葉が出ないパチュリー。崩れ落ちるように席に腰が落ちる。見返りを必要としない無条件の奉仕など、パチュリーには考えられないことだった。
「裏切られる事が怖くないの?心が痛むしょ?」
それでも食い下がるパチュリー。何としても言い負かしたい心境になる。
「どうせ腹が減るからって何も食べなければ死ぬ。」
裏切られる、心が痛むからと誰も何も信用しないのでは誰の信頼も得られないと遠回しに諭す妹紅。
「食べ物と同じにしないで、心の痛みは重要な問題よ。心をすり減らしてそれで死ぬ人だっている。」
「生憎と私は死ねないからね。」
戯けて見せる妹紅だが、パチュリーは一向に下がらない。
「それでも、心は痛むしすり減るでしょ?」
「痛む程ご立派な心は最初から持ち合わせていないから、すり減る心配も無用よ。」
「やめてよ!そういうことを言うのは!」
パチュリーは顔を両手で覆い、とうとう泣き出してしまう。パチュリーはフランドールの件から始まり、レミリアの件、咲夜の件など妹紅に助けられてばかりであり、それに対する感謝の念が大きい。しかし、妹紅はそれを何とも思っていないようでもどかしいのだ。
何か礼をしたい。言葉ではなく、妹紅の苦労を和らげるような役に立つような事をしたい。しかし、今の自分に妹紅にしてやれることはない。それが悔しくてしかたがなく、その思いが涙となって溢れでた。
妹紅はこの状況で真っ先にやったことは、主の傍らにいるルビーの顔を見る事だった。
ルビーは妹紅に見られて、無言の相談を受けるが首を振って気遣い無用と返答した。饒舌な今日の主の様子はルビーも初めて見るもので、パチュリーにも変化が生じている事が伺え、良い傾向だと考えているのである。
妹紅はテーブルに突っ伏して泣いているパチュリーの背中を優しく撫でる古の悪魔という不思議な光景を見る。この悪魔の方がよっぽど上なのに弱々しい主を大切に思って愛情を持って接している。
パチュリーの涙の意味は分かる。少し意地悪し過ぎたかとも後悔する。ただ、妹紅は最初から魅魔の弟子であるパチュリーは信用しているところから事を始めているので、今更親睦を図る必要はないと思っている。
ただ、パチュリー側からすれば妹紅の信用は魅魔を経由してのもので、自分自身が自力で得たものではないという自覚がある。紅魔館の知恵袋として妹紅の同盟者としてパチュリー・ノーレッジ個人の信用を得たいと思っているのだ。
妹紅が紅魔館を訪ねたのは、ある用事の為である。
パチュリーを最初から信用している妹紅としては、当然彼女に相談や協力を仰ごうと思っていた。
今のパチュリーは与えられているばかりで自分から妹紅に対して出来る事が無く、信頼や信用は互いにイーブンであるべきというプライドの高い魔法使いらしい解釈をしているようで、だからこそ引け目のような感情が出てしまうのだ。
妹紅としては、その気持ちが分からないでもないのだが、パチュリーがここまで人間的な思考を持っている事は想定外だった。もっと妖者らしく自分勝手で他人を気にしない者とばかり思っていたのだ。
ルビーの視点からは、咲夜同様今日一日でパチュリーが別人になったかのように感情を表に出す主に戸惑いつつも良い事だと思って状況を注視している状態である。
「(信用はあくまで自分が相手に対するもので、相手から信用されるために何かをする、じゃないんだけどな・・・。)」
妹紅は頭を掻いて面倒臭い状態になっているパチュリーを見る。
「(口で言っても分からないやつは、実際に体験させるしかないな・・・そうだ、あれをやらせてみるか。自分がやってみせるつもりだったが、こちらの願いを叶えた事でこいつも少しはふっきれるだろう。)」
妹紅はここへ来た最大の理由をパチュリーを使って劇的に演出する事を思いついた。
「パチュリー、私は貴女を信用している。でも貴女は私を信用していない。」
机に伏せて泣いているパチュリーはその言葉を聞いて、今度は頭を上げて怒りを表す。
「私は貴女を信用しているわ!」
妹紅の予想通りの反応をするパチュリー。
「なら、これ食って見ろ。」
妹紅はそういって、まっ黒の怪しい光沢のある小さな玉をテーブルに置いて見せる。そして、差し出された玉を注視するパチュリーを尻目に妹紅はルビーの目を一瞬見る。ルビーはそれに気付いてこれまでと様子の違いを感じ取る。
これは、ただの飴玉で子供に言う事をきかせる時に使う道具でもある。紙の包みを見ればそれが里の和菓子屋のものとわかるので、予めポケットの中で包みを解いておいた。
ただの飴玉も包みがないと得たいの知れない怪しい物に見えるから不思議である。それを知らない人にいきなり食って見ろと渡しても、はいそうでうすかとはいかない。
「え?」
案の定疑問の声を上げて真意を探ろうと妹紅を見るパチュリーだが、ここでルビーがその玉をとってポイっと口に放り込んで美味しそうにコロコロと歯音を立てる。
妹紅の気配を一瞬で読み取って行動するルビーに対して、何も知らず驚くパチュリー。
「どうやら貴女よりこの悪魔に信頼されてるみたいね。」
「ちょ、ちょっと待ってよ!今のはずるいわ!」
「これが飴玉と知ってればすぐに食べたといいたいの?じゃーこの悪魔はどうなの?彼女は飴玉かどうかはしらなかった。でも、信用をおいた者が差し出したものが何であれ、それが害となることはないと思って有り難くいただく。」
「信用というのはそうやって計るものではないわ。」
「そうかな?私が何を基準に誰を信用するかは、あくまで私の基準であって、貴女の基準じゃないでしょ?」
「そ、それは・・・。」
またしても反論出来ないパチュリー。膝の上の服の生地をぎゅっと握りうつむく。
「貴女は頭が良いから、頼まれた依頼は出来るか出来ないかを先に判断してしまう。私は頼まれた時に出来る事かどうかはわからず全力で挑むだけ。」
「でも、それで失敗したら、貴女自身にも害になるし、頼んだ人の信頼も損ねてしまうわ。」
「私はね。物を頼む時失敗するリスクも考えるし、頼んだ人の命や家族の事も引き受けるつもりで、その人を信用してものを頼むわ。」
「!」
「パチュリー、貴女はそこまで考えて頼んだり頼まれたりしたことはないでしょ?」
確かにパチュリー・ノーレッジの人生に於いて、他者の家族まで引き受けてまでも難しい依頼を誰かに出した事はない。そして依頼を達成出来る確率が低い案件は先に断るだろう。
「でも!その時が来れば出来るわ!」
なおも食い下がるパチュリー。
「その時を今、貴女に与えてあげましょうか?大口叩くのだからその覚悟は既に出来てるのでしょう?」
「う、それは・・・。」
口で強がりを言うものの、いざそれを与えられた時怖じ気づくパチュリー。『今度は大丈夫』は裏を返せば今その能力がない事を示している言葉である。自分で口にした今ではない『その時』を今妹紅に与えられようとしている。
「只とは言わない、私の依頼を受けてくれるなら、成否にかかわらず貴女にいいものをあげるわ。」
更に、その信頼に応えた報酬も用意するという。予想外の展開に引くに引けなくなるパチュリー。
藤原妹紅が今更こちらに不都合な事をけしかけてくる事はないだろう。しかし、そう考える一方で危険を警鐘する打算的な自分自身がいる。常に物事を合理的に考え無駄な作業をしない、極力動かないことをポリシーにしている自分がいるのだ。それだけに妹紅の信用を得るには正に生き方を変える選択に迫られる気がしてならない。それはパチュリーにとって未知の領域でとても恐ろしい事だった。
妹紅はそんなパチュリーの内面を見透かす様に楽しそうにほくそ笑む。その馬鹿にしたような薄笑みが意外と負けず嫌いなパチュリーに火を付けた。
「与えて頂戴!私を試すというのなら受けて立ちましょう!」
怖じ気づくかと思ったが、想像以上に負けず嫌いのようだ。妹紅も心を決めて、今日ここに来た本当の理由をこの動かない魔法使いを動かして行う事に決めた。
「お待たせして申し訳ありません。」
パチュリーの心が決まったタイミングを計ったわけではないが、先程一人フランドールの部屋の前に置いてきた十六夜咲夜が再び図書館に現れるが、妹紅は無視し、パチュリーも闘争心に火が点いて咲夜どころではなくなっている。ルビーだけが向き直って軽く会釈し肩をすくめた。
「これは、お前を試す試験だと思って欲しい。だから、敢えて何も言わない。これから私がする事に対して自分で考えて適切に行動しろ。但し、時間はないぞ?10秒程だ。考えていたらあっと言う間に過ぎる時間だ。」
「・・・。」
パチュリーは妹紅の出した試験の課題の意味が理解出来なかったが、先程の様に狼狽える事はしなかった。ムキになったパチュリーはどんな事でもやってみせるという強い意思があり、そして先程の飴玉の事ではないが、それに近い心理テストの様なものだと決めつけ、トリックにかからないように心の準備をする。
妹紅は、そんなパチュリーの心理を見透かして、これから自分が見せるある事にびっくりして何も出来ず絶対失敗するだろうと確信する。だが、そう確信しつつも妹紅はここでパチュリーが失敗しないために策を講ずる。
ルビーと呼ばれる賢い悪魔を信頼している妹紅は、一瞬ルビーの目を見て何かを伝え、ルビーも何かを受信して目を細めて心構えをする。お互いに具体的に何も伝えていない、ただこのアイコンタクトだけで十分何かは伝わった。これだけでいい。必ずこの悪魔は自分の予想通りに動く。
妹紅は全ての下準備を整えると、モンペに手を突っ込んで細い巻物を取り出す。
今来たばかりの咲夜は状況が掴めず階段を降りて2人から少し離れた場所で様子を窺う。
お茶を飲んでいた丸テーブルの上にその巻物を開いて手を押しつけた妹紅は紙全体を満遍なく擦って、何かの呪文の様な紋印の絵柄をそこに描く。
固唾を呑んで見守っていたパチュリーはそれが何かの呪文の巻物だとすぐに分かったが、それは模様が描かれているだけの紙で、魔力や妖力の類がそこに込められていない事を理解する。魔法として発動するのに必要な触媒がなければこの巻物は発動しないはずである。
次に妹紅は、どこからともなく金色の細い糸を取りだし、紙に置くとそこに手を乗せて巻物に刷り込む。チリチリと焦げる匂いが僅かに周囲に立ちこめる。
巻物はその金色の糸を練り込まれた途端に妖気を帯び、何らかの術が発動する本物の魔法の巻物に変わった。術を別の物に写す、魔法付与いわゆるエンチャントは高位の魔法使いしか使えなず、パチュリーには簡単な初歩的魔法にしか出来ない事だった。パチュリーはエンチャント出来る妹紅の実力を改めて思い知らされた。
「いくぞ?心の準備はいいか?」
ルビーがパチュリーの直ぐ後ろに気付かれず移動した事を確認し、テストの開始のタイミングをパチュリーに委ねる。
パチュリーはその巻物に込められた術が発動し、それに対処をすればよいと判断する。しかし、どんな術が発動するのか全く分からない。妹紅は適切に判断して行動しろと言うが、現状で何をどうすればいいのかわからず、ぶっつけ本番でいくしかなさそうである。
パチュリーは意を決し、強く大きく頷いた。
「いくぞ!」
パチュリーの合図で、即座に術を発動する妹紅。巻物はボンと音を立てて一瞬煙に包まれ、そしてその煙が消えるとそこに、にわかに信じられないものが現れる。
「!!!!!!」
この時起こった現象に妹紅以外の3人は余りの衝撃に一瞬固まった。
何と妹紅の横の空間に裂け目が開いているのである。これは八雲紫が使うスキマと同じである。
パチュリーは思わずスキマを二度見して次に妹紅の顔を見る。その妹紅は右手を前に差し出して指を折って勝ち誇った顔で時を数えている。
「(ここに入れというの?無理よ、無理だわ、絶対に無理よ!)」
有り得ない事が目の前で起こっている。藤原妹紅がスキマを使っている。
「(いや、これはきっと幻術か何かでそう見せられているのよ!?)」
パチュリーは直ぐに気付く。これはテストだといった。自分を試すテストだと。ならここに飛び込むのが正解だ。どうせ飛び込んでもそこには何もないはずだ。簡単なトリック事だ。数歩前にでてこのスキマに飛び込めばいい!
「(出来ない!)」
しかし、パチュリーは足が前に出なかった。万が一それが本当のスキマならどこに出るかも分からない次元のスキマになぞ入れるわけがないではないか!
妹紅の指は刻一刻と時を刻み続け、5本の指が全て折れる。5秒が経過した事を示す。
ごくりと生唾を飲んで怖じ気づいたパチュリーは前に出すはずの足を後ろに下げる。だが、その時、パチュリーは背中に強い圧力を受けてそのまま前につんのめり、自分の意志に反してその入りたくないスキマに飛び込んでしまう。
きゃーという絶叫が図書館を騒がせたが、その悲鳴は直ぐに遠ざかる。まるで深い井戸に誰かが落ちたように・・・。
「ぱ、パチュリー様!」
状況を見守っていた咲夜はルビーの予想外の行動に為す術もなく、一歩前に足を踏み出した状態のまま固まる。そこで自分は何をすべきなのか咄嗟に思いつかない咲夜。
パチュリーを後ろから突き飛ばしたルビーは妹紅に向き直りニヤリとすると、そのまま主人の後を追ってスキマに自ら飛び込んでいく。
妹紅は時を刻むのを止めそのまま両手を腰にあててやれやれと肩から力を抜く。そしてすぐにスキマは閉じる。
「こ、これはどういうことですか?」
取り残された咲夜は妹紅に問い質すが、妹紅は完全に咲夜を無視し魔法陣の前に移動する。そして、斜め後ろにいる咲夜に一瞥を入れてまた前を向く。
無視された咲夜は内心穏やかではなかったが、その妹紅を見て何かの合図かと思い背後に歩み寄る。
「これ、藍に渡して。」
後ろに来た咲夜の気配を感じた妹紅はポケットから手紙を取り出し、咲夜を見ずに手紙を肩越しから後ろに差し出す。
「今日ここに来た理由がそこに書いてあるわ。これを藍に渡して。藍から口頭で説明されるかもしれないから、一言も漏らさず書き留めておいて。」
「・・・分かりました。」
互いに一度づつの約束。自分の分の約束は既に果たされた。後は妹紅の約束で、その約束を果たす時が唐突に訪れた。
咲夜は何も考えず、ただ妹紅の依頼を実行するために長い後ろ髪の間から飛び出ている手紙を掴んで抜き取り世界を裏返した。
手紙が手から抜き取られた次の瞬間、手から消えた手紙とは別の物が手に挟まれている事に気付く妹紅。
妹紅は驚いたが、戻ってきた咲夜がそのままの姿勢だった妹紅の手に藍からの返書を差し込んだのだと直ぐに理解した。
「戻りました。」
「どのくらい時間がかかった?無理な注文だったから相当時間がかかったでしょ?」
「いえ、先程の手紙を藍さんに渡したら直ぐにそれを手渡されました。」
「え?」
妹紅は驚いて咲夜に向き直る。その時魔法陣が開いて興奮状態のパチュリーと、たんこぶをこしらえてトホホ顔のルビーの2人が帰還した。
「も!」
妹紅の名前を叫ぼうとして、妹紅と咲夜が何やら神妙に話をしているの見つけて口をつぐむパチュリー。
「それは本当?」
「はい、嘘ではありません。予め準備していた感じでした。」
妹紅は受け取った返書を改めて見る。外側を包み紙で厳重に封をされた状態で十字に太め糸で縛っていた。それなりに厚みがあり、中に手紙が入っているなら数十頁に及ぶ膨大な情報量が封入されていると思われる。
これをすぐに渡したと言う事は、咲夜が言う様に予めそうする準備をしていたに違いない。妹紅はこうなることを予測して予め用意してくれていた藍に感謝した。
「ありがとう、助かったわ。」
「いえ、礼には及びません。」
かしこまってお辞儀をする咲夜。
妹紅は直ぐにパチュリーに向き直り、咲夜から受け取った小包をそのまま開封せずにパチュリーに差し出す。
「試験はどうやら合格のようね。これが試験に合格した貴女へのご褒美よ。」
話が読めないパチュリーだが、この小包が藍から受け取った物だと言う事はこの時知らず、そのまま素直に受け取る。
「何が入っているの?」
「開けてみたら?」
パチュリーは、色々な事を妹紅に問い詰めたかったが、取り敢えず多少反則気味でも試験に合格した事と、そのご褒美に満足し嬉しそうにそれを開封する。
「ふふふ。」
その様子を見て妹紅は笑みをもらし、ルビーも声に出さずクスクス笑う。
「な、何よ!」
笑われて照れくさそうに怒るパチュリー。
「さっきまでの貴女は、そんな怪しい封筒渡されても絶対に開けなかったでしょうね・・・。」
「あ・・・。」
紐をハサミで切り、厚い油紙の包みを解体しながら、重要な事に気付くパチュリー。
「あれがまさか本当にスキマだとは思わなかった。幽明結界に出た時は本当に信じられなかった。でも、身を持って体験してしまえば、もう信じるしかないものね・・・。」
これまで物事を頭だけで考え実践を疎かにしていたパチュリーは、ルビーの後押しでスキマをくぐった事で、未知への恐怖をその身でもって克服した。百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、パチュリーは妹紅に対して完全なる信頼をおけるようになったのだ。それが、不意に渡された封筒を何の疑いもなく開ける態度に出たのである。
「話したい事は色々あるだろうけど、取り敢えずそれを開けて。今日ここにきた目的と答えがそこにあるはずよ。」
パチュリーはそれを聞いて、この封筒が藍から貰い受けたものだと知る。
「わ、私が開けてもいいの?」
もう外包みにハサミが入って中身が取れるところまで来て、重要な書類だと知って躊躇うパチュリー。
「そこまで開けたのなら最後まであけたら?」
パチュリーは妹紅に言われて気まずそうに丸テーブルに移動して中身を取り出しそこに置く。自分で買った物や自分宛の物は、自分自身で開封するのがポリシーであるだけに、妹紅宛ての物を不可抗力とはいえ先に開けてしまったことに強い罪悪感を感じるパチュリーだった。
包みの中に入っていたのは書面の様な文章で情報を伝えるものではなく、一枚の大きな紙を限界まで小さく折り曲げたもので、それは小さな丸テーブルでは収まらないほど大きな幻想郷の地図だった。
それは、ただの幻想郷地図ではない。異なる空間密度が詰め込まれている複雑な座標情報が記された幻想郷の秘密を暴くとてつもなく重要な地図だったのである。
大きな水晶球に十六夜咲夜と紅美鈴とのやりとりが映し出されている。
誰かのプライベートを覗き見る趣味は無い藤原妹紅だが、水晶球の所有者である魔法使いは特に罪悪感を感じている様子はなく、いつもの事の様に平然としている。実際パチュリー・ノーレッジは、紅魔館内のセキュリティーを管理しており、ルビーのコピーである七曜魔の視界を自由に使う事が出来、この映像は管内から現場を拡大望遠で見ている木属性碧のエメロードからのものである。
このことは十六夜咲夜も、館の主レミリア・スカーレットも知らない。
藤原妹紅は自分なりの視点で紅魔館の人間関係を予測していたが、この映像を見るにつけ、その予測が外れていた事を知る。
紅魔館は、吸血鬼レミリア・スカーレット姉妹を頂点に、その下に忠実な僕でメイド長である十六夜咲夜が、館の実質的な運営者と見ており門番の紅美鈴の存在は気にも留めていなかった。
メイド長の下に門番がいて美鈴は咲夜からあごで扱われる存在と思っていたのだが、意外な事に咲夜は全幅の信頼をこの門番に寄せており、魔性の力を持ちながらも何とか人間として踏みとどまっているのは、他でもないこの門番のお陰だったのである。
深紅の悪魔に差し出された薄紅色の暖かい液体、紅茶とやらが入っている白いティーカップを正面のパチュリーにならって音を立てずに口を付ける妹紅。液体は直接飲まず唇についた液体を口の中の舌で確かめる。毒が入っているとも思えないが初めて口に入れる物はそうやって一応確かめる癖がついている。
ルビーと目が合い、先程の駆け引きで見事に敗れた言を思い出す。妖酔の時もそうだが慧音の件以降、妹紅が得意としていた情報戦で連戦連敗中であり、この事は自分で思っている以上にショックで後に引きずりそうだ。
この悪魔は、悪鬼となった妹紅よりも太古の昔から悪魔をしている根っからの悪魔である。人間に罪という概念を与えた悪の根源とも言える存在で妹紅とは年期が違う。妖酔も自分よりもはるかに年齢は上だろうと思うし、そう考えると自分はまだまだひよっ子なのだと思い知らされる。全てを会得し、あらゆる事象に対処出来ると自負し、それに誇りを持っていただけに尚更落ち込む。
そんな見るからに元気がない妹紅をパチュリーは心配する。
パチュリーはフランドールの件や魅魔の件以降、妹紅に対する印象は頗る良く、今回の件でも結果として咲夜の更生に繋がりそうで、図らずも理想的な展開になりつつある事に満足している。
咲夜の取るべき具体的な行動に関しては、ルビーを経由して全て魅魔から聞いており、咲夜がセレーネ・スカーレットの思念界からアルカードの血晶石を持ち帰る際、その最強の力を目の前にして正気を保っていられるかが最大の問題点だった。
これまでの咲夜なら、間違いなくその力を前にして欲望に屈してしまうだろう。しかし、大切な存在である美鈴との関係を終わらせる苦しみと悲しみを知った今の咲夜なら愚かな選択はしないだろう。
パチュリーの造りだしたルビーのコピーのファミリアの一人、本日咲夜のサポートつまり副メイド長の任に就いているペリーの視界に水晶球の映像が切り替わる。
メイドの控え室に隣接する洗面所で汚れた顔を洗って化粧を直し、血まみれのメイド服を着替える。それを手伝うペリーは、いつもと雰囲気が違う咲夜の様子を見て不思議に思う。
「もうすぐ咲夜が来るわ。」
ペリーの視界から咲夜の身支度が整った事を知らせるパチュリー。
「そうか。」
興味なさそうに答える妹紅。
「咲夜の事、許して貰えないかしら?」
改めて咲夜の無礼を詫び頭を下げるパチュリー。
妹紅としては咲夜の事はどうでもよく、今は落ち込んだ自分を振るい立たせる材料を探すのに手一杯だった。
「許すも何も、罪を犯したのは私の方だ。」
この場合、妹紅に罪はない。しかし、妹紅は自分に罪があると言う。これは、謙譲心で言っている事ではなく本心でそう思っているようだ。
「どうして貴女は、そうやって自分を下に置こうとするの?」
謙虚さは人間、いや日本人のみにとって美徳かもしれないが、少なくとも妖の社会では全く通用しない考え方である。パチュリーとしては、その力を認める数少ない存在の妹紅が悲観的になっている事が心配であると同時に、もう少ししっかりして欲しいとも思い珍しく食い下がる。
「人間と妖怪の違いは何だとおもう?」
「突然そんな事を言われても・・・。」
パチュリーの数回にわたる問い詰めをはぐらかすように妹紅は逆に質問をする。そしてそれに咄嗟に答えられない自分に苛立つパチュリー。
「あんたも元は人間だったんでしょ?」
「人間時代の私は社会不適合者の烙印を押されたどうしようもない存在よ。そんな私が人間としての自分を語れるわけがないわ。」
死ぬまで本と共にあればいいと公言し、そしてそれを実行して封印された禁書の牢獄に取り残された事がきっかけで魅魔と出会い今の自分になったパチュリーである。
「妖怪ってのは生きてこそ価値がある存在で、人間は死んだ時に価値が生まれる存在なの。」
「死んだ時に価値が生まれる?」
「そう、だから死ねない私に人間としての価値は全くないのよ。」
自分が無価値だとさらっと言ってのける妹紅。こういう台詞は妖怪は絶対に言わないことである。
この時パチュリーは、短命な先代、5代目パチュリー・ノーレッジの事を思い出した。彼女は6代目の自分が、目覚める10歳のレミリアと同世代の若干の年長者になるように、意図的に命を削って早死にしているのだ。
「善人として死ぬ者、悪人として死ぬ者、そして最初は善人として生き悪人で終わる者、その逆も然り。人間とは死んで初めて記録が後に継承され、継続する人間社会の規範となって歴史に積み重ねられる。だから死なないと本当の価値が出ない。」
他の妖者が聞けば戯言にしか聞こえない妹紅の言葉もパチュリーは身に染みて分かった。今現在生きている自分に価値は見いだせない。しかし、初代から先代までの存在に価値があるのは歴然で、その流れに自分がいることを改めて知る。そう考えると自分は何をやって死ぬべきかと考えてしまう。この思考は人間特有のものだと、他人事の様に考えていたが、無意識にその思考に走っている自分も種族としての基礎的な部分は人間なのだと自覚する。
「私に気を遣う必要はないわ。」
何も言い返せず押し黙るパチュリーを慰める様に言う妹紅。
藤原妹紅の霊格は1300年間輪廻していないので非常に低い。生き物は高位の魂が宿る存在ほど霊格も高く、人間はそれを目に見えて感じる事は出来ないが、人間社会においては霊格が高いと自然に高位の地位を得たり尊敬されたりと人格に直接現れ、自然と霊格と地位が比例するものである。
感覚の鋭い妖者は、霊格の高さを熱量で感じる事が出来、姿を見るだけでどの位強いのか理解出来る。
妹紅の熱量は実際の強さに対してドが付く程低い為、相手は能力を見間違ってしまい油断する。妹紅と幽香の最初の闘いで幽香が千年振りにブチ切れてしまったのも余りにも格下に見えた存在が生意気な事を口にしたためで、八雲紫もあなどって予想外の行動に面を喰らい、永遠亭との戦闘に於いても八意永琳は終始妹紅を侮り続けて足元をすくわれたのである。そして何れも妹紅に対する態度を改めている。
この妹紅の実際の強さと存在の大きさを表す霊格の食い違いは闘いに於いては相手の油断を引き出す武器になるが、対等に会話をしたがる相手にはストレスに感じる事が多く、それらをある程度理解している妹紅としては相手に無理をするなとしか言えないのだ。
「で、でも・・・。」
パチュリーは不死人狩りで一度スペルカードルールで妹紅と対戦したが、この時、不死身の妹紅を利用してフランドールのストレス解消を思いつき実行した。この時のパチュリーは妹紅を人として見て居らず、犬猫以下に見えたのでそんなことを思いつき、躊躇いもなく実行したのだ。
妹紅はこの連夜の夥しい死に嫌気が差してフランドールの破壊の衝動を抑える方法を刷り込んだが、結果としてフランドールは更生し紅魔館に平和が訪れた。
これまでフランドールのストレス解消は主にファミリア達で、パチュリーは彼女達の犠牲に心を痛める毎日だった。
パチュリーはファミリア達の代わりに妹紅を利用したわけだが、その相手に救われた結果となり紅魔館の住人の中でも特にパチュリーは妹紅に対する感謝の念が大きく、先日魔理沙の家で涙ながらに妹紅に謝罪と感謝の意を表明したばかりなのである。ルビーが妹紅に対して好意的なのも自分の子供ともいえるファミリア達が死なずに済んでいるのが妹紅のおかげだと分かっているからだろう。
歴代パチュリー・ノーレッジの導師である魅魔のアドバイスのおかげで今の自分があると思っているパチュリーは、師として直接学んだ事は無いが、魅魔を師匠として仰ぎ尊敬している。その師が全幅の信頼を置いているのが妹紅である。
そして、先程の咲夜の件。咲夜に人としての心が芽生え始めているのは、水晶球の向こうで身支度を整え、図書館に向かいつつある咲夜の表情を見ればわかる。今の咲夜なら安易な選択をせず、レミリアの予言成就に力を貸す頼れる存在になるはずである。
どれもこれも藤原妹紅のお陰。しかし、彼女はそのことを全く自分とは関係のないことの様に思っており、そこに、自分と藤原妹紅との間に大きな壁があるようでこれ以上踏み込めず、もどかしい気持ちになる。
霊夢や魔理沙の様に他人の家なのにずけずけと横暴に振る舞う様子もなく、あてがわれた席に大人しく客としての態度を演じてくれる。パチュリーとしてはこういうまともな人間と交友を持ちたいのだ。
先程までの恐ろしい表情はどこへいったのかまるで別人の様に何だが元気がない妹紅。その原因を自分達が作り、それを詫びようとしても、逆に向こうが詫びてくる始末。初めての体験でパチュリーはどう話を切り出していいのかわからなかった。
そんな時、ルビーの雰囲気が少し変わり、図書館に何者かの来訪を報せる。
妹紅の様子も少し変わり、表情が硬くなり眉が少し上がる。
普通の家であれば二階程の高さの位置にあるバルコニーに現れた咲夜は、無表情のままゆっくりと階段を降り、少し離れた位置で一旦立ち止まりパチュリーらに軽くお辞儀をする。その後、静かに妹紅の前に歩み寄る。
妹紅は席を立って咲夜の前に自らも進み出て互いに手の届く位置に立つ。咲夜に殺気は無いが、妹紅は明らかに殺気を帯びており、先程の静かな会話とは打って変わって戦闘モードになっている。
パチュリーはこれまでの妹紅の様子から事は穏便に済むかと思ったが、またしても予想がはずれる。思わず席を立つものの、2人の間に割り込めずおろおろするしかない自分に幻滅する。
「先程は申し訳有りませんでした。」
気持ちを押し殺す様に敢えて感情を表に出さず無表情のまま頭を下げる咲夜。妹紅は顔が怒ったままポケットに手を突っ込んで少し身体を反って見下すように咲夜の謝罪を受ける。
「十六夜咲夜。」
咲夜の名前を呼ぶ妹紅。それに応じてはいと返事をして顔を上げる咲夜。妹紅は咲夜の決意に満ちた表情を見て、人としての心の取り戻した事を知る。人間は一瞬で変わる。咲夜は明らかに変わった。しかし、妹紅はそんな咲夜に苦言を与える。
「お前が犯した罪は2つある。一つは紅魔館と私を戦争状態にしたこと。そしてもう一つは、私と咲夜の間で取り決めた個人的な信頼関係を壊した事だ。」
「・・・はい。」
首を下に少し曲げて残念そうに同意する咲夜。
「私も大人げなく門番を殺そうとした手前もあるし、それを止めたあのもやしっ娘に借りがある。」
パチュリーをもやし娘などと表したが、これはひ弱な者が虎穴に入った事に対する賛辞の裏返しである。最初これを聞いてパチュリーは内心ムッとしたが、すぐに妹紅の意を汲み取って機嫌を直す。そして、借りだらけのはずの妹紅が自分に借りがあるなどと嘯く態度に恐縮し歯がゆくなる。
「だから、お前が犯した2つの罪のうち、どれか一つは許してやる。どっちか選べ。」
男口調になった妹紅は凄味を効かせて咲夜を睨む。咲夜は妹紅を直視出来ず首の下あたりに視線を置き、1つの選択をする。考える余地などない、紅魔館と妹紅との戦争状態を止めるのが先決である。
「紅魔館は貴女との戦争を望みません。」
そう言って頭を下げる咲夜。
「分かった。紅魔館との抗争はこれで終いにしてやる。その代わり、私はお前個人を絶対に許さない。十六夜咲夜は永遠に私の敵だ!」
「・・・。」
唇を噛みしめ悲しそうにうつむく咲夜。しかし、紅魔館の事を思えばこれは受け入れなければならない事だった。
「では、先にお前の用事を済ませてしまおう。」
「え?でも?」
予想もしなかった妹紅の答えに戸惑う咲夜、そしてパチュリー。
「勘違いするな?個人的な約束事をこのまま残しておきたくないだけだ。互いに1回ずつ。これが済めば晴れて貸し借り無しだ。」
パチュリーはこの妹紅の言葉で理解した。咲夜が現れてからの妹紅の態度が急に好戦的に変わったのを見て、やはり妹紅は咲夜を許す気がなかったと諦めた。しかし、妹紅は始めから咲夜を許す気でいた。それなのにこんな厳しい態度で咲夜に臨むのは敢えて敵対関係を維持する事で咲夜が暴走しないように抑止力であり続けようと自分の立場を明確にしたのだ。これは、予言成就にとって大変重要な事で、当人が口で言っている事とは裏腹に、実質藤原妹紅が紅魔館に完全に味方した事を意味した。
許す事。感謝する事。謝る事。互いに親睦を深めるにはそれらの要素が架け橋になる。しかし、許さず、敵対することで互いを強く結びつけるという選択肢があったことをパチュリーは初めて知った。
強者が互いに敵対しながらも互いに尊敬しあってバランスを保っている幻想郷の仕組みを今理解した。そして、自分も含めて紅魔館が幻想郷の一勢力として未熟だということも実感した。
藤原妹紅に勝てない自分達がその上位にいる八雲紫や魅魔、天狗といった勢力と肩を並べる事など不可能なのだ。そして、藤原妹紅は先を見て紅魔館を八雲紫が一目置く様な勢力に引き揚げようとしているのだ。
そこまで紅魔館を思っているからこそ、咲夜の裏切り行為が心底許せなかったのだ。
パチュリーは、妹紅に関する感謝の気持ちと同時に戦慄を覚えた。そして大きな敗北感に打ちひしがれた。
「私の用件は無効で構いません。今は貴女の用件を先に!」
一人落ち込むパチュリーを尻目に咲夜は先ずは妹紅の用件が先だと訴える。
「ドッペルゲンガーの件は紅魔館と同盟関係にある以上必ずやらなければならないことだ。どうせやるなら先に済ませた方がお互い清々していいだろう?違うか?」
妹紅はそれで清々するだろうが、咲夜にしてみれば関係性を維持したい以上、自分の用件を先延ばしにして契約を継続させたいのだ。
「案内しろ。」
咲夜に命令する妹紅。美鈴の言う通り、今は妹紅の言う事を聞いて彼女に報いなければならない。
「わかりました。」
「フランは?」
「お嬢様とご一緒です。」
「丁度良かったわね。」
フランドールの部屋に移動したパチュリー、咲夜、ルビー、妹紅の4人。部屋の主であるフランドール・スカーレットが居ない理由を咲夜から聞いて納得するパチュリー。
「ここでドッペルゲンガーと接触しました。そして、あの壁に通路が開いていました。」
世界を裏返せばすぐそこに現れるはずのドッペルゲンガーを見る様に咲夜は何もいない空間に声を向けた。
「ふーん。」
妹紅は関心なさそうに、あの凶暴なフランドールの部屋の可愛らしい部屋を意外に思いながら眺める。
壁にたくさんの手書きの下手な絵が貼られている。色使いから姉、咲夜、パチュリー、門番が区別出来る。門番と思しき緑とオレンジ色の絵が多い事から、あの門番はフランドールにだいぶ気に入られているとわかる。
「この前の続きから始まるとしたらここで始めるのは得策じゃないわね。」
世界を裏返した時点で向こうから先手を打たれる可能性が高い。相手は一切交渉が効かない純粋な悪意なのだ。
「部屋の外から始めるべきだろうな。藍は基本私のいる場所から離れられないと思うから、ドッペルゲンガーを私のいる場所に誘い込むしかない。あちらさんも咲夜にしか関心なさそうだし、自慢のナイフで息の根を止めるだけの簡単な作業になるだろうよ。」
妹紅はぶっきらぼうに言っているが、全くその通りだと思う咲夜。
「トドメは咲夜がしっかり刺すのよ。そうしないと何度でも蘇るわ。」
「藍の攻撃は身を持って知っただろ?3分もあれをやられれば確実に死ぬ。その前にお前がトドメをさせ。」
「わかりました。」
確かに妹紅の言う通り簡単な作業なのだろうが、あの藍の攻撃は非常に危険で、咲夜自身軽いトラウマになっている。出来る事なら藍とはもう会いたくはないがここまで来たから腹をくくるしかない。
「いつでもいいぞ。」
部屋を出て通路にもどって適当な場所に陣取る妹紅等3人。パチュリーとルビーは別にここにいる必要はないが、観察者としてドッペルゲンガーの最期に興味があるらしく妹紅の側についた。妹紅としてもただそこに立っているだけでいいので何の労力もいらず、協力するとはいっても実に楽なものである。
時間を裏返した咲夜は先ず、予め妹紅が用意していた戦闘依頼状を藍に渡す。
セピア色の世界に八雲紫と同じ姿の八雲藍がいる。攻撃してくる様子はなく一先ず安堵する咲夜。交渉の継続の為のパスワードを言い了承されると、人工的な知能として存在する藍の思念体に依頼状を渡して文章で仕事の内容を知らせる。全ての前準備が終わると、一つ深呼吸してフランドールの部屋にゆっくりと歩み寄る。
予め部屋のドアを開けていたので、近付くにつれ部屋の中が見え始める。
「いる・・・。」
あの時感じた純粋な殺意がフランドールの部屋の中に存在しているのがわかる。だが、こちらに気付いている様子はない。気配を殺しながら咲夜は一度振り向いて藍までの距離を測り、自分よりはるかに速いドッペルゲンガーのスピードも考慮してどの程度部屋に近づけるか計算する。
「この位置が限界か・・・。」
これ以上近付くと藍の能力の有効範囲に戻れなくなると悟った咲夜はナイフを取り出して構え、押し殺していた気配を解放して自分の存在をドッペルゲンガーに知らせる。
間髪入れず部屋から反応が現れ、入り口にあの白と黒のメイド服を着た純粋な殺意の塊が現れる。あの時は怖じ気づいた咲夜だが今は違う。心の準備は出来ているし勝てる算段もある。心の中で『よし!』と気合いを入れる。
オリジナルである十六夜咲夜を発見した黒いメイドは、殺意を全開にして躊躇無く突進してくる。咲夜は下がりつつナイフの弾幕を張って突進のスピードを抑えようとするが、ドッペルゲンガーもまた無数のナイフを召喚して弾幕を弾幕で相殺する。召喚するナイフの数が圧倒的に向こうの方が多く、自分の弾幕をかいくぐったドッペルゲンガーの弾幕を手持ちのナイフと華麗なステップで下がりながら回避する咲夜。
ナイフ同士が衝突する乾いた金属音が木霊する一本の細い通路。軌道が逸れて行き場を失ったナイフは背景に溶け込んで模様と化す。
あっと言う間に間合いを詰められた咲夜は、前を向きながら後ろに下がっている体勢を改め、後ろに向き直って無防備な背中を晒しながら後方にいる藍がドッペルゲンガーから見えない様な位置取りで全力で逃げに入る。
勝利を確信したかのように、殺意と歓喜が入り混じった表情のドッペルゲンガー。咲夜の背中にナイフを突き立てようとした瞬間、ドッペルゲンガーの視界が固定される。
藍の領域に入ったドッペルゲンガーはその力で肉体の全機能を硬化させられ動きが強制的に止められる。痛みを感じないドッペルゲンガーは、何故動けないのか理解出来ず振り返って近付いてくる咲夜を苦々しく見つめる。
咲夜は動きを止められたドッペルゲンガーが突き立てたナイフをその手からそっと奪い取る。
数分間は死なないと思うが、このまま死ぬ前に自身がトドメを刺さなければならない。人を殺す事は簡単な作業である。死から逃れようと抵抗する小動物を狩るより人間を殺る方が簡単だと経験で知っている。
しかし、咲夜はナイフをドッペルゲンガーの心臓に突き立てる簡単な作業を躊躇っていた。
「この人は・・・きっと・・・。」
咲夜は封印した古い記憶が蘇っていた。時を止める力があることが判明し、研究の為にカプセルの中で自由を奪われ人体実験をされたあの時の記憶が・・・。
あの時、ここから自分を出してくれる救世主の到来を信じた。自分を害する者達を殺戮する復讐の悪魔との契約を願った。絶望の中で死にたくとも死ねない自分を殺しに来てくれる死神を歓迎した。
このドッペルゲンガーはあの時、自分の怨念によって生まれた幻影なのだ。
人の心を取り戻した咲夜にとって自分から生まれた自分自身を申し訳なく思う。これは初めての感覚だった。
「ごめんなさい・・・。」
苦しみ、悲しみ、絶望から救って欲しくて自らが作りだした幻に謝罪する咲夜。
「もう、私には必要ないの・・・苦しみを分かち合える仲間がいる。一緒に悲しんでくれる友がいる。行き場の無い負の感情を受け止めてくれる敵が自分にはいる。そしてこんな愚かな私でも受け入れてくれる幻想郷という居場所があるの・・・。」
咲夜は自然と溢れる涙をそのままに、ナイフをドッペルゲンガーの胸に静かに埋めていく。肉を裂き、骨を砕く音がその手に伝わってくる。動けない身体となったドッペルゲンガーの断末魔の絶叫の代わりに全身の脈動が悲鳴となってナイフを伝わって咲夜の心に響く。
やがてナイフは柄の部分まで胸に埋まり、真っ赤な瞳に宿った純粋な殺意の光が次第に褪せていく。
「・・・ごめんなさい。」
咲夜はもう一度謝罪し、そして動けない自分自身の影に優しく抱擁した。
絶命した事を受けて藍は術を解くと、抱擁した咲夜に幻影が重くのしかかる。霊的な存在ではなく、物理的に存在するそのドッペルゲンガーの不意に掛かる重みに耐えられずそのまま床に座り込む咲夜。
抱きながら自分自身と同じ髪を優しくなでようとしたところで、すっとその場から宙に掻き消えてしまう。心にぽっかりと穴が空く。何か大切なものを失ってしまったと、咲夜の中で悲しみが込み上げ大粒の涙が止めどなく流れ落ちる。
初めて命を奪った罪悪感が咲夜の心を締め付けた。
現実の世界で事が始まった時と事後は同時で、立っていた咲夜が座り込んで号泣している姿に変わったのは一瞬だった。
「ど、どうしたの?咲夜?」
咲夜の様子に驚いて側に歩み寄ろうとするパチュリーは、作戦が失敗したのかと疑う。
妹紅はそんなパチュリーのか細い肩に手を置いて制止させる。抗議の目で振り向くパチュリーは、妹紅の穏やかな表情を見てハッとしてもう一度咲夜に向き直る。
「ドッペルゲンガーって、言ってみれば出来の悪い双子の妹みたいなものだろ?でも、どんなに出来が悪くても血を分けた姉妹だ。失って悲しまない姉はいない。違うか?」
「咲夜・・・。」
「咲夜の心にはぽっかりと大穴が空いただろう。でも、それはすぐに埋まる。でも、今はそっとしておこう。」
妹紅がそういうと気が利かない主の代わりにルビーが二人の横に立ってそれぞれの肩に手を置き図書館に転送する魔法をかけた。
図書館に戻った3人はテーブルに向かって歩き出す。妹紅は一仕事終えて足取りが軽かったが、何故かパチュリーはうなだれてとぼとぼと肩を落として歩いていた。
「咲夜の事を大事に思っているのに、どうして永遠の敵だなんて言うの?」
席についた早々、パチュリーは疑問を口にする。
「あいつを暴走させないためには抑止力が必要だ。」
「でも、敵対してまで貴女が損を被る事はないでしょ?貴女に何の得があるというの?」
「損得は関係ない。信頼された以上、それに満点で応えるだけの話しよ。」
「それは、魅魔に咲夜の事を頼まれたから?」
「ええ。」
「魅魔だって別に昔からの友人というわけではないのでしょ?」
「今も別に友人というわけじゃないけど。」
「それなら尚更頼み事を聞く筋合いはないじゃない?その為に咲夜と敵対関係になるなんて、貴女に何の得があるのよ!」
パチュリーの執拗な問いにさらっと答え続ける妹紅の態度に苛立ったのか最後は席を立ってテーブルを叩き、前傾姿勢で詰め寄るパチュリー。
お茶を入れ直してきたルビーがティーカップを置く寸前で慌てて戻す。
「信任を得た以上、それに応えるのが道理だ。相手が誰であろうと・・・。」
「バカげているわ!魅魔の言いなりになって、事が済んだら掌を返されて捨てられて、裏切られるって事もあるでしょ?あの人は悪霊で、呪いを得意とするネクロマンサーよ?それをどうやって信じるのよ?」
師匠として尊敬しているが、敢えて悪く言って妹紅の反応を見るパチュリー。ネクロマンサーという意味が分からない妹紅だったが、恐らく余り良いものではないだろうと容易に想像がつく。
「魅魔が私を信任する事と、私が魅魔の信任に応える事は、全く別の話よ。」
「そ、それは・・・。」
鈍器で思い切り殴られた様な衝撃を受けて咄嗟に言葉が出ないパチュリー。崩れ落ちるように席に腰が落ちる。見返りを必要としない無条件の奉仕など、パチュリーには考えられないことだった。
「裏切られる事が怖くないの?心が痛むしょ?」
それでも食い下がるパチュリー。何としても言い負かしたい心境になる。
「どうせ腹が減るからって何も食べなければ死ぬ。」
裏切られる、心が痛むからと誰も何も信用しないのでは誰の信頼も得られないと遠回しに諭す妹紅。
「食べ物と同じにしないで、心の痛みは重要な問題よ。心をすり減らしてそれで死ぬ人だっている。」
「生憎と私は死ねないからね。」
戯けて見せる妹紅だが、パチュリーは一向に下がらない。
「それでも、心は痛むしすり減るでしょ?」
「痛む程ご立派な心は最初から持ち合わせていないから、すり減る心配も無用よ。」
「やめてよ!そういうことを言うのは!」
パチュリーは顔を両手で覆い、とうとう泣き出してしまう。パチュリーはフランドールの件から始まり、レミリアの件、咲夜の件など妹紅に助けられてばかりであり、それに対する感謝の念が大きい。しかし、妹紅はそれを何とも思っていないようでもどかしいのだ。
何か礼をしたい。言葉ではなく、妹紅の苦労を和らげるような役に立つような事をしたい。しかし、今の自分に妹紅にしてやれることはない。それが悔しくてしかたがなく、その思いが涙となって溢れでた。
妹紅はこの状況で真っ先にやったことは、主の傍らにいるルビーの顔を見る事だった。
ルビーは妹紅に見られて、無言の相談を受けるが首を振って気遣い無用と返答した。饒舌な今日の主の様子はルビーも初めて見るもので、パチュリーにも変化が生じている事が伺え、良い傾向だと考えているのである。
妹紅はテーブルに突っ伏して泣いているパチュリーの背中を優しく撫でる古の悪魔という不思議な光景を見る。この悪魔の方がよっぽど上なのに弱々しい主を大切に思って愛情を持って接している。
パチュリーの涙の意味は分かる。少し意地悪し過ぎたかとも後悔する。ただ、妹紅は最初から魅魔の弟子であるパチュリーは信用しているところから事を始めているので、今更親睦を図る必要はないと思っている。
ただ、パチュリー側からすれば妹紅の信用は魅魔を経由してのもので、自分自身が自力で得たものではないという自覚がある。紅魔館の知恵袋として妹紅の同盟者としてパチュリー・ノーレッジ個人の信用を得たいと思っているのだ。
妹紅が紅魔館を訪ねたのは、ある用事の為である。
パチュリーを最初から信用している妹紅としては、当然彼女に相談や協力を仰ごうと思っていた。
今のパチュリーは与えられているばかりで自分から妹紅に対して出来る事が無く、信頼や信用は互いにイーブンであるべきというプライドの高い魔法使いらしい解釈をしているようで、だからこそ引け目のような感情が出てしまうのだ。
妹紅としては、その気持ちが分からないでもないのだが、パチュリーがここまで人間的な思考を持っている事は想定外だった。もっと妖者らしく自分勝手で他人を気にしない者とばかり思っていたのだ。
ルビーの視点からは、咲夜同様今日一日でパチュリーが別人になったかのように感情を表に出す主に戸惑いつつも良い事だと思って状況を注視している状態である。
「(信用はあくまで自分が相手に対するもので、相手から信用されるために何かをする、じゃないんだけどな・・・。)」
妹紅は頭を掻いて面倒臭い状態になっているパチュリーを見る。
「(口で言っても分からないやつは、実際に体験させるしかないな・・・そうだ、あれをやらせてみるか。自分がやってみせるつもりだったが、こちらの願いを叶えた事でこいつも少しはふっきれるだろう。)」
妹紅はここへ来た最大の理由をパチュリーを使って劇的に演出する事を思いついた。
「パチュリー、私は貴女を信用している。でも貴女は私を信用していない。」
机に伏せて泣いているパチュリーはその言葉を聞いて、今度は頭を上げて怒りを表す。
「私は貴女を信用しているわ!」
妹紅の予想通りの反応をするパチュリー。
「なら、これ食って見ろ。」
妹紅はそういって、まっ黒の怪しい光沢のある小さな玉をテーブルに置いて見せる。そして、差し出された玉を注視するパチュリーを尻目に妹紅はルビーの目を一瞬見る。ルビーはそれに気付いてこれまでと様子の違いを感じ取る。
これは、ただの飴玉で子供に言う事をきかせる時に使う道具でもある。紙の包みを見ればそれが里の和菓子屋のものとわかるので、予めポケットの中で包みを解いておいた。
ただの飴玉も包みがないと得たいの知れない怪しい物に見えるから不思議である。それを知らない人にいきなり食って見ろと渡しても、はいそうでうすかとはいかない。
「え?」
案の定疑問の声を上げて真意を探ろうと妹紅を見るパチュリーだが、ここでルビーがその玉をとってポイっと口に放り込んで美味しそうにコロコロと歯音を立てる。
妹紅の気配を一瞬で読み取って行動するルビーに対して、何も知らず驚くパチュリー。
「どうやら貴女よりこの悪魔に信頼されてるみたいね。」
「ちょ、ちょっと待ってよ!今のはずるいわ!」
「これが飴玉と知ってればすぐに食べたといいたいの?じゃーこの悪魔はどうなの?彼女は飴玉かどうかはしらなかった。でも、信用をおいた者が差し出したものが何であれ、それが害となることはないと思って有り難くいただく。」
「信用というのはそうやって計るものではないわ。」
「そうかな?私が何を基準に誰を信用するかは、あくまで私の基準であって、貴女の基準じゃないでしょ?」
「そ、それは・・・。」
またしても反論出来ないパチュリー。膝の上の服の生地をぎゅっと握りうつむく。
「貴女は頭が良いから、頼まれた依頼は出来るか出来ないかを先に判断してしまう。私は頼まれた時に出来る事かどうかはわからず全力で挑むだけ。」
「でも、それで失敗したら、貴女自身にも害になるし、頼んだ人の信頼も損ねてしまうわ。」
「私はね。物を頼む時失敗するリスクも考えるし、頼んだ人の命や家族の事も引き受けるつもりで、その人を信用してものを頼むわ。」
「!」
「パチュリー、貴女はそこまで考えて頼んだり頼まれたりしたことはないでしょ?」
確かにパチュリー・ノーレッジの人生に於いて、他者の家族まで引き受けてまでも難しい依頼を誰かに出した事はない。そして依頼を達成出来る確率が低い案件は先に断るだろう。
「でも!その時が来れば出来るわ!」
なおも食い下がるパチュリー。
「その時を今、貴女に与えてあげましょうか?大口叩くのだからその覚悟は既に出来てるのでしょう?」
「う、それは・・・。」
口で強がりを言うものの、いざそれを与えられた時怖じ気づくパチュリー。『今度は大丈夫』は裏を返せば今その能力がない事を示している言葉である。自分で口にした今ではない『その時』を今妹紅に与えられようとしている。
「只とは言わない、私の依頼を受けてくれるなら、成否にかかわらず貴女にいいものをあげるわ。」
更に、その信頼に応えた報酬も用意するという。予想外の展開に引くに引けなくなるパチュリー。
藤原妹紅が今更こちらに不都合な事をけしかけてくる事はないだろう。しかし、そう考える一方で危険を警鐘する打算的な自分自身がいる。常に物事を合理的に考え無駄な作業をしない、極力動かないことをポリシーにしている自分がいるのだ。それだけに妹紅の信用を得るには正に生き方を変える選択に迫られる気がしてならない。それはパチュリーにとって未知の領域でとても恐ろしい事だった。
妹紅はそんなパチュリーの内面を見透かす様に楽しそうにほくそ笑む。その馬鹿にしたような薄笑みが意外と負けず嫌いなパチュリーに火を付けた。
「与えて頂戴!私を試すというのなら受けて立ちましょう!」
怖じ気づくかと思ったが、想像以上に負けず嫌いのようだ。妹紅も心を決めて、今日ここに来た本当の理由をこの動かない魔法使いを動かして行う事に決めた。
「お待たせして申し訳ありません。」
パチュリーの心が決まったタイミングを計ったわけではないが、先程一人フランドールの部屋の前に置いてきた十六夜咲夜が再び図書館に現れるが、妹紅は無視し、パチュリーも闘争心に火が点いて咲夜どころではなくなっている。ルビーだけが向き直って軽く会釈し肩をすくめた。
「これは、お前を試す試験だと思って欲しい。だから、敢えて何も言わない。これから私がする事に対して自分で考えて適切に行動しろ。但し、時間はないぞ?10秒程だ。考えていたらあっと言う間に過ぎる時間だ。」
「・・・。」
パチュリーは妹紅の出した試験の課題の意味が理解出来なかったが、先程の様に狼狽える事はしなかった。ムキになったパチュリーはどんな事でもやってみせるという強い意思があり、そして先程の飴玉の事ではないが、それに近い心理テストの様なものだと決めつけ、トリックにかからないように心の準備をする。
妹紅は、そんなパチュリーの心理を見透かして、これから自分が見せるある事にびっくりして何も出来ず絶対失敗するだろうと確信する。だが、そう確信しつつも妹紅はここでパチュリーが失敗しないために策を講ずる。
ルビーと呼ばれる賢い悪魔を信頼している妹紅は、一瞬ルビーの目を見て何かを伝え、ルビーも何かを受信して目を細めて心構えをする。お互いに具体的に何も伝えていない、ただこのアイコンタクトだけで十分何かは伝わった。これだけでいい。必ずこの悪魔は自分の予想通りに動く。
妹紅は全ての下準備を整えると、モンペに手を突っ込んで細い巻物を取り出す。
今来たばかりの咲夜は状況が掴めず階段を降りて2人から少し離れた場所で様子を窺う。
お茶を飲んでいた丸テーブルの上にその巻物を開いて手を押しつけた妹紅は紙全体を満遍なく擦って、何かの呪文の様な紋印の絵柄をそこに描く。
固唾を呑んで見守っていたパチュリーはそれが何かの呪文の巻物だとすぐに分かったが、それは模様が描かれているだけの紙で、魔力や妖力の類がそこに込められていない事を理解する。魔法として発動するのに必要な触媒がなければこの巻物は発動しないはずである。
次に妹紅は、どこからともなく金色の細い糸を取りだし、紙に置くとそこに手を乗せて巻物に刷り込む。チリチリと焦げる匂いが僅かに周囲に立ちこめる。
巻物はその金色の糸を練り込まれた途端に妖気を帯び、何らかの術が発動する本物の魔法の巻物に変わった。術を別の物に写す、魔法付与いわゆるエンチャントは高位の魔法使いしか使えなず、パチュリーには簡単な初歩的魔法にしか出来ない事だった。パチュリーはエンチャント出来る妹紅の実力を改めて思い知らされた。
「いくぞ?心の準備はいいか?」
ルビーがパチュリーの直ぐ後ろに気付かれず移動した事を確認し、テストの開始のタイミングをパチュリーに委ねる。
パチュリーはその巻物に込められた術が発動し、それに対処をすればよいと判断する。しかし、どんな術が発動するのか全く分からない。妹紅は適切に判断して行動しろと言うが、現状で何をどうすればいいのかわからず、ぶっつけ本番でいくしかなさそうである。
パチュリーは意を決し、強く大きく頷いた。
「いくぞ!」
パチュリーの合図で、即座に術を発動する妹紅。巻物はボンと音を立てて一瞬煙に包まれ、そしてその煙が消えるとそこに、にわかに信じられないものが現れる。
「!!!!!!」
この時起こった現象に妹紅以外の3人は余りの衝撃に一瞬固まった。
何と妹紅の横の空間に裂け目が開いているのである。これは八雲紫が使うスキマと同じである。
パチュリーは思わずスキマを二度見して次に妹紅の顔を見る。その妹紅は右手を前に差し出して指を折って勝ち誇った顔で時を数えている。
「(ここに入れというの?無理よ、無理だわ、絶対に無理よ!)」
有り得ない事が目の前で起こっている。藤原妹紅がスキマを使っている。
「(いや、これはきっと幻術か何かでそう見せられているのよ!?)」
パチュリーは直ぐに気付く。これはテストだといった。自分を試すテストだと。ならここに飛び込むのが正解だ。どうせ飛び込んでもそこには何もないはずだ。簡単なトリック事だ。数歩前にでてこのスキマに飛び込めばいい!
「(出来ない!)」
しかし、パチュリーは足が前に出なかった。万が一それが本当のスキマならどこに出るかも分からない次元のスキマになぞ入れるわけがないではないか!
妹紅の指は刻一刻と時を刻み続け、5本の指が全て折れる。5秒が経過した事を示す。
ごくりと生唾を飲んで怖じ気づいたパチュリーは前に出すはずの足を後ろに下げる。だが、その時、パチュリーは背中に強い圧力を受けてそのまま前につんのめり、自分の意志に反してその入りたくないスキマに飛び込んでしまう。
きゃーという絶叫が図書館を騒がせたが、その悲鳴は直ぐに遠ざかる。まるで深い井戸に誰かが落ちたように・・・。
「ぱ、パチュリー様!」
状況を見守っていた咲夜はルビーの予想外の行動に為す術もなく、一歩前に足を踏み出した状態のまま固まる。そこで自分は何をすべきなのか咄嗟に思いつかない咲夜。
パチュリーを後ろから突き飛ばしたルビーは妹紅に向き直りニヤリとすると、そのまま主人の後を追ってスキマに自ら飛び込んでいく。
妹紅は時を刻むのを止めそのまま両手を腰にあててやれやれと肩から力を抜く。そしてすぐにスキマは閉じる。
「こ、これはどういうことですか?」
取り残された咲夜は妹紅に問い質すが、妹紅は完全に咲夜を無視し魔法陣の前に移動する。そして、斜め後ろにいる咲夜に一瞥を入れてまた前を向く。
無視された咲夜は内心穏やかではなかったが、その妹紅を見て何かの合図かと思い背後に歩み寄る。
「これ、藍に渡して。」
後ろに来た咲夜の気配を感じた妹紅はポケットから手紙を取り出し、咲夜を見ずに手紙を肩越しから後ろに差し出す。
「今日ここに来た理由がそこに書いてあるわ。これを藍に渡して。藍から口頭で説明されるかもしれないから、一言も漏らさず書き留めておいて。」
「・・・分かりました。」
互いに一度づつの約束。自分の分の約束は既に果たされた。後は妹紅の約束で、その約束を果たす時が唐突に訪れた。
咲夜は何も考えず、ただ妹紅の依頼を実行するために長い後ろ髪の間から飛び出ている手紙を掴んで抜き取り世界を裏返した。
手紙が手から抜き取られた次の瞬間、手から消えた手紙とは別の物が手に挟まれている事に気付く妹紅。
妹紅は驚いたが、戻ってきた咲夜がそのままの姿勢だった妹紅の手に藍からの返書を差し込んだのだと直ぐに理解した。
「戻りました。」
「どのくらい時間がかかった?無理な注文だったから相当時間がかかったでしょ?」
「いえ、先程の手紙を藍さんに渡したら直ぐにそれを手渡されました。」
「え?」
妹紅は驚いて咲夜に向き直る。その時魔法陣が開いて興奮状態のパチュリーと、たんこぶをこしらえてトホホ顔のルビーの2人が帰還した。
「も!」
妹紅の名前を叫ぼうとして、妹紅と咲夜が何やら神妙に話をしているの見つけて口をつぐむパチュリー。
「それは本当?」
「はい、嘘ではありません。予め準備していた感じでした。」
妹紅は受け取った返書を改めて見る。外側を包み紙で厳重に封をされた状態で十字に太め糸で縛っていた。それなりに厚みがあり、中に手紙が入っているなら数十頁に及ぶ膨大な情報量が封入されていると思われる。
これをすぐに渡したと言う事は、咲夜が言う様に予めそうする準備をしていたに違いない。妹紅はこうなることを予測して予め用意してくれていた藍に感謝した。
「ありがとう、助かったわ。」
「いえ、礼には及びません。」
かしこまってお辞儀をする咲夜。
妹紅は直ぐにパチュリーに向き直り、咲夜から受け取った小包をそのまま開封せずにパチュリーに差し出す。
「試験はどうやら合格のようね。これが試験に合格した貴女へのご褒美よ。」
話が読めないパチュリーだが、この小包が藍から受け取った物だと言う事はこの時知らず、そのまま素直に受け取る。
「何が入っているの?」
「開けてみたら?」
パチュリーは、色々な事を妹紅に問い詰めたかったが、取り敢えず多少反則気味でも試験に合格した事と、そのご褒美に満足し嬉しそうにそれを開封する。
「ふふふ。」
その様子を見て妹紅は笑みをもらし、ルビーも声に出さずクスクス笑う。
「な、何よ!」
笑われて照れくさそうに怒るパチュリー。
「さっきまでの貴女は、そんな怪しい封筒渡されても絶対に開けなかったでしょうね・・・。」
「あ・・・。」
紐をハサミで切り、厚い油紙の包みを解体しながら、重要な事に気付くパチュリー。
「あれがまさか本当にスキマだとは思わなかった。幽明結界に出た時は本当に信じられなかった。でも、身を持って体験してしまえば、もう信じるしかないものね・・・。」
これまで物事を頭だけで考え実践を疎かにしていたパチュリーは、ルビーの後押しでスキマをくぐった事で、未知への恐怖をその身でもって克服した。百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、パチュリーは妹紅に対して完全なる信頼をおけるようになったのだ。それが、不意に渡された封筒を何の疑いもなく開ける態度に出たのである。
「話したい事は色々あるだろうけど、取り敢えずそれを開けて。今日ここにきた目的と答えがそこにあるはずよ。」
パチュリーはそれを聞いて、この封筒が藍から貰い受けたものだと知る。
「わ、私が開けてもいいの?」
もう外包みにハサミが入って中身が取れるところまで来て、重要な書類だと知って躊躇うパチュリー。
「そこまで開けたのなら最後まであけたら?」
パチュリーは妹紅に言われて気まずそうに丸テーブルに移動して中身を取り出しそこに置く。自分で買った物や自分宛の物は、自分自身で開封するのがポリシーであるだけに、妹紅宛ての物を不可抗力とはいえ先に開けてしまったことに強い罪悪感を感じるパチュリーだった。
包みの中に入っていたのは書面の様な文章で情報を伝えるものではなく、一枚の大きな紙を限界まで小さく折り曲げたもので、それは小さな丸テーブルでは収まらないほど大きな幻想郷の地図だった。
それは、ただの幻想郷地図ではない。異なる空間密度が詰め込まれている複雑な座標情報が記された幻想郷の秘密を暴くとてつもなく重要な地図だったのである。