東方不死死 第12章 「鬼の力」


 今すべき事はすべてやったと藤原妹紅は考えていた。
 不死鳥の件は伝えたというより言わされたわけではあるが、こちらからどうやって説明するかを具体的に考えていなかった妹紅としては、結果として向こうの知りたい所だけを引き出して貰えたので、余計な事までしゃべらずに済み都合が良かったといえる。
 紫達の思惑としては、妹紅の不死鳥の力を使いたいという大前提があったものの、自分達からそれを頼むために頭を下げたくはないので、交渉の席を設け談判の中で自分達の有利な方向へ導こうとしていたと思われる。
 妖怪というのはプライドの塊のようなものなので、認めた相手以外に頭を下げることはしない。交渉の中でこちらの器量を計り、その上で妹紅を認めるに値する人材と見るなら紫達も頭を下げる事に吝かではなかっただろうが、そうしたやりとりを完全に飛び越して妹紅の方から下手に入ってきたので、紫は面喰らったわけである。
 天才である紫の思考の斜め上を行った妹紅の行動は、考えた末に考える事を放棄した妹紅なりの答えである。


 紫が企むある事について博麗霊夢との議論の末、とても危険な状態になると言うことが導き出された。
 妹紅はそれも紫の計算の内だと思うのだが不安もある。
 しかし、霊夢の立場としては、危険な状態を作る妹紅と違い、その危険な状態を防ぐ側に恐らくなる。自爆してお終いな妹紅とは対照的にその後始末をしなければならないのが霊夢の役割と考えられた。
 妹紅としては、たとえ世界が滅んでもそれで自分が死ねるというのなら、それはそれで良いとすら思っている。その為、妹紅は気楽であるが、霊夢としてはそうもいかない。特に将来何になるという目標があるわけでもなく日々のんびり過ごす霊夢であっても、目の前の異変、危機には本能的にそれを解決しようとする博麗一族の性質がある。
 そして、その性質が今正に表面化して、霊夢を苛立たせている。


 妹紅はそんな霊夢の様子を面白そうに見ながら、そろそろ帰ろうかと動き始めた時、何か重要な事を忘れているような気がして、ふと立ち止まった。
 その重要な何かについては、すぐに思い出せた。
「(藍の御霊・・・やっぱり返したほうがいいかな・・・。)」
 慧音からは交渉の材料にすべしと助言をもらったが、どうも連中は藍を忘れたいらしい。狐に八雲藍という名を付けている時点で、少なくとも紫としては過去は不要という意志表示であるといえる。
 妹紅は一人腹を立てている霊夢を見ながら少し考えたが、そうこうしているうちに霊夢が紫に直接問いつめようといきり立って母屋の方へ歩き出した。
 そこで名案が浮かんだ。自分で返すのが嫌なら誰かに頼めばいい。そして適任者が丁度目の前にいた。


「なによ!」
 妹紅の呼び止めの声に、人格が変わったようにガラが悪くなって鼻息を荒くして振り向く霊夢。
「紫のとこ行くなら、これ返して・・・というか渡しておいて・・・。」
 紫のところへ向かう事を阻止するための引き留めなら断固拒否しようと思っていた霊夢だが、そうではないと知って立ち止まり力を抜く霊夢。
「何それ・・・。」
 霊夢が振り向くと、妹紅は5寸ほどの呪符を握りしめこちらに差し出していた。
 普通呪符などを渡す時は、端を持って相手に空いている方の端を掴ませる渡し方をすべきだと霊夢は思うのだが、まるで小銭でも手渡すような感じで呪符の真ん中を手の甲を上にして鷲掴みするように握っていた。
 渡し方や受け取り方に独自のルールを設けているのかと思った霊夢は、受け取るために妹紅に近付き差し出した呪符を受け取るため掌を上に向けて差し出す。
 妹紅の手が開き、握っていた呪符が自由落下して霊夢の手の平にぽとりと落ちる。
「おわっ!」
 落ちた呪符を掴んだ霊夢は思わず声を上げた。呪符にしては恐ろしく重かったからである。
 予想外の重さを持つ呪符を落とさないよう慌てて力を入れ、その呪符を強く握ってしまう。そして、また霊夢は驚いた。
 強く握って形の崩れた呪符が一瞬パッと光ると先ほどまで紙だった呪符が一本の剣に変わって、霊夢はその剣の柄を握っていたのである。
「ちょっと、何よこれ・・・。」
 包丁はいつも握っている霊夢だが、武器としての刃物を握ったのは初めてでオロオロする。その姿は巫女の衣装と剣という不釣り合いもあって滑稽に見えた。
「見てわからないの?」
「いや剣なのはわかるけど・・・これを紫に渡せばいいの?」
「渡せばわかると思う・・・たぶん。」
「たぶんって・・・自分で渡しなさいよ。」
 妹紅の無責任な言いように腹を立てる霊夢。
「私はお腹が空いたからもう帰るわ。」
 そう言うと妹紅はじゃぁと言って霊夢に背を向けた。
「お腹って・・・ちょ・・・もぅ!」
 呼び止めようとした時はすでに妹紅の姿は上空だった。
「直接渡すのが嫌ならそう言えばいいのに・・・ウソつくにしてももっと・・・ねぇ。」
 飛び去る妹紅を遠くに見ながら腰に手を当ててやれやれと首を振る霊夢。そして半ば無理矢理掴まされた剣を色々な角度から眺めて見る。
 その剣は鍛冶屋が打つような加工品と違って、鉱物の塊から直接削りだしたような荒々しい形をしており、刀身の幅の一番広い所は鉈の様だが、先端に近づくにつれて細く鋭利になる。長さはそれほどでもないが反りがあって振り回しやすそうである。そしてこの剣の最も特徴的な部分が刀身の紋様である。文字のようにも見える複雑な紋様が蒼白く浮き出ており、しっとりと濡れているように見え、まるでこの剣に命が宿っている様に思える。
 実用というより調度品としての価値がありそうだと霊夢は値踏みし、紫がいらないというなら譲ってもらい、香霖堂に高く売りつけようなどと良からぬ事を企み出しニヒヒと邪悪な笑みを浮かべる。
 先程まで怒っていた霊夢だったが、何故怒っていたかも忘れ今は上機嫌である。


 霊夢は上機嫌のまま、母屋へ歩き出す。
 階段から本殿までは石畳の通路が東西に一直線に伸びているが、途中南に直角に細く石畳の道が伸びている。この先に水飲み場のような何らかの施設があったのだろうが今はそこに何もなく、その代わりその伸びた石畳の先端が、踏み固められて出来た自然道に続きそのまま母屋まで伸びている。
 階段から神社へ来る場合、母屋まではその道を通れば良いが、母屋から本殿に行くには遠回りになる。そのため母屋から本殿までは最短で行ける住人用の別の道がある。妹紅と霊夢が母屋へ行くために通ったのもこの道で、本殿側から母屋側へこの道を通ると素晴らしい景色が見える。
 ちなみに本殿の後ろに宝物殿があり、そこまでは渡り廊下で繋がっており、その渡り廊下の中央から母屋側に繋がる別の渡り廊下と交わっている。
 本殿と宝物殿は高床式になっているので渡り廊下といっても地面から2メートルくらいの高さの橋のようなものである。
 本殿と宝物殿、母屋が交わるところは狭い中庭になっている。そこには大きな池があり、千年以上生きているとわれる大きな亀が住んでいる。


 霊夢は妹紅から渡された剣を軽く振り回しながら母屋へ向かう。
 幻想郷を一望出来る場所に差しかかり、恐らく妹紅と思われる里の方へ飛ぶ赤い光体を横目に、母屋の縁側の見える位置に着く。
 そこで異様な気を感じ霊夢は立ち止まった。いや、動きを抑制されたと言った方が適切だろう。
 先ほど妹紅と藍が向かい合って立っていた場所があるが、その時と全く同じ場所に藍が立ってこちらを睨んでいた。妹紅の立ち位置よりだいぶ後ろにいた霊夢の位置からは、辛うじて縁側に萃香と紫の姿を確認できた。
「どうしたの?」
 一瞬、妹紅と間違われたと思っていた霊夢であったが、藍も紫も萃香も同じ目つきでこちらを睨んでいる状態を変えようとしないことに、霊夢はそれが自分に向けられた警戒心だと認識した。
 霊夢は妖怪達の態度を敵対心と受け止め身構えようとした時、偶然が意図的かはわからないが、絶妙のタイミングで藍が声を掛けた。
「霊夢、その手に持っているものは何だ?」
 何だ?と言われても見ての通りとしか返せないが、その時、彼女達の警戒心が自分ではなく持っているこの剣に向けられてのものだと理解し戦おうとしていた態度を改めた。
「さっき、妹紅から渡されたの・・・紫に渡してくれって・・・。」
 霊夢が紫の方を向くと、同時に藍と萃香も紫を見る。
 紫は3人から注目された後、しばらく何かを考えるように目を閉じ、口元を扇子で隠す仕草をする。
 その様子を見た霊夢は縁側に近付こうとして足を上げたが、藍がすかさずそれを制す。
「霊夢、それ以上は近付くな。近付くなら剣をそこに置け。」
 霊夢はすぐに立ち止まった。紫にしろ藍にしろ、霊夢に何かをさせようとする時に決して命令口調にはならない。遠回しにお願いの形でものを頼むのだが、今の藍はせっぱ詰まったように余裕無く霊夢に命令していた。それは、普通ではない状況だということの現れであることは霊夢も理解できたから、普通ならカチンとくるような藍の命令口調にもおとなしく従った。
 霊夢は出した足を引っ込めたが、剣は置かずにそのまま様子を窺った。
 藍の命令口調に驚いて目を開いて見やる紫は、次に霊夢に向き直り藍の代わりに口を開いた。
「霊夢、それが何だかわかる?」
 剣という当たり前の答えを要求している質問ではないことは霊夢にも分かるが、では剣以外の何かという事については全く思いつくものが見当たらない。
 紫の質問に対するベストな答えは「分からない」しかないだろう。
 霊夢はしばらく剣を回し色々な角度から眺めた後、全然分からないときっぱり答えた。
「分からなくて当然ね。でも、その剣自体は知らなくても、その剣から発せられる気配を私たちは知っている・・・。」
 その紫の言葉を聞いた勘の良い霊夢はすぐに気づいた。
「もしかして・・・紫の妹の・・・。」
 先ほどの話から霊夢の知らない紫達の過去が明るみになったが、今の紫達の態度や先ほどの妹紅の態度からそれ以外考えられなかった。
「その剣でトドメを刺したのね・・・そして、魂を奪った・・・。」
 先ほど聞いた八雲紫の妹藍の最後。それと合わせて当時の状況が朧気ながら見えてくる。
 今まで訝しげにその剣に顔を近づけていた霊夢だったが、紫の言葉を聞いて重要な剣であることを認識して顔から遠ざける。
「恐らく奪った後になんらかの方法で消すのでしょう。」
 紫の言葉の後を藍が続けた。
 多くの妖怪の魂が消えたのは、全てこの剣の力によるものだろうと3人の妖怪達は理解できた。
「藍と交わってしまった妹紅には消すことが出来なかったのね・・・。」
「何とも哀れな・・・藤原妹紅・・・。」
 500年の間、ずっと忘れず後悔し続けていたのかと思うとかつての仇にも哀れみをおぼえる萃香である。
 霊夢は紫の妹の魂が取り込まれた剣を見つめる。
「もしかしたら復活できるんじゃないの?」
 ここに魂があるのなら開放して復活させることは出来ないだろうかと霊夢は提案してみた。しかし、紫はすぐに首を振り、それに同意するように萃香が口を開いた。
「それが出来るならとっくやってるだろう・・・出来ないからずっとそのままにしているんだ。」
 妹紅は藍を殺したことを後悔していたのだから、復活が可能なら当然そうするだろう。
「・・・確かに・・・そうね。」
「恐らくそれは奪い消すためだけの道具なのだろう。だから、消すか、でなければそのままにしておくしかないのだろう。」
 藍はそう言ってうつむいた。
「まさか、こんな事になるなんてね・・・。」
 紫のやろうとしている異変に不死鳥という存在が使えると判断し、それを内包している存在がちょうど幻想郷に居てた。それが藤原妹紅であり、その為に彼女に接触した。ただ、それだけの事だったのだ。
 紫がぽつりと呟いた後、場が静まった。
 紫の来訪で妹紅の日常は極端に乱されたが、その一方で、八雲紫達も少なからず動揺している。
 藍が死んだ事は確認は出来なかったが、戻らなかったことでその死は間違いないと理解できた。しかし、他の妖怪がことごとく魂を消されていたのに対し藍の魂は消えていなかった。博麗の神主が何度も何度も神託や占術を試みても同じ結果だった。
 八雲藍の消息が途絶えたと同時に妖の狩人の消息も途絶えた。これらの事実から導き出される答えは、八雲藍は妖の狩人と相討ちとなったか、若しくは何らかの手段で妖の狩人を拘束・封印し、その守護で身動きが取れない状態になっているかである。
 当時はそう考えられていたが、紫の妹八雲藍は妖の狩人である藤原妹紅に殺害され、しかし、魂までは消されていなかった。これが真実である。
 なぜ魂を消さなかったかは既に知っている。そしてその物的証拠ともいえる物が目の前にある。
 八雲紫の妹の名前は、九尾が引き継いだ。紫、藍、萃香、ここにいないが幽香を合わせた4人にとっては、八雲紫の妹の存在は過去のものといえた。
 その剣に封じ込められた魂はもう藤原妹紅の物であると紫は思う。しかし、剣から感じる懐かしい気が紫の心を揺さぶる。
 九尾御乱に八雲藍の名前を与え式とした手前もある。その剣を受け入れる事は、藍に対する裏切りにならないだろうか・・・。
 それを藍に問えば無用の心配と笑われるだろうが、それはあくまで藍の問題であり紫にとっては簡単ではない。
 紫は数百年振りに真剣に悩んでいた。


 3人の妖怪がそれぞれの思考に埋没して沈黙してしまい、霊夢としてはこのまま突っ立っているの事に絶えられなくなっていた。
 名残惜しいが、藍の警告に従い高く売れそうだった剣を足元に置くと縁側に向かって歩き出し紫の隣に座る。
 霊夢が隣に座ると紫は少し微笑む。穏やかなその笑顔は一見すると寂しそうにも見えたが、楽しそうに何かの余韻に浸っている様にも見えた。
 一つ言えるのは、今はただ静かに見守るしかないということである。


 異変に気づいたのは萃香だった。


 萃香もまた、紫と同じように藤原妹紅について考えていた。
 藍を失ったショックから癒え、幻想郷という新しい世界へ希望を見い出した八雲紫達。萃香自身の幻想郷入りはもっと後の事だが、そうやって過去を乗り越えた八雲一家とは裏腹に、あの時あの場所に自らを置き去りにしたまま500年もの間忘れずに藍を想っていた妹紅。藍の最後の会話を記録したあの呪符の、長い年月を掛け小さく削られ原型を留めていないあの姿を見た時、萃香は藍の事よりも妹紅の事が哀れでならなかった。
 萃香は妹紅から渡された藍の記録呪符を畳にそっと置き顔を上げた。そして、妹紅の為にと瓢箪を一度、縁側の外、妹紅がいるであろう里の方に向かって掲げ、そして酒を飲もうと瓢箪に口をつけた。
「!・・・あれれ?」
 先程まで溢れていた瓢箪から一滴の酒も出てこなかった。
 萃香は変だなと思い、瓢箪の口に何か詰まっているのではないかと覗き込む。
 そこでハッとなった。以前にも同じ様な事があった。
 嫌な予感に全身総毛立った萃香は咄嗟に飛び起きて紫と霊夢を見る。その二人は突然の萃香の挙動にキョトンとしている。
 瓢箪から酒が枯れる凶事の前兆現象は主に紫に関する事がほとんどである。その為、萃香はまず紫を確認した。しかし、紫も霊夢も特に変わった様子もない。
 次に藍を捜す。捜すという表現になったのは、先程まで藍が居た場所に姿がなかったからだ。
 藍はすぐに見つけることが出来た。そこは霊夢が妹紅から渡された剣を置いた場所に近く、そして藍はその場所に向かって歩いているように見えた。
 自らが危険と警告したその剣に歩み寄ろうとしている藍を見た萃香は立ち上がって大声で警告する。
「藍、止まれ!それ以上剣に近付くな!」
 その声に、紫と霊夢も反応して萃香の視線に体を向ける。それを見て紫もハッとなった。
 式神である藍の行動を主である紫が気付かないわけがない。藍がそこまで動いている事にまったく気が付かなかったのは異常な事態といえる。
 萃香にはそうした紫たちの主従関係に関する繋がりは分からなかったが、藍の行動に不振さを感じとれた。
 気配を消して剣に忍び寄ろうとする行動を見て警戒しないわけにもいかない。
 萃香が妹紅のために酒を飲もうとしなければ、酒が出なくなる凶事の前兆現象も見ることはなかっただろう。それはつまり、藍の異常行動に最後まで誰も気が付かないということである。そして、その藍の行動は凶事に繋がると予測できた。
「藍!止まりなさい!」
 紫は叫んだ。しかし、藍は止まらなかった。
 藍は紫の命令を無視して霊夢の置いた剣の前に移動すると、ためらいもなく剣を拾い上げる。そして、剣をじっと見つる。
 式が主の命令を無視する事はまずあり得ない。別の何らかの力によって藍が操られている可能性はあるが、九尾を操れる者が幻想郷にどれだけいるだろうか?
 藍が一声かけた上でその剣を手にとって調べるというのなら誰も警戒はしない。だが、そうではない。明らかに藍はおかしい。
 萃香は縁側に飛び出し、紫と藍の対角線上に立ち塞がる様に立つ。
「藍!言うことを聞きなさい!」
 飛び出した萃香と藍が争いになる気配が見えた紫は、声に力を込めて藍を制そうとする。
 剣を見つめていた藍が紫の方へ顔と体を向け正対した。その行動は紫の言葉に反応したというより、藍、もしくは藍を操る何者かの意志によって動いているようだった。
 振り向いた藍の顔に感情を示すような表情はなく瞳孔も完全に開いていた。明らかに何者かに操られている様子である。
 一体誰が・・・その答えは明白といえる。
「藍?藍なのか?」
 萃香は九尾の藍に問いかける。藍は何も答えずゆっくりと歩き出した。
 右手に剣を持ち無表情のままゆっくり歩み寄る藍に流石の萃香もたじろいだ。
 九尾の藍を操っているいるのが、かつて紫の妹であった藍であることは明白であるが、なぜこの様な行動に出るのか?藍からは殺気は感じ取れないが、それは藍が操られているだけで、彼女自身には殺すつもりなどないからだろう。しかし、操っている存在には明確な目的があるに違いない。話をしたいだけならその剣は不要の筈である。いや、その剣に藍の魂があるなら剣は必要だろう。しかし、それならそれで、対話はそこでできるだろうし、わざわざ紫に近付く必要はない。
 その剣をわざわざ拾い上げて来るという意味は、その剣を何らかの目的で使うからであり、剣の使い道など考えなくてもすぐにわかる。


 無表情で瞳孔が完全に開いている藍だったが、誰を見て誰を目指して歩いているかは明白だった。
「とりあえず、この場は逃げろ!」
 藍とそれを操る者の心意が読めない萃香は、一度振り向いてひとまず紫に逃げるように助言をし、萃香自身はそのまま近付いてくる藍を押さえ込もうと向き直って両手を広げた。
 藍の視界には萃香を捉えている様子はまったくなかった。それは真正面にいる萃香がよく分かっていた。
「ん?」
 萃香は近付いてくる藍の周囲にとてつもなく高密度な結界が張られている事に気づく。空間を断層化したりねじ曲げるなど歪曲結界を用いる紫に対し、空間を高密度に圧縮して作る反射結界を用いる独特な結界を見た萃香は、九尾を操っているのが紫の妹であることと確信する。
 衝撃を受け流したり別空間に逃がす歪曲結界と違い、反射結界は触れただけで強烈に反発するので、抑え込むには相当のパワーを必要とする。
 萃香は両手で頬をパンパンと2回叩いて気合いを込めると近付いてくる藍が纏う結界に触れる。バシィっという衝撃音が鳴り、その後断続的に同じ音が連続する。
 霊夢は思わず耳を塞ぐ。一見すると何もなかった空間だが、萃香が腕を伸ばしたその先に凄まじい力のぶつかり合いが生じるのが見えた。
 藍は萃香の力で一度立ち止まったが、すぐにまた足を進める。
 停止した藍と力の均衡が保たれていた萃香だが、再び藍が動いた事で萃香は弾けるように藍の進む方向に真っ直ぐ跳ね飛ばされた。
 その飛ばされた先には霊夢がいた。
「しまった!」
 そのまま直撃すればケガだけではすまない勢いではじき飛ばされた萃香だが、体を小さくする事で霊夢との直撃を避けた。
 風圧に髪が巻き上げられ衝撃波が耳を突く。霊夢は一瞬何が起こったのか分からなかった。目の前の萃香が突然消えた様に見え、その後右の頬付近を何かがものすごい勢いで通過したのが分かっただけだった。
 後ろでバシっと何かがぶつかる音がして咄嗟に振り向く霊夢が見たものは掌サイズに小さくなった萃香を掴んでいる紫の姿だった。
「すまん、紫。」
 紫はすぐに萃香を畳に放り投げる。放物線を描いて飛ぶ萃香の体はどんどん元の大きさに戻っていき、着地すると同時に完全に元通りになった。
「紫、霊夢!はやく逃げろ!」
 霊夢はどうしていいかわからず紫を見る。萃香のせっぱ詰まった様子とは裏腹に紫は冷静だった。
 藍の結界は紫の結界で無効化出来る。自分の様にはじき飛ばされる事はないだろう。しかし問題は霊夢だ。この状況で下手に攻撃も防御も出来ないし、巻き添えを喰らうかもしれない。
 紫は鋭く萃香に視線を送る。
 それに呼応し、萃香は頷くと、霊夢の手をとって引き寄せた。
「ちょっと、萃香!何するの!」
 思わず怒り出す霊夢。この状況で自分も何か出来ないだろうかと模索し、紫を守ろうとしていた霊夢は、萃香に邪魔をされて憤る。
「霊夢!頼みがある。藤原妹紅をすぐに呼んできてくれ。あの剣が藍をおかしくしているのは明白だ。」
 萃香を睨み付けていた霊夢だが、萃香の提案に興味を示す。
 確かにあの剣によって何かが引き起こされている。萃香は危険と警戒しているが、紫はそうでもなさそうな顔をしている。霊夢自身も不思議と危機感を感じなかったが、結末がどうなるのかまったく見えない。そうなるとこの手の専門家、つまり剣の持ち主である妹紅の助言は必要になるだろう。
 霊夢はすぐに決断した。
「わかった。呼んでくる。」
「霊夢、妹紅はおばけ屋敷にいるわ。」
 霊夢が飛び出そうとすると、紫は呼び止め妹紅の居場所を教える。藤原邸は里ではおばけ屋敷と呼ばれており、霊夢と魔理沙は小さい時にそこで肝試しをしたことがあり、霊夢はそれ以来おばけ嫌いになった。今はその限りではないが・・・。
 藍は縁側から母屋へと足を踏み入れていた。結界は張られたままだが、その結界によって家が損傷する様子はない。立ちはだかろうとしなければ無害な結界なのだろう。
 縁側に飛び出しそのまま飛び去った霊夢の決断の早さに感心した萃香は、もう一度、紫の前に立って紫を守ろうとする。
 紫はそんな萃香に感謝の気持ちを抱きつつ、肩に手を載せ振り向く萃香に首を振る。
「紫・・・お前・・・。」
「萃香、霊夢を逃がしてくれてありがとう・・・。」
「霊夢はがんばりすぎてしまうからな・・・で、どうするつもりだ?」
 藍から目を離す事無く紫に背を向けながら会話する萃香。
「なるようにしかならないわ。」
 紫は冷静というより、完全に諦めているという状態だった。ただ、その諦めは絶望を意味するのではなく、単に自分のペースで物事を進める事を諦めただけで、その先に死を予感している様子ではなかった。
 確かに邪悪な何かは感じない。しかし、酒が切れる時に良い事が起こった試しがない萃香としては不安でならない。思い過ごしならそれはそれで良い。ただ最悪の事態も考えなければならない。
 萃香は道を譲るように紫の横に移動し結界に触れないよう距離を置いた。
 ゆっくりと歩み寄る藍とその場で待つ紫の双方の結界が触れ合った。紫と藍の結界は混ざり合わない水と油というより、お互いに打ち消し合う陰と陽である。先程強くはじき飛ばされた萃香の時とは違い、ぶつかり合った球形の結界はまるで泡同士がくっついて1つの大きな泡に膨らむ様に、同化してその性質を変化させていた。
 気付くと紫も瞳孔が開いた無表情な藍と同じ顔をしていた。結界が同化したことで、藍の支配が紫に及んだのだろう。
 それにしても紫や九尾を支配する藍の力は恐るべきものだ。恐らく妹紅との最後の戦闘で藍は何かを掴んだのだろう。結果は死というものであったが、その時藍は紫同様に覚醒していたのかもしれない。
 紫と藍の距離が手を伸ばせばお互いに触れられる位置に来た時、藍はそこで足を止めた。そして、そのまま数分間、何もせずただ見つめ合う。
 この行動の裏で、500年の時を超えた姉妹同士の対話が行われているのだろうと、萃香は想像していた。


 霊夢は紫に教えられたおばけ屋敷へ真っ直ぐに飛んでいた。
 今は藤原邸となっているが、元々あの家は妖の類を封印しておく場所で、その為様々な怪奇現象が起こるお化け屋敷として里からは避けられていた。
 幼少の頃にここに魔理沙と2人で肝試しをして、それ以後おばけ嫌いになった霊夢。いつ頃からかわからないが、今はお化けなどちっとも怖くなくなっていた。妖怪や神様と渡り合う巫女がお化けなどを怖がる理由がない。
 記憶を辿ろうとするといつもイライラしてくる。自分が赤ん坊から幼児になり子供となっていく成長の記憶が曖昧で、魔理沙とはかなり小さい時から一緒だった所謂幼馴染みにもかかわらず、何故か数年前に初めて友達になったようなそんな感じがするのである。
 魔理沙の方は幼馴染みとして霊夢を見ているようで「友達だろ?」とよく言うのだが、そう言われる度に霊夢は違和感を感じていた。
「何故だろう・・・。」
 魔理沙も紫もその他の妖怪も仲は悪くないのだが、ある一線を越えてそれ以上に親しくなることを避けている自分がいることに気付く。
 空は飛べるものの、魔理沙や他の妖怪ほど速くとべるわけでもない霊夢。不意に妖精やら妖怪にスペルカード戦を挑まれる事が多々あり非常に面倒くさいが、どうやら今日はそれはなさそうである。
「そういえば・・・。」
 そこで気付いたのが何か今日は何時もと違う気がした。遠くに何かが飛んでいるのが見えたり、スペルカード戦が行われているなど、どこかで必ず何かあるのだが今日はやけに静かだ。
 人間とは違い、妖怪や妖精達は何か今日は日が良くないと本能的に察知して隠れているのかもしれない。
 神社からまず里を目指して飛んだ霊夢は、しばらくはそのまま里を目指して飛び、里の位置とお化け屋敷と呼んでいる藤原邸の位置関係を計算して途中から方向を少し南に進路を変える。
「なっ!?」
 右下に里を見下ろした時である。突然、後方つまり神社の方角から異様な妖気を感じ、思わずその場で停止し振り向いた。
「何よこれ・・・。」
 今まで感じた事もないとてつもなく邪悪で凶暴な妖気だった。
 霊夢は目をつむりその妖気を感じとりながら頭の中でそれをイメージとして形づくる。
 魔獣と鬼・・・。
「藍?萃香?紫は・・・。」
 霊夢は紫が心配で当初の目的を忘れ神社に引き替えそうとして、慌てて首を振る。
 すぐそこに藤原邸があるのに、ここで神社に戻ったら飛んで来た意味がない。それに、紫の気は消えていない。恐らく藍を必死に萃香が止めているのだろう。
 霊夢は後ろ髪引かれる思いで振り向き藤原邸を目指したが、そこでこちらに向かってくる2つの影を確認する。
 陽が傾き、見事な夕焼けになって幻想郷をオレンジ色に染めていたが、そのせいもあって接近する2つの影も同色に照らされ、髪の毛の色や服の色の特徴で誰かを判断するのは困難だった。
 霊夢はその場で動かず近付いてくる存在を待った。
「おーい、霊夢!」
 近付いてきたのは藤原妹紅と風見幽香だった。恐らく先程の妖気に反応して神社に向かおうとしていたのだろう。
「ちょうどよかったわ、今、妹紅を迎えに来たところだったの。」
「え、私を?」
「それより、今の妖気は何?」
「ここにいる私にわかるわけないでしょ!すぐに神社にいくわよ!妹紅。」
 幽香の問いに怒鳴り返す霊夢。霊夢は幽香が嫌いである。しかもかなり。
「あ?ああ。」
「私も行くわ。」
「勝手にすれば?」
 霊夢は速く戻りたくて幽香に素っ気なく答えるが、その態度に幽香は特に怒った様子もなく後に続く。幽香のほうも霊夢など眼中にないようである。
 紫とは相性がいいのに幽香とは相性最悪の霊夢を興味深く見ていた妹紅。その妹紅としては好きか嫌いかどちらかというなら紫よりも幽香の方が好きである。
 霊夢が幽香を嫌いな理由はわからなくもない。紫が霊夢に付きっきりなのに対して、幽香は常に霊夢の敵として立ちはだかっていたのだから。
 妹紅は先程の大きな妖気の存在が気になったが、自分を迎えに来たという霊夢の言葉も気になった。時間的に考えると、妖気の発生後から霊夢が飛んできたわけではなく、発生より前にすでに霊夢がこちらに向かっていたのだろう。ということは霊夢の用事はこの妖気とは直接関係ないのかもしれない。
「霊夢、迎えに来たって、誰か呼んでるの?」
 自分なりに目一杯のスピードで飛んでいる霊夢であったが、妹紅はすぐに追いついた。
「あの剣でなんかまずい事になりそうなのよ・・・。」
「まずいこと?」
「急に藍がおかしくなったの・・・ん?」
 妹紅の質問に幽香の時とは裏腹に簡潔だが友好的に答えた霊夢だったが、妹紅に向いたその視線の端に変な物を見つけた。
 妹紅の足に何か紐のようなものが後ろに伸びており、その紐のようなものを辿るとその先には幽香がいた。
 妖怪の中ではダントツに飛ぶスピードの遅い幽香が妹紅に牽引されていたのである。
「ぷっ!」
 霊夢は思わず吹き出すが、幽香は完全に無視していた。
 普段の幽香なら牽引されるなど屈辱的と考えるだろうが、今は首に大けがをしており、実は飛ぶことすらまともに行えないのである。先程の妖気に反応した時も妹紅は幽香は家に残るように言ったのだが、連れて行けの一点張りでどうしようもなかったので、仕方なく牽引してきたのである。ちなみに、紐の様な物とは植物の蔓である。
「ああ、あれは気にしないで。それより何が起こっているのかしら・・・。」
 最後の言葉は誰に言うわけでもなく独り言のように呟く妹紅。
 先程の妖気といいあまり良い事は起こってないのは確かである。


 八雲紫と八雲藍はお互いに手の届く位置で向き合っていた。どちらも無表情で瞳孔が完全に開いている。
 表面的には静かだが、互いの融合した結界の中では、精神的なやりとりが激しく行われているのかもしれない。
 藍の目的が何であるのか現時点では分からないが、おのずと見えてくるだろう。
 気掛かりなのは藍の持っている剣である。藍の魂を封じ込めている剣は、あくまで魂の保存装置としての役割だけであってほしい。本来の剣の役割として使われて欲しくない。萃香は祈るような思いで2人を注視していた。
 5分程動きが無かったが、突然藍が動き出す。
 右手に持っている剣の柄の部分を目の高さまで垂直に持ち上げると、次に手首を折り曲げ剣先を紫に水平に向ける。
「!」
 萃香は最悪の事態になると思い、無理を承知で結界の中に飛び込もうとする。
 先程の反射結界と違いはじき飛ばされる事は無かったが、結界が軟らかいゴムの様に弾力があり、突き破る事も切り裂く事も噛み破ることも出来ない。紫の歪曲結界の様に実体がつかめないものとも違い、しっかりとした手応えがあるにも拘わらず、力ではどうすることも出来なかった。
「藍!やめてくれ!」
 萃香の叫び声などまったく耳に届いている様子もない藍は、紫に向けた剣先を正確に心臓の位置に合わせていく。そして驚いた事に紫は両手を広げ受け容れようとしているのだ。
 無表情だった双方の表情は笑みを浮かべていた。
「これは・・・。」
 萃香は結界を破ろうと必死だった力を緩めた。紫が言った様になるようにしかならないと悟ったのだ。
 剣先は紫の左の胸に吸い込まれていく。萃香の心から何故か不安が消えていた。この状況を見て何故不安が消えるのか自分でも理解できなかった。
 吸い込まれる剣の動きは実に自然だった。いや、この場合不自然といったほうがよいのだろうか。
 普通、刃物が何かに刺さる際は抵抗感があり、特に胸板を貫くにはそれなりの力が必要である。しかし、今萃香が見ている状況はまるで何もない空間に剣を動かしている様にしか見えないのだ。
 剣と藍の位置関係は同じで、藍の体ごと紫に接近し、剣が紫に吸い込まれている。やがて剣の柄が紫の体に触れるといつのまにか紫は両腕で藍を優しく抱きしめていた。
 心臓を貫通した刀身が紫の背中から突き抜け、金色の髪をかき分けるように剣先が姿を見せていた。
 その状態から数秒後、突然結界が消え、浮遊するように軽かった2人の体に重力がかかり、がくっと畳に崩れ落ちそうになる。
 萃香は紫の肩を掴んで倒れるのを阻止する。
「紫・・・。」
 紫の表情は穏やかで剣が心臓を貫いている状況には見えなかった。もしかしたら既に事切れてしまったのかと思った萃香だが、生命の息吹が以前に増して強く紫から発せられていることに気付く。
「う、うう・・・」
 紫にばかり注意を向けていた萃香だが、すぐ横で倒れている藍のうめき声を聞いて別の不安を感じ始める。
 この状況を藍が見て、彼女が冷静でいられるだろうか?
「こ、これは!」
 目を覚ました藍は、萃香の腕の中にいる穏やかな表情の紫を見て、一瞬安堵の表情を浮かべるものの、左胸に剣が刺さっている事に気付き愕然とする。
「こ、これは、まさか、私がやったのか・・・。」
 ナワナワと打ち震える藍の表情が凶暴な獣と化していくのを萃香は見て別の不安が的中したと認識する。
「藍、早まるな!」
「萃香、貴様がいながら何故防げなかった!」
 気がふれた様に怒り狂う藍のその姿は、もはや人型にはなっていなかった。
 この状況を引き起こした自分を棚上げし、萃香を罵る藍の言い様は明らかに筋違いの責任転嫁だが、それは藍が錯乱状態で冷静な判断が出来なくなっている事を示していた。
 主人を守れなかった式神の正しい姿といえばそうなのだが紫はまだ死んではいない。それを教えれば冷静さを取り戻すことが出来るだろうが、こうなってしまうともはや手の付けようがない。
 萃香は言葉で説得するのは無理だと判断し、力でねじ伏せる事にした。
「やれやれ・・・」
 藍の暴言にも萃香は冷静だった。紫の状況は予想外だが紫の今の状況を見れば藍がこうなることは予測の範疇だった。
 普段博麗神社の母屋で飲んだくれているか居眠りしているかの萃香を見て、彼女が優れた賢者であることなど誰も考えられないだろう。しかし、強力で個性的でアクの強い妖怪達の集団である八雲一家におけるパワーバランスを常に保っていたのが萃香という存在である。怒りに身を任せれば世界、星そのものを破壊しかねないその圧倒的なパワーの前に、流石の八雲一家の妖怪達も一目を置く。
 かつて八雲紫が引き起こした月面戦争において、その敗戦のショックで正気を失い復讐の鬼となりかけた紫を懲らしめ立ち直らせたのも萃香である。
 萃香は、強い妖怪達の暴走を未然に防ぐ抑止力なのである。つまり、今この藍の暴走を止めるのは萃香にとっては仕事のようなものなのである。
「ふんっ!」
 萃香は気合いの掛け声と共にハエでもはらうような軽い手首の返しで藍の頬に手の甲を当てると、パンっという乾いた音と共に縁側の外へはじき飛ばす。
 飛ばされる藍の体が母屋を傷つけないように手加減してもこの威力である。
「紫、もうすぐ妹紅が来る。少しの辛抱だ。」
 萃香は腕の中にいる紫に優しく声を掛け、胴体を貫通している剣が他に触れないように体を横にして寝かせる。
 立ち上がった萃香は、そのまま縁側に出るとそこで仁王立ちしてうずくまる藍を見下ろす。
 不意打ちを喰らい、更に怒りが高まる藍はその姿が既に半分獣化しており4本の手足を地面に着いて萃香に対しいつでも飛びかかれるように身構えていた。
 見境のない藍の様子からこの場所だと母屋に被害が出ると感じた萃香は、縁側の外に下りて先程藍と妹紅が対峙していた場所に移動し、妹紅の居た場所に藍、藍の居た場所に萃香という位置関係になった。
 隙あらばいつでも飛びかかろうとしていた藍だが、移動しつつも萃香の視線が藍を制していた。
 立ち止まった萃香が腕を組んでニヤリと笑った瞬間、藍は完全に九尾化した。
 藍の体から赤黒い霧状のものが吹き出ると、それは藍を中心に肉付けされるように重なり合い、九本の尻尾を持つ狐の姿をした魔獣を形作る。
 大きく膨れあがったその体は、萃香を簡単に丸飲みできるほどである。しかし、萃香は動じた様子もなく涼しい顔をしていた。
 凶悪な妖気が爆発し雄叫びと共に萃香に飛びかかる藍。真っ直ぐ頭に向かって噛みつきに来たが、萃香は避けようともせずに組んだ腕をほどき首だけ右に傾けた。結果、左の肩口から胴にかけ藍に噛まれる。
 藍の左目が萃香の顔近くにあり、血走った瞳がギロリと萃香を睨む。
 萃香は横を向き、藍の目を見る。そこで、藍が危険を感じたのか噛んだ口を開き、萃香から飛び退こうとした。
「!」
 しかし、藍の口は開かなかった。いつの間にか萃香の体は一回り、二回り大きくなっており、萃香の肉体に食い込んだ藍の鋭い犬歯を高密度の筋肉でがっちりと固定していたのである。
 藍は逃れようと必死に前足で萃香の胸板を突っ張り、後ろ足で見境無く蹴りまくる。さらに九本の尻尾を使って萃香の背中や足も叩きのめす。しかし、鋼と化した萃香の肉体はびくともせず、むしろ力一杯叩いている藍の方に痛みが蓄積する。
 そうしているうちに藍は戦意を喪失。萃香は既に体の大きさが初期の数倍になっており、元の数倍に大きくなっているはずの藍が小さく見えるほどだった。
 萃香は左腕を背中に回して藍の鼻先を含めた上あごを鷲づかみし、右手は左胸にある藍の下あごを掴む。そのまま両顎を掴んだ状態で目の前に藍の顔を持ってくる。
「頭を冷やせ、藍!」
 そう言うと萃香は一気に両腕を左右に開いた。藍の口は上と下の顎の付け根を中心に真っ二つに裂けると、九尾に変身した時のような赤黒い霧状に体が四散する。
 砕け散った霧状の塊ほとんどは空気中に溶けるように消えていったが、それら拡がって消えるものとは逆に一点に集まってくる塊もあった。
 集まった霧状の小さな塊は大きな塊にかわり、それは次第に人型に変わってゆく。
 それが元の藍の姿であることはすぐにわかったが、かなり消耗しているようで膝と手を地面に付け肩で息をしている状態だった。
 妖力のほとんどを出し切ったのだから無理もないが、その全力の九尾ですら子犬のようにあしらう萃香の本当の実力は計り知れない。恐らく本人も自分の限界を知らないのかもしれない。
「落ち着いたか?藍。」
「・・・すまなかった・・・許してくれ。」
「気にするな。これが私の役目みたいなものだ。」
「萃香が居てくれて助かる。」
 差し出された萃香の手を取って立ち上がる藍。姿勢を正しいつもの様に何事も無かったかのようにシレっと振る舞い、二人は揃って母屋に上がり紫のそばに寄る。
「紫は無事だ・・・いや無事ではないが・・・まるで別人の気だな・・・。」
 左胸を剣が貫通しているのに無事というのは適切ではないが、妖力、生命力など紫から溢れる力は以前に増して強くなっている。
「だが、気が一定していない・・・。」
 その理由は八雲姉妹の魂が完全に融合していないためだろうと容易に想像出来き、その胸の剣が問題を完全に解決させていない要因であることも分かる。この剣を何とかしたいが取り扱いに関してはまったくお手上げである。
 魂を奪う剣だけに戻す事は出来ないはず。しかし、紫と藍の断つ力と結ぶ力を持ってすればなんとか出来るかもしれない。とにかく持ち主に尋ねるしかないだろう。
 藍は妹紅の事を考え、そこで霊夢がいないことにも気付き周囲を見渡す。まさか正気を失っている間に何かしてしまったのだろうかと不安になる。
「霊夢に妹紅を呼んできてもらうように頼んだ。もうすぐ戻ってくる。」
 萃香は藍の心内を読んで安心させる。そしてタイミング良く神社に近付く複数の気を感じる事ができた。
 藍は立ち上がり紫に一瞥し縁側に下りた。萃香も後に続いた。
「(藤原妹紅・・・紫様にもしもの事があれば、絶対に許さんぞ・・・。)」
 妹紅らが来るであろう西の空を睨む八雲藍であった。