実家への支援をもうしないと決めてから

数ヶ月が経ち新盆の前のことです


先代にゃんこがきっとこうして送迎してくれたでしょう🐱

私は実家は行かない方向にしようとしてましたが
実家に行く用事ができたので


お盆前に実家に旦那さんと行くことにしました

母を見て感じたのは


小さい頃から持ち続けてきたものを感じました


そのきっかけは
仏壇にお線香をあげようとしたとき
線香が折れて火がついた部分が畳に落ちたとき
母が
「家を焼くな」とひとこといってきました

その言葉は家を心配することだから当然なのですが


私はその時
「あ、また機嫌悪くしちゃった」と
身体がこわばりました
それと同時に
「私の心配はないんだ」と思いました


その時は姉も一緒にいて
姉は義理の両親を今年亡くしているので
実家と同じ新盆ということもあり
母が「大変だな」と労りの言葉をかけてるのを見たときも「疎外感」を感じました


確かに姉もバタバタしてて

大変なのは本当なのですが

私はその時
小さい頃から感じていた
でも感じないようにしていた
その気持ちに触れた気がします


それは「疎外感」と「孤独感」でした


母と家族が仲間で
私は違うのかも⋯
そんな感覚を小さい頃から持っていました


そこから
「私も『かわいそうな人』になれば仲間に入れてくれるかも⋯」と思うようになったのと
「私が助け続けていれば私がここにいても大丈夫かも」という期待のようなものでした


アニメなどで昔よく出ていた
「正義の味方」のような存在になりたかった

正義の味方は
悪を倒したり問題を解決することで
番組が続いていく⋯
そんなイメージ

だから
正義の味方は私で
悪は「問題」
私が問題を何とかすることで
家族の一員になれる
そう信じ込んでいました

実は実家に行く前日の朝に
ふとメッセージが聞こえてきました

誰かの思念のような感じで
でも相手本人も意識してない部分のような
そんな感じのものから伝わる⋯
そんなメッセージがたまに聴こえるときがあるのです

その時のメッセージを言葉にすると

私が自分の存在のために
母が私に執着しなくちゃならない
だから苦しい

そんな感じです

その時
そうか
私は母が可哀想だと
母が私に執着してると思っていたけど
私も母に執着してたんだなと気づき

じゃあお互い自由に生きよう
もう執着しなくていいんだ

そう心から思えたような感覚が
とても心を軽くしてくれました

そして
実家に向かう道中
親がしてくれない(叶えてくれない)ことがあるから私は不幸だ
ではなく
親が叶えてくれなくても私が叶えてもいいし
他のルートから叶えてもいい
そんな気づきもありました

親に対して
私がわかりやすい方法で愛してもらえる
という
大きな期待を持っていたようです

数ヶ月
自分に集中してきて気づいたのは
私は親ファーストで生きてきたこと
何を決めるのも
何を選ぶのも
親基準というか
親が嫌な気持ちにならないような
そんな基準で生きているということです

お金もそうです
豊かにならない方が
可哀想な方が愛される
そう思ってきました
でも真実は
どんなに頑張って可哀想な自分になっても
親からは期待したかたちで愛されてる実感も得られませんでした

それと同時に
自分が怖かったことも思い出しました
体の痛みを感じること
命を絶たれることへの恐怖
(小さい子どもは親から愛されてるという実感がないと命の危険を感じるそうです)

そして
今は実家よりも
安心して自分でいられる場所があること
話を聞いてくれる人がいること

一つ一つ
気づいてきました
これからどうなるかわかりませんが

全てが最善

その時はそう思えないかもしれないけど
今回の件はまさにそうだと思っています