摂食障害を患っての中学校生活

様々な壁がありましたが、やはり一番高い壁は「食」に関する事でした

 

このブログでも何度か給食に関しての記事をUPしましたが

給食は娘にとって毎日闘いの時間でした

 

入院中、病院食では1食200gの白米を食べていたことから

学校給食も周りの空気に流されて結構簡単に食べれるのではないか?

と安易に考えていた私

 

とんでもない間違いでした

給食に関してはこちらをご参照下さい

 

 

 

 

 

 

 

給食以外の「食」に関する時間と言えば・・・

家庭科の調理実習です

 

娘が入院していた中学校1年生の時は、コロナ禍初期で調理実習は全て延期。

その延期となっていた分が、娘が退院して復学したころから再開しました

 

給食だけでも苦痛なのにそこに調理実習の実食まで加わる・・・

娘にとっては一大事です・・・

 

調理実習、給食前の3.4時間目に行うことが多く、

給食の時間に給食+調理実習の実食となるパターンがほとんどでした

しかも1年次の延期にしていた分に2年次の調理実習も行われて

2週間おきくらいに調理実習がありました

 

調理実習のある日は朝食を食べなかったり、夕食を食べなかったり

前の日から不安がったり、次の日まで引きずったり

私にとっても調理実習の日は気の重い日となっていきました

 

何回目かの調理実習の時

その日も前日から散々調理実習の文句を私にぶつけてくる娘

当日の朝も朝食は食べないだの、夕食は減らしてほしいだの、、、

あー、また始まった・・・とうんざりしてしまい

 

「そんなに調理実習が嫌なら、休めばいいじゃん!!

毎回毎回、同じセリフ、聞き飽きた!! 調理実習の時だけ保健室に居れば?」

 

授業の一環とはいえ、調理だけすれば、実食はしなくてもいいのでは?

とも思い

「調理にだけ参加して、食べなきゃいいじゃん!誰かに食べてもらえば?」

 

と、ここでも安易に提案してしまいました

 

娘は黙ってしばらく考え込んでましたが

「もういい・・・なんとかする・・・」

と言い残し登校しました

 

暗~い顔で家を出て行ったので、私も朝からどんより

また帰って来てからが大変だな。。。夕飯食べないのかな。。。

などと考えながら仕事をしていると

 

学校から電話がきました

 

「すみません!○○さんの姿が教室にありません!自宅に戻ってますか?」

 

心臓がドクンと大きく鳴りました

 

「私も今職場なので・・・すぐに自宅に戻って確認します!!」

 

もうパニックでした

調理実習が怖くて逃げだしたんだ・・・

朝、突き放すような言い方せずにちゃんと話を聞いてあげていれば・・・

どうしよう・・・どうしよう・・・

 

以前、総合病院に入院したときの脱走事件のことを思い出し

自分の不甲斐なさや成長していない事に幻滅しました

 

 

 

 

慌てて上司に事情を話し、会社を出ようとした時、

再び学校から電話がきました

 

「○○さん(娘)、見つかりました。校内にいました。大丈夫です。」

 

一気に力が抜けて、会社の前でヘナヘナと座り込んでしまいました。

 

先生の報告だと

家庭科の調理実習まではみんなと一緒に調理室にいた

調理後、トイレ休憩を挟んで実食となったところで姿が見えなくなった、と。

 

私はトイレにでも逃げ込んで隠れていたのかなと思いましたが

娘が見つかった場所はスクールカウンセラーの先生の部屋でした

泣きながら飛び込んできたそうです

 

数日後、お礼も兼ねてスクールカウンセラーの先生を訪ねました

先生は生徒の相談事は基本的に保護者には伝えないそうです

(親子関係で悩んでいることもあり、生徒からの相談は基本守秘とのことでした)

 

なので、調理室から逃げ出した経緯についてだけ

お話しをして下さいました

 

この日の調理実習は「クレープ」でした

みんな大好きなクレープにテンションが上がっていたようです

ちょっと調子にのってしまった男子君が、生クリームにレシピの分量より

多いグラニュー糖を投入してしまい、それをみてしまった娘

もう恐怖のクレープにしか見えなかったでしょうね

 

みんなは楽しそうにクレープを作り、食べるのも楽しそうに待ってる中、

娘ただひとり、大量のグラニュー糖の入ったクレープに怯えていた

 

何とか作り終えるまでは調理室に居れたが、どうしても怖くて

食べれなくて、でも、どうしていいかわからなくて

 

みんな楽しそうにしてて、誰にも相談できなくて

・・・調理室を飛び出してしまった

 

私はこの日まで知らなかったのですが、

娘は何度かスクールカウンセラーの先生のところを訪ねていたようです

誰かに勧められたのではなく、娘が自ら話しに行っていたようです

娘と先生がどんな話しをしていたのかは教えてもらえませんでしたが

先生も病気のことは把握してくれていました

 

泣きながら部屋に飛び込んできた娘にスクールカウンセラーの先生は

理由は聞かず、ただただ背中をさすってくれたそうです

 

そう、本来なら、私が娘の不安にこうやって寄り添ってあげなくては

いけなかったのです

 

「怖いよね」と気持ちを共有してあげるだけでもどれだけ違ったか・・・

なのに、また始まった・・・とうんざり顔であしらってしまった

 

深く反省しました

 

この時、スクールカウンセラーの先生が

「こうやってここに逃げてこれたという事、素晴らしいことです

子ども達は、助けを求めることってなかなか出来ないんですよ

自分から助けを求められた事、本当に素晴らしいです」

と仰いました

 

長い入院生活の中で、娘が培った一つの力だと思ってます

「困った時は大人に頼っていい、助けを求めていい」

 

病院では担当看護師さんが絶対的味方として存在してました

退院したのち、学校という場所でも自分の味方は誰で、

どこに逃げれば助けてもらえるのか

 

娘なりに考え、探し求めたんだと思います

 

私に言えないことも、ここでは話せていて、聞いてもらえる

そしてここへ逃げてこれている

このことが私の中でひとつ殻を破ることになりました

 

それまでは、娘の思っていること、考えていること、行動など

全て把握していないと私自身が不安でした

だけど、娘はちゃんと自分で助けを求め、自分で行動できている

 

余計な詮索や心配をしているより、しっかり寄り添うことに徹しよう

そう思えるようになりました

 

学校では、スクールカウンセラーの先生の他にも

娘にとって「味方」でいてくれる存在の方がいました

本当に多くの方の力添えがあり、娘は中学校生活を送れました

今でも本当に感謝しています

 

娘の味方の存在についてはまた次回・・・