2020年 摂食障害治療ため専門病院に入院した時の娘の記録です
専門病院に転院してからも食事を摂れず、再度経管栄養になった娘。
この頃は面会も電話も許されず、娘の様子は週1回の主治医面談、看護師面談
にて報告を聞くだけでした。
唯一、許可のあった連絡方法は手紙のみ。
でも手紙も週1回、洗濯物と一緒に受け渡しできるだけでした。
それでも私は毎日手紙を書きました。
励ましの言葉を便箋に書き続けました。それしかできませんでした。
リアルタイムで娘の様態を見る事はできなかったので、面談の際
聞いた内容になりますが、一番体重が少なかった時の身体の変化です。
*背中の産毛が濃くなり、量も増えた
*体力がなく朝まで眠れない
*ベットから自力で起きれない
*自分の唾液も呑み込めない
*手足の血色が悪く肌の色が黄色っぽい
娘はこの頃のことを
「自分の足が枯れた木の枝みたいだった。カサカサだった」
「ベットから起き上がれなくなった時、このまま寝たきりになるのでは
ないかと怖くなった」
「栄養を摂らなきゃって思う自分と、栄養を摂ってはいけないって思う自分
がいつも頭の中で言い合いになってた」
と、後に言ってました。
そしてこの頃、娘の身体は限界でしたが、娘の心も荒んでました。
栄養が体に入ってくる罪悪感、恐怖感と毎日闘っていた娘。
耐えられなくなって管を抜いてしまったり、手洗い場の石鹸を食べて
お腹を壊そうとしたり、
娘からの手紙には
「私は生きていていいのか」
「体重がこれ以上落ちるのは怖い。でも栄養を摂るのも怖い。」
「私は悪い子だから看護師さんたちもみんな私には冷たい・・」
読むのが苦しい内容ばかりでした。
なんで娘ばかりこんなに苦しまなくてはいけないのか。
優しくて頑張り屋の娘がなんでこんな思いをしなくてはいけないのか。
ごめんね。助けてあげれなくてごめんね。
何でもしてあげたいのに、何もできなくてごめんね。
・・・治るのだろうか?元の身体に戻れるのだろうか?
そんな不安に襲われて 「摂食障害は治る病気です」
総合病院で聞いたこの言葉を自分の中で何回も何回も再生しました。
この頃、私の精神状態も最悪でした。
専門病院で完全看護のもとに娘がいても安心できた時間はありませんでした。
仕事も家事も手につかない日々が続きました。
どうやって生活していたのか、よく覚えていません。
ただただ
どうか食べれるようになりますように
どうか体重がこれ以上減りませんように
どうか辛いことから少しでも解放されますように
祈ることしかできませんでした。
そんな状態の娘でしたが、転院して3週間が過ぎた頃、
一回目の転機をむかえます。初めて一歩前進できたことでした。
小さい、小さい一歩でしたが・・・。