引っ越しをたくさんしていると、

 

そういえば

あのときのアレはどこにあるのだろう?

という事態に遭遇することがある。

 

 

 

 

芸大生の時に作ったアレ、

今の この部屋にあるのか?

 

それとも実家?

 

それとも離婚した時に置いてきた?

 

はたまた同棲してた元彼と別れた時か??

 

 

だとしたらもう取り戻せない。

 

もったいないことをした。

 

 

 

 

 

 

『仮面』2004

 

 

 

 

 

 

 

作ったものに執着がなさすぎて

自分で呆れることがある。

 

 

オルゴナイトを作っていた時も、

完成して「おお〜、いいものできた♡」と思ったら、

あとはもう、自分のものではない感覚になる。

手放すのが惜しいって、あんまり思わない。

 

いま手元にあるオルゴナイトも、

ほしいと言ってくれた人がいるなら

売るかあげるかしちゃうかも。

 

 

 

それっておそらく、

「また作れる」という

自分の技術に対する

ある種の信頼でもあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『flower』2003

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし・・・

 

「時間」だけはどうしても

取り戻せないんだよね。

 

 

 

例えば大学の時に作っていたものは、

20代前半のあの頃

あの青さと鋭さを持っていた頃にしか作れないもの。

 

 

今は見えるものも 見えないものも増えてしまって

作れる環境も限られてしまって

あの頃の感性とは

ちょっと質が変わってしまっていて、

それはもう仕方のないことで。

 

 

好きなアーティストのデビュー当時の曲と、

10年後の曲が同じわけがないように。

 

昔の方が良かったなんて言っても

それはもう取り戻せないものなのだから

当時の曲を聴くしかないのだ。

 

きっとそれと同じ。

 

 

 

 

 

青くて

拙くて

今見たら恥ずかしいものでも。

 

 

あの頃にしか作れなかったもの

あの頃にしか描けなかったもの

あの頃にしか綴れなかった言葉

 

捨てなくて良かったって

10年20年したらきっと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校時代に描いていた同人作品とかイラストとか

まとめて捨てちゃったのもったいなかったなー・・・

 

 

 

とはいえ

全部抱えて生きていくにはちょっと重い。

 

ジレンマだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『蝶(未完成)』2004

 

 

 

 

 

 

 

 

捨てることで生まれ変わる。

そんな感覚なんだろうな。

 

 

さなぎを脱いで蝶になるみたいな。

脱皮して大きくなるみたいな。

 

 

 

生み出して

眺めて

公開して

満足して

捨てて(または人に受け継いで)

 

軽くなってまた生み出して。

 

 

 

 

 

 

 

振り返りたい時もあるけどね。

 

無くしたものは戻らない。

仕方のないこと。

 

 

 

 

 

これからはもうちょっと

執着というよりは

愛着をもってあげようと思うよ。

 

 

 

「時間」は「価値」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて

今日は蠍座の満月です。

 

満月は、手放しの願い事をすると良い日。

 

何を手放して

何を願おうか。

 

 

 

 

 

『kaleidoscope』2004

 

 

 

掲載作品はすべて大学時代に描いたものです。

こういうアートをゼンタングルと言うらしいと最近知った。

忘れもしない2003年、大学3年生の秋。

今まで全く描いたこともなかったのに、

急に描けるようになったの。ふしぎ