息子の入院は10日間でした。

 

急激な意識消失の数日後、急激に良くなる経過をたどりました。

 

病院で調べられる検査は正常値。

研究機関へ血液と髄液を送ることになりました。

結果が出るまでは、激しい運動は禁止。

3ヶ月の自宅療養期間を持つように、常に誰かがそばにいる様に、

自宅で意識状態の変化があったときには、すぐに救急車を呼ぶこと、

その時に持参する紹介状を渡します。退院後通院は2日後、一ヶ月後、それで変わりがなければ、二ヶ月後と少しずつ延ばしていきます。

と説明がありました。

 

自己免疫性辺縁系脳炎・脳症の疑い

多発性硬化症の疑い

この2つが診断名でした。

 

今回もたくさんの方に守られ、支えて頂きました。

寮母さんの早い対応、搬送時に病院へ来てくれた担任の先生。

病院の先生方、スタッフの皆さん。

心からの感謝をお伝えしました。

 

そして、不思議な力にも守られました。

ありとあらゆる神様仏様、祖父母へ感謝をお伝えしました。

そして、これからもお守り下さいと毎日祈りました。

 

息子は、生きていく使命があると思いました。

運動を禁止されて、ショックを受けた息子は

「どうして生きているんだろう。死ねば良かったのに。」と

言ったこともありました。

 

でも、息子は思うように身体が動かないと自覚したときに周囲へSOSを出しました。かろうじて動く手を使いちゃんと生きる道を選んだのです。

生きる使命があなたにあると思う。

だから生きているんだと思うと話しました。

 

それを息子に話すと、

「そう・・・。死ねばいいと思う気持ちがあるけど、あの時・・・実は

実家の固定電話に一番最初に連絡をしたんだ。でも、出るわけないと思って、寮母さんに連絡をした。それは覚えてるんだよね・・・。

あんな状況だと、生きるような行動起こすのは自分でもわかるんだ。」

 

!!!そうだったの!!!と私は驚きました。

息子の携帯の履歴を見ると・・・

私が仕事で不在の家に電話を掛けていたのです。

一度、自宅へ戻ったのに固定電話を確認していませんでした。

息子からのSOSに気づいてあげられなかった事を謝り

私の心にいつまでもその後悔が残りました。

 

生かされた息子の命。守りたい。

絶対に再発をさせないようにしていこうねと息子に話しました。

 

研究機関へ送った血液や髄液にも異状なしと

1年かかって結果がわかりました。

診断名は2つとも疑いがついたままです。

 

あれから3年。息子は元気に過ごしています。

たくさんの人たちのおかげです。

たくさんの守ってくれる神様仏様、祖父母のおかげです。

ありがとうございました。

これからもよろしくおねがいします!