父の介護は大変だった笑い泣き



87を過ぎて認知症の症状が現れてからは、1分前のことも覚えていない。



もともと家では横暴だったから、母の言うことなど聞かない。



下の世話をさせて「早くやれ💢」と威張る。



味噌汁まで投げるえーん



お風呂に何ヵ月も入らない。



入っても洗い方を忘れたのだろうか?



ただ湯船に入って上がる。




もう4ヵ月もお風呂に入ってない、と言えば。


馬鹿を言うな💢お前が嘘をついている。

昨日入った泣き笑い




面倒くさがる母を説得して、介護認定を受けさせたのは遠く住む私。



訪問看護師さんを付けても、戦争の話をするばかりで、話し相手。



入浴には至らなかった。




デイサービスの体験に行っても、帰ると行って中に入らない。



同居の妹は父の介護など無関心で。


「なんでデイサービスなんて行かせるの。怒って母に暴力を振るったらどうするのか」

と、私にくってかかるムキー



母がいると余計わがままになるから、送り出しのヘルパーさんを30分頼み、母には隠れてもらったり。



それでもデイサービスに通うまで1年かかったショボーン



行けば行ったで、「帰りはいつだ?タクシーか?」とか、母に電話30回叫び



携帯など持たせたくないけど持って行く。




そんな時突然施設入居の順番が来たびっくり



100人待ちと聞いていたのに、推測だが、見るに見かねてケアマネさんが順番を早めてくれたのだろう。



ケアマネさんは男性で、親身になってくれる人で、その施設の職員だったから。



こうして施設に入ってからは、元教員の尊厳もあってか優等生でニコニコ



歩けなくなって車椅子になって、皆さんに可愛がられるいい爺さんになり。



コロナがあって面会は玄関のドア越しに、1年半の間に2回ほど。



住んでいた部屋には亡くなる2週間前に初めて入った。



亡くなる前の日まで自分でご飯を食べて、3時間前まで職員さんと会話をして。



あっぱれな大往生、93歳。




帰りたがることもなく、幸せな最期だったと思う。



あんなに父のことを嫌っていた母だが。



亡くなってからは、毎日仏壇に向かって父に話しかけている爆笑



そして、あの妹まで、仏壇のある生活は落ち着くと。



毎日仏壇のお花の水を替えて、チンを鳴らして手を合わせている。





その父のケアマネだった人が、今度は引き続き母(86)のケアマネになってくれている。



母は重篤な慢性心不全で。



入退院を繰り返し、圧迫骨折で背骨も曲がり。



外出は病院🏥だけ。



家の中で移動も危なっかしいぼけー



母の手すりや杖のレンタル、すべてアドバイスして千葉から新潟へ遠隔操作ゲロー



もちろんケアマネさんあってのことだが。




妹もようやく家事をやるようになった(今さら)



母の体調は今は落ち着いていて、妹の作るご飯もたくさん食べるようで。




訪問看護師さんにシャワー介助をしてもらっているが。



看護師さんが、桜🌸が咲いたら近くの公園に花見に行きましょうねラブラブ


と言ってくれて。



歩く自信がないと言ったら、おんぶしてあげますよニコニコ




母も少し元気が出てきたのか。



車椅子を借りたいと言ってきた。



母は要介護1



看護師さんは要介護2からしか車椅子は借りられないと言うらしい。




そんなことはない。



必要と認められれば、1でも借りられる。




車椅子♿️の種類は多く、知識のない母に伝言するより、私が千葉から新潟の母のケアマネさんに電話した。



初めましての非礼を詫び、父と母のお礼を言って。



私も車椅子を2台借りていて詳しいので、母の車椅子をお願いした。



快く承諾していただき、さっそく翌日訪問してくれた。



暖かくなったら、たまには買い物もできるといいと思っているニヤニヤ