魂のシナリオ通りに生きていますか? ‥ 2 | inca rose*のブログ

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◆苦い経験を通してこそ、魂は磨かれる

苦しいこと、辛い経験から逃げずにそれをバネにする。それができれば、それ以降の人生が新たなシナリオとなって、幸せを呼び寄せます。困難な状況に置かれた時、そこで自分の課題、責任をまっとうしようと一生懸命に努力しながら、その壁を乗り越えていくこと自体が、やがて花を咲かせるための肥やしとなるからです。

これは、魂の宿題を抜き打ちテストの形で試されるようなものかもしれません。
いきなりテスト問題を出されても、それまで一生懸命に努力をして学んでいれば、たとえ難しい問題であっても、それを解いて無事テストに合格できるでしょう。

反対に、日頃から努力もせず、テスト問題が出されても、不平・不満、愚痴ばかりいっていたら、テストに受からないのは当然です。
宿題のテストは必ず自分の力で解かなければならず、そこでみごと合格できてこそ、自分の手で新たなシナリオを書き加えられるのです。

自分にとって苦しく、厳しい経験こそが魂の研磨材となるというのはそういう意味です。
魂の宿題を避けようとすればするほど、自分の欠点、不足に気づかず、才能や長所を人のために役立たせることもできません。そこで心が養われていなければ、さらなる不幸を呼び寄せ、来世にまで持ち越してしまうのです。

短所と長所は裏表であわせ鏡のようなものですが、ものごとが順調に運んでいる時よりも、苦しい時、辛い時ほど性格上の欠点、不足が短所としてあらわれやすくなります。
例えば、親の欠点は、子供に何か問題が起きた時に表面化することが多々あります。子供が暴力をふるったり、ひきこもったりして問題を起こす。しかし、その原因はそれまで子供に間違った接し方をしてきた親自身の知識不足であることがほとんどです。

そこで、親が自分の欠点や愚かさを認めて反省すれば、必ず子供も変わり始めます。
たとえ子供への愛情はあったとしても、「子供のためにならないやり方だった」「一般常識からはずれた教育方針だった」という知識不足に気づいて心から反省できれば、「どうすれば本当に子供の成長になるのか」と正しい接し方の知識が得られ、子供にもそれが伝わるからです。



◆この世に生を受けたすべての人に共通した課題

家庭内の文化は、「うちではこれが当たり前」といういわば家族の“常識”になっていて、普段は他の家庭との違いを意識してはいけないのが普通です。
ところが、例えば結婚をして別の家庭に入ると、そこで嫁ぎ先の家庭の文化、“常識”と出会い、「なんでこうなんだろう?」「これ、おかしいんじゃない?」と相手の家の文化が“非常識”に見えてしまうことがままあります。

それが高じてくると、「うちは正しい! 間違っているのはあちらの家」という対立が生じ、トラブルの原因となるわけですが、これこそ、家庭内文化についての知識不足です。
つまり、相手の文化に対する無理解と偏見で、そこには自分の文化を絶対視する傲慢さがあります。

これがもっと大きな範囲や規模で起きているのが、人種差別や国家間の対立、宗教戦争です。
自分の家庭の文化が“常識”だと信じ込み、相手の文化を“非常識”だと決めつける心、この歪んだ未熟な心が親類縁者間のトラブルや争いの原因になっていることが実に多いのですが、当然のことながら、自分の家庭で当たり前のことが、他の家庭でも当たり前だとは限りません。

ですから、家庭や親族の間でトラブルが起きたら、まず自分の家庭の“常識”についてよくよく考え直してみる必要があります。
自分の家庭では“常識”と思っていたことが、相手の家庭や一般常識から見たらかなりずれた“非常識かもしれないからです。
自分が生まれ育った家の“常識”を改めて考えてみるーこれも知識です。

では、家庭内文化が違うもの同士、どのようにつき合えばトラブルが防げるのか?
異なる家庭内文化を持ちつつも、その一方で、誰にでも通じる間違いのない常識や良識、すなわち一般常識と呼ばれるものがあり、その一般常識を身につけることです。
例えば、方言も文化の違いの一つですが、自分の地域の方言は他の地域ではなかなか通じにくいことから、標準語を使うことによって方言の壁を超えたおつき合いができます。

この誰にでも理解できる標準語のように、それぞれに異なる家庭の文化を持っても、その中で共通した考え方やものの見方、あるいは、ルールやマナーがあります。
これが一般常識や良識といわれるものです。

例えば、世界宗教と呼ばれるものも同じで、それぞれに宗派の違いはあったとしても、どの宗教も人としてのあるべき姿や道を示しています。仏教やキリスト教にしても、つまるところは、人の心を戒めて、慈悲や愛、心の清らかさなどを説き、悩みや苦しみから解放されて幸せを得るための精神的な規範を示している点では共通しています。



◆「気づく力」「聞く力」を身につけることが幸せな生き方につながる

魂のシナリオにそって生きるなかで、自分の課題と向き合っていく。そして、人生の困難な状況の中で、自己責任を果たしながら魂を浄化し、人としてあるべき姿、道にそってその壁を乗り越えて、新たなシナリオを描いていく。
そのための第一歩が、気づくべき自分の欠点、不足に目を向けることです。

人生において「気づく力」を身につけることが、私たち人間としての幸せな生き方につながるのです。
生きている限り、誰しも悩みが尽きることはありません。ほかの人から見て、幸せに暮らしているのだろうと思われても、実はその裏でものすごい悩みを抱えているというケースも数多くあります。

経済面や物質的に恵まれていることが、必ずしも幸福に直結するわけではなく、幸せだから自分が成長するのでもなく、自分が成長することで、幸せは訪れるのです。どうすれば自分が成長できるのか?
それは第一に知識を得て、正しい理解力、判断力を養う中で自分自身を知ることです。

また、相手の心を考え、正しく理解することによって、自分のことも知ることができます。
自分のことがわかれば、もっと人に優しくすることができ、人への優しさが今度は気づきとなって自分自身の魂を成長させていきます。
失敗しながらでも、頑張って自分を成長させることが、幸せを呼ぶ気づきの連鎖を生みます。

自分のことをよく知るためには、親しい人からの忠告に素直に耳を傾ける謙虚さ、素直さがとても大切です。
相手からの指摘や注意というのは、よりよい人生を生きていくうえでの「宝」ともいえるのです。そのためには、「聞く力」を養うこと。
自分の立場だけとか、独りよがりな感情論の話ばかりしていては、ものごとを知ることはもちろんできるはずもなく、人間関係においても人が離れていくのは当然でしょう。

なぜなら、「私が、私が」という自己主張、自分ばかり一方的に話をしたがる状態というのは、自分のことしか考えていない我欲のあらわれであるとともに、相手も「そんな話は聞きたくない!」とその人間性に呆れてしまうのです。我が強い人ほど、人の話を最後まで聞かず、人が話していてもそれを遮って、自分だけの考えをとうとうと語り続けます。

これではまったく会話にならず、知識も得られるはずはなく、それを注意されると、「絶対に自分は正しい!相手が悪い‼︎」と、まったく自分の非を認めない憐れな人生になってしまうのです。



◆人の話に耳を傾けることで、自分を知り、人を知る

聞く耳を持つことは、自分が気づいていないこと、知らないことを受け入れる柔軟な心の受け皿をつくる、ということです。
それが、ものごとを知って覚えていくことにつながるのです。
草花で例えれば、水や栄養を吸収するのと同じです。

ほかの人の話をよく聞く人のところには、自然と人が集まってきますよね?
周りの友人を見てみてください。人が集まって来る人や、周りから頼りにされている人というのは、聞き上手な人ではないでしょうか⁉︎
相手の話を聞く姿勢、聞く力とは、幅広い知識を吸収するためのスポンジのような受け皿であり、知識の倉庫の扉を常に開き、インプットしようと待っている状態なのです。

そのように聞く力を養っていると、相手のことやものごとの本質をよく理解できるようになって、その結果、周囲の人たちから信頼され、絆が深まっていきます。ですから、いくつになっても、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」といった心づもりが、素直に可愛く歳を重ねていくことにもつながります。

自ら積極的に人との絆をつくっていくことは、自分の意志で幸せの道を選んで進んでいることになるのです。必然的に人が集まってきて、幸せの連鎖が起こります。いろんな人との絆が深まれば深まるほど、家庭内文化という狭い枠から出て、今まで知らなかった世間を見渡すこともでき、人としてのあるべき姿、道を見出すことができてくるはずです。

今は、「一人でいるのが楽」とか、「うつ気分で人と接するのが苦手」という方も多いかもしれませんが、孤独から脱出するためにも、自分の中だけでつくりあげた心の文化を捨て、広い世界に旅立つチャンスにチャレンジするべきだと思います。自分だけの心の文化から脱出することによって、自分の殻、狭い文化からより広い世界へと出向き、その広い無限の海原の中で、幸せへとつながる知識がたくさん得られます。

自分から話すのが苦手でも、人の話を聞くのはさほど難しいことではありません。人の話に耳を傾けることで視野が広がり、自分を知り、人を知るーこれも知識です。















『魂のシナリオ通りに生きていますか?』
著 . 木村 藤子

から抜粋。