瀬織津姫システムと知的存在MANAKAが近現代史と多次元世界のタブーを明かす ‥ 1 | inca rose*のブログ

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◆「飛鳥」の呼称は「ゾロアスター」に由来する (中山 康直)

第5章で詳しく触れますが、臨死体験をきっかけとしてコンタクトした「MANAKA」という知的生命存在が通信教育してくれて、その知的生命であるMANAKAからのメッセージでは、「星とは精神である」と伝えられています。その宇宙的な定義からいえば、星信仰が希薄になるということは、精神性が損なわれるということであり、生活から精神性が切り離されてしまうことに他なりません。

つまり、聖徳太子が星信仰を復活させようとしたのは、まさしく精神性の復活のためであり、それにより宗教の統合を目指したということがいえるでしょう。
ゾロアスター教はユダヤ教やキリスト教、さらには、イスラム教にも影響を与えていて、ヒンドゥー教などの多神教とも深くつながっています。ゾロアスター教は仏教や道教に組み込まれながら、ほとんどあらゆる宗教と習合した形として、日本に伝来してきたことになります。そして、日本の古くからの神道に溶け込んでいくことで、宗教の統合がなされていく宇宙信仰を、聖徳太子は目指していました。

聖徳太子の生きた時代を飛鳥時代といいますが、それは「ゾロアスター」の「アスター」から来ています。「アスター」とは、ギリシャ語で星のことであり、英語の「星(star)」の語源でもありますが、それが転訛して「アスカー」、つまり「飛鳥」となったという流れがあります。そうなると、「飛鳥」とは「天体の叡智」という意味になります。

ちなみに、聖徳太子と秦 河勝は同一人物ではないかという説や蘇我馬子と同一人物説もありますが、臨死体験で見たストーリーでは完全に別の人物です。
秦 河勝は聖徳太子の下で働いていましたが、聖徳太子の亡きあとに起こった大化の改新のときに、意図的に神社が見直されていきます。その中で、秦河勝を中心とした秦氏の集団は、聖徳太子から託された密命により、大切なものを守るために神社の中に太古からの真髄を赤い印として、つまり稲荷神社として隠したのです。

稲荷神社を本殿にお祀りしている稲荷神社以外にも、ほとんどの神社の境内に稲荷社がありますが、本殿のある中心ポイントではなく、境内の隅や隣地などにある場合が多く見られます。これは、ある意味カモフラージュで、実は大切なものを目立たない場所に置いて継承しているといっても過言ではありません。

たとえば、大阪の交野にある星田妙見の御神体は、本殿裏の山の頂上にある奥の院ですが、稲荷神社が守っています。この稲荷という神格は、伊勢外宮の御祭神であるトヨウケのことであり、宇賀の御霊ともリンクする霊験あらたかな御神徳を受け持っています。
稲荷は食と関係が深く、太古から麻と縁がある阿波国ではオオゲツヒメと呼ばれ、食物の神であり、稲妻はカミナリ(神成)のことを表しています。






◆日本列島中央構造線と隠された北斗七星

この星信仰について、現代の社会から考えてみるとどうなるでしょう。たとえば、昼間上司に怒られた、友達とケンカした、あるいは家族と反目した…こういうことは誰でも日常的に経験することでしょう。そんな嫌なことが昼間にあったあと、だんだん夜になってきて、そこで満天の星が見えたらどうでしょうか。

満天の星の下、こんな美しい世界に自分たちは生かされているのかと感動して言葉を失ったとき、人間世界の物事など小さなことのように感じられ、「ああ、そうか…自分も悪かったな」と謙虚な気持ちや反省の心が芽生え、意識が変わり、寛容になれるはずです。そのように、本来は星が浄化してくれているのに、立ち並ぶビルが空を狭くして、繁華街では朝までネオンぎらぎらで星など見えません。このような状況では、精神性が希薄になって当然です。

さらに、高いビルを建てるということは、地面の深いところまでボーリングして地質的にも悪影響を与えているということです。それにより大地のバランスが崩れ、日本でいうと最終的には中央構造線のバランスまで崩れてきます。

聖徳太子の遺した予言といわれる『未然紀』は書物としては残っていませんが、『先代旧事本紀大成経』という古史古伝には、神武天皇以前の天皇から推古天皇までの系譜を説いた内容が書物として残っています。縄文神アラハバキに言及した『東日流外三郡誌』という古史古伝と併せ読むと、聖徳太子が伝えたかった予言の一端が見えてきます。

その真意は、「申の刻から始まる」大変革のことで、それはつまり、二○一六年から始まる大地の動きのことです。具体的には、中央構造線の動きのことであり、二○一六年四月の熊本地震はまさに中央構造線の元が揺れ動いた現象だったと考えられます。
熊本は蘇りの場所であり、火の国です。日の本・日本のチャクラの元である阿蘇のクンダリーニに火がついたことで、拝火教のゾロアスターの星の智慧が蘇るときの狼煙なのかもしれません。

日本各地にある妙見神社や妙見宮の中で、日本三大妙見といわれている妙見のある場所は何を物語っているのでしょう。

○ 大阪の能勢妙見
○ 福島の相馬妙見(相馬中村神社)
○ 熊本の八代妙見(八代神社)

これらは、近代日本で起きた三大地震(阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震)の震源地の近くに位置しますが、それは偶然ではないように思えます。

さらに、中央構造線沿いには、幣立神宮、石鎚山、剣山、天河、伊勢といった重要な聖地があります。伊勢神宮から右上がりとなって、豊川稲荷、分杭峠、諏訪大社とつながり、さらに埼玉の氷川神社へとラインが流れています。最終的にそのラインは鹿島神宮へ向かっています。

しかし、この氷川神社から鹿島神宮へのラインを本来のレイライン(大地のエネルギーの通り道)と考えるなら、氷川神社から伊豆大島へ南下する流れが理にかなっています。このレイラインであれば、中央構造線からのレイラインに隠された北斗七星の形が存在します。妙見信仰では、国常立尊ですから、丑寅の方向に流れる日本列島そのものであるといえるでしょう。

北斗七星はひしゃくの形をしていますが、この中央構造線レイラインが描く、ひしゃくの中に、富士山がぴたりと収まる位置関係になっていることも注目すべきポイントです。数ある聖徳太子伝説の中には、太子が天馬という黒い馬に乗って天を駆け、富士山までやってきたという逸話や絵がたくさん残っています。北斗七星の化身ともいえる聖徳太子は、中央構造線が富士山を守っていたことを知っていたのでしょう。

ところが、実際の中央構造線の先のレイラインは伊豆大島ではなく鹿島神宮へ延びている。これはなぜかというと、徳川家康が利根川の流れを変えたからです。
利根川は東京湾に流れ込んでいましたが、江戸城を築城するときにその利根川の流れを変えてしまったのです。そのとき、風水にも精通していた天海僧正が、江戸城の建設に関わりました。

鹿島神宮は、日本神話で大国主の国譲りの際に活躍するタケミカヅチを際神としていますが、香取神宮とともに境内に「要石」といわれる霊石があります。要石は大ナマズを押さえつけ、地震からの守り神として信仰されていました。地震を制御できる鹿島神宮へ向かうのなら、中央構造線のレイラインをそちらへ変えても大丈夫だと考えたのでしょうが、これでは、北斗七星の形になりません。ちなみに、この風水の知識に通じていた天海僧正の正体は一部でいわれているように、明智光秀だったと考えられます。星信仰の復活の時代において、中央構造線レイラインも元に戻すことが要となるでしょう。













『瀬織津姫システムと知的存在MANAKAが近現代史と多次元世界のタブーを明かす』
著 . 中山 康直・澤野 大樹

から抜粋。