未来からの生還 臨死体験者が見た重大事件 ‥ 1 | inca rose*のブログ

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第四章     水晶の街

死んだということは、これから先どうなるのだろう、と思った。これからいったいどこへ行くのだろう?

私は、目の前で揺らめいている美しい光の存在を、じっと見つめた。彼の姿は山ほどのダイヤモンドが、人の心を和ませる愛の光を放っているように見えた。死に対する恐怖は、目の前の光の存在から注がれる愛のおかげで、しずめられた。彼は、すばらしく寛大だった。ひどい欠陥だらけの私の人生をたったいま目にしたばかりにもかかわらず、深く、意味深い寛大さを私に示してくれたのだ。

無情な判決を下すようなことはせず、彼は好意的な助言者として、私が他人に与えた喜びを、私自身に感じ取らせてくれた。
恥や苦悶を感じさせるどころか、光を通して包み込んでくれる愛にどっぷりと浸らせてくれたのだ。その代わりになにかを要求するということなど、いっさいなかった。
だが、私は死んだのだ。これからどうなるのだろう? 私は光の存在を頼りきっていた。

私たちは、上に向かって移動を始めた。なにか雑音のようなものが聞こえ、体が急速に振動を始めた。少しずつ階段を経て、上昇していった。徐々に高度を増す飛行機のような感じだ。揺らめくもやにまわりを取り囲まれていた。海にかかる霧のように、ひんやりとした濃いもやだった。

まわりに、光のプリズムのようなエネルギー界が広がっていた。大河を形成して流れるエネルギーもあれば、小さな流れとなってうずを巻いているものもあった。エネルギーの湖や池まであった。
もやの向こうに、濃いブルーのビロードのような山々が見えてきた。その山脈には、切り立った頂はなく、ぎざぎざの岩ばった斜面をしていた。傾斜はゆるやかで、山頂はまるみがあり、さらに深いブルーの鮮やかなクレバスがあった。

山腹に明りが見えた。もやを通して見ると、たそがれどきにゆらめく家々の明かりに似ていた。そういったたくさんの明かりが見えていたが、空から舞い降り、速度を上げたことから、私たちはそちらへ向かってまっすぐに進んでいるようだった。最初、私たちは山脈の右手に向かって移動した。そこにはとても巨大な山があった。それから、体を傾けながら左に折れ、速やかに高度を下げた。

自分はどうやって移動しているのだろう? 下方に広がる天国のような風景を見渡しながら、私は不思議に思った。物語に出てくる天使のように、ただ地面から足を離し、飛んでいたのだ。理性的に考えてもみた。私は実際に移動しているのだろうか。それともこれは、死んだ私の体内部の旅に過ぎないのだろうか? 着地するまでのあいだ、私は光の存在に、自分はいまどこにいるのか、どうやってここにやってきたのか、という質問を絶えず投げかけてみた。だが彼からの答えはなかった。いくら食い下がっても、答えてはくれなかったのだ。

だが不満には思わなかった。私が一生懸命考えているあいだ、光の存在は自身の力の中で慰めの気持ちを高め、それを私に与えてくれていた。なんとしても知りたいと思っていた答えが得られなくても、まわりで脈打つ力のおかげで、私の心は安らいでいたのだ。ここがどこであろうと、ここには私を傷つけるようなものはいっさいない、と自分に言い聞かせた。光の存在と一緒にいると、リラックスできたのだ。

翼を失った鳥のように、私たちは大聖堂が立ち並ぶ世界へとすっと降り立った。その大聖堂は、すべて水晶のような物質からできており、内側から煌々と明かりに照らされ、光輝いていた。私たちは、ある大聖堂の前に立った。その偉大なる建築物を前にすると、自分という存在がじつに小さく、とるに足らないもののように思われた。きっと、天使たちが神の崇高さを表すためにつくった建物なのだろう、と思った。
フランスの大聖堂のように、高く、先のとがった尖塔があり、ソルトレークシティにあるモルモン教の大礼拝堂のようにどっしりとした力強い壁がはりめぐらされていた。
大きなガラスのかたまりでつくられたその壁は、内側から光輝いていた。その建築様式には、特定の宗教とのつながりはないようだった。神の栄光を表す一つのモニュメントだったのだ。

私は畏敬の念に打たれた。その場所には、大気を通じて脈動する力が感じられた。自分はいまなにかを学びとる場所にきている、と思った。人生を回想したり、その価値について考える場所ではなかった。なにかを教わる場所だったのだ。私は光の存在のほうを向き、問いかけてみた。ここは天国なのですか?   だが返事はなかった。私たちは、堂々とした歩道を進み、光輝く水晶の正門を抜けた。

建物の中に入ると、光の存在は姿を消していた。彼をさがしてあたりを見回してみたが、だれもいなかった。部屋中に、長椅子が並んでいた。建物内部から発する光はすべてのものを照り輝かせ、そこから愛が感じられた。私は長椅子の一つにすわり、霊的案内役はいないのかと部屋の中を見回してみた。その奇妙で、壮厳な場所に独りぽつんとすわっていると、なんだか落ち着かなくなってきた。
だれの姿も目に入らなかったが、その部屋の長椅子には、自分と同じような人々があふれている、と強く感じたのだ。はじめてこの世界を訪れ、自分たちがいま目にしていることに戸惑っている霊魂の存在だ。私はもう一度、左から右へと、ぐるりと見回してみた。やはりだれもいない。でもなにかがいる、と思った。絶対だれかがいる。だが何度まわりを見回してみても、そのなにかが姿を表すことはなかった。

そこにいると、壮大な講堂にいるような気がした。長椅子は、だれもが白い石英のように輝く長い演台のほうを向いて腰かけるように並べられていた。その演台の後ろの壁は、色彩のメリーゴーランドといった感じで、パステルカラーから鮮明なネオン色まで、さまざまに彩られていた。その美しさに目を奪われ、催眠術にかけられたような気分になった。その色が混ざり始め、溶け合ってきた。遠い沖合いで深い海の中をのぞき込んだとき目にする景色のように、色が波打ち、脈打っていたのだ。

そのとき、私のまわりに新しい霊魂が入ってきたのを感じた。なぜ彼らの姿が見えないのか、そのころにはもう理解していた。もし私たちがお互いの姿を目にしてしまったら、部屋の正面にある演台に十分気持ちを集中できないからだ。あそこでなにかが起ころうとしている、と私は感じた。
次の瞬間、演台の後ろに、光の存在があふれていた。彼らは、私が腰掛けていた長椅子のほうを向き、やさしく、知的な光を放っていた。
私は長椅子に深く腰掛け、なにが起こるのか、待っていた。そしてそこで起こったことは、私の霊魂の中でも、もっと驚くべき出来事だった。



第五章    知識の箱

演台の後ろに立つ光の存在の数を確認してみた。十三の光の存在が肩を並べ、ステージいっぱいに広がっていた。ほかにも気づいた点がある。おそらく、テレパシーというかたちで情報が送られてきたのだと思う。
彼らは、すべての人間が持つ感情的、心理的特性をそれぞれ象徴していたのだ。たとえば、激しさと情熱を表す存在がいた。あるいは、芸術的で感情的な存在もいた。また、大胆でエネルギッシュな存在がいるかと思えば、独占欲と忠実さを表す存在もいた。

人間的な引用をすれば、まるでそれぞれが黄道十二宮とはかけ離れたものだったが。その感情は彼らからそれぞれ放射されていた。それを私が感じ取ったのだ。
そのとき、私はここが学びの地であるということを、さらに確信するようになった。私は知識の中に浸され、それまでとはまったく違うかたちで知識を授けられたのだ。教科書もなければ、丸暗記も必要ない。光の存在と一緒にいれば、私は知識そのものになり、必要なことはなんでも知ることができた。問いかければ、必ず答えを得られるのだ。知識の海にしたたり落ちた一粒の水滴、あるいは光を知りつくした一条の光線にでもなったような気分だった。

質問を思い浮かべるだけで、答えの核心を探究することができた。瞬時にして、光の働き、霊魂が物理的な生命と合体する仕組み、人間がさまざまな方法で考えたり行動したりすることができる理由、などを理解した。問いかけさえすれば、心に答えが浮かんでくる、という具合だったのだ。
その光の存在たちは、私が死んだ直後に出会った存在とは違っていた。あの存在と同じように銀色がかったブルーに輝いてはいたが、その内側から輝くブルーの光を発していた。この光の色には大いなる力が感じられ、その源は、なにか英雄的資質をおびているように思えた。

それ以来その色彩を目にしたことはないが、彼らがもっとも身分の高い存在であるということを意味する色だったようだ。私は畏敬の念に打たれ、彼らと席をともにしていることを誇りに思った。まるで、ジャンヌ・ダルクやジョージ・ワシントンと一緒にいるような気分だったのだ。
光の存在たちは、順番に私のところにやってきた。近づいてくるたびに、ビデオテープ大の箱が一つ、彼らの胸から現れ出て、私の顔の前で大きく広がった。

最初にそれを見たとき、私はたじろいだ。箱にぶつかってしまうと思ったのだ。だがぶつかる直前で箱が開き、小さなテレビ画面のようなところから世界の未来の出来事が映し出されていった。それを見ているあいだ、自分自身がその画面に引きずり込まれていくように感じた。その出来事を身をもって感じることができたのだ。これは十二回繰り返されたのだが、その十二回とも私は、将来世界を揺るがすことになる数多くの事件のただ中に、足を踏み入れていた。

最初は、それが未来の出来事だとは知らなかった。ただ、自分がいまとても重大なものを目にしているということと、それらがあたかもテレビ・ニュースを見ているような鮮やかさで私の目に飛び込んでくる。ということだけははっきりしていた。だがニュースとは一つだけ大きく違う点があった。自分が、画面の内側に引きずり込まれるということだ。
あとで現世へもどってきたとき、私はその箱で目撃した百十七件の出来事を書き記しておいた。その後三年間はなにも起こらなかった。だが一九七八年になると、箱で目にしたことが現実になり始めたのだ。死とあの世を体験してから十八年間が過ぎた時点で、すでに九十五件の出来事が実際に起こっている。
あの日、つまり一九七五年九月十七日、箱が一つ近づくたびに、私は未来をかいま見ていったのだ。













『未来からの生還     臨死体験者が見た重大事件』
著 . ダニエル・ブリンクリー/ポール・ペリー共著

から抜粋。