震災から今日で3年。

つくばで被災した私。
勤務中の小児科病棟で、無我夢中でドクターや同僚たちと点滴やドレーン処理をして避難しました。
無我夢中すぎて詳細は覚えていないくらい。

そして、一旦屋外避難をした時に飛び込んで来た言葉。
いわきが地元の私と、宮城の東松島、仙台出身のスタッフに「福島以北が数10メートル級の津波に襲われた。詳細不明だが沿岸部は壊滅状態。至急家族の安否を確認するように」と。

ですが、当然通信網は何ひとつつながりません。安否は分からぬまま。
宮城のスタッフとお互いを支え合いながら泣きました。

夜遅くになってようやく連絡が取れ、全員が無事だとわかり、安堵で泣きました。

家族を一気に亡くすかもしれない…
あんな思いはもう二度としたくない。

本当に辛い時間でした。

今もなお、行方不明とされている方、身元不明のご遺体があります。

ご家族のお気持ちを思うとやりきれません。

いわきからつくばに避難してくる途中、震災数日後の穏やかになった海をみて「憎いくらい穏やかだった。なにもなかったように穏やかだったと思った」という、兄嫁のお母さんの言葉が胸に刺さりました。

兄嫁の実家は津波にのまれました。

いわきは漁業の街でもありながら、操業の目処はたちません。
原発が廃炉にならない限り、風評もあり難しいでしょう。

復興ってなんだろう。
この三年、私はなにができただろう。

こうして震災の体験談や思いを述べても「暗い話はもういいよ」と言われそうな感じすら覚えます。


そんな切ない思いを抱えた震災三年目の今日でした。