あれから10年…追記(現状) | 『♡蒼空♡のひとりごと…』

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メインはソンモ&スパノバブログですが。。
ヘアケアとか、美容系、面白系、ヘルシー系、趣味の作詞(替え歌)などなど、気まぐれ更新です。



東日本大震災から10年

失われた物が…ほんとに多かった

あの日を…



10年前働いてた職場を
それまで生活していた
極当たり前の景色を…

あの日から
全てを変えてしまった


この記憶を
忘れようとしても
忘れられない…

いっそ忘れられたら
どれだけ楽なのなだろう

それでも忘れてはいけないこと、
それが10年前に起こった
東日本大震災!!!

この時期、テレビは震災1色になる。。
今でも震災関連のテレビやニュースは
心が痛い。。。

失われた街も
少しずつ街並みが戻ってきつつ
それでもまだ復興途中 
  【あたしたちの生きてる今日は
       震災で亡くなられた方々が
        生きたかった今日です!!】

ラジオで震災直後に流れたコトバ。
今はコロナでたたかってるけど、
何が苦痛?

死にたくて死んだわけでない方々たちの前で、緊急事態宣言で外出できないのが
そんなに辛い??

ね?志村けんさんとか、岡江久美子さんとか、彼らの命は…
マスクや外出をしないことで少しでもいい方向にすすむのなら、

突然震災で亡くなったり、
コロナでないのに、入院してる家族になかなか会えなくて、結局死ぬまで会えない

それがどんなに辛いかわかる??

あなた達が生きてる今日は
震災で亡くなられた方々も、コロナで亡くなった方々も、
志村けんさんや岡江久美子さんの 生きたかった今日だよ!!!

そんな事言ったらね
今まで、病気で亡くなられた方々は
こんなはずじゃなかったし、
今このご時世で亡くなった方々も
死ぬ前に家族に会いたかったはずなの。

コロナでもそうでなくても
家族に会えずに亡くなるのよ…
コロナ感染が原因でないその人の死は
コロナを恨むことしかできない。

なぜだかわかる

死ぬまで面会ができないからよ!!!


それでも緊急事態宣言延長の意味わからない?

政府だけの責任?
個々で心がけたら…

個々が守ることで、他人の生命が守られる…

震災でも、コロナでも、人の命は
尊いものでなければいけない。。。


丁寧に生きよう…

震災のとき。。、
お友達が言ったことば。

すごく難しいことかもだけど、
とても大事なことだとおもう。

【津波にあって恐かった、心の中に閉じ込めておくのがすごく辛い、だからきいてくれる?】

そうお客様が言ってきて、それを、断る理由なんぞあたしにはなかった。
共感性の強いあたしとしては。

お客様は、みな、津波にあった時の話をしたがった。。

お客様のほとんどが避難所から買い物に来た人で、そして従業員のほとんども避難所からの出勤だった。

我が店は…震災の被害の1番多い店舗で、津波被害の大きかった石巻店よりも遅く、グランドオープンした。。

震災のとき、北海道からの支援がどんだけ嬉しかったか…
たくさんの支援物資。
北海道からも岩手からも、石巻からも
応援の手がきた。。
懐かしい顔をみては
【大丈夫だったか?】【(涙ぐみそうになりながら)、大丈夫です、ありがとうございます。】と答え。

ほんとに店内は歩く場所なんてなくて、
発生した当初はドミノ倒しになってる店内を傘をさしてあるいた。。

何故なら
スプリンクラー発動してるから天井からは水が…
防火シャッターも発動したからシャッターもおりてるし、
防火ガラスは下に落ちて大きく破損。

何年経っても思い出せる。

あの日恐がったワンちゃん🐶が外に逃げ出して
車にひかれて亡くなったこと。
金魚🐟入ってた水槽はバリバリに割れ水が溢れ出したこと、
ペットショップのペットたちが地震の鳴る前から騒いでたこと

貸し出し用のトラックでペットショップのワンちゃん抱えて暖房代わりにしたこと

翌日から青空市場
整理券1000枚
電卓での、まー適当な値段

お客様からの津波の話

ご近所さんと御座をしいて
冷凍食品の処分
世の中は震災で停電してるのに
エビ、蟹の入ってた我が家の冷蔵庫
お隣さんと処分

ちなみにあたしは甲殻アレルギーのため 
食べれませんガーン

とにかく冷凍食品でわりと豪華な日々を送ってました。
この辺りは津波にあわず、過ごせてたので、
電気だけはつかなかったので…
ガスも水道も大丈夫だったのですが
あたしの家の前の道路から水が溢れでて…そこからみんな水を蓄えてました。

家の前は水浸しショックでも、たまってはいないので、大丈夫でしたが。

ほんとに全てを思い出します。

ただ昼間はあたたかいけど夜は寒くて…
しかも自宅は玄関がダンボールなので。

震災で玄関のガラスが全損してしまって
ダンボールを養生テープーで張って過ごしてました。

ロウソクで暮らして、
6時くらいにはよこになってた。
寒いから起きていられなくて

毛布をかぶりながら生活してた。

避難所生活よりは
物には恵まれてたけど…
それでも大変でした

ガスはでるのでお湯でタオルぬらして
水もでるので水入れて沸かして
タオルで体拭くみたいな。

阪神大震災の被災した皆さんのアドバイスが
ほんとにありがたかったです!

電気がついたときは
拍手喝采👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻

感動しました✩.*˚

職場のみんなの顔を見れなかった時
大丈夫かなって心配だった。。

たった1人…
同じ歳
安否確認ができなくて
携帯は鳴ってる
なってるのに
留守電にもメッセージのこして
なのに電話にでない

きっと入院してるんだよ。
そうだ!治療してるんだよ。

そうみんなで言い聞かせてた。。。
しかし…

遺体安置所の、遺体の上で携帯📱が鳴ってたことをあとから知らされた…

瓦礫の下敷きなってたこと、

同じ歳…
穏やかでいつも静かに笑ってる
そんな人でした。

お葬式にいこうとして
母に止められたこと
精神的に病むからやめておけ!と。

ちゃんとお見送りできなくて
ごめん🙇て思ったこと

あの日
10年前のこの日から…お友達もあたしも
好きな超新星の話もしなくなり
彼らの音楽も聞かなくなり
全てをシャットアウトした。。。


お友達が言うには…やはり、話しかけていいのか申し訳なかったそう。

震災で亡くなられた方に申し訳ない!
そんな思いから
楽しんではいけない。
彼らの音楽を聞くことが
話をすることが
なんだか悪いなぁーってそう思った…

それが1ヶ月続いた…
そしてお願いした。。。
お友達に
【お願いだから、普通にしてほしい、超新星の話もしたいし、韓流話がしたい、だれもなにも話さなくてストレスになるよ😭】
【いいの?なんか大変なときだから悪い気がして…】って遠慮してたみたいで。

お願いして、それからは普通に

音楽が聞きたい、
【愛言葉】聞きたい

そして久しぶりに聞いた超新星!


♪大丈夫~そば~にいる~

そう歌われても、さっぱり大丈夫でなかったあたしは、号泣しながら運転してました。

大丈夫じゃないよぉ~😭って言いながら

暫くの間
この曲を聞く度に大号泣してました。

あの日携帯がずーっとなってたけど
au以外は圏外だった。
あとからみたら、
【生きてるの?死んでるの?電波が繋がらないだけだよね?電話通じるようになったら、必ずメール頂戴ね。】
そんなメールが何通も入ってた。


そして
12月【Pray】をみて

ソンモさんの笑顔に
救われたえーん
ユナクさんとソンモさんが笑い合ってる姿に…
震災後初めて

【笑っていいかな?もういいよね?震災で亡くなられた方々は許してくれるかな?】
そんな恐る恐るの思いとともに

少しずつ…
笑うことを取り戻していった…
10年前の今日から笑うことを
いけないこと!だと思いながら
過ごしてきて

やっと、街とかにも出かける勇気がでてきた
頃だった。。

それでも地震への恐怖心だけは、
トラウマとしてしっかりのこった…

そんな思いから
今日で10年

街並みは
至る所で復興しつつはあるが
復興途中である。。

まだまだ
震災前のような街並みには遠いけど

確実に少しずつ
前に進んでる気がする。

亡くなられた方々の
ご冥福をお祈りします🙏🙏🙏🙏🙏


追記
今の現状です。

福島… まだまだ多いですね😭
1日も早くみなさんに安心できる生活が
訪れますように🙏🙏🙏