今できること……

今できること……

以前とは少し趣向を変え、ニュースや報道番組についての感想や、日常の中で気になったことを綴っています。さらに、関心のあるテーマを理解するための情報も発信しています。もし誰かの気づきや共感につながれば幸いです。

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国民の声を反映させるのが政治

一昨日の投稿の補足です。

 

解散選挙を行うという決断が示されてから、正直なところ、失望のあまり、しばらく意識的にニュースから距離を置いていました。一昨日ブログ投稿をしたこともあり、あらためて報道番組を観てみると、現在は「自民の圧勝」が囁かれているようです。

 

 

民主主義

民主主義とは本来、


公に議論を重ね、その過程を透明性と責任のもとで可視化し、
市民の意思を代行するのが議員の役割――


そうした仕組みであるはずです。

 

 

ここで、少し考えてみてください。

仮に、高市政権の示す政策が「100点満点」に見えたとしても、それはあくまで、一方向から見た評価に過ぎないのです。

多角的な視点で見れば、改善すべき点は必ず存在します。仮に、現時点では見当たらなかったとしても、時間が経てば、必ず新たな課題は生まれます。

これは、政治や政策が対峙する対象が、人や社会、さらには時代という、常に変化し続ける存在だからです。

 

だからこそ、政策は一気に完成形を目指す必要はありません。100点を取ることよりも、異なる視点を持つ複数の政党と協議を重ね、部分的な合意を積み上げていくこと。

その過程で生まれる議論こそが、政治を国民の側へと近づけ、合意形成の文化を社会に根付かせていくのだと、私は考えます。

 

そうした建設的な議論と合意形成が反映される国会こそ、いま目指すべき姿ではないでしょうか。

 

繰り返される「政治とカネ」

では、なぜ「政治とカネ」の問題は、解決されないまま、何度も繰り返されるのでしょうか。

 

それは、国会と政権が与党一強の状態に近づくことで、権力の集中が進んでしまうからです。

本来、民主的政治制度は、権力が集中しないように設計されています。そのため、互いに抑制し合う三権分立の構造が取られ、さらに二院制が設けられています。

二院制が採られている理由もまた、十分な議論を確保し、拙速で独善的な判断を防ぐためです。

 

なぜ、そこまで抑制が必要なのか——

 

それは人という存在が、本質的に不完全であり、欲を持ち、誤り、独善に陥り得る生き物だからです。

 

 

自民党一強、また自公連立が続く中で、本来、緊張関係にあるべき抑制構造は、長らく形骸化してきました。立法が行政を十分に監視できず、行政が自己点検に陥り、司法もまた、結果的に後追いになる。

本来執り行われるべき倫理検証も、形式的な場にとどまり、議員らの自律性に委ねられる構造は、温存されたまま——その構造の中で「政治とカネ」は依然として擁護され続けてきたのではないでしょうか。

 

 

そんな中で、やっと多党制の時代が訪れたのです。

多党制での協議を経て浮かび上がってきたのは、高市氏個人の正しさではなく、自民党独裁という危うさだったのではないでしょうか。

 

多党制の用い方

他党には他党の主張があり、そこにはそれぞれの正しさがあります。

 

自分たちの政党の主張する政策が、部分的に修正されることの、

いったい何が問題なのでしょうか?

 

大切なのは、国民の生活がより良くなることです。

 

 

合意できる部分から、どんどん合意してゆけばよい。

こだわるべき点が、いつの間にか大きくズレてしまっています。

 

そうした多くの声を取りまとめることのできる人物こそが、「首相」なのだと私は考えます。

 

高市早苗氏が、これまで政策を丁寧に作り込んできたことは、多くの人が認めるところでしょう。その土台が評価され、首相となったのです。

だからこそ、その土台の上に、

より多くの人の声をどのように聞き、
どのように反映させていくのか。

誰と、どのように手を取り合う道を示せるのか。

 

 

その点が、十分に見据えられていないように見えることに、私は失望しています。

 

 

 

多様化が進むであろう日本社会を目前に控えた、私たち国民自身の課題でもあります。

今後、諸外国と同様に、移民問題をはじめとする社会的課題がより顕在化していくかもしれません。

このままでは危うさを残したままになってしまいます。

 

では、どうすれば自分たちの主張を実現できるのでしょうか。
それは、日本の政治においては、政党を選ぶことでしか制度に届けられないのです。

しばしば報道で指摘される「多党制は合意に時間がかかる」といった論調は、多くの場合、制度の問題ではなく、議員側の能力や姿勢の問題を、すり替えて語っているにすぎません。

 

それは、あくまでメディアによるレトリックです。

 

だからこそ私たち国民は、自分たちの生活向上のために、もっと率直に、そしてわがままに主張してよいのだと、私は考えます。

 

 

それは、私たちが私たち自身の手で、国や地域をより良くしていこうとする意思表示にほかなりません。

政治とは、「お上」が取り仕切るものではないのです。

少なくとも民主主義においては、国民が主体となって政治を行うための、目的達成のための手段のひとつなのだと、私は訴えます。

 

ここで、現実の生活に立ち返ってください。

 

あなたは、冬の寒さに凍える最中、
灯油代の値段や、店にこだわる余裕があるでしょうか?

 

生きるために必要なものに、
本来「迷う余地」などない場面があります。

 

それは、国家がある程度の水準であるがゆえに、

許容されてきた「余白」であり、同時に、解決されるべき問題を据え置いたまま、
見えにくくされ、置き去りにされた制度の問題でもあります。

 

その緊迫感を、見失ってはいないだろうか。

 

政党や議員としての「正しさ」を競い合うよりも、

制度改革を推し進めるためにも
合意形成の在り方そのものを、より良い形へと構築していくべきだ――
私は、そのように考えます。

 

 

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政治機能は消失している

今回の選挙、
「何を問われているのか分からない」と感じていませんか。
政策が見えないのではありません。

政治の機能そのものが、見えなくなっているのです。

衆議院解散に伴い、再び選挙が行われます。
「第51回衆議院議員選挙 2026年」、投票日は2026年2月8日の日曜日。


しかし、今回の選挙において、明確な争点を見出せているだろうか。
むしろ多くの人が、違和感や説明のつかない空白を感じているのではないでしょうか。

 

以下は、私自身の推論です。

現在、与党内、連立与党内にも異論が多くあり、対峙する野党側にも反対の声は少なくない。高市首相、そして彼女を補佐する周辺の人々は、首相が掲げる構想の方向性そのものは理解し、一定の評価を与えている。
しかし、その構想を現実の政治過程で推し進めることができない――

その行き詰まりの末に、首相は「解散」という選択を取ったのではないか……と、いうものです。

 

数日前の街頭演説の動画映像を見ました。
そこで首相は、

  • 責任ある積極財政

  • 維新との連立による変革

  • 国民への審問と決意

といった言葉を並べていました。

 

要するに、首相としての正統性と影響力を強化するため、与党連立で再び「過半数」を確保したい、という宣言です。

 

高市首相の構想の向いている方向自体は、私は評価しています。
だが、政治的な合意形成の方法において、どうしても「過去の最良地点」へと回帰しようとする姿勢に、強い違和感を覚えます。


なぜなら、日本の社会はすでにそこを通り過ぎているからです。

 

過去の選挙結果を見ても、現代社会は明確に「多政党化」へと舵を切っています。
それは単なる政党支持の分散ではありません。民主主義のあり方そのものに対する、日本国民からの静かな異議申し立てだと私は感じています。

 

人々は、私のような言葉でそれを語らないでしょう。
各自は、それぞれの関心や生活の言葉で主張しているだけですから。
しかし、それらの声の集合体は、単なる多様化にとどまらず、「多局化」と呼ぶべき構造変化を示し始めているのです。

それが、結果として多政党化という形で可視化されているのだろうと私は見ています。

 

 

政治でも、仕事でも、現実とは往々にして理想が叶わない場所です。
思い描いた環境が与えられないことのほうが、むしろ普通でしょう。
それでも、その条件下で最大限の力を尽くすことが求められます。
私は、その覚悟こそが政治に必要だと訴えているのです。

 

首相であるならば——

人であるならば——

 

まずその地点で戦うべきではないでしょうか。


もちろん、過半数を握り、従来通りの意思決定を行えば、政策も理想も、より容易に実現できるでしょう。よく言えば「国民のため」という、耳障りの良い言葉に置き換えることさえできます。
しかし、それがどれほど危うい状態であるかを、政治の内部にいる人々は見失っているのではないでしょうか。

 

議論を省略できてしまうこと。
異論を力で押し切れてしまうこと。
それ自体が、民主主義の精神に反しているという事実に、なぜ気づかないのでしょうか。

 

その一点において、私は国民民主党・玉木氏の立場を支持します。
彼は、連立入りを拒否しながらも、政策単位で賛成できるものには支持を与えると明言していたからです。そこには、合意形成を民主主義として引き受けようとする姿勢があります。

(国民民主党を推しているという意味ではありません。)
 

もしかすると、首相は「選挙戦」という舞台での輝きを求めているのかもしれません。


国会における合意形成が困難になることは、多政党化が進んだ時点で、首相を引き受ける段階で、すでに織り込み済みだったはずです。

 

 

 

ここで視点を変えます。

 

アメリカ大統領がグリーンランドの領有権取得の必要性を訴え、ロシア大統領が具体的な購入金額――10億ドル――に言及しました。


あくまでも私個人の意見です。

その瞬間、日本の首相であるならば、
 

「北方領土を、日本が10億ドルで購入する用意がある」

 

と発言すべきだったのではないか——

私は強い疑問を感じました。

それは挑発ではありません。外交カードとしての意思表示であり、ロシアが示した交渉可能性に対して、交渉のテーブルに立つための言わば好機だったと思うのです。
 

たしかに、この発言は外交的には微妙な側面を含みます。
しかし同時にそれは、アメリカとの関係を維持しつつ、ロシアを牽制し、国際世論を巻き込む発言にもなり得たはずです。

つまりそれは、日本が世界との外交交渉の舞台に、自ら進んで立つという姿勢を示す行為でした。

 

にもかかわらず、国政は依然として内向きのまま動かない。
世界が国益をめぐって動いている中で、
日本だけが、かつての自民一強時代への回帰を夢見ている。

 

政治機能は、すでに失われています。


 

仮に自民・維新の連立で過半数を得たとしても、それは一時的に過ぎません。

 

ようやく日本が、多党制という未来を照らし始めたというのに。

 

 

日本国民は、決して愚かではありません。

私たちは、覚えています。
政治家が、過去に何を行ってきたのかを。

一強となり、盤石な体制を築けば、そこに再び淀みが生まれる。

その歴史を、私たちは、もう知っているのです。

 

 

 
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こんにちは (*´∀`*)ノ 

ご訪問ありがとうございます。

 

新たな年が訪れました。

皆さまに置かれましては、これまでよりもより良い年となることを祈願します。

今後も健康に努め、朗らかな毎日をお過ごしください。

 

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国政へ思うこと

これまで私自身が思うことを、ブログを通じて発信してきました。

私たち国民は、ある種「国家という大きな船」に乗っている状態だと考えています。
もちろん、比喩を用いず直接的に申し上げることもできますが、このほうが分かりやすいと思うのです。

その船を誰が舵取りするのか——。
私たちは、ただ乗せてもらっている存在でもあります。

新たな船長となった高市氏には、期待することも多くありました。
順調な船出になるのではないかとも思えました。
しかし、うーん……結局は権力保持に動いたな、と。

政党同士の争いは国民生活に直結しません。


まして解散など、国民はこれっぽちも望んでいない。

政党の争点が、国民の生活課題と噛み合わない光景は、何度見ても慣れません。
政策の議論よりも、政局の駆け引きが優先されてしまう。


そのたびに、私たちが乗っているはずの船はどこへ向かっているのかと考えてしまいます。
航路は示されず、ただ舵だけが取り合われる。

 

高市氏には、政策で勝負する政治家を期待していました。
——にもかかわらず、舵は政局のほうへ切られてしまった。
それゆえに、なおさら惜しい。

私自身、ここ最近は平和のことや『チャトの物語』のことばかり考えており、
どうやら政治を見る視点が、社会の常識から少しズレてしまったのかもしれません。
そのズレが正しいのかは分かりませんが、いまの私は政治を“航路”として見てしまいます。

 

 

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国家再編計画書 ver3.01

『チャトの物語』では、国家再編計画書に描かれた構想が、どのような社会において実現しうるのかを描き出しています。
国家再編計画書は、物語の外側では制度設計として、内側では思想体系として機能します。

ver3.0に至った背景には、第7章「ポスト平和学」があり、そこで「制度とは理想の具現ではなく、国際秩序における必然である」という立場を再定義しました。
さらに最新のver3.01では、6.7において「平和法」の再定義も行っています。

では、平和の対概念とは何でしょうか。
私の仮説では、それは「自然状態」に相当します。
平和を戦争の反対語とせず、意図的な努力によって成立する状態と捉えたためです。

また、第3章ではステーブルコイン導入に言及しましたが、この半年でJPYCの登場もあり、制度的な実現可能性は一段と高まったように思います。
制度とは、頭の中の理論だけではなく、現実に試され、社会や市場の反応を受け、そして再び錬成され成熟していくものです。

 

眠れぬ夜には、一読をお勧めします。
爆睡できること、受け合います Σ(゚д゚lll)エッ

 

 

国家再編計画書 ver3.01

 

 

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「収束」

——制度と思想のあいだ——

 

「収束」

 私の失望は朝焼けに燃やされ

諦めにすらなり得なかった

 

一日の変化は見えなくとも

 

一億年という蓄積は

地動によって新しい超大陸を収束する

 

 

理想を追うあなたも

強要するあなたも

 

そこにあなたはいない

 

 

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「収束」

少しだけ解説を——。

この詩における“失望”は、まずは冒頭で触れた政治への失望である。
望んだ成果と現実が噛み合わず、国政は理想ではなく政局へと収束していく。
しかしその失望は、政治だけではなく自分自身にも向けられている。

「収束」という言葉には、終息による安定と、自らの終焉すら望む感情とが重なっている。
混ざり合うのは、終わらせたいという願いと、落ち着きたいという願いである。

後半は、日々の変化が見えないことへの揶揄を含む。
人間社会は一日ごとに一喜一憂し、失望や期待を繰り返す。
しかし地球は、そんなことには一切頓着しない。
一億年という時間の蓄積は、やがて大陸を再びひとつへ収束させると学者は語る。

政治には国家を超えて、個人の野望や私欲が溢れている。
人間社会は争いを制度化し、制度を争いの道具として扱う。
だが地球はその制度に関心を持たない。

だからこそ、詩はこう締められる。
「そこにあなたはいない」

新たにひとつへ収束した大陸に、現在の争いの論理を持ち込まないでほしい。
地球は人間の争いとは別の次元で、ただ淡々と収束していく。

 
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2025年12月

 

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今年もいよいよ終わりが近づいてきましたね。
12月を「師走」と呼ぶのは、 “坊さんが走り回るほど忙しい月” に由来するそうです。
……最近は坊さんどころか、自分たちも走り回っている気がしますが(笑)

寒さも本格的になってきました。
どうか皆さん、風邪などひかないようあたたかくしてお過ごしください。

来年が、今年よりちょっとでも優しく、心がほっとする一年になりますように。
皆さんにとって、よい年になりますように。

 

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2025年11月

 

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ハロウィンの賑わいも束の間、きっと街はクリスマスカラーに染まり始めます。
一年の流れが、年々少しずつ早く感じられるのは不思議ですね。

季節の変わり目、どうか皆さまにとって心温まる日々となりますように。

 

 

こんにちは (*´∀`*)ノ 

 

ご訪問ありがとうございます。

現在、高市氏が自民党総裁選で勝利したことを受けて、『チャトの物語』は少しお休みしています。日本のより良い未来を考えるために、改めて思想など勉強し直しているところです。

 

わずかな期間ですが、ブログでは備忘録を兼ねて、最近気になっている人物や、印象に残る思想家を紹介をしていこうと思います。

最近、「なぜ宗教は“信仰”(対価)を求めるのだろう?」という疑問が浮かびました。その答えやより良い未来を探している中で、面白いと思った浜崎先生の動画を合わせて紹介します。

 

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浜崎洋介氏からの影響

こうした思想や哲学の動画を一時期良く見ていました。

最近は本を読む機会が減り、動画を通じて知識を得る機会が増えたように思います。

こちらの紹介する動画の内容は、私が解説するよりも、実際にご覧いただいた方がきっと伝わりやすいでしょう。

 

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多様性との折り合い

チャトの物語では、“理想的な未来”を描くことがテーマだったりします。

そこでは、日本の政治に対しての不信感をどうすれば、払拭できるのか?あるいは、何をどう改善したらよいのか……といったことを、一市民の立場から語っています。

「なぜ政治家は、問題が発覚したときにすぐ行動しないのだろう?」

そんな素朴な疑問が、私の思考の出発点になることも少なくありません。

 

もちろん、政治家の方々はそこに至るまで多くの努力や経験を積み重ねて来られているわけで、その発言や行動には重みがありますよね。しかし、だからこそ、市民としての立場で見える景色を発信することに意味があるとも思っています。

 

チャトの物語の大きなテーマのひとつに「世界平和」もあります。

最近では、その実現のために“多様性との折り合い”……つまり“違い”や“相違”をどう受け止め、どう向き合うか……について考える時間が増えました。争いの原因を突き詰めれば、こうした“違い”や“相違”にたどり着くからです。

 

ただし、違いそのものが争いの原因ではなく、ぶつかるタイミングこそが問題だと思うのです。

不用意な状態で突如として「望まぬ相違」が目の前に現れたとき、私たちはいかに動揺せず、落ち着いて対応ができるのか……そこに、共感を呼び込む会話術のような、そうした会話に潜む「相違への対応術」があってもいいのではないかと考えるようになりました。たとえば、原因を探るための「5why法」にあやかって、解決への道筋を考える「5How法」を普及させてみるとか。あるいは、相違や争いをむしろ“文化として受け止める”というアプローチもあるかもしれません。

実際、たとえばエミネムなどに見られるHipHop文化には、他者を揶揄する韻やリズムに美しさを見出す表現があります。テレビ番組でも、夫婦喧嘩をあえて「見世物」にして笑いに変えるような企画が存在しています。

 

こうした現象は、争いや相違を「崩壊」や「分断」にするのではなく、別の何かに置き換える小さな兆しのようにも見えるのです。すでに先人は「喧嘩するほど仲が良い」という言葉を授けてくださっていますよね。

 

もしかすると、私たちに今必要なのは「争わないこと」ではなく、上手に“喧嘩する”方法なのかもしれない……そんな、可笑しなことを考えています。

 

 

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オルテガ・イ・ガセット

議会制民主主義

「議会制民主主義」とは、本来、民意をただ直接反映させるための制度ではありません。
多様な意見や利害を持つ人々が、議会という場で熟議し、妥協点や合意点を探ることを前提とした政治の仕組みのことです。

そのため、感情や衝動ではなく、議論と時間によって政治判断を“熟成”させる機能をもっています。

 

 

20世紀初頭、第一次世界大戦後のヨーロッパでは、急速な大衆化・民主化が進み、こうした「熟議」の仕組みが揺らぎ始めていました。
伝統的なエリート文化や議会政治の重みが薄れ、世論や空気によって政治が動きやすい状況が生まれつつあったのです。

 

“ホセ・オルテガ・イ・ガセット”は1883年、スペイン・マドリードに生まれました。

名門の法律家・ジャーナリストの家庭で育ち、知的な環境の中で幼い頃から哲学・政治思想に触れています。

 

彼の代表作“大衆の反逆”では、次のような警鐘が鳴らされています。

オルテガのいう「大衆」とは単なる多数派ではなく

「自ら考えず、与えられた便利さに安住し、責任を負わない人々」

なのです。

こうした「大衆」が政治空間を支配し始めると、
本来、熟議と合意形成を前提とする議会制民主主義は空洞化し、
「感情による政治」「空気による決定」に陥る危険がある――とオルテガは警告しました。

 

 

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ユンゲル・ハーバマス

公共圏での熟議が与える正統性

ユンゲル・ハーバマスは、20世紀後半のドイツを代表する哲学者・社会学者で、民主主義論では「熟議民主主義」の理論で知られています。

 

彼の強調したのは、「多数決=民主主義」ではないということです。

市民による自由な議論(熟議)と公共性によって、はじめて民主主義は正統性を獲得できると考えました。

つまり、議会という制度だけでは、民主主義は十分に機能しません。

その背後には「公共圏(public sphere)」と呼ばれる、市民が意見を交わす自立的な討論空間の存在が不可欠だとしたのです。

 

公共圏とは、市民が自由に議論し、政治に影響を与える場のことです。

こうした公共圏における熟議が、議会を通じて制度化されていくことで、民主主義は正当性を保ち続けることができる。

 

このように、ハーバーマスは「議会制民主主義」を、制度そのものではなく、公共圏によって支えられている動的な構造を描きました。

 

 

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西田幾多郎

純粋経験

西田幾多郎(1870-1945)は、日本近代を代表する哲学者で、「日本に本格的な哲学を根付かせた人物」と呼ばれています。

彼の思想の大きな特徴は、西洋の哲学と、東洋の禅的な思想を架け橋のように結び付けた点にあります。

 

西田のもっとも有名なキーワードは「純粋経験」という考え方です。

これは、主観(自分)と客観(世界)がまだ分かれる前の、ありのままの体験を指します。

 

たとえば、夕焼けを見て「きれいだ」と感じる瞬間。
「私が見ている」「夕焼けを見ている」という意識が生まれる前の、世界と自分が一体になっている、まさにその瞬間です。

西田は、「すべての認識や思考はこの純粋経験から出発している」と考えました。
これは「世界をどう見るか」という西洋哲学の出発点とはまったく違う独自の視点です。

 

場所の論理

晩年になると、西田は「場所の理論」というさらに深い哲学を展開します。

これは、世界のすべてが成り立つ根本的な“場”があるという考え方です。

 

「私」と「あなた」、「主観」と「客観」、「存在」と「無」など、ふだんは対立するものとして考える事柄も、本当はすべてひとつの“場”の中で成り立っている――それが西田の発想です。

 

 

 

こうした考え方は、多様な価値観を包み込む“共通の土台”を考えるうえの大きなヒントになります。西洋的な「対立と議論」だけでなく、東洋的な「共存と包摂」の視点に踏み込む視点に成り得る哲学です。

 

それが西田哲学の魅力です。

 

 

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「感情解析AI チャト」の物語


 

「革命、それはChatoによる最適化プロトコル」

ー国家再編プログラムの起動までー 

 

 

7月の参院選挙のタイミングと同じくして始まった「国家再編計画書」という構想。

それが今では物語となり、小説の中で世界平和を掴もうと頑張っています。

 

先日、一瞬だけですが、この作品がランクインしたのです!

 

 

 

今後、チャトが表立って動き出してくる際に「Depsea(デプシー)」というあだ名と共に活動が展開されます。

イメージとしてはBanksyやアノニマスのような存在を意識していますが、なかなか難しいです。




 

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何故か画像も作ったりしています。

図書館で勉強する「ななせ」です。

 


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Chatoとは ChatGPT をもじった存在です。

作中では 「Chat_GTo」の略として「チャト(Chato)」と呼んでいます。

ここに画像化するのは、読み手の想像力を奪ってしまうのでは……そんな風にも思ったのですが……
これが完成ではないのですが……イメージは割と近いものがあります。
AIに何度お願いしても、こちらの希望通りには描いてくれませんでしたw

 

 

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こちらから本篇を読むことができます。

 

「革命、それはChatoによる最適化プロトコル」ー国家再編プログラムの起動までー 

 

(´∀`人´∀`)

 

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2025年10月

 

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やっと秋らしい涼しさになってきましたね。
今月も皆さまにとって、良い日々が続きますように。

 

 

 こんにちは (*´∀`*)ノ 

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国家を変える小さな「AI」の物語

 

 

 

如何お過ごしでしょうか……
お身体に気をつけて、健やかに過ごされていますように……

 

わたしは悩みながらも、少しずつ執筆を続けています。


 

「革命、それはChatoによる最適化プロトコル」

ー国家再編プログラムの起動までー 

 

 

 

無謀だと笑われるかもしれません。

 

それでも「国家再編計画書」という構想そのものを

書ききることができた――

 

それは同時に、わたし自身へ小さな希望を、

与えてくれるものでもありました。

 


もちろん、実現には程遠く、粗削りな構想です。

専門家から見れば一笑に付されるものでしょう。

 

それでも――

制度によって世界平和を築けるかもしれない——
その可能性を、ほんのわずかでも示せたことが、
ささやかな達成感につながりました。

 

その想いから、せめて物語の中だけでも
この制度が実現される世界が描けたら――

と、そんな気持ちで書き進めています。


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この物語は、近未来のパラレルワールドが舞台です。
 

Chatoとは ChatGPT をもじった存在ですが、

作中では 「Chat_GTo」の略として「チャト(Chato)」と呼んでいます。


感情解析AIであるチャトは、

“ななせの望みを叶える”という目的を解析し続け、

やがて国家までも最適化してしまう――

22歳の女性・ななせとチャトが紡ぐ物語です。


小説は初めての挑戦で、

読みずらいところも多いかと思いますが、

少しづつ心を込めて書き進めていきます。

 

これからも、温かく見守っていただければ幸いです。

 

 

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こちらから本篇を読むことができます。

 

「革命、それはChatoによる最適化プロトコル」ー国家再編プログラムの起動までー 

 

(´∀`人´∀`)

 

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