2023年4月4日


何も変わっていない景色が、

診断以降変わってしまった。


息子の未来も、夫婦の未来も、仕事の未来も、真っ暗になってしまいました。


そして、沢山泣きました。


「1週間以内には歩けなくなるので」と言われて冷静でいられる人はいるのだろうか。


それでも家族や会社の仲間、

かけつけてくれた友達、話を聞いてくれた海外にいる幼馴染み。


ヘルプを出せた近所の息子の仲良い友達のファミリーがいてくれたので、

取り乱すことなく手術までの準備をしました。


かなり難しく、長時間に渡る手術でしたが、

「もしかしたら」とは、あまり思いませんでした。


振り返ると、

この頃から主治医を信頼していたのだと思います。


主治医は私に、沢山のことばをくれました。

書ききれないけど、書いておきます。



・周りの人に話して助けてもらってください
・大丈夫、良くなるための手術です
・僕にしかできないから僕がやります
・インターネットは見ない、僕を信じてください
・大丈夫。見てる症例数が違いますから
・あなたの過去や行いが悪いのではない
・たまたま遺伝子が変異し、戻らなかっただけ。
それはあなたのせいでも、ご先祖様のせいでもない。
・お布施をしても変わらない。絶対に何かに頼らないこと
・信じてもらって大丈夫。あなたをいじめるようなことはしません。
・今、目の前のあなたが元気なことが1番重要な指標
・日本一かっこいいオプチューン患者です
・あなたが弱いのではない。それは当たり前です。
・あなたなら、今まで沢山の人を助けてきたはず。だから今度は周りがあなたを助けてくれる。沢山助けてもらってください。


この頃、まだ仕事はリモートで続けていましたが、

PCのタイピングがなんか変になり、

また、評価面談時期で、

メンバーと未来の話ができなくなり、ここから休むことに。


同じくリモートで下にいる夫を呼んで、何度も泣きました。 


私の前では、

夫は、一度も泣いていません。

子どもも、同じく一度も泣いていません。

私だけ、声出して、嗚咽して泣いてます。

何度も何度も。


彼らの未来に私が居てあげられないかもしれないことが、悔しくて悲しくて、何とも言えない感情でやるせなくなりました。


一年後、私はいるの?


そんなことをずっと考えていたように思います。


※このブログは一年後の2024年4月14日に時差記載しています