こんにちは、まるです。







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先日、


家庭養護促進協会さんに

お話を聞きに行きました。








家庭養護促進協会とは、


「家庭養護促進協会は、児童相談所と連携し里親探しをする、日本でただ一つの社会福祉団体です。」







こちらでは「あなたの愛の手を」

という運動をされていて、


新聞記事に乳児院などにいる子供の写真などを

載せて養親さんを募集されています。








私は、

この愛の手をの新聞記事から

養親の元へ行きました。



なので今回はその担当者だった方へ

お話を聞きに行きました。







協会へ行くと、

担当者の方は以前に児童相談所でお話を

聞かせていただいた時におられた方でした。





なので2度目になってしまいましたが、



前回の記憶が曖昧で、

もう一度しっかり聞きたいと思っていたので

よかったです( ˊᵕˋ ;)







実親のこと、養親のことを

聞かせていただきました。


それについて書いていこうと思います。







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実母について、

実母は中学卒業後に高校へ進学していました。

ですがその後通信制へ転学し、昼間のアルバイトをしていたそうです。


元婚約者の方からのお話では

中卒後に夜の仕事をしていたと聞いたのですが、

高校に行っていたみたいです。

昼の仕事か夜の仕事かはどちらが正しいか分からないですね(>_<)





その後、

祖父と関係が悪化し、

家を出て友達と住んでいたようです。


ですが祖父とは連絡を取り合っており、

金銭的に支援は受けていたようです。





そのくらいの時に、

ナンパをされて交際に至ったのが実父にあたる人だったそうです。


実母はその人の苗字を知らず、

お互いプライベートなことには

立ち入らない関係性だったとの事です。


そして別れ、その後は音信不通だった様です。


ナンパきっかけだったのは

初めて知った気がします。


元婚約者の方は、

実母は夜の仕事をしていて、

実父にあたる人は誰かも検討がつかないと聞いたと仰っていたので、

どちらが本当か分からないです。


最初に言っているナンパの内容が

本当の様な気もするし、

でも、それよりも言いにくいような夜関係のことを

あえて嘘で言うようにも思えないのでわからないです…





妊娠が分かり、

中絶も考えたそうですが

その間に中絶できる時期を逃したそうです。


そして出産日に救急車で病院に運ばれ

私が産まれたそうです。


実母は当時未成年だったので、

児童相談所は祖父へ連絡を取ったそうです。


どうして育てないのに産んだのかな、と

思っていたのですがやはり時期を逃したのが理由だったみたいです。





実母は、実家に帰りたくはなくて実家で育てるのは嫌だったらしく

乳児院に入れることを希望したそうです。


その時には、

仕事と住む家を見つけ、私を引き取って育てたいと

強く言っていたそうです。


病院では私のお世話をしており、

愛着もあったのではないか、との事でした。


名前も実母か祖父がつけた可能性が

高いと思われます。


その当時には、

実母の本心かは分かりませんが

私を育てたいと思っていたことに驚きました。

最初から育てる気もなかったんだと

思っていたので、

病院で私のお世話をしていた時期があった事や、

名前を付けたのが実母の可能性もあることに少し救われた気がします。





ですが、私が乳児院に入ると

距離が離れたせいか実母の気持ちも離れていったようです。

面会に来なくなり、

連絡も次第に取れなくなっていきました。


2歳で乳児院から出るので、

その当時も連絡が取れず、

祖父との連絡で児童養護施設に入ることが決まりました。


最初は愛着があったけど、

距離が離れると気持ちが離れることは悲しいけどよくあることみたいです。


正直に言うと、勝手すぎますよね。

物理的な距離と心の距離は

比例するのは分かりますが、

自分が産んだ子供に対してもそうなるのが理解できません…

そこで私は大事な存在にはなれず

捨てられたんだと理解しました。





そして5歳の時に、

児童相談所などの意向で特別養子縁組で養親を探すという動きになりました。

(どうしてこの時期にそうなったかなどについては次に書きます。)


実母とは連絡が取れず、

祖父祖母は高齢で引き取ることも出来ないため

家庭復帰は不可能となりました。


実母とは連絡が取れませんでしたが、

養親との面会の1週間前にやっと連絡が取れて

実母が手続き等をして養子縁組に至りました。


実母は経済的理由から引き取りは出来ず、

結婚する予定についても話していたそうです。


ここにきて

やっと実母と連絡が取れたことに対して、

最後だけはやるべき事を果たしたという捉え方も出来ますが、

私は、責任がやっと伴わず

児相等から追いかけられることも無くなるので

早く切りたくて応じたのでは?と思ってしまいます…

経済的理由は建前で、

そもそも引き取る気持ちはもう乳児院に入った時から5年間全く無かったんでしょうね…





ここまでが実親についてのお話でした。





そして養親について、





養親は、高齢での結婚後

子供が出来ず産婦人科には通っていましたが不妊治療はしていなかったそうです。


3年目から養子縁組を検討し始めました。


年齢的に乳児を育てるのは難しいので、

少し成長した幼稚園児くらいの子が欲しかったとのことです。


子供が欲しい理由については、

他にも言っていたかは知りませんが

住んでいる地域柄的に仏壇見守っていってはしいからだったそうです。


まず、

産婦人科に通っていたことは知らなかったので

少し驚きました。


ですが最後の理由を聞いて、

うーんとなりました。

他の理由も言ってたのかもしれませんが、

この理由ってどうなんでしょうか?

養母から直接、「お前は老後の面倒を見させるために引き取った」と言われたことがありますが

その言葉に真実味が増しました。

そういう理由も分からなくは無いですが、

当事者としてはもやもやしてしまいました。





担当の方も、

養親は他の養子縁組を希望する夫婦より高齢なので、

難しいかもしれないと伝えてはいたそうです。


ですが、

私が新聞に載った時に問い合わせがあり

熱心だったそうです。


そして研修や、家庭訪問調査などがあったそうです。

面会もありました。


当時は特別養子縁組の年齢制限は6歳まででした。

ですが私が特別養子縁組の募集を始めたのは

5歳1ヶ月でした。

なので11ヶ月しかない状態で、児童相談所への推薦やその他のことは駆け足で進めたそうです。


最初の面会は誕生日の1か月前で、

面会から引き取りまでたったの10日間でした。

(最低でも1ヶ月ほどは通常かけるそうなのでとても短いそうです。)


駆け足ですべてが進められていて、

仕方がない反面

そこまで急いででも家庭へ入るのが大事なのかと少し疑問を感じてしまいました。


最初の面会から引取りまで

10日間と短いことには驚きました。

一緒に住んでみないと分からないことは多いですが、もう少し時間をかける大事さがあるんじゃないかなとも思いました…





その後、

私は6歳、7歳で協会主催のキャンプに参加していたそうですが、それ以降は家庭訪問も多分無く、

施設の方や協会の方と接した記憶はありません。


養母は時々、

感情に任せて協会に電話をして

愚痴や、私を施設に返したい等

言いたいことを言って電話を切る、ということをしていたそうです。

それは私が18歳になるまで続いたみたいです。


まず、協会の方にそんなに迷惑をかけていたのか

と驚き申し訳なくなりました。


その反面、

その時に私にも話を聞いて欲しかったな

と思いました。

そしたらもっと早く養母から離れられたり

もっと関係が悪化する前に何とかなったのかな、と考えてしまいました。

でもタラレバを言っても仕方ない!


ただ、

養子縁組後の子供へのケアがもっと

しっかり整えばいいのになと思いました。

2~3年ではなくて

子供が思春期になったりする未成年のうちは、

外部の大人が直接子供とコンタクトをとって

気持ちを聞く、そんな制度があればいいですよね。






そして担当の方から、

養母はよく、

私のことを「あの子は賢いのに勿体ない」

と言っていたと聞きました。

18歳の時には「周りを気にしてちゃんと愛せなかったからちゃんと愛してあげればよかった」とも言っていたらしく…



賢いのに…は養母の口癖でした。

「あんたはやれば出来る、もっと賢いのに」と言われ期待を過剰にされたのは苦しかったです。


もう出来ないことや苦しいことを言っても、

出来ると信じ込んで疑わないので、私の意見を全く聞いたり受け入れてくれませんでした。


なのでずっとその言葉に苦しんでました。

養母の自分が出来なかったことをさせたい理想と思い込みの押し付けが嫌でした、、



ですが、

愛せばよかったという言葉には驚きました。


養母は、あんたのことは何でもわかってる、私が正しい!という感じで間違いを認めず全て私のせいだったので、

そんなことをあの人が本当に言ったのか?と思ってしまいました。


上からな言い方になるけど、

ちゃんと愛してなかったこと自分で気づいてたんだ、と…


もっと早く私への理想を押し付けることを諦めて私自身に向き合ってくれていたら、と思いましたが養母も必死だったのかもしれないですね、、










こんな感じで聞きました。



前回聞いたことや、

知っていることの整理も出来ましたし

知らないことや、矛盾なども考えることが出来ました。



ショックなこともあるし、

少し希望に変えられそうなこともあって

感情は忙しいけど、

知ったことに後悔はありません。








担当の方も、

丁寧にお話を聞かせて下さって感謝しかないです。








他の職員の方ともお会いして、

お話をできました。

その後には担当の方とお昼をご一緒させてももらって思い出のひとつになりました。




職員の方はキャンプの時にしかお会いしてないのに、

顔を覚えていて自分でもびっくりしました!笑









悪いことばかりではなくて、

その時間はとても楽しかったです( ˶˙ᵕ˙˶ )︎︎











今回、

メモを取りながら聞いたことをまとめて

とても有意義な時間になりました。








次は、

自分が5歳で特別養子縁組に至ったことについての背景等について書くのと、

裁判所へ審判書の閲覧に行ったので

その事についても書くので


よければぜひ読んでください。










最後まで読んでくださってありがとうございました☺︎